担当教官、水谷
談話室の長椅子に、小さな椅子をひとつくっつけて――仕事中にも関わらず、横になって寝ていた――蓮華の直属の上司であり担当教官でもある男、水谷は、大きく伸びをしてぼりぼり、と頭をかいた。
「ごめんごめん、ここのところ忙しくてさ~。」
正規の軍隊ほどかっちりとした組織ではない。それでも上下関係はかなり厳しい。そんななかにあって、珍しいほど……優しいだけでなく、雰囲気がゆるくてフレンドリーな水谷はふわぁ、と大あくびをしている。
(マイペースな人……)
仮眠室でもないところで、勤務中に寝ていてもいいのだろうか。はじめは、蓮華が相談しやすいように気遣って、二人で話せる談話室を選んでくれているのかと思っていた、が――もしかして、彼が談話室を定位置にしているのは、勤務中、自分が横になって寝ていたいからでは――そんな疑念が頭をかすめる。もっともそれ以前に、もっと気になることがある。
(寝てるときも、お面つけてるの!?)
もしかしたら、顔面に傷や火傷の痕など……人には見せたくないと思うようなものがあるのかもしれない。額から鼻まで――ちょうど顔の上半分を覆うキツネの仮面を、初対面のときからつけいた。そんな水谷を最初は気の毒に思っていた……が、どうやら、傷跡を隠しているわけではないらしい。
「あー、やっぱ痕ついてる。」
レンのせいで、一日中つける羽目になってるからな~、と言いながら、後ろを向いて手鏡でチェックしながら肌を伸ばしている。
「お面を外せばいいんじゃないですか?」
「やだ。」
そう言って振り返ってにっこりと笑ったのが仮面ごしでもわかる。
「かわいい教え子に、この顔を覚えてほしくないからね。」
もはや、どこをどう突っ込めばいいのか分からない。
(部下から顔を覚えられて、なにが困るというの……?)
そもそも、前世でいうところ、神社の参道のお土産物売り場かなにかに値札を下げて吊ってありそうな……キツネのお面はなんなのか。ふざけているのだろうか?
「それで――何があった?」
こんな時間に訪ねてくるからには、何かあったんでしょう?と――マイペースながらも、よく気のつく上官は、目線の高さを合わせて聞いてきた。
◆◆◆◆
――それから約90分後、同施設内の別エリア。
カーン……カーン……と、靴の踵が固くて冷たい音を立てる。薬品や熱に強い塩化ビニル樹脂の床が覆う通常エリアとは異なる、コンクリート打ちっぱなしの通路は、大人の男が二人並んでギリギリ通過できるほどの幅しかなく、足元をライトで照らさなければ歩けないほど暗い。
通称“蟻の巣の通路”と呼ばれるそこは、その名のとおり複雑に入り組んだ構造をしている。方向感覚が狂わされることを意図するかのように、道は真っ直ぐではなく、分岐し、アップダウンまで織りまぜられている。構造を熟知しない者が地図もなく迷いこめば、出られなくなるのは必至だった。
組織の通常エリア、所々に設けてある普段は開くことのない鍵のかかった扉の向こう側、それがこの“蟻の巣の通路”へと通じている。組織の隊員達が“処刑部隊”として怖れ、口にするのも避けたがる存在――彼らの専用通路と言われている。
ベリーショートの金髪をかっちりと分け、瞳が見えない偏光レンズを室内でもかけたスーツ姿の男は、通路の分岐を抜け、閉ざされた牢獄の扉の前に立った。生体認証が気に食わないのか、横の数字コードを長い指先で連打しつつ、左手で受話器をとった。
◆◆◆◆
「《こちらです》。」
音声変換装置により合成された――聴くものの不安と不快感を掻き立てる機械音声が応じた。
真っ黒な――筋肉の動きを強化するパワードスーツで、頭頂から足の先まで完全に覆った――表情どころか声すらも秘匿された部隊、“警邏”の隊員のひとりが扉を開けた。
「ご苦労。」
金髪に偏光メガネをかけた男が案内されたのは監獄の大部屋のひとつである。とはいえ、その部屋には水道の蛇口だけはあるものの、ほかの部屋のような洗面台もなければ便器もベッドもない。
……ひときわ固くてツルツルとした床や壁――そして水捌けを考えたかのような微妙な盛り上がりと、集まった水が一ヶ所に集められるような構造が特徴的だった。――空間を掃除し、キレイに洗い流すことがやり易くなるように、予め想定された構造。
「全員揃ったか……?」
各々、独房に入れられていた者達が拘束された状態で集められていた。
