1.森に捨てられた令嬢
王城から追い出されたフラヴィアは、怒りに燃えていた。
どうしてわたくしが、と、苛烈な感情がふつふつと湧いてきて、なにかを壊してしまいたいような衝動に駆られていた。
事の起こりはつい数時間前のこと。
十年前からの婚約者に、婚約破棄を告げられたのだ。
彼はこの国の王太子。自分は王妃に、ゆくゆくは国母になる筈であった。
そのために、どれほどの時間を犠牲にしてきたことか。--どれだけ心を殺してきたのか。
「君の傲慢さが、その身を滅ぼしたのだ」
王太子ギデオンは、いかにもか弱そうに見えるあの女ーーモニカ・バルベリを、庇うように隠しながら言った。
その陰で女が嗤っているとも知らずに。
それはギデオンが持つ、来客用のラウンジでの出来事だった。人払いが済まされ、その場には当事者である三人だけが対峙していた。
「君は王妃にふさわしくない。
たとえ末端貴族の娘であろうと、モニカもまた大切な民だ。
それを虐げるような者が、どうして国の頂点に立てるだろう」
彼がフラヴィアに向ける目は凍てついていた。ーーかつては、その瞳に確かに浮かんでいた恋情が、今はもうどこにも見当たらない。
フラヴィアはただ、躾の行き届いていない小娘に、多少の灸を据えてやっただけに過ぎない。
淑女にあるまじき異性との距離感を指摘したり、あの女が図々しくも人の婚約者に差し入れたクッキーを壊したり、侮辱されたので真っ白な侍女服をワインで汚したりしてやった……その程度のことだ。
やられたらやり返す。単純なことではないか。
フラヴィアは美しい。それは自信を持って言える。
少したれ目がちな空色の瞳は色気があるとよく言われるし、髪の毛は太陽の光のようにきらめく金色で、自分でも気に入っている。
対してモニカは地味だ。
ミルクで薄めた紅茶の色の髪の毛に、色づき始めた苺のような瞳。
髪の毛はくるくると巻いていて、肩ほどまでの長さしかなくみっともない。体つきも貧相だ。
十人いたら、十人はフラヴィアを選んでくれる。そう思っていた。
けれども、今では少し、自信が無い。
まるで王家の庭であるかのように、城の北側を囲む深い森。その道なき奥地。
ギデオンの命でフラヴィアをここに棄てた男は、恐らく、王家の影であろう。
こんなところに捨てられて、これから先、どうしたらいいというのか。
使用人が木の実やきのこを採取しに出ることもあるけれど、その奥には妖精の聖域があり、迷い込んだ者は二度と出ることが叶わぬという。
森の空は少しずつ夜に向かっていた。
端から淡く色を変えていき、空気も肌寒くなってくる。
荷物一つ持たされずに放り出されたことは、堪えても居た。
フラヴィアには帰る宛てなどない。
反対側に出られれば城下町に行けるだろうが、平民の暮らす街に出たとして、そこでどう暮らしていけるだろう。
家にたどり着くことが出来れば、父は歓迎するだろう。この上ないくらいに。
--でも、それだけは耐えられなかった。本能が拒絶していた。
そういえば、王子妃教育をしてくれた先生が、面白い話をしていたことを思い出す。
森の奥には、妖精たちの棲家があるというのだ。
ここ、ルスリエース王国は、木漏れ日の王国と呼ばれている。
広大な森にはいまだ不思議なことがたくさんあり、解明されていない。
妖精たちの存在もそのひとつだ。
この国の初代王妃が、妖精の愛し子であったことしか知られてはいない。
それならば、万に一つの望みにかけた方がいいと思えた。
フラヴィアは、無謀にも、暗くなりゆく夜の森へと足を踏み入れたのだった。
同じ世界観の『黒侍女と魔法の手帳』とリンクしたお話です。