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番外編 老妖精の回顧

 リュドゥミランタナは、空っぽになった小さな青いきのこの家を眺めた。


 ほんのさっきまで、ここには親子が暮らしていたことを思い出す。


 永い時間を生きてきた自分にとって、唯一となってしまった家族である。






「リュディ」


 家族と言われて今でも思い出すのは、自分をそんなふうに呼ぶ声。

 あの人は、もう居ない。


 長命な妖精と言えど、リュドゥミランタナの容姿は、今はくしゃくしゃの枯れ木のようになってしまった。

 いろいろなことが変わった。






 それは、ルスリエース王国が生まれるよりも、もっともっと前のこと。森の外には小さな集落があった。


 人間たちは畑をつくり、動物を育てて慎ましやかに暮らしていた。


 一方、妖精たちは魔法で何でも作り出し、そんな人間たちを馬鹿にしながら贅沢をしていた。



「人間というのは粗暴で低俗な生き物だ。決して馴れ合ってはいけないよ」


 両親にはそう教えられていたので、リュドゥミランタナもまた、常に人間を見下し、森で迷わせては嗤っていた。

 当然、人間と妖精は相容れなかった。互いに殺し合う日々が続いた。


 妖精たちは強い魔法の力を持っていたが、外へ出るときは身体を小さくする。

 そのため、時には人間の罠に引っかかってしまったり、相手が大勢だと何もできずに死んでいくこともあった。



「内側から突き崩してやろう」


 そう言い出したのは父だった。リュドゥミランタナに白羽の矢が立った。



 妖精たちには、それぞれ秘密の力がある。

 ある者は蝶になれたし、チェリーは身体と心を癒やす力のある料理を作れた。


 リュドゥミランタナのそれは珍しい。この永い生の間で、一度も同じ力のものに出会ったことがないくらいには。


 それは、人間へと変化できること。


 艶やかな薔薇色と紫色の混じった翅を、身体の中にしまい込むことができる。

 妖精の色を封じて、どこにでも居る人間のような凡庸な色へと変えられる。




 リュドゥミランタナは身体を小さくし、夜のうちに村を飛び越え、森とは反対方向のほうへ飛んだ。

 それから人間の姿になり、村に入り込む算段であった。



 魔力も体力も使いすぎて、気がつくとぱたりと倒れてしまっていたが、目論見通りになった。


 早朝、村のそばに倒れているリュドゥミランタナを、一人の青年が見つけた。彼女は父の言いつけ通り、記憶喪失のふりをした。


 青年の名は、ダビドと言った。

 くるみ色のふわふわとした髪に、新芽のような目をした、朴訥な人だった。優しげに垂れた目が、リュドゥミランタナを心配そうに見つめている。


「あんた、名前は覚えてるのか?」

「リュドゥミランタナ」

「なんだって?」


 ダビドは怪訝そうな顔をした。


「ーー長くて覚えられないや。この村では、リュディって名乗りな」


 ダビドはためらいがちにリュドゥミランタナの背に触れると、そっと抱えるようにして村へと連れ帰った。





 リュドゥミランタナは、ダビドの家に住むことになった。

 彼には年老いた母親がおり、その世話をする人間が居なかったのだ。


 世話と言っても、彼女は座ってすることならたいていなんでもできた。



「それじゃあ、まずは芋の皮を向こうか。リュディ、取っておくれ」


 リュドゥミランタナは芋がなにかわからず、その場に立ったままだった。


 どうして自分がそんなことを、と、思ったが、これは使命である。

 気に入られるように振る舞わねばと、リュドゥミランタナは、笑みを作って見せた。



「ーーああ、おまえは記憶をなくしているんだったね。

 かわいそうに。生活するのに苦労するだろう。

 一から教えてあげるから、がんばるんだよ」


 ダビドの母マルタは、涙を浮かべて言った。


「いいかい、芋はね、こうして皮をむいたあと、ふつうは水に放しておくんだよ。

 この芋はそのまま使うと粘り気があってね。だから、それを落としてやるんだ。でも、今日はその粘り気を使って料理をするから、水にはつけてはいけないよ」


