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「え、旦那様のお仕事ですか?」
リラの言葉に私は頷いた。
屋敷に来てから数日が経ち、私はある程度周りのことを知るようになった。
執事のウィルソン、家政婦のマチルダ、料理長のガース、この三人と顔合わせをしてからというもの、ほかの使用人たちからも親しく話しかけられるようになり、私は今、彼らの名前と顔を覚えるので必死だったりする。
何事もまずは代表の三人が終えてから、というのが使用人たちの中では暗黙のルールとなっているようだが、この屋敷……ちょっと人が多すぎないか。
優しい人たちばかりだというのは助かるけれど、会うたびに「奥様」と嬉しそうに呼ぶのはやめてくれ。
まだ結婚していないし、なんなら二年だけの関係ですからーーなんて言えねぇ、絶対言えねぇ。
周りと話すようになると、当然家主であるカイラスのことも気になるわけで。
本人に聞く勇気もなく、試しにリラに聞いてみたわけだけど。
「旦那様は今、ビルウォード領となるエルストの東端にある土地を開拓する仕事を中心にされているはずです」
「土地を開拓?」
「はい。その近くに住む村人たちが、荒れた土地を開拓して田畑にしたいと言い出したそうで。そうすれば収める税も増やせるし、村人も暮らしが安定するとのことで、代表の管理者が開拓する許可を得るため旦那様に手紙を送ってきたんです」
「……それで、許可を?」
「はい。旦那様は多少暮らしに差は出しても、領民を貧困にまではさせたくないとお考えなので、その土地を直接見たあとに許可を出したそうですよ」
「…………ねぇ、さっきエルストって言ってたけど、ビルウォード領ってどれくらいの広さがあるの?」
「えっと、エルストのほとんどがそうですね。あ、もちろんこのサハラスもビルウォード領ですよ」
「……規模がでけぇ」
待って、予想以上に婚約者が広大な土地をお持ちなんだが。
領主だとしたら屋敷のあるサハラスだけかと思っていたが、その周りを囲むエルストもだと?
エルストは海もあるから貿易も盛んだと聞いたことがある。そのおかげで中心部にある街は栄えているとか。
その街にサーシャも住んでいて、父親はそこで手広く事業をしているらしいが……。
なるほど、兄弟揃って有能というわけか。
……父よ、よくこんな富豪相手に未成年の娘を差し出せたな。
なんで彼は私なんかを。どう考えても引く手数多だろうに。
なにも知らずに来てしまった自分の愚かさを呪いたい。でも名前さえも教えてくれなかった父も悪いし、調べる時間もなかったし。
……とりあえず、父をぶん殴りたい。
「この開拓の件もそうですが、いつも仕事であちこちに行っては屋敷を留守にしていた旦那様が、こんなに長く留まっているなんて……本当に信じられません」
「え?」
「旦那様は、関わった仕事を人にすべて任せるのを嫌う人なので、なにかやるときは遠くても必ず数回は現地に赴くんです。だから何日も屋敷に帰ってこなかったり、留守にしがちというか……」
「いつから家を空けてないの……?」
「それは……アイラ様がいらっしゃってからですね!」
ですよねー!
リラが頬を染めて「よっぽどアイラ様の傍にいたいんですね」と言っているが、違うからね? 私がいるから仕方なく屋敷に残るしかないだけだからね!
ああ、それってつまり、私のせいでいつもの日常が崩されているということじゃないか。
私、もはや害しか与えてないのでは?
