魔神王という存在
20年ほど前に突如としてこの世に復活した、すべての魔の物を統べる神に等しき存在『魔神王』――――歴史上何度復活と討伐を繰り返しているのかは記録がないため不明であるが、今のところ人間が滅亡まで追い込まれたことはなかったと同時に、存在の完全な抹消までは至っていなかった。
なぜなら魔神王とは、生命でもなく、物質でも、神でもない……「事象」「概念」そのものであるからだ。
それはまるで自然現象と同じ、マグマがたまれば噴火し、大陸プレートが動けば地面が揺れ、雨が降り続ければ洪水が起きるように、魔神王は人々のとめどない憎悪と「この世界が滅びてしまえばいいのに」とという絶望の心が集まることで、それらが具現化してしまうのである。
このことが知られるようになるのはもっと後世になってからであり、今の時代はまだ一度倒せばしばらく復活しないだろうと考えられている。
実際、歴史上以前に復活したのは1000年近くも前であり、魔神王を撃滅できたということは、必然的に根本原因である憎悪や絶望も枯れつくしていることが多いので、倒してさえしまえばしばらくは安泰なのは事実であった。
だがもしも――――魔神王復活の原因となる憎悪や絶望が、まだ多く残っていたとしたら?
そして、あえて憎悪を一極に集中させて無理やり復活させることができたとしたら?
その壮絶な実験の答えが、王国に現れることになる。
×××
王都アディノポリスの王宮地下深く――――
王国や重臣ですら存在を知ることのない巨大な空間には、毒々しい濃紫の液体で満たされた非常に広大な浴場があり、湯気の代わりに禍々しい瘴気が立ち昇っている。
そして、その中心には……第三王子ジョルジュが、生まれたままの姿でこの最悪極まりないプールに浸かっていた。
「ジョルジュ様……お加減はいかがで?」
「ははは、実に最悪だ。色もそうだが、体にへばりつく様な粘りと、纏わりつく様なぬめりがこの世のものとは思えぬほど不快に思える」
コドリアから声をかけられたジョルジュの表情は、なぜかとても喜ばしそうだったが、その瞳はすでに狂気に満ちていた。
なぜなら、ジョルジュの……いや、彼の周りにいるすべての者の宿願が、この日対に叶うのだから。
最後までこき使われて疲弊しきったコドリアの表情もとても明るく、ようやくやり切ったという気持ちと、このパワハラ上司とももうすぐ永遠にお別れになるという気持ちで喜色満面であった。
「…………良し、時は来た。今頃兄上どもは大広間で暢気に酒池肉林の宴を繰り広げていることだろう。ククク、王国に住む人々の憎悪をまんべんなくその身に蓄えた者たちは、さぞかしよい『媒体』となるであろうな。そして、私は破壊の神となり、この下らぬ世界をすべて滅却するのだ!」
「ははっ、我ら一同、この日を待ち望んでおりました! では、すぐに儀式を始めると致しましょう!」
こうして、ジョルジュたちが残りのメンバーに指示を飛ばすと、いよいよ「儀式」が幕を開けるのだった。
×××
地下でそのようなことが起きていることも知らず、この日の王宮では王国の大半の有力貴族が大広間に集まる「大舞踏会」が催されていた。
見た目も味も最高品質の料理がずらりと並び、とっておきの高級酒も振る舞われるほか、王国が誇る美談美女が一堂に集まり、舞踏会の幕開けを告げる見事な踊りが披露された。
ここまで豪勢な宴が行われる理由はもちろん、この場で第二王子セザールが正式に次期国王に指名されることと、勇者リーズと結婚することが決まっているからであった。
「いよいよこの日がやってきたな! セザール様が王位を継げば、我々の立場も大安泰だ!」
「グラントによれば、エノーたちが勇者様を発見し、数日以内に戻ってくると言っている。まったく、随分と時間がかかったものだ。セザール様には、あのような無能は手元に置かぬよう申し上げねばな」
「それに、今のセザール様は政治よりも女子の尻を追うのに夢中……王家の血を絶やさぬため、セザール様には一日中励んでもらわねばな」
「それこそ、政治などの些末な問題は我々が代行すればよいのだから」
そう言って、セザール派の有力貴族たちは欲深い笑い声をあげた。
今や国政はすっかりセザール派が掌握し始めており、グラントのような頭の固い軍人たちや数少ない有能な忠臣は、徐々に閑職に追いやられている。
軍を率いて反乱を起こそうにも、こちらには勇者パーティーの大半、なにより勇者リーズが付いている(と勝手に思い込んでいる)のだから、怖いものなど全くなかった。
そして、当のセザールは大広間を見渡すことができる最奥の玉座から、まるでもう国王になったかのような態度で、参加者たちを見下ろしていた。
「ははは、実に壮観な光景だ! まるでこの世界全てを手に入れたような気になってしまう! この場に勇者がいないのが残念だが……」
「まあセザール様……いえ、セザール《《陛下》》。今はいらっしゃらない勇者様ではなく、わたくしたちを見ていただけないでしょうか?」
「次期国王陛下となられたこの喜ばしき日、せめてこの一日だけはわたくしたちに寵愛をいただきたく存じますわ」
「勿論だとも……俺はお前たち全員を丸ごと愛しているからな。王家の発展のためにも、お前たちには協力してもらうぞ」
「ああ、セザール陛下……」
セザールは高級なワインを呷りつつ、彼にべたぼれの美女たちを何十人も周りに侍らせて、公開ハーレムを作っていた。
どこまでも破廉恥な男だが、周りの重臣たちは止めるどころか、彼が女にうつつを抜かしていれば自分たちが権勢を振るえることもあって、誰も止めることはしなかった。
また、彼の近くには……反乱討伐の最中にグラントから無理やり帰国させられた、勇者パーティーの一軍メンバーの一人ラウラが、まるで猫のようにセザールに傅いていた。
「セザール陛下、私も側室の一人に加えていただけるなんて、夢のようです♪ あんなさえない男との婚約を破棄できたのも、セザール陛下のおかげです♪」
「ははは、そうだろう。ジギスムントにはお前のような素晴らしい女は似つかわしくない…………君に似合う男は、俺だけだ」
「キャーッ♪ セザール陛下っ♪」
グラントに見せていたデカい態度はどこへやら、勇者パーティーとは思えないほどの媚びっぷりであった。
このような天国のような時間が、これからどんどん盛り上がっていく……誰もがそう思っていたところで、突如大広間に大勢の武装した人間が押し入ってきた。
「な、なんだお前たち……ギャァッ!?」
「え……衛兵はどこだ!? こんな時に反乱を起こしたバカがいるぞ――グエッ!?」
「なるほど…………よくもまあこの世の最上級の悪人ばかりを集めたものだ。善き者が苦難にあえぎ、悪しき者だけが栄えるこの世界は……正さねばならん」
そう言って、謎の武装集団の先頭を歩いてきたのは、顔の半分に火傷を負っている、シャストレ伯爵マトゥーシュだった。




