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「動かないでくださいね、針が刺さっちゃいますから」
「はい」
私は先程からずっと同じ体勢を余儀なくされていた。少しでも動けば危ないと注意され、上げた腕がいい加減痺れてきている。
「お嬢様はちょっと細すぎますね。これだと既製品の物もすべて調整しないと」
「うっ、すみません」
「まあ、時間はかかりませんから好きなドレス選んでください。ささっと直しちゃいますから」
「はい」
仕立て屋が屋敷に来てからすでに数時間は経っている。
カイラスから屋敷に呼ぶ許可をもらって、まさかその日のうちに来るとは思わなかった。
しかもカイラスまでドレス選びに参加すると言い出して、仕事を終わらせて帰って来るとずっとドアを挟んだ隣の部屋で過ごしている。
一から作るためのドレスは採寸してからデザインを二人で決めて、また後日ということになった。カイラス好みの物になったが私も満足している。
だって彼のセンスの良さは、普段着ている服と私の部屋を見てすでに把握しているから。
仕立て終わる日が待ち遠しい。その前に生地を選ばないといけないけれど。
そして、今は既製品のドレスを合わせている最中だ。
「よし、これでいいかな?」
さっきまで緩く余っていた箇所が綺麗になくなっている。な、なんて仕事が早い。
遠慮なくドレスにハサミを入れたときには大丈夫かと心配になったが、さすがはプロと言ったところか。
数人が無駄なく動く様子は見ていても圧巻で、選んだドレスがどんどん私のサイズに変えられていくのはワクワクした。
「まあっ、アイラ様よくお似合いです!」
「苦しくないですか?」
「大丈夫。動きやすいし、ピッタリだわ」
全員の視線がドレスへと注がれる。
細かく動きを見られ、着替えるとまたそれの繰り返しで、プロのチェックが厳しすぎる。
「それでは、旦那様に見てもらいましょうか」
「うっ」
やはりお披露目会となるのか。
私もう疲れたんですが。何時間この部屋にいるのか。そろそろ座りたい。
しかし隣の部屋で文句ひとつ言わず大人しく待っているカイラスを考えると……着るしかねぇ。
気に入ってくれたらいいけれど。
リラに軽く髪をアレンジされて、仕立て屋たちからは「お綺麗ですよ」とのお世辞ももらって、いざ婚約者の元へ。
ドアを恐る恐る開けると、分厚い本を片手にソファに座るカイラスが見えた。
うちの婚約者が本を読んでるだけで絵になりすぎる件について。
「……アイラ?」
ああ、面がよすぎる。
数時間ぶりに見たカイラスに、そうだったこの人めちゃくちゃ顔が良かったんだと思い出す。
「ドレスができあがったのかい?」
「は、はい」
「さあ、こっちに来て見せてごらん」
後ろを振り向くと、リラと仕立て屋のみんなが頷いてくれて背中を押される。
おずおずと照れつつもカイラスの元へ行くと、眩しそうに目を細め、上から下まで視線がドレスへと注がれた。
「よく似合ってるよ」
カイラスはソファから立ち上がると、私に近づいて手を取り指先へキスをした。
「綺麗だ」
息をするようにそういうことやるのほんと、ほんとにやめてほしい。
既製品のドレスひとつでこんな反応。私は何度心臓を爆発させればいいの。
今まともに息できてるのかさえわからない。
「き、気に入りました?」
「ああ、とても。でも……少し、見えすぎかな?」
「ひにゃっ」
剥き出しの肩をなぞるようにカイラスの指が触れて、私は大袈裟に身体を震わせた。
慌てて一歩後ろに下がると、彼はなんでもないような顔をしていて。
ああ、もう。たまらず叫んでいた。
「お、お触りは禁止! です!」
「…………それは残念だ」
ぷっと吹き出して笑うカイラスに、私は地団駄を踏みたくなった。
「他にもドレスはあるのかな?」
「……はい」
「見せてくれるの?」
「…………着替えてきます」
ムスッとした顔で隣の部屋に行くと、新しいドレスを手に微笑むリラと、すべてを察して生暖かい目で見る仕立て屋たちがいて、恥ずかしさにいたたまれなくなる。
その後、数着のドレスのお披露目をじっくりとカイラスの前でして、その都度甘いお言葉とドレスの好きな部分を細かく言ってくれたりーーまあ、なんだ。安定の褒め殺しを頂きました。
「はぁ……」
もう無理、とはしたなくソファに寝転んで息を吐く。疲れた。とんでもなく疲れた。
外はとっぷり日が暮れていた。
このあと夕食が待っているけれど、動ける自信がない。
リラは食事の用意を手伝うため部屋を出ている。
カイラスは書斎で仕事をしていると言っていた。
そういえば、どんな仕事をしているのだろう。私、なにも知らないわ。
昨日と今日で濃い一日を過ごしているのに、彼のことはほとんど知れていない。二年しかないけれど、どれだけカイラスを知れるだろう。
重くなってきた瞼を閉じると、控えめなノックの音が聞こえた。
けれど返事をする気力もなく、無言でいるとドアが開いて。心地よく名前を呼ばれるのをどこか遠くで聞いた。
「寝てしまったのか」
私の髪に触れながら優しく話す声が心地いい。
ああ、お触り禁止と言ったのに。
薄く目を開くと、額に温もりを感じて。
「……触っちゃ、ダメ」
「…………」
力なくカイラスの身体を押せば、困ったように笑う顔が見えた。
「……本当に?」
「…………だって、私ばかりドキドキするんだもの」
眠い頭で言えば、少しの静寂が訪れて。
ーーあれ、私今なんて言った?