 マルタは一つひとつ丁寧に教えてくれた。


 さらさらと芋の皮を剥き、危なげない手つきで芋を薄く切っていく。さらにそれを小枝のような細さにしていく。


「大事なのは、薄く、細く切ることだ。

 芋を薄く切ったら、それを横にずらっとならべる。左側がこんもりと高くなるように丁寧に並べていくと、きれいに切れるよ」


 リュドゥミランタナは、包丁を持ったことなどもちろんなく、手は切り傷だらけになった。


 だが、マルタは呆れることなく心配して、手当てをしてくれた。


「こんなもの、問題ない。ーーほら」


 リュドゥミランタナはそう言うと、治癒の魔法を使った。

 切り傷はあっという間に消え、もとの美しい肌になる。


 マルタは目を見開いていた。それから手を組み「神よ……」とつぶやいた。


「いいかい、リュディ。その力は人前で使ってはいけないよ。妖精だと思われて殺されてしまう」


 マルタは、真剣な目をして言った。


「どうして?」

「妖精たちは、あたしたちの仲間をたくさん殺したんだ。今では、村じゅうがぎすぎすしている。ちょっとでも疑われたら危ないんだよ。

 ーーあたしのばあ様の時代には、妖精たちと人間たちは仲良く共存していたものだが……。妖精王が代替わりしてからすべてが変わってしまった」


 リュドミランタナはどきりとする。妖精王エルダルマシオンは父親だった。


 それにしても、人間なんかと仲良くしていた? そんなことがあるはずはない。リュドミランタナは憤りを覚えた。



「きっとあんたは取り替え子なんだね」


 マルタはぽつりと漏らした。


「ーー取り替え子?」


 リュドゥミランタナが尋ねると、マルタは頷く。


「妖精たちは、気まぐれに人間の赤子と自分の子どもを取り替えるのさ。

 魔法が掛けられていて、見た目ではとてもわからないが、取り替えられた赤子は不思議な力を持つと言う。それは、妖精だから。

 --あんたもきっとそうだ。大丈夫。あたしが守ってあげるからね」


 それからマルタは、ぽつりぽつりと自分の話をした。


 遠い昔、女の子を生んだこと。

 ところが、その年はひどい飢饉で、生まれた子どもはすぐに死んでしまったこと。


 それから子どもができずに、孤児だったダビドを養子として迎え入れたこと……。




 父とリュドゥミランタナの間には、親子の情のようなものはない。そこにあるのは絶対的な主従関係だ。


 母親はリュドゥミランタナの妹を産むと、すぐに儚くなってしまったし、妹はまだ幼く、話したこともない。


 だから、マルタと過ごしていると、妙にこそばゆくて、変な感じがした。




「さあ、早く支度をしてしまおう。さっき切った芋には、この粉をよくまぶしておくれ。それから鍋を熱くして……油をひく。

 芋は、手で薄く丸く形を作るんだ。これをカリッと焼いたら今日の食事になるよ」


 最初は蓋をして弱火で焼き、それからひっくり返してカリッと焼いていく。


「これは、なんていう料理なの?」


 リュドゥミランタナが聞くと、マルタはにこにこしながら「パターギャレってここらでは呼ばれているよ」と笑った。


 しばらくすると、畑に出ていたダビドも戻ってきて、三人で食卓を囲んだ。


 ダビドは手に小さな花を一輪持っており、彼が何も言わずとも、マルタは手近な棚からガラスの瓶を出して彼に渡した。


 言葉を発することなく意思疎通ができるその様は、不思議だった。



 外側はカリカリしていて、中はもっちりしたその食感のパターギャレは、はじめて食べる味であった。


 妖精たちは食事をしなくても生きていけるので、大抵は朝露や花の蜜ばかりを口にしてきた。


 だが、自分で手間ひまをかけてつくるのは意外と楽しく、リュドゥミランタナには合っているようだった。




 午後は作物の世話をした。


 妖精たちの農業は一瞬で終わる。種や木に話しかける。それから、魔力を少しだけ分けてやる。


 たったそれだけで、種は瞬く間に発芽し、花が咲いてこぼれ落ちそうなくらいたくさんの実ができる。


 ただし、そうして実を得た木は、実をもがれるとすぐに枯死してしまう。


 これは、父であるエルダルマシオンが考案した画期的な方法なのだと、だれかが言っていた。



