追跡
冬の夕暮れは早い。
村を出る頃にはまだ大地を照らしていた夕陽も、リーズたちが川を渡って西の丘陵地帯に足を運ぶ頃にはその姿をほとんど西の地平線に隠してしまった。
羊の足跡もいよいよ追いづらくなり、捜索は困難を極めた。
「相当な距離を逃げたわね。ここまで来ると足跡もほとんど残っていないし、やっかいだわ」
「うーん……テルルちゃん無事だといいんだけど…………」
「まったく、こんなところまで逃げるだなんて、どんだけ体力が有り余ってるんだか」
「テルルちゃーん、どーこいったの~? 怒らないから~、でーてきなさ~い」
ユリシーヌとリーズは、川辺から丘陵地帯に来るまでずっとわずかな足跡を辿ってきたのだが、このあたりはやや背の高い草が生い茂っており、それが足跡を完全に消してしまっている。
いくら追跡術に優れた二人と言えど、足跡が全く残っていなければ何も読み取ることはできなかった。
アイリーンも走り歩きしている間に何度も気配探知を試みるが、反応は何もない。
その代わり、動物が草をかき分けた跡がいくつか見られたので、その中で羊のテルルに近そうな体格の動物が通ったと思われる跡をずっと追ってきたのだが……………
羊の足ならそう遠くまでは逃げられないはずなのに、実際はもう5㎞以上逃げてしまっており、アーシェラも困惑の色を隠しきれないでいた。
「ヤァ村長、リーズさん。一つ、よくないお知らせがあるんだ」
「良くないお知らせ…………」
「ま、まさかテルルがっ!?」
「ヤハハ、さすがにそこまで残念なお知らせじゃないんだけど…………周囲を探索していたら、いくつかの肉食魔獣の足跡が見つかったよ。それに、サルトカニスの集団らしき足跡もあった」
ある程度離れたところで周囲の情報収集をしていたブロスが、この辺一帯に肉食の魔獣がいることを突き止めてきた。まだ確定とは言えないが、野生に逃げた家畜はほとんど身を守る術がないため、生存はほとんど絶望視されたに等しい。
「どうしようシェラ…………せめて生きてるのかもうだめなのかの確認くらいはしたいけど」
「よし、こういう時こそアイリーンの出番だ。アイリーン、全力で探知した場合、どのあたりまでならカバーできる?」
「全力か~、出したことないからわかんないや。とりあえず~、このあたりで~一番見晴らしのいい場所に上りたいな~」
「一番見晴らしのいい場所……ね」
高い場所が苦手なアーシェラは一瞬複雑そうな顔をしたが、アイリーンに全力を出させるためには、好き嫌い言ってはいられなかった。
「それじゃあ、あっちの小高い丘はどうかな? シェラはリーズが背負っていくから、シェラは明かりをお願いっ!」
「わかった……今、杖に明かりをともすよ。足元に気を付けてね」
高いところに上るのが苦手なアーシェラの為に、リーズが彼を背負った。
アーシェラは内心「早く克服しなきゃ……」と思ってはいるが、逆にリーズはアーシェラに甘えてもらってウキウキしている。
「さすがはリーズさ~ん、力持ちね~。じゃあ私は~、ブロス君におんぶしてもらおうかな~」
「冗談だとしても怒るわよ」
「ヤハハ…………アイリーンは空中浮遊が出来るから、おんぶする必要はないでしょっ」
そんなやり取りをしながら、リーズの選んだ丘に上がった5人。
冬の風が強く吹き、彼らの頬を刺すような冷たさが襲う。だが彼らも防寒対策はばっちりであり、特にリーズはアーシェラから編んでもらったマフラーがさっそく役に立った。
「リーズ、寒くない?」
「えっへへ~、シェラの体温とシェラが編んでくれたマフラーのおかげで、ちっとも寒くないよっ!」
「マフラーか~、いいな~、あったかそーだな~」
あったかいどころか、隙あらばヒートアップし始める二人を生暖かい目で見守るアイリーン。
気が付けば村で一二を争うラブラブカップルに挟まれていた彼女は、若干疎外感を覚えてしまったが…………とりあえず今は任務に集中する必要があるため、頂上についてすぐに気持ちを切り替える。
「村長~、なるべくしっかりやりたいから、一回杖の明かりを消してもらっていいかな」
「ん……わかった」
アイリーンの術効率を少しでも上げるため、足元を照らしていた杖の明かりを消す。
そして、丘の頂上に立ったアイリーンは、もこもこの服と銀色の髪を風になびかせながら、静かに目を閉じて両腕を広げた。
彼女の意識は闇に溶け、夜の世界と一体化する。視野は急速に広がり、まるで空中に浮かぶ目になったような――――いや、夜空に浮かぶ無数の星となって、大地を見下ろしているような感覚へと変わっていく。
夜の村を守るアイリーンは、夜――――というよりも『闇』において力を発揮する術を数多く習得している。
見習い魔術士であるフリッツと違い、火をおこしたり物を冷やしたりするような基礎的な魔術は使えないようだが、その代わりに闇夜でもはっきりと物が見えたり、暗い場所にいる生物の位置を特定すると言ったことができるようになる。
アイリーン曰く「この術は『星』の力を利用したもの」とのことだが、詳しいことはほとんどわかっていない。そのため彼女は、家族ともども能力の希少性に目を付けた人々から狙われ続けた。
完全な昼夜逆転でしか生きられない体に、心無い者たちから狙われ続ける正体不明な能力――――一時期アイリーンは、そんな普通ではない自分に絶望し、自棄になっていたこともあったが…………今ではこうして、唯一無二の存在として村の役に立っている。
その興奮を胸に、アイリーンは自分の全身全霊を込める。
すると―――――彼女の感知範囲内に、それらしい気配を感じた。
だが同時に、その気配が別の複数の気配に今まさに遭遇したことも掴んだ。
それだけではない。羊がいる場所がどのあたり化が分かった時、アイリーンは普段しないようなかなり深刻そうな表情をしていた。
「みんな~、テルルの位置が分かったかもしれな~い」
「えっ! テルルはまだ生きてるのっ! よかったっ!」
「おぉ、さすがはアイリーン! よく見つけてくれたね!」
「ヤッハッハ! まだ生きているなら話は早い! すぐに助けに行かないと!」
「それで、逃げ出した羊は今どこに? 見つけたわりにアイリーンは喜んでいないようだけど」
リーズとアーシェラは、暗くてアイリーンの顔がよく見えておらず、羊のテルルがまだ生きていることを喜んだが、アイリーンがかなり険しい顔をしているのが見えたユリシーヌは、何やら嫌な予感を覚えた。
「テルルちゃんはね~、南西の湿地帯にいるみたい~。しかも、今まさに何かに囲まれてる~」
『南西の湿地帯!!??』
「え……え? ど、どうしたのシェラ? それにゆりしーとブロスさんも」
このあたりの地理を知っている三人が驚愕の声を上げる中、よくわかっていないリーズだけがよくわかっていないようだった。




