爪痕
町の中心部に突き刺さっている謎の巨大な物体は、濃紫の霧を渦巻くように生み出し続けている。
それを見たリーズは、いつぞやの招かざる客を見た時と同じくらい苦い顔をし、装備している剣の柄をぎゅっと握りしめた。
「リーズ…………君はあれが何か、知っているのかい?」
「あれは『魔神王の爪』って呼ばれる、瘴気を発する呪いの鉱石よ……。シェラは陣地でリーズたちを待っててくれたから、見る機会はなかったと思うけど、邪神教団の手に堕ちた地にはあれが地面に打ち込まれて、教団の呪術師たちの力の源になっていたの」
「私も存じていますわ村長。おそらくあれこそが、この地域一帯をいまだに瘴気の呪いに冒している元凶でしょう」
「なるほど、道理でなかなか解呪が進まない場所があると思ったら、まだ発生源があったのか!」
魔神王討伐の闘いで、リーズは目の前にそびえる『魔神王の爪』と呼ばれる瘴気発生源を何度も見たし、何度も破壊した経験がある。だが、ずっと後方勤務だったアーシェラにとって、それを見るのは今回が初めてだ。
魔神王が広大なカナケル地方を短期間で瘴気まみれにして崩壊させることができたのは、魔神王の力で生み出された『魔神王の爪』と呼ばれる謎の鉱石を全力でばらまいたからだが、そのことを知っている人は世界でもごくわずかだった。
リーズたち勇者パーティーでも、実際に目にしたことがあるのは常に前線に立っていた一軍メンバーのみ。アーシェラやアーシェラの母を含む旧カナケル王国の避難民たちですら、故郷を滅ぼしたものの正体を知らない者は多い。
やはり直接戦場に赴かないと、わからないこともあるものだと、アーシェラは改めて痛感した。
そしてそれ以上に、彼は今までこの地域の瘴気に関して、とんでもない思い違いをしていたことに愕然としてしまった。
(何という事だ…………僕の考えは甘かった。魔神王さえいなくなれば、いずれこの地方の瘴気は自然に霧散すると思っていたのに……! けど、今は後悔している場合じゃない。目の前のアレを何とかしないと)
知らないのは無理はないとはいえ、カナケル地方開拓に対する自分の見通しが、根本的なところで間違っていたことは、アーシェラにとって大変ショックだった。
だが幸運にもリーズが居てくれたおかげで、この地方の復興を阻む元凶を発見することができた。ならば、自身の迂闊を後悔するよりも、すぐに破壊を行うべきだ。
「……リーズ、行けるかい?」
「うんっ、任せてシェラっ! リーズは今まであれを何本も破壊してきたんだからっ!」
「ま、待ってくださいリーズ様、村長様っ! あれをっ! あんなところに大きな鳥の魔獣がっ!!」
魔神王の爪を破壊しようと剣を構えたリーズだったが、その前にフィリルが後方から空飛ぶ巨大な魔獣を指さした。
巨大な翼をはためかせる漆黒の鳥――――ストレコルヴォと呼ばれる比較的ポピュラーな鳥の魔獣で、カナケル地方ではよく家畜を丸ごとさらう厄介な魔獣として知られている。
ただ、一般的なストレコルヴォは大きい個体でも体長が1mを越えることはないが、上空を待っている個体は明らかに体長3mを優に超えていて、翼を広げた大きさは、家一軒分にすら匹敵する。
普通の冒険者が出会ったら、ほぼ為すすべなく全滅するしかない危険な敵だった。
「むぅ、空を飛ぶ敵かぁー。倒せないことはないけど、ちょっと面倒ね……」
「あたしの弓でも、撃ち落とせるかどうか…………」
基本的に近接戦闘では魔神王を粉みじんにした無敵のリーズも、遠距離攻撃は手段が限られているせいで、空中の敵はやや有効打を与えにくい。