 反面、ダビドがしていることのまどろっこしさとしたら、目眩がするほどだった。


 彼は、一つ一つの果樹を見て回り、葉の色や、その裏側まで細かく確認した。

 邪魔な草や虫がついていれば取り除き、終わった花はぱちんと切る。


 こんなにも手間と時間をかけるなんて、なんて勿体ない! やはり人間は非力で愚かだ。


 --けれども、妖精としての耳には、いつもと違う声が聞こえた。


 枯死していく断末魔の叫びではなく、世話をしてくれるダビドを愛おしく思い、甘い実をつけようと意気込む植物たちの声が。






「何をしているの?」


 それは月のない夜だった。

 うるさいくらいに蛙が鳴いており、夏が近いというのに夜風は少し冷たかった。


「妖精避けの香をつくってるんだよ」


 妖精の言葉に、リュドゥミランタナは身を固くする

 。

 なるほど、父が村に近づけぬとこぼしていたが、そういうわけだったのかと納得もした。



 彼のごつごつとした大きな手の中には、桃色の、粘土のようなものがあった。


 それをてのひらで揉みほぐしていくと、しゅん、と光が吸い込まれていった。

 リュドゥミランタナは驚いて、彼の手元を何度も見直した。


「あなた、今、魔法を使ったでしょ」


 リュドゥミランタナが言うと、ダビドは特に驚く様子もなく頷いた。


「あんたは、魔法を見ても驚かないんだな」

「マルタが、そういう力は使っちゃいけないと言ったから」


 リュドゥミランタナは、はっとして言葉を濁した。


「--そうだろうな。この国では、今はまだ、魔法は忌み嫌われるものだ」


 ダビドは納得したように頷いた。


「俺はね、隣国の出身なんだよ。閉鎖的で差別的なその場所から、子どもの頃に逃がしてもらった。

 一緒に来た大人は死んだ。そして流れ着いたこの場所で、マルタに拾われた」


 ダビドは昼間来ていた詰襟の服をくつろげている。少しだけ見える鎖骨の当たりを起点に、傷跡が見えた。

 それは、刃物で斬られたような跡だった。


 リュドゥミランタナは、なんとなく気まずくなり、視線を落とした。

 ダビドのそばには、土を捏ねるためであろう、水瓶が置いてある。その中には、星がいくつも沈んでいた。



「妖精避けの香を、あなたが作っていること。みんなは知っているのか?」


 ダビドは首を振る。


「それがわかれば、もっと待遇が良くなるんじゃないのか」


 リュドゥミランタナは続けた。

 彼女は薄々と気づいていた。この親子は、村の中では低い立場にあるのだと。マルタの世話なんて建前で、だからこそ、素性の知れないリュドゥミランタナを押し付けられたのだと。


「俺は、マルタと一緒に、穏やかに暮らせればそれでいい」


 リュドゥミランタナは、ダビドの隣にしゃがみ、ただその手元を見ていた。


 薬草と魔力を混ぜ込んだ粘土のようなものが完成すると、ダビドはぶつぶつと呪文を唱えた。

 すると彼の瞳が、闇の中でもはっきりと見えるくらいに赤く光り、丸っこい粘土はぷすぷすと燻り始めた。


 それからダビドは、鉢の中に香を入れると、その上から別な鉢をひっくり返して重ねた。植木鉢の穴から、桃色の煙が少しづつ上がってくる。

 それは、マルタたちの家の屋根を越えて、森の方へと流れて行った。


「魔法が使えることを、どうして私に教えたの?」


 リュドゥミランタナは聞いた。


「私がみんなに噂をばらまいたり、あなたを利用するとは考えなかったの?」


 詰め寄るように聞くと、ダビドはきょとんとしてリュドゥミランタナに目をやり、それからくしゃりと笑った。


「あんたは、そんなことしないだろう?」

「……するかもしれないじゃない」

「その時はその時さ。自分で決めたことなんだから、納得して受け入れるよ。人を信じられずに生きるより、ずっとそっちのほうがいいね」





「リュディ、村の生活には慣れたのか?」


 村に来てから数ヶ月が経った。

 人間たちと紡ぐ平凡な日々を続けていたリュドゥミランタナは、静かに頷いた。マルタが毎日教えてくれるお陰で、すっかり村の女たちと同じように料理ができるようになったし、農作業も覚えた。


