3
「リラは十六歳なのね」
「はい」
「若いのに侍女だなんて、偉いのね」
「そ、そんな……私のような者がこの屋敷で働けているだけでも奇跡のようなものです」
私の髪を優しく梳きながら、リラは恐縮したように言った。
「旦那様が本当にお優しくて、屋敷にいる者全員がいつも感謝しているんですよ」
「そう、確かにカイラス様は優しい人ね」
「はい!」
嬉しそうにリラが笑う。これほど慕われる人が私の婚約者だなんて。
実は夢じゃないのか。頬を試しにつねるが痛みはちゃんと感じる。現実か、そうだよな。ここの屋敷に来て起こったことすべて現実よね。
恥ずかしすぎて死ねる。
未だに触れられた温もりが忘れられない。自分からもちゃっかり抱きついてしまったし。大胆すぎるぞ、私。
リラも傍にいたのに平然と見ていたけれど。え、私がおかしいのか。私が意識しすぎなだけなのか。
「ねぇ、リラ」
「はい?」
「カイラス様っておいくつなの?」
「旦那様ですか? 旦那様は確か……四十二歳だったと思います」
「よ、」
よんじゅうに?
年上だと思っていたが、そんなに上とは思わなかった。じゃあ私とは二十四歳差?
数字の威力がデカすぎてなんも言えねぇ。
「全然そんなお年に見えないですよね。長くここに務めている人も、旦那様は昔と見た目がほとんど変わっていないと言ってましたし」
なにそれこわい。でも確かに四十二歳であの若さは普通に驚く。私の父よりも上なのに。なに食べたらその若さが保てるの。
あ、でもあのただならぬ色気と余裕は年相応だ。絶対に。
「そんな旦那様が誰かと婚約されるなんて夢のようです。私もみんなもとっても喜んでますよ」
「え?」
「その……旦那様は一度も屋敷に女性を連れてきたことがなかったので」
「……一度も?」
「はい。みなさんが言うには一度もないようです」
そんなバカな。あの顔で? 一度も?
単に外で会っていたとか? いやいや、彼女はいくらでもいたでしょ。いないほうがどうかしてる。
「アイラ様?」
「え、あ、ごめんね? 相手が私みたいな子供でびっくりしたでしょ?」
「いいえ、どんなお相手でも旦那様が選んだ人です。素敵に決まってます。現にアイラ様は私にもとっても優しくしてくださってますし」
いや、それは盲信しすぎでは。リラの真っ直ぐな言葉に慄く。二年だけの婚約者ですとは口が裂けても言えない。絶対泣きそう。やだ辛い。
「ありがとう。そう言ってもらえてすごく嬉しいわ」
「いいえ、本心ですから」
この笑顔、守りたい。
思っていた以上にいい子すぎるリラにすごく癒される。こういう子がきっと愛されるのね。
「……アイラ様の髪はとても綺麗ですね」
「そう?」
「はい、柔らかくて赤色がよく映えて美しいです」
この屋敷にいる者はストレートにしかものが言えないのか? それともいちいち照れる私が悪いのか?
「あ、ありがとう」
「いいえ。では、支度が終わりましたので旦那様を呼んできますね?」
「…………え?」
「終わったら呼びに来てくれと言われてますので」
「……つまり、カイラス様が今からこの部屋に来ると?」
「はい!」
そんな満面の笑みで頷かれましても。
待って、私今から寝るはずでは。だからお風呂にも入って、髪も乾かして、服も寝衣に着替えてーー。
え? まさかあの流れとか言わないよね?
