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「ごめんなさい……」
私は床に土下座する勢いで頭を下げていた。
なんてことをしてしまったのか。
触れることさえ躊躇するほどの超絶美丈夫の頬を殴るなどと。キサマ、万死に値するぞ。
「大丈夫、気にすることはないよ」
「…………」
「どうかした?」
「あの、話し方が……」
「ああ、ちゃんと婚約者となったから崩してもいいかと思って。嫌かな?」
もうどうにでもして。逆らいませんから。
私は顔を手で覆って天を仰いだ。
首を傾げて聞いてくる顔すら可愛いとか罪すぎないか。私の婚約者なんなの、ハイスペックなの。
「だからアイラも気にせず話すといい」
「それは、無理です。カイラス様は年上ですし、その……無理です」
語彙力皆無か私は。
まともに話せない自分に絶望するしかない。
「ゆっくりでいいよ。時間はまだある」
「……ひっ」
「こういうのも慣れないとね?」
楽しげにカイラスが笑う。ああ、からかわれている。
違う。ここまで意識してしまうのは相手が年上で、美丈夫で、接したことのない大人の男だからだ。まあ、確かに頭を撫でられたくらいで反応するのはおかしいと私も思うが。
「キミの部屋は用意しているよ」
「え、もう?」
「キミのお父さんから、私が婚約の話を受ければすぐにでも娘をこちらに寄越すと言われていたからね」
「…………すみません」
自分の娘をなんだと思っているんだあの親は。ホイホイと他人の家に、しかも相手が男と知りながら渡すなんて。
「いいや。私は楽しみにしていたよ、アイラが来るのを」
そんな嬉しそうな顔をされてしまったら、なにも言えなくなるじゃないか。
こんなストレートに表現されると嫌でもときめくというかなんというか。モテる男の余裕が怖い。とてつもなく怖い。
部屋に案内するよとカイラスに手を引かれ、私は触れた手に顔が熱くなった。
ああ、こんなことで本当に慣れることができるのだろうか。いい女なんて程遠すぎる。
「気に入るといいけど」
「え?」
「好みがわからなかったから、私好みになっているけど、あとでキミの好きなように変えていいから」
「あ、ありがとうございます」
素直にお礼を言うと、カイラスは軽く頷いて頭を撫でてくれた。
外で見たときはかなり大きな屋敷だと思ったが、中もかなりのものだ。至るところに装飾が施され、飾ってある絵も絵心のない私が見ても高そうなのはすぐにわかった。
とにかく触らないようにしよう。なにかあっても絶対に弁償できない。
それでも、理不尽に殴られても怒らないカイラスなら、なにかあっても許してくれそうな気はした。それはあまりに甘えすぎか。
「ここだよ」
ドアを開けてカイラスが中へと入っていく。あとを追うように進むと、私は目を丸くした。
ひ、広い。自分の家の部屋よりもずっと広い。
そして、部屋に置かれた家具は派手なものはなく、けれど上品な作りの物ばかりが揃っていて。
思わず口から零れていた。
「素敵……」
「気に入った?」
「とっても!」
何度も頷く私に、カイラスはホッとしたような顔をして、後ろに控えていた女性を呼んだ。
「彼女が今日からキミの世話をする侍女だ」
「初めまして、アイラ様。リラと申します」
「は、初めまして。よろしくお願いします」
私が手を差し出すと、リラは驚いた顔をしてカイラスを見上げた。まるで触れていいのかと聞いているみたいだ。
カイラスが優しい顔で頷くと、リラは少し頬を染めて嬉しそうに私の手を握ってくれた。
「よろしくお願いします、アイラ様」
ああ、この子とは仲良くなれそう。
漠然と私はそんな気がした。年齢も近そうだからかもしれない。あとから何歳なのか聞いてみよう。
「必要な荷物は送ってもらうかい?」
「いえ、一度家に戻ってもいいですか? 父とも話さないと」
会ったらとりあえずぶん殴ろう。
「わかった。そのときは私もついて行っていいかな?」
「え、」
「ご両親に挨拶したいと思ってね。婚約するのならちゃんとしないといけないし」
なるほど、確かにそうだ。婚約するとなれば両親との顔合わせに、お披露目として二人でパーティーにも出なきゃならない。やることはいっぱいだ。
仕方ない、殴るのはまた今度にしよう。
「わかりました。ではカイラス様の都合がいいときに」
「早めに日を空けるよ。それまでに必要なものはリラに言えば用意させるから」
「はい」
無理やりな婚約なのに至れり尽くせりだな。
二年という期間限定のものだけれど。
ふと思う。なぜ二年なのか。
聞いていいものだろうか、いやしかし。なんでもかんでも聞くというのは子供すぎるわがままかもしれない。
「どうかした?」
「いっ、」
目の前に美しすぎるお顔が。いや、だから距離感。悲鳴をあげて殴らなかった自分を褒めてやりたい。よくやったぞ、私。
「あ、いえ、なんでもありません」
「……アイラ、聞きたいことがあるなら聞いていいんだよ」
「え?」
「そうじゃないと、もっと仲良くなれないだろう?」
私の鼻を軽く押しながらカイラスは笑った。
これは、落ちない女はいないのでは?
少なくとも十八歳の私はすでに心臓掴まされて死にそうだ。
「あ、ああ、無理です!」
「おっと……二度目はさすがにね?」
「……っ」
「……はは、小さい手だね。可愛い」
もうやだこのイケオジ。
近すぎる距離に耐えきれず私が手を出せば楽に取られて、ふにふにと触られて、可愛いだなんて。まだ出会って数時間も経っていないのに!
「それで、聞きたいことは?」
「あ、ありません!」
「本当に?」
「うっ、今日は無理です勘弁してください」
涙目になって懇願すると、カイラスは肩を揺らして笑った。これは間違いなく私をからかっているな。なんて酷い男だ。
「アイラがこんなに初心だとは思わなかったな……」
「すみません、子供っぽくて」
「ん? 可愛いっていう意味なんだけど」
「……息するように恥ずかしいことを言わないでください」
「慣れないと、ね? アイラ、キミは可愛い。もっと自信を持たないと、いい女にはなれないよ?」
カイラスが私を抱き寄せて頭を撫でる。
すっぽりと包まれてしまった温もりになんだか泣きたくなって、縋るように服を掴めばあやすように背中を撫でられた。
「大丈夫。キミはこれからもっと美しくなる。心配はいらないよ」
「……ほんとに?」
思わず見上げると、カイラスは少しだけ目を見開き柔らかく微笑んだ。
「本当さ。大丈夫、大丈夫だよ」
魔法の言葉のようだった。大丈夫、そのカイラスの言葉が胸に響いて。
私は目を閉じると大きな背中に腕を回した。
「私はキミの一番の味方だよ」
「……うん」
頭に感じた柔らかな熱は、きっとカイラスの唇だろう。
怒る気もなかった。ただ腕の中の温もりが心地よくて、もう少しだけと願う自分がいたから。
出会って間もないのに、私は婚約者となった男に抱き締められている。
急展開すぎるのに、カイラスに対して拒絶を感じないのは彼があまりに女性の扱いを知っているからかもしれない。怖い人だ、本当に。それでも頼んだのは私だ。
この人の手で、私は変わる。
今度会うときに、私は笑って話せるだろうか。
私を捨てたあの人を、許せる日が来るのだろうか。
「アイラ」
ああ、忘れよう。今はカイラスがいる。
私の味方になってくれる、頼もしい男が傍にいるのだから。