 リュドゥミランタナの答えに、ダビドはほっとしたようにほほ笑む。


「あんたのこと、みんな褒めてたぞ。働き者だって」


 それから彼は、なにかを言いかけてやめた。どのように切り出すかを思案しているようであった。


 ややあってダビドは「--家には帰りたいか?」と尋ねた。これは、なんと答えるべきなのだろう。しばし思案して、リュドゥミランタナは「帰りたくない」と答えた。


 そして、思わず自分の口元を押さえた。そう告げたら、不思議と、胸がすっとしたのだ。

 そうか、自分はあの集落がきらいだったのか。そう気がつくと、ほろほろと涙が零れてきた。


「リュ、リュディ?」


 ダビドは、想定していた状況ではなかったのだろう。突然泣き出したリュドゥミランタナを見てあたふたと狼狽えている。


 その様子が、なんだか可愛らしく思えて、それまでの暗鬱な気持ちなど忘れて、リュドゥミランタナは思わずくすりと笑いを漏らしてしまった。


「なんだよ、あんたは泣いたり笑ったり……」


 ダビドはぷいと顔をそむけた。その耳が赤くなっている。

 それから二人は、リュドゥミランタナの作ってきた昼食を食べ、他愛のない話をした。

 不思議と話が尽きることはなかった。


 二人で家に戻ったとき、マルタがそっと「言えなかったのかい?」とダビドに耳打ちした声は、リュドゥミランタナには届かなかった。





 それは、ダビドが熱を出したある晩のことだった。


 少しでも早く楽にしてやりたくて、リュドゥミランタナは夜に沢まで下りて、冷たい水を汲んだ。すると、背筋にぞわりと走る予感があった。


「ーー貴様、何をしていたんだ?」


 怒りと不機嫌さがありありと伝わってくる低い声が、闇の中にぽつりと落ちてきた。

 それは、父であるエルダルマシオンであった。


「密命は果たせているのか。貴様には、村中の男たちを籠絡しておけと言ったはずであろう。

 貴様のような貧相な娘でも、魅了魔法を持ってすれば容易いことのはずだ。そんなことさえ出来ぬと言うのか」


 父の声に乗った棘が、何度も何度もリュドゥミランタナの心を抉った。

 足が縫い留められたように動かない。


 父は怒りに染まった目でこちらを見据えており、それは実の娘に向けるにしては、あまりにも強すぎる眼差しである。ーーリュドゥミランタナは、数ヶ月村で過ごして、そのことに気がついていた。


「わざわざ私を出張らせるとは、ーーどこまで手間をかけるのか」


 エルダルマシオンは、ため息をつき、けだるげに長い髪をかき上げた。年齢を感じさせない怜悧な美貌があらわになる。


「ーーまあよい。貴様も一つだけ役に立ったぞ? 我らが村に入れなかったのは、妖精避けの香のせいだったようだな」

「どうしてそれを……」


 リュドゥミランタナはひっと息を飲んだ。


「なに、かんたんなことよ。貴様の瞳を借りて見ていたに過ぎぬ。

 ーーそれにしても、あの小賢しい男はどうしてくれよう。矮小な人間の分際で我らに楯突くとは。見せしめにもっとも惨い殺し方をしなければな」


 そういうと父はく、く、と笑った。


「ーーあなたは、自分の娘のことも信用していないのね」


 リュドゥミランタナは、瞳に涙をいっぱいに溜めて言った。森のほうから、蝶々の大群が押し寄せてくる。あれらは全部、妖精たちだ。この村を、気まぐれに滅ぼしに来たのがわかり、胸が嫌な感じにどきどきしていた。


「娘だと?」


 父が、心底不思議そうに聞く。


「ーー貴様のような者、娘ではないぞ。そもそも貴様は妖精ですらないのだ。おかしいと思ったことはないのか?

 人間と寸分違わぬ存在になれぬことを。これまで一人も貰い受けたことのないその能力を。

 他の者と比べ、成長が異常に早いことだって不思議には思わなかったのか? 妖精族の四十歳など、まだほんの小さな幼子ばかりだろう。それに比べて貴様はどうだ。もう成人しているではないか」


 父の言葉に、確かにあったはずの足元ががらがらと崩れていくような感覚を覚えた。


「貴様は、妻が気まぐれに取り換えてきた人間の小娘だ。

 理由はなんだと思う? 私と結婚したくなかったからだと言う。

 我らの子を育てるのが嫌だというくだらぬ理由で、わざわざ人里に降りて、生まれたばかりの赤子と自分の子とを取り替えたのだよ」


 それから父だった人は、あたりをきょろきょろと見渡すと「そういえば、このあたりだったような気がするな」と、忌々しげに言った。


「そもそも、貴様が実の娘であったならば、このような危険な密命など任せると思うか?

