第五話 風邪は人間にとって辛いのです
一日遅れました。すみません。
「あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"……ゲッホ、ゲッホっ……がんべぎにがぜびい"だ。ノドがガラガラで、い"だい。みず……みずぅ」
激しい喉の痛みと渇きにより四郎は目を覚ます。熱と疲れが原因なのか、昨日の記憶が非常に朧げだった。最後の記憶は会社の廊下でぶっ倒れたところでプツンと切れていた。
(部長が運んでくれたのかな……後で電話かメールでお礼伝えとかないと……ぅぅぅぅ)
とりあえず四郎は掛け布団を剥がして、なんとか立ち上がる。そしてシンクまで移動していき、コップに水道水を注ぎ込むのだった。それを何気なく喉に流し込んだ瞬間、四郎は激しく咽せる。
「ング⁉︎ ッ〜〜! ゲッホゲッホ!! あーーーー! ……みっ……みずが喉にじみる」
水は四郎の喉をとてもではないが通っていかなかった。しかし、四郎はどうしても水が飲みたい。そこでもう一度水を少量飲もうとチャレンジするが結果は同じだった。
「ンーーーー⁉︎ ゲホ……ゲホ……やっぱ、めぢゃぐぢゃい"だい。水はむりがあ"。はぁ〜〜しんどい……」
キンキンに冷えた水道水は四郎の炎症して熱を持った喉では決して飲めなかった。仕方なく幸彦は水ではなくお湯で水分補給をする。
「はぁぁ……がぜなんでひぐのは何年ぶりだっけ? ざいごにびいたのはたじか二年前だったな……」
四郎は鼻をすすりつつ考える。この一ヶ月の間、睡眠時間が極端に減ってしまって、免疫力が落ちたのだろう。こんなに酷い風邪を引いてしまっては、出社するのは逆に迷惑になる。そうして四郎はしばらく会社を欠勤することに決めた。
しかし、そう決めた後で四郎は大事なことを忘れていたことに気づく。
「今……なんじだ⁉︎ やべ、ねずごした!!」
四郎は急いで時間を確かめるべき、スマホを開く。すると時刻は完璧に昼であり、四郎は非常に焦る。
「あ"あ"やばい"。早くががりぢょ"うにれんらぐしないと」
このままでは、四郎は無断欠勤になってしまうのであった。彼は急いで係長に連絡を取ろうとする。何回目かのコールの後、係長は出られた。
『もしもし』
『お"はようございます。ががりぢょ"う。第三開発部の山本じろうでず。じづはざぐばんからだいぢょうをぐずじておりまじで、おやずみをいただけませんでじょうか?」
『えっ〜と、その声はどうしたんだい……朝より随分ガラガラの声だが』
『はい“。朝寝過ごしてじまっで……この時間までれんらぐがおぐれでしまいまじた。ずい"ません』
『いや山本君、ちゃんと朝に連絡してたよ。覚えてない? 大丈夫?』
『え"?』
全く覚えていない記憶だった。だって四郎は先程まで熟睡していたのだから。
『えーっと2、3日欠勤するんだよねぇ。ちょっと酷くなるかもって何でもない声で連絡してきたから、アレ? 仮病かなとも疑ったけど……うん。その声は100%風邪だね。それと君の仕事の配分もちゃんと決めてあるよ。だからしっかり休んだ後、病院に行ってちゃんと治しなよ。それまでは会社休んでても大丈夫だから。それじゃお大事に』
『ありがどうござい"まず』
なんとも奇妙な現象だった。係長は四郎が直接連絡をかけたと思っていた。しかし、実際四郎は寝ており、そんな事が出来るのは彼には一人の少女しか思いつかなかった。四郎は半信半疑ながら、スマホのメモを開いて『おはよう』と打ち込む。
するとすぐさま『おはようございます❤️、ご主人。きゃは! 初めての挨拶です! 今日は私とご主人が初めて挨拶した挨拶記念日ですね!』と可愛らしい文章が打ち込まれるのだった。
