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勇者ちゃんの新婚生活 ~勇者様が帰らない 第2部~  作者: 南木
―古狼の月1日― 村を飛び出して
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湿地

 旧カナケル地方の名所の一つに『ジュレビ湖』という大きな湖があった。

 「翡翠の湖」の異名も持っており、水深は非常に浅いが面積が非常に広大で、水は透き通るような翠色に輝き、水面は穏やかだった。そして、湖にいくつも点在する島には、かつては旧カナケル王国の王侯貴族の別荘がいくつもあったという。


 だが――――魔神王の力によって、カナケル地方全体が瘴気に沈んだ時、美しかった湖も大きく変わり果ててしまった。



「シェラ…………この(にお)い、まさかっ!?」

「……そう、そのまさかだよ、リーズ。暗くてよくわからないかもしれないけれど、この先一帯はまだ瘴気の解呪が進んでいない場所なんだ」


 丘陵地帯から南西にさらに10kmほど走っていくと、リーズはかつて嫌という程嗅がされた臭いを感じ取った。それは……忌まわしき瘴気の臭い。リーズが命懸けで倒した魔神王が発していた、生物に非常に有害な空気である。

 少し吸い込んだだけでは死にはしないものの、体内に蓄積すると体に変調をきたし、死ぬか、病気になるか、精神をやられるか、はたまた体の構造が変化してしまう。そのため、瘴気に満たされた地を探索するには、聖職者が使うような瘴気を遠ざける術か、あるいは呪術士による解呪が必要となる。


(そういえばずっと前にシェラが言っていたっけ…………この地方に初めて足を踏み入れた頃は、村の周りは瘴気で荒れ放題だったって…………)


 リーズが村に引っ越してきてから2か月たったが、村の周りはアーシェラたちが頑張ったおかげか、瘴気はすっかり解呪されていたが、彼女はとうとう解呪されていない場所にまで踏み込んでしまったようだ。

 そして、テルルが南西の湿地帯にいると知ってアーシェラやブロス夫妻が驚いたのも、このあたりはまだ手を付けていなかったからだったのだ。


「ヤハハ……テルルは本当にこの先に行ってしまったのか。なんてことだ、もう助からないゾ!」

「あなた、それはもういいから。とはいえ、絶望的な状況には変わりないわ」

「アイリーン! テルルがまだ生きてるか、わかる?」

「う~ん…………困った、気配が消えてる」

「そんなぁっ!? せっかくここまで来たのに!」

「とにかく、反応があった地点まで行くしかないみたいだね。解呪の結界を張るから、みんな、僕の周りから離れないように」

「…………毒の沼地も近いわね。このハーブを口の中に含んで、口と鼻を布で覆って」


 目的地は近いのだが、アイリーンの術でもテルルの気配が感じ取れなかった。

 ブロスの言う通り、もはやテルル生存の可能性はほぼゼロであるが、それでもせめて遺骸は持ち帰らなければならない。ミーナはとても悲しむだろうが、家畜の飼育にこういった事故はつきものだと割り切るほかない。


 アーシェラは、明かりを灯す杖の先端から、さらに瘴気の影響を排除する結界を張った。

 何の対策もないまま突き進んでしまえば、リーズですら無事では済まない。彼らはアーシェラから10メートル以上離れないよう、一塊になって瘴気の中へ突入した。

 また、かつてジュレビ湖だった水域は、水分が変質して毒の沼地となっており、瘴気を防いでもなお生物の体力を奪ってくる。そのため、ユリシーヌがカバンから解毒のハーブを取り出して全員に含ませ、さらに布で呼吸器を覆うよう言い聞かせた。

 おそらくこの状態では、全力で戦闘することが難しいだろう。


「靄がかかって先が見にくいな…………リーズ、敵が出るまで僕の手を繋いでほしい」

「うんっ!」


 アーシェラはリーズの利き手ではない方の手を握って、不意の事態に備えた。

 先行きが不安な中、愛する人の手のぬくもりはとても心強い。リーズはアーシェラを絶対に離さないように、指を絡ませてぎゅっと握った。

 いつもならここでブロスが茶化すのだろうが、彼は何も言うことなく、ひたすら周囲の警戒に神経をとがらせている。それほどまでに事態はひっ迫しているのだ。


 ぬかるむ地面、枯れて歪んだ木々、そして異臭を漂わせる褐色の毒の沼………………アーシェラたちが移住してすぐの頃の村の周辺もこのような感じだったのかと思うと、リーズはいかに自分が恵まれた生活をしていたか、そしてアーシェラたち村の住人たちがどれほど苦労したのかを改めて感じた。


(この地方の大半は、まだこんな状態なんだ…………リーズが生きてる間に、元に戻せるのかな?)


 そんなことを考えているうちに、アイリーンが何かの気配を察知した。


「みんな~、いったん止まって~。この先に、なにかいるわ~。それも複数」

「ヤハハー、テルルの気配があった場所も近いかな! となれば、いるのは魔獣かな」

「……! こっちに向かってきてる! みんな、戦闘準備っ!」


 リーズの合図で、ブロス夫妻が武器を構えた。

 アーシェラは結界と灯の確保で手いっぱい、さらにアイリーンも打たれ弱いため、リーズが前に出てブロスとユリシーヌが左右に広がって、包囲の危険に備える。


 靄の向こうから犬のような鳴き声とともに、複数の陰が突進してくるのが見えた。

 狼の魔獣、サルトカニスの群れの襲撃だ!


「みんな! 僕はこの周囲の地形の解呪を行う! 強化術はかけられない! 注意して戦ってほしい!」

「わかったシェラっ! そーれっ!!」


 リーズが剣を大振りに振るうと、衝撃波が光の波となって前方に拡散し、一度に6体のサルトカニスを撃破した。だが、魔獣の群れは仲間が倒れても怯むことなく、まるで狂気にかられたかのように突っ込んできた。


「ヤッハッハッハッハー! どうもこいつら、飢えてるみたいだ。僕たちを数日ぶりのご飯だとしか認識していないみたいだね!」

「凶暴だけど、群狼戦術(ウルフパック)を仕掛ける思考も残ってなさそうなのは逆に助かるわ」


 ブロスが軽クロスボウの連射で撃ち漏らしを狙い、ユリシーヌが直前まで抜けてくる個体が来ることに備えてカウンターの構えを維持する。

 夫妻が分析した通り、サルトカニスの群れは数日まともに餌にありつけていないのか、お得意のウルフパックと呼ばれる連携戦術すら用いずにひたすら突進してくるだけだった。

 実際、昼間にイングリット姉妹が放牧中に襲われてテルルの脱走を許してしまったのは、サルトカニスの連携戦術によりミルカとミーナがかなり不利な状態で戦わざるを得なかったからである。それが何も考えずに一直線に向かってくるのは、ある意味対処が楽と言える。


「よーし、この辺の解呪は済んだけど……………もう戦いは終わったね」

「えっへへ~、リーズにとっては楽勝だったよっ!」


 アーシェラが瘴気の解呪を行って、ある程度自由に動けるようになっていたころには、リーズの大立ち回りでサルトカニスの群れは全滅していたのだった。

 倒れた数を確認したところ、19匹もいたことが分かったが、勇者リーズの手に掛れば全滅まで2分もかからなかった。


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