カッと目を見開いて身体を起こす。
「カ、カイラス様……?」
夢心地だったが、これ現実か。なんてこった。
ああ、また私はやらかしたのか。
ソファで寝かけた上に本人の前でなんて恥ずかしいことを。
「どこまでなら許されるのかな?」
「…………は?」
「キミに触れるのは」
「…………あ、」
床に片膝をついて、ソファに置いた私の手のすぐ隣にカイラスは自分の手を置いて。
そこへ視線を向けると、彼の親指が私の手の甲をサラリと撫でた。
なにも言わないでいると、今度は手首に五本の綺麗な指が触れて、焦らして。
「ーーっ」
くすぐったさに唇を噛む。油断すれば声が出そうだった。
「アイラ」
一本の指が私の腕を上から下へとなぞるように動いて。まだいいの? とカイラスの目が私を見つめる。目を閉じて首を横に振ると、大きな手は名残惜しそうに離れていった。
は、と短く息を吐く。
「じゃあ、アイラから触れてくれるのを待とうか」
「…………え?」
「早くその日が来るのを待っているよ」
「ーーっ」
耳に囁かれた声に身体を引くと、触っていないよ? とカイラスは両手を軽く上げた。
「わ、私から触れるなんて」
「キミから触れたら、こちらも触れる。それならいいだろう?」
「あ、う」
「交渉成立かな?」
まだなにも言っていないのに。
困ったようにカイラスを見れば、なにかを思い出した顔をして立ち上がった。
「ああ、そうだ。この話をしにここへ来たのにすっかり忘れていたよ」
「……?」
「キミはサーシャとは友人なのかな? この前話したときに名前を口にしただろう?」
「え……、あっ」
忘れていた。その存在をすっかり。
そうだ、サーシャはカイラスの姪だった。
「婚約することを弟に知らせようと思ってるんだけど、きっと娘のサーシャも耳にするはずだから、友人ならアイラのことも手紙に書こうかと思ってね」
「……サーシャ様とは学園で知り合ってからの仲で親しくさせていただいてます」
「なるほど。じゃあ……今度彼女を家に呼ぼうか?」
「えっ!」
そ、それはどうなのだろう。いくら友人でも、伯父の婚約者として会うのは気が引けるんだが。
どんな反応をされるのか。正直……怖い。
親しい人に言うにはまだ勇気が出なかった。
「たまには友人とも過ごしたくなるんじゃないかな? 屋敷に来たばかりで知り合いもいないし。私もいつも傍にいることはできないからね」
「それは、」
そうだけれど。
煮えきらない態度を私がしていると、見かねてカイラスはひとつの提案をした。
「じゃあキミが会いたくなったら手紙を書けばいい。彼女ならきっと飛んでくるさ。弟に出す手紙には婚約することだけを書いておくよ」
「……はい」
もう少し落ち着いてからにしよう。
今の私はいっぱいいっぱいだ。
目の前の婚約者に翻弄されっぱなしだし。この屋敷に来てまだ二日しか経っていないというのに。
「アイラ、夕食は食べれそう?」
「……?」
「疲れているようだし、無理して食堂まで来なくてもこの部屋に運ぶように伝えるよ?」
「……いいえ、行きます。ご飯は誰かと一緒のほうが楽しいもの」
「……そうだね。私もそう思うよ」
カイラスが優しく笑って手を伸ばした。
けれど、それは私に触れる直前で止まって、彼はなんとも複雑そうな顔を浮かべた。
「触れたいのに触れられないのは……なかなか辛いね」
「…………」
ああ、なんだろうこの罪悪感。
私が悪いのか。いや、だって。止めないといくらでも触ってくるし。
口説くと触るがセットなのかというぐらいカイラスは息するようにやってしまうから。これに慣れてしまうとどこでダメと言えばいいかわからなくなりそうで。
「アイラから触れてくれるのが待ち遠しいよ」
語弊……!
私は、両手で覆うようにして赤くなった顔を必死に隠した。
最近50歳過ぎのセクシーすぎる海外俳優さんに心奪われてる。イケオジ最高か。