なる程……どうやらスマホの妖精と言う話は嘘ではないらしい。その証拠に意思の疎通が出来て嬉しいのか、先ほどからiPhone 8(通称エイちゃん)はブー、ブーとバイブレーションで喜びを表現するのだった。
四郎が茶色のソファーに持たれかかって10分程立っただろうか? 看護師が四郎の番号を告げる。
「54番のお客様。54番のお客様はいらっしゃいますか?」
「あぁ、俺です」
「ではこちらで、番号表を受け取ります」
番号表を看護師に渡す。そうして診察室に四郎は入っていった。
エイちゃんは本当に出来た嫁さんらしかった。四郎の起きる時間を逆算していた彼女は、病院の予約を勝手に取ってくれていたのである。
非常にありがたい。四郎のかかりつけの病院は待ち時間が長いことで有名なのだが、予約をしていてくれたおかげですんなりと診察を受けることが出来た。
喉と心音、耳と、内臓の音を聞いてもらった結果、四郎の病状はそんなに対したものではなかった。
「うん、これは夏風邪ですね。夏風邪は普通の風邪と違うので水分をよく取ってゆっくり休んでください。頓服を出しますので熱が高い時は飲んでくださいね、それではお大事に」
「はい、ありがとうございました」
良かった。夏風邪なら体力をしっかり保てば、遅くても5日程で回復するはずである。病院で診察してもらった四郎はその足で、隣のスーパーで買い物をしてアパートに帰るのだった。
「ああ〜腹一杯。やっぱ風邪の時はうどんだな」
簡単に栄養が取れて、吸収の良い食べ物と言ったらうどんだった。彼は二袋のうどんを食べた後、500ミリリットルのスポーツ飲料を一本飲んだ。
そうして栄養と水分を補給した後、彼はパジャマに着替え、電気を消した。そうして眠ろうとした時にお礼を言っていなかったことに気がついた。
「今日はありがとうな。エイチャン」
『どういたしまして、ご主人様』
それを見た四郎は安心し切って、暗い部屋の中深い深い眠りに付くのだった。
「ふわぁ、よく寝た……」
四郎は目をパチパチと照準する。そして暗い部屋の中を見渡した。
(あー……久々に寝た。まともに寝てなかったからなぁ。体ってこんな軽いのか……)
四郎は体の各所を揉み解し、足や手を伸ばしていく。するとパキパキパキと体の至る所で音が鳴った。
「あぁ〜、しんどぉ。寝たら疲れ取れるかと思ったけど、やっぱ一日じゃ治らないか……」
四郎は電球を引っ張って電気を付ける。そうして布団を畳んだ後、iPhoneを手に取った。そしてスリープモードを解除するとあまりの通知の数に驚いてしまう。
「うぉ! なんだこの数。えっーとラインの通知が1000⁉︎ 俺の寝ている間に何が……」
すると、LINEの通知音が鳴り響く。スライドして確かめてみると山本XIIIという友達が追加されていた。
『あっご主人様。お目覚めですか? おはようございます』
「エイちゃん……どうやってLINEのアカウント作った? もしかして俺のアカウント消した?」
そう、既に四郎は自分のアカウントを所持していた。なのでLINEはもう使うことはできないと思っていたのだが……思わぬ事態に困惑しているとピコンとすぐさま次の文章が打ち込まれる。
『いえいえいえ!滅相もない。前のiPhoneのLINEで登録しました。だからご主人のLINEのアカウントは消してないです。ないです』
なる程。だから昔の使っていたiPhone 5と充電器が引っ張っり出されていたのか。疑問が解けた。
改めてアイコンを見てみると、そこには可愛い女の子のアイコンが表示されていた。
桃色の鬼○郎のような髪型、形のいい眉、紫紺の瞳と人懐っこい笑顔が特徴の可愛らしい女の子だった。
お嫁さんの姿を見るのは初めてである。そしてこんな可愛い子が四郎のことを大好きだと思うと胸がジーンと熱くなる27歳のおっさんなのであった。
「あぁ、それと挨拶まだだったな。おはよう、エイちゃん……所でこの通知は何?
