責任
「あー……なんか今日はいつもより疲れた気がする……」
「えへへ、シェラお疲れ様っ」
夕食を得たアーシェラは、洗い物を済ませると、珍しく長椅子に腰かけてクタクタになっていた。
この日は連鎖的にいろいろなことがあったせいで、彼も頭を回転させっぱなしだったのだろう。疲れを自覚した瞬間、気が付かなかった分が一気に押し寄せてくるように感じたようだ。
「よかったらリーズのお膝にごろんする?」
「膝枕か……今リーズの膝に甘えたら、そのまま寝ちゃいそうだ」
「いいよ、そのまま寝ても。リーズがシェラをベッドまで運んであげる♪」
「そっか…………じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「うんうん、遠慮なんてしちゃダメだからねっ」
珍しいと言えば、今日はいつもと違ってアーシェラがリーズに甘える形になっている。まだ少し甘え慣れていないのか、アーシェラは若干申し訳なさそうに、おずおずとリーズの膝に頭を預ける。
毎晩あんなことやそんなことをしているのに、こんな時は恥ずかしがるというのは少々滑稽に思えるかもしれないが、彼にとってはそれとこれは話が別なのだろう。
(でも、なんだかリーズがますますお母さんぽく見えてきた気もする……)
一時は「世界を救う勇者」として随分と遠い存在になったと思っていたというのに、いつの間にか近くにいるのが当たり前になった。
それに、少し前までは年齢より幼く感じるくらいだったのに、今ではもう立派な大人の女性と言っても過言ではない。
リーズがこの短期間でそう思えるようになったのも…………身体の中に命を宿し、母となったことを自覚したことも大きいだろう。
(そう…………今僕のすぐ隣には、新しい命が眠っているんだ)
膝枕されているアーシェラの頭とは、皮と肉を隔ててすぐ隣にリーズとアーシェラの子供が宿っている。今はまだ妊娠初期でおなかの張りも目立たず、耳をそばだてても何も聞こえない。
だが、なんだかんだで普段は平気な顔をしているリーズだが、やはり身体に違和感を覚えることが増えてきて、何度か吐き気を催したこともあった。それでも食欲が全く衰えないところは流石である。
「シェラは……」
「うん?」
「やっぱり不安? リーズに何かあったら、もしかしたら今のリーズだとうまく戦えないかもしれない……もしとっさの時にシェラを護れなかったらって思うと、リーズ、少し不安になっちゃって…………」
「それは……僕も「責任」があるから、リーズだけが思い悩むことはないよ。うん、本当に厄介な時期に重なったね。失敗とは言いたくないけど、もうちょっと考えるべきだったかなとは僕も思うよ」
リーズが王国で「やり残してきたこと」をすべて清算するため、リーズとアーシェラはもうあと10日もしないうちに村を離れなければならない。
計画がすべてうまくいけば、最小限の労力でスマートに解決できる見込みにはなっているが…………リーズの母親をここまで連れてきた船乗りのヴォイテクの話や、侍女に化けたスパイの存在から察するに、王国情勢は想像以上によろしくなく、下手に刺激すれば国が一気に瓦解し、無用な犠牲が出てしまいかねない状況だ。
だからこそ万全な状態で挑みたいのはやまやまなのだが、リーズは母体として今一番不安定な状態にあるのが非常に気がかりだった。
リーズとアーシェラの愛の結晶は、二人が強く望んだからこそ結ばれて間もなく授かったわけだが、一方で今後の人生を大きく左右する危険な仕事に挑むときに、こんな状態になってしまったことで、アーシェラは自らの無計画性を強く反省したのだった。
「でも…………大丈夫、もしいざとなれば確実に1回だけは僕が君を守ることはできる」
「シェラ……」
「あはは、本当なら「いざとなれば僕がリーズを護る!」って強気に言いたかったけど、出来ないことまで出来るって言っちゃうのはいくらリーズ相手でも無責任だからね」
「もう、シェラってば……リーズを護ってくれるって言ってくれるだけでも、凄く嬉しいんだから。それに、リーズだって無理しなければきちんとシェラを護れるし、もちろんこの子のことも護る。二人一緒なら、きっとどこに行っても無敵なんだから」
「くすっ、そうだね。僕まで不安になってたら駄目だ。この先の平和のためにも、そして生まれてくるこの子のためにも、きちんと決着をつけにいこう」
「うん!」
もし、神様に願ってすべての問題があっという間に解決するのであれば、毎日何百回でも祈りを捧げ、聖句を紡ぐのも苦ではないだろう。
だが現実にはそのようなことは起きえないから、自分たちで確実に対処していくほかない。
それでも……リーズの言う通り、二人がそろっていれば不思議と何とかなるように思えた。お互いがお互いに絶大な信頼を寄せているゆえの安心感だった。
「あ、そうだ! シェラはこの子の名前、もう決めてる?」
「生まれてくるこの名前かぁ……実はもういくつか候補はあるよ」
「本当っ!? えへへ、実はリーズもちょっと考えてみたんだっ」
「じゃあせっかくだから、今夜はお互いに考えた名前を出し合って紙に……………うん?」
せっかくだから生まれてくる子供の名前を一緒に考えようとしたところで、すぐ近くの窓からカーテン越しに、コツコツ、コツコツ、とガラスをつつく音がした。
アーシェラはこの音の正体に一つだけ思い至ることがあり、すぐに嫌な予感を覚えた。
「リーズ、ごめん、少しだけ寒くなる」
「大丈夫」
アーシェラがカーテンを開いて窓を少しだけ開けると、冷え切った空気とともに1羽の《《白い梟》》が舞い込んでくるとともに、アーシェラの肩に止まると、ポンという音とともに1枚の紙に変化した。
遠距離緊急通信手段の「精霊の手紙」だ。
アーシェラはやや急ぎ足で明かりのところに戻り、手紙に目を通すと……
「どうしたのシェラ、何が書いてあるの?」
「……嫌な予感はしたんだ。どうやら僕もグラントさんも、上手くやりすぎたらしい」
もし神殿がのたまうように、運命が神によって定められているというのなら……
アーシェラは、神様には文句をダース単位で言ってやらなければ気が済まないように思えた。