婚約すると決めたけれど、そこまでするとは言ってない。言ってないぞ、私。
ちょっと、待ってほしい。心の準備が。
そんな私の思いを無視して、ドアをノックする音が聞こえてーー。
「アイラ?」
「ひゃい!」
噛んだ。見事に噛んだ。
涙目で痛みをこらえていると「入ってもいいかな?」と控えめな声が聞こえて。
私は小さく息を飲んでドアを開けた。
「ごめんね、夜遅くに」
「いえ、あの……」
「入ってもいい?」
「…………どうぞ」
ここで追い返せる勇気は私にはなかった。
カイラスを中に入れてドアを閉めると、すぐ後ろに気配を感じて固まる。
振り向いたらいけない気がする。多分、この勘は間違っていない。
後ろから片手が伸びてドアへと触れた。これでは開けることはかなわない。
私を覆うように影ができて、ゆっくり振り向くと間近にカイラスがいて思わず後ろに下がる。
背中に冷たいドアの感触。目の前にはカイラス。
なんてこった、逃げ場がないじゃないか。
「アイラ」
「……っ」
近づいてくる顔にギュッと目を閉じれば、耳元でふっと息を吹きかけられた。
「ひっ……」
「ダメだよ、簡単に男を部屋の中に入れたら」
「…………は?」
一瞬なにを言われたかわからず呆けてしまった。
ダメだよって、あなたが入っていいか聞くから入れたのに。
「男は期待してしまうからね?」
「……よ、用があってきたんじゃないんですか?」
「うん、とりあえずベッドに行こうか」
ーーなんでだ。
話すならソファでいいじゃないか。
一歩も動けずにいると、カイラスが「おいで」と甘く囁いて私の手を引いた。
なぜ簡単に足が動くんだ。おかしい。私、おかしい。
「ほら、横になって」
「え、あの……」
「いいから、早く」
急かすようにシーツの上をポンポンと叩くカイラスに逆らえず、私は仕方なくベッドに寝転んだ。
そのまま手触りのいい毛布を上にかけられて、私がそれを手繰り寄せると、大きな手が優しく頭を撫でた。
ベッドの脇に座り、カイラスが私を見下ろす。
「……カイラス様?」
「ん?」
「あの、話があったのでは?」
「うん、疲れて寝てしまうかもしれないからこのまま話そう」
優しく微笑む顔にときめく。好きとか関係なく、この顔にはときめいてしまうのだ。だってあまりに、その、かっこよすぎて。
「あのときなにを聞こうと思ったんだい?」
「あのとき?」
「私になにか聞きたいことがあっただろう?」
「…………ああ、あれは」
「聞かせてくれる?」
どうして、二年という期間なのか。
単純に聞きたかっただけで、深いなにかがあったわけじゃない。
「……なぜ、二年なのですか?」
「え?」
「あなたは、とりあえず二年と言った。なぜです?」
「……二年でキミが成人を迎えるからだよ。大人になれば、やりたいことも見つかるかもしれない。新しい出会いもきっとあるはずだ」
「じゃあ、全部私のため……?」
「いや、私のためでもある。二年は周りも静かになるからね」
クスクスと楽しそうにカイラスが笑う。
それでも、得をするのは私のほうじゃないか。彼は私をいい女にすると言った。それを含めたら、カイラスにはなんのメリットもないように思えた。
まるで子供のお守りをさせるだけではないか。
「私だけ……」
「ん?」
「あなたの傍にいて得するのは私だけだわ……」
「…………そうかな? 私の傍でキミが大人になっていくのを見るのは楽しいよ。……大丈夫、私は望んでやっているんだ。心配しなくていいよ」
優しく頭を撫でる手に私は目を閉じる。
ああ、このまま眠ってしまいそうだ。
せっかく、話をしに来てくれたのに。
疲れが今さら出てきたのだろうか。
「大丈夫、二年経てばちゃんと手放してあげるから」
「…………え?」
頭がぼうっとして、言葉は聞こえているのに上手く理解ができない。
「話はまた明日にしよう」
「…………で、も」
「おやすみ、アイラ。いい夢を……」
目尻に優しい温もりを感じた。けれど私はもう目を開けることすらできなくて、数秒も持たずに寝息を立てていた。