 妖精族は、身内を何よりも尊ぶのだぞ。家族を傷つける者には苛烈な報復を行なう。ーーそれが我々だ」


 エルダルマシオンは饒舌に語った。


「取り替え子の生態を見るためのサンプルとして生かしておいたが、それはあくまでも王としての判断だ。私自身の感情で動けたなら、とうの昔に殺している。

 下等な人間であっても、妖精の集落で長く暮らすとその身に魔力を宿すというのは興味深い実験であったが、……もう飽いたわ」


 いろいろなことを知りすぎて、リュドゥミランタナは足がすくんで動けずに居た。声を出さない彼女を見て、エルダルマシオンは呆れたようにため息を一つついた。


「まあ良い。村に入れたのだから、まどろっこしいことなど不要だ。退屈しておったのだよ。近ごろは人間を惑わすことも、殺すこともできぬのでな。

 ーーまずは邪魔な貴様から始末するとするか……」


 そう言うとエルダルマシオンは薄く笑みを浮かべて、てのひらをリュドゥミランタナに向けた。




 しかし、ついにその手から剣が放たれるというとき、リュドゥミランタナは誰かに突き飛ばされた。


 気がつくと、リュドゥミランタナの身体は虹色の膜のようなものに包まれていた。そして、先ほど彼女がいた場所には、ダビドが転がっていた。その背には、妖精王が持つ長剣が、深々と刺さっていた。


 エルダルマシオンは、突如現れた人間に驚き、そして消えてしまったリュドゥミランタナを訝しんできょろきょろと辺りを見渡した。


 倒れ伏したダビドと目があった。

 リュドゥミランタナは、虹色の膜をどんどんと内側から叩き、力の限り叫んだが、声は届かなかった。


 ダビドの口元がゆるゆると動いた。声は聞こえなかったが、確かに「リュディ」と呼んでいた。リュドゥミランタナの瞳からは、幾すじもの涙がこぼれ落ちていた。


 そのせいで、彼が最期になんとつぶやいたのかを読み取ることはできなかった。





 しばらく気を失っていたらしい。

 目を覚ますと、身体を包んでいた虹色の膜は消えており、辺り一帯が焼け野原になっていた。


 リュドゥミランタナはふらふらと立ち上がると、妖精の集落へと一直線に飛んだ。そして、ーーすべてを消し去った。村と同じように焼け野原にして。


 集落の外れには大きな屋敷がある。妖精たちはひどく怠惰なので、子どものうちはそこにまとめて押し込まれることが多かった。自ら子育てを行なう親は、ほんの一部だけだったのだ。


 リュドゥミランタナは何も知らぬ子どもたちとともに、少しずつ集落を再生していった。ーーいつしか妖精王とも長老とも呼ばれるようになっていた。





 ーー永い永い夢を見ていた。

 日だまりの中で目を覚ますと、腹の上で幼子が眠っている。起こさないように身じろぎしたつもりだったが、少年はふわりと金色のまつ毛を上げた。赤い瞳があらわになった。


「おばあちゃま」


 少年はふわりと笑った。

 彼の声で気がついたのか、隣の部屋から、妹の遠い子孫と、その娘が顔を出した。


 リュドゥミランタナは、つがいを持たなかった。妹とも血は繋がっていない。それでも、家族は連綿と続いている。けれども、ーーそれでも、たまに会いたいと思ってしまうのだ。


 母マルタと一緒に、他愛のない話をしながら台所に立ちたい。また、一つひとつ丁寧に教えてほしい。


 そして、ーーダビドにも。


「もしも番になるならあなたが良かった。……愛していた」


 老妖精のひとりごとは、木漏れ日が暖かく降り注ぐ部屋の中に、涙とともにぽつりと落ちた。すると水音がしてーー。家族が扉を開けたとき、そこにはもう誰も居なかった。


 これは誰も知らないこと。ある世界のある時代に向けて、いくつもの時空の穴が口を開けている。

 雫になってぽつりと消えた魂は、その中に落ちた。






 ーーここではない、遠いどこかの物語。



「優衣、おはよう」


 台所に立つ母は、得意料理のガレットを作っている。

 優衣も挑戦してみたが、じゃがいもを薄く細く切るのが大事なのだと、横で口を酸っぱくして言われた。香ばしいにおいが広がっている。


 家族で朝食をとり、身じたくを整えて学校へと向かう。川沿いの桜が綺麗だ。大きく息を吸い込む。桜並木の向こうには、ぶわりと菜の花が植えられていて、蝶々がひらひらと飛び回っている。


「翅があったらいいな、ひらひらと飛んだら気持ちが良さそう」


 そんなことをぼんやりと思っているとあっという間に駅についた。そこは無人駅で、いつも優衣のほかに利用する人はいない。持っていたカードをかざして構内に入ると、優衣の指定席である青いベンチに、誰かが座っている。


 その人が読んでいた本から顔を上げた。そして、目が合った。ーーなにが起こったのかはわからない。

 でも、二人同時に泣いていた。まるで、ずっと会いたかった人に会えたかのように。

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