「支援物資……よりにもよって、武器弾薬を横流しする、とは、な。」
愚か者が、と……神経質そうに眉間に縦皺を寄せ、男は奥のもの達に顔を向ける。その者らは、恐怖からか、もはや声をあげることもできない様子だった。
「何か――言い残しておきたいことはあるか。」
面々の面持ちが絶望の色に染まる。啜り泣く声も聞こえてきた。そのなかの屈強そうな一人が、顔をあげる。
「……司令お一人の判断ですか。」
「……なんだと?」
金髪の男は、明らかにカチンときたような表情で眉間のシワを深くする。
「志賀司令以外の司令、司令長……いえ、総司令は!」
暗いなかにあって、それでも偏光レンズをかけたまま、男――志賀竜司令は眼鏡の縁に手をやり、顎先をあげた。
「お前らが――自分がやったことの意味を理解できていないことだけは分かった。」
冷たい声の響きに容赦はなかった。
「俺の独断でお前らは処刑される。ほかの司令なら命は助かるかもしれない――そう思ったんだろうが……」
ずいぶんと生ぬるい発想だな、と言葉を切り、竜司令は告げる。
「支援継続のためにも、相応の処分をしたこと。再発防止に全力を尽くすことを内外にアピールするように、と……総司令からのお達しだ。」
沈黙のなか、竜司令は歩み寄り、スーツの下に吊っていたホルダーから拳銃を引き抜く。その冷たい鉄筒を顎下に差し入れて、ぐっ、と持ち上げた。
「……分かりやすく言ってやろうか。」
それは、政治の世界をはじめとし、上から人を動かす者達が下の者が忖度し命令を遂行することを見越した上で使う、いざというときの逃げ道を用意した――あいまいな発言。肝心な部分はお茶を濁され……それでも、現実問題として、多くの場合、下の者は本来の意図どおりに動かざるを得ない。
「要するになぁ、二度と繰り返すものが出ないよう、見せしめに処刑せよ、ということだよ。」
残酷な言葉に、床に突っ伏すものが増える。先ほど食い下がったものは、絞り出すような声で言う。
「支援、支援……って、……そんなにも、金銭が大事なんすか。」
数秒の沈黙。竜司令はふうと息をつき、男の顎から銃身を外す。
「お前の度胸だけは買ってやる。」
ホッと息をついた男を嘲笑うように鼻で笑いつつ、消音装置をセットする。
「……が、話にならんな。」
安全装置を外され再び銃口を向けられた男は、完全に言葉を失った。
「地面を掘れば、金銭が出てくるとでも思っているのか?」
貴様らを生かすための資金はどこから出てると思うのか?と青筋を浮かべて彼は告げる。
「組織の人間は、所詮は、表社会の番犬――」
犬は犬らしく、分を弁えた行動を示さねばな、と自嘲気味に笑いつつ引き金に指をかける。
「こっ、ここで、撃ったら……、跳弾したら危な……」
やがて自分の番がくる、そう思ったのか、裏返った声を発したものに、竜司令は顔も向けずに返す。
「安心しろ。弾頭をもろくした弾を使っている――」
お前達の体のなかで確実にストップする貫通力が低い弾丸を選んだ――と無表情で口にした竜司令長。その肩に、黒ずくめ隊服に身を包んだ男がすっ、と手をかけた。
同じ口径の弾丸であれば、貫通力が強いほうが、撃たれた側の傷口が小さく、ダメージが少ないということは 拳銃について調べたことがあるかたはご存じかと思います。
ただし、貫通力が強い弾は、硬い場所で跳ね返され、想定外の方向に向かってくる(その際に、速度は低下しているものの、弾の形は変形し、そのせいで傷口が悲惨なことになる場合もある)跳弾のリスクもあります。
では、貫通力を落とせば殺傷能力が上がるかというと、単純にそうでもなく、貫通力が落ちることで、防弾服などで防がれやすくなる面もあります。
どんな弾がダメージが大きいかというようなことは、その時々の条件でも変わります。
当たりどころによっては、手や足でも死にます。太ももなどの深部にある太い動脈に当たったら止血できませんし
大腸を傷つけてしまえば、お腹のなかに内容物の雑菌がばら蒔かれてしまうので結果的には重大なことをもたらしたりします。
きわめてまれなケースでは、頭を撃ち抜いたのに、大きな後遺症もなく生きている場合すらあるらしい
そういう運や確率の要素も絡みます。
余談ですが、人の身体の内部の構造は血管の微妙な位置関係や繋がりかたなど、けっこうな個人差があり、
みんな同じではないので、そういうことも難しくなります。