「……最悪だわ」
「え?」
「だって、もしそれが本当なら、私がいるせいでちゃんと仕事ができていないってことでしょ?」
「えっ、そんなことはないかと思います。旦那様はとても優秀な方ですし、人望も厚いので皆様とても頼りにされてますし」
「だったらなおさら、そんな人が屋敷に留まってしまってはダメじゃない」
「そ、れは……」
リラが困ったように眉を下げた。
すぐにでもカイラスと会って話がしたい。
仕事のことなんて、なにひとつわからない。
私はなんの役にも立てない無知な娘に過ぎないから。だから口出す権利もない。わかってる。
でも、彼が屋敷に留まっている理由がもし私なのだとしたらーー。
「リラ」
「は、はい」
「カイラス様は書斎にいるの?」
「え、あ……朝から仕事をされているので、多分」
「そう、なら今から会いに行くわ」
「ま、待ってください! 会ってどうなさるおつもりですか?」
「話をしないと。私はあの人の仕事を邪魔するためにここにいるんじゃないもの」
「……っ」
正直、婚約を軽く見ていた。言われるがままとりあえず二年という案に乗っかって、私の望みを叶えてくれるからと甘えて。
ああ、もう。ただでさえ私にしか得がない婚約だというのに。これで仕事の邪魔までしていたらーー。
後ろをついてくるリラが泣きそうな顔をしている。
話しすぎたことを悔やんでいるのだろうか。
いずれは知ることになるのだから気にしなくていいのに。
それよりも、勢いで部屋を出てきたはいいけれど、どう切り出そうか考えていなかった。
話したところで、上手くはぐらかされるかもしれない。カイラスはとても優しい人だから。
でもリラから聞いた以上は確認したいし。
悶々と、考えがまとまらないまま私が歩き続けているとーー。
「旦那様、ミスリ村の村長からお会いしたいとの手紙がまた届いておりますが……」
「この前も届いてましたよね。代表を通さずに直接手紙って、なにか開拓で不安なことがあるんでしょうか?」
「いや、それに関しての話し合いは以前会ったときにまとまっているはずだ。動いてくれる人も業者も揃い始めているし、なにより開拓は向こうからの希望だ。今さら止めるとは言わないと思うが……」
「一度、会いに行かれますか? 多少遠方にはなりますが」
「……それは、」
「やはり、アイラ様と離れるのは心配ですか?」
「長く一人にするのは、少しね……」
「でも、今後行かれるのが屋敷の近場だけになると、変な噂を立てる者もいずれ出るやもしれません」
「…………そうだね」
おいおい、書斎室へ辿り着く前に話が聞けてしまったんですが。
どう見ても盗み聞きですがなにか?
思わず声が聞こえた瞬間、私は素早くリラと一緒に身を隠した。
まさか廊下で聞く羽目になるとは。
こそっと角から顔を出せば、三人の後ろ姿が見えた。
カイラス、ウィルソン、あともう一人は補佐を務めるヒックか。
「ア、アイラ様」
「……はぁ、」
リラが真っ青になって私を見つめている。
心配しなくていい。盗み聞きは罪じゃない。え? 違う?
そもそも、そういう話をするときは、どこかの部屋できっちりとドアも閉めてやってほしい。
私たちも聞きたくて聞いたわけじゃないし。まあ、別に隠すような内容でもなかったけれど。
しかし、これで私がカイラスの仕事を邪魔していることが確定したわけだが。
なにがそんなに心配なのだろう。
まさか留守中に悪さをするような女に見えるのかな、私。
それくらい大人しく待てますよ、失礼な!
ムッとしながら、私は彼らのあとを追った。
「カイラス様」
「っ、……アイラ?」
「少し、お時間よろしいですか? お話したいことがあるのですが」
後ろから声をかけると、カイラスは肩を震わせ振り返った。
おや、この顔はちょっと初めて見たな。
ウィルソンとヒックも同様にこちらを見て固まっている。
え、まさかさっきの聞かれた? と言う顔、残念ながら隠せていないからな。安心しろ、めっちゃ聞いてたぞ。盗み聞きだけどな。
「どうしたの? こんなところで」
「お忙しいのにすみません。至急、カイラス様とお話しなければならないことがありまして」
にっこりと笑って言えば、近づいてきたカイラスは少しだけ動きを止めてーー苦笑した。
あ、これ気づいたかな。私が言いたいこと。
「至急ね、うん……わかった。じゃあ、庭で話そうか?」
「はい」
ウィルソンとヒックにあとは任せると告げて、カイラスはついておいでと私に目線だけを寄こして歩き出した。
前だったら、手を繋ぐか背中に手を添えてエスコートしてくれていたかもしれないが、お触り禁止の交渉をしてから現在まで、彼は一切私に触れていない。恐ろしいくらいの徹底ぶりである。
「アイラ様……」
「ちょっと行ってくるわね。大丈夫、少し話すだけだから。リラは部屋に戻ってて?」
不安そうなリラの肩に触れる。
話すだけと言っても、どう話すべきかまだ考えきれていない。
振り向くと、カイラスが足を止めて待っていた。
急かす様子はないけれど、どこかその距離がもどかしく感じて。
ああ、このときだけは手を繋いでもらいたかったな……。
私は心の中でそんなことを思っていた。
リラは屋敷中から情報を得るのでなんでも知っている。
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