1000って見たこともない数字になってるんだけど……」
学生時代は四人のLINEグループで、500や1000の通知などは当たり前であったがこんな通知数は久々である。いったいどういうことなのか……
『あぁ、薫さんとLINEで話すのが、ついつい楽しくて通知が1000を超えちゃいました。ごめんなさい』
いつのまに部長を下の名で呼ぶほど仲良くなったのだろうか。確か、結構酷い言い方で敵対していたような気がするが……まぁいつものことだろう。
部長をけちょんけちょんに言っていた人が部長と話すと180°意見が変わることはよくある。
あれは天然の人たらしである。
何を隠そう、四郎も過去に部長を散々悪く言っていた一人であった。陰で部長の悪口を散々言っていたのだが、別に部長が憎いという訳ではなく発散出来る対象であれば誰でも良かった。そしたらある日仕事終わりに部長がわざわざ訪ねて来たのだ。ただの平の社員である四郎に……
「君、山本君だろ? 課長から聞いたよぉ? 私の悪口をそこら中で言ってるんだって? 酷いなぁ……私は酷く傷ついた……ってことで呑みに行こう! 呑めば、私への悪口なんて全て忘れるさ! さぁ、行こう、今すぐ行こう」
「ちょっと、ちょっと、待ってください! 俺にも予定ってもんが……それに呑みに行くったって俺そんな楽しく話せないですよ……」
あの時は、仕事が上手くいかずとにかく鬱屈とジメジメした気持ちを感じていた。それに、四郎は悪口を言っているような人物とサシで飲むようなそんな鋼の心臓を持っていなかった。断ろうとする四郎であったが、部長は人の心を擽るのが昔から非常に上手かった。
部長はこの時既に四郎を攻略する糸口を掴んでいたのだ。
「ふむ? 私に遠慮してるのか? ならそうだなぁ……よし! 今日の君が払うお金は全て私が払ってやろう。それでどうだ」
それは、呑み代、タクシー代も払ってくれるという魔の誘惑だろうか。それは非常に魅力的な提案だった。四郎の心がぐらりと揺れる。
「でも、呑むならその遠くまでぶらぶらするんでしょ? それに俺お酒弱いからそんなにハシゴも出来ないし……」
その幸彦の弱気な発言に部長は面白そうに笑う。
「大丈夫。大丈夫。私もお酒は弱い方だ。ハシゴなんて君と同じで、とても出来ないよ。それともハシゴでべろんべろんに酔っ払わせたかったのかね?」
「いえ、そんな失礼なこと、とても出来ません。その酔っぱらった人の扱いもよく分かっていないし……」
「それなら私も安心して呑める。そうだ! 今日の呑みは練習だと思って行こないか? 私もこの年で部長なんぞ、やってるとな。その……なんだ、人前では言えない悪口が色々言いたくなるんだ。なぁ、いいだろう? どうせ、君が顔も知らないような人物の悪口言うんだ。私の悪口を言ったお詫びとして付き合ってくれないか? な?」
「そこまで言われたら……今思えば用事も大したことなかったので行きます」
そうしてあれよあれよという間に呑みに連れて行かれ、話す内にとことん惚れたのだ。
そうだ。業績が上がり出したのも、部長と呑みに行くようになってからではないだろうか。
一生役職なしだと思っていた四郎であったが27という若い年で主任に昇進出来たのも部長と出会えたおかげだった。
そうして過去の思い出に浸っているとチャイムがなる。インターフォンで顔を見てみると、四郎はとても驚いた。買い物をして来てくれたのだろうか? スーパの袋には果物や、栄養剤が入っていた。
四郎は風邪を移さないようマスクを二重にして、ワクワクしながら扉を開く。
「どうだ? 元気にしてたか山本君」
「はい、部長! 元気に休んでます!」
それを聞いて部長は噛み締めるように笑う。
「くっくっくっ……元気に休んでますって君は……相変わらずだな。そこは休んでますで大丈夫だよ。山本君」
今日も変わらず、八幡薫さんは、頼れる美人で完璧な四郎の部長であった。
四月からは投稿頻度落とします。ご容赦ください。