勇者パーティーの時は、グラントが豊富な遠距離攻撃手段を持っていたし、そうでなくても一軍メンバーには百発百中の弓の名手がそれなりにいたこともあって、空を飛ぶ敵はあまり苦戦することはなかった。
しかし今ここに居る弓使いは、それなり程度の腕前でしかないフィリルのみ。有効打を与えるには少し心もとないかもしれない。
「あんな大きなストレコルヴォ…………もしかして、あれがテルルをっっ!!!」
「習性からして、私もその可能性は非常に高いと思いますわミーナ。私たちの手で懲らしめてやりましょうか」
「うん、お姉ちゃんっ!!」
「え!? み、ミーナちゃん!?」
リーズとフィリルが、鳥の魔獣相手にどう有効打を入れたらいいか思案している間に、なんとミルカとミーナが前に出て、魔獣を打ち倒そうと怒りを燃やしていた。
ミルカが怒りを前面に出しているのはリシャールが村ではしゃいだ時以来の珍しい事態だが、いつも穏やかなミーナが怒りの感情をあらわにしたのをリーズが見たのは、この時が初めてであった。
「ミーナちゃん、ダメ、危ないよっ! リーズが倒してあげるから、下がってて!」
「ううん……大丈夫だよリーズお姉ちゃん! ミーナだって、戦えないわけじゃないの!」
「あらリーズさん。この危険な地で羊飼いをするイングリット姉妹を舐めてはいけませんよ。それよりも、リーズさんは私たちがあの巨大なストレコルヴォを撃ち落としたら、すぐに魔神王の爪を破壊してくださいね」
「まぁまぁ、少し見ててよリーズ。あの魔獣はきっと、空を飛ぶなんてなんて馬鹿なことをしたんだって後悔するはずだから」
「…………もしかして、村長様もちょっと怒ってます?」
ゆっくりと近づいてくる巨大なストレコルヴォがテルルを亡き者にした証拠はどこにもないが、それでもかの魔獣は全世界の羊飼いにとってはまさに天敵と言える存在であり、生かしては置けないという気持ちが非常に強かった。
また、村長であるアーシェラも、村の貴重な財産を奪った魔獣に対していろいろと思うところがあるようで、口調がやや毒舌気味だ。
「さあ、ではまず私からのプレゼントですわ」
獲物に対して急降下の構えを見せるストレコルヴォに対し、まずはミルカが持っている術杖から鈍色の波動が放たれた。
(あれ……ミルカさん、そんな術が使えるの!?)
ミルカが放った術に対してリーズはなぜか驚いたが、何か事情があるのだろうと思い、リーズはあえて口に出すことはなかった。
鈍色の波動がストレコルヴォを覆うと、今まで人間を見下していた態度が一変し、ガァガァと苦しそうな鳴き声を上げてもがきだした。
ミルカが放ったのは「錆び付いた英雄叙事詩」と呼ばれる、旧カナケル王国の魔術軍が奥義として使ったと言われる非常に強力な弱体化魔術だった。この攻撃を受けた敵はすべての身体能力強化が完全に解除され、その上で状態異常に対する抵抗が低下するという。
瘴気を取り込んだことで強力な魔獣となった目の前の敵に対して、ミルカの放った術は効果抜群のようだった。
「そして………これでっ!」
空中でもがき苦しむ魔獣に向けて、ミーナはなんと手にしている杖から催眠術を放った。
一見すると戦闘力が皆無に見えるミーナだが、自身を守る術や、杖による戦闘能力はそれなりにあるのだ。
ミーナが放った眠りの魔術を受けたストレコルヴォは、ミルカの術によって状態異常への抵抗が落ちていたこともあって瞬く間に昏睡状態に陥る。そして、ストレコルヴォは空を飛んでいる――――となれば、その末路は火を見るより明らかだ。
昏睡したことによって羽ばたくことが出来なくなった巨体は、あっという間に揚力を失って急降下。轟音とともに地面に墜落し、動かなくなったのだった。