感謝
時刻はそろそろ夕暮れ。
真冬の時よりだいぶ日の入りが遅くなったとはいえ、冬の気配が残るこの季節の風は冷たく、骨身に痛く染み渡る。
そんな中、諸々が終わって村長宅を後にしたマリーシアが、熱で浮かれたような顔つきで、一心不乱に祠の掃除をしていた。
「なんだか……まだ頭の中がふわふわしている気分ですね」
朝からティムと言い争い、昼食をはさんで神学論争、その後の異文化交流などなど、とにかく考えさせられることが多い一日であった。
そのせいで彼女の頭の中は今でも混乱の真っただ中で、考えれば考えるほどドツボにはまっていくだけ。なのでマリーシアは、頭ではなく手を動かすことでこのもやもやを少しでも和らげようとするのだった。
そんな折、マリーシアに声をかけてきた人たちがいた。
「あ、マリーシアさん! お掃除中だった?」
「今日はずいぶんと熱心ですわね、いつも以上にピカピカですわ」
「あ、ミルカさん、ヘルミナさん……その、今日もお疲れさまでした。あなた方に女神様の加護あらんことを」
村に来た頃のいざこざなどすっかりなかったかのように、親しげに語りあう姉妹とマリーシア。しかし、ミルカはマリーシアの様子が普段とは少し違うことにあっさり気が付いた。
「あらあら、少し元気がありませんわね。さてはまた村長さんに言い包められましたか?」
「えっ!? ど、どうしてわかるんですか!? 村長さんといい、ミルカさんといい、この村の人たちは心を読める術を使えるので!?」
「うふふ、そんなことはないわ。マリーシアさんはミーナに似て素直ですから、何を考えているかわかりやすいんですよ」
「えっ、私も?」
さらっとミーナまで巻き込んでひどいことを言うミルカであった。
だが、言われた当のマリーシアはいつも以上に神妙だった。
「…………羨ましいです」
「あら、羨ましい、ですか? なぜそう思うのですか?」
「もし私もミルカさんや村長さんみたいに、ちょっとしたきっかけで相手の考えが読めるのであれば、ティムさんのことをもっとわかってあげられたのではないかと、そう考えてしまうのです」
「ティムさんねぇ。あの子もあの子でひねくれているようにみえますけど、根はいい子ですわよね。あの子が過去にどのような苦難に遭ったかは知る由もありませんが、それでも道を踏み外すことがなかったのですから、生来から育ちはよいはずですわ」
「……! た、確かに、言われてみれば!」
「まあ、それが正確かどうかはさておくとしまして、わたくしや村長がそこまで洞察できるのは……………そうしないと生きてこれなかった、という事情があるからですわ」
「生きてこれなかった?」
「えぇ、それこそ誰が本当の味方で、誰が味方のフリをした敵なのか、すぐに判断しないと命を落としかねない……そんな中で幼いミーナを護るためには、細かいところまで深く観察する癖がついてしまったんですの」
「えへへー、お姉ちゃんはよくおサボりしちゃうけど、いざという時は凄く頼りになるんだ!」
「ですからミーナ、わたくしは怠けているのではなく、本業のために体を休めているだけですわ」
「…………」
今までミルカのことを、あまり仕事熱心じゃない人としか見ていなかったマリーシアだったが、ミルカはミルカで壮絶な過去を背負っていることが、ミルカの語り口からにじみ出るのを感じた。
また深く考えなければならないことが増えたようだが、ただでさえ今日は情報を叩き込まれて脳みそいっぱいいっぱいのマリーシアに、これ以上解析に回せる脳内メモリは存在しないようだった。
「まあ、この村の人々はみなそうですが、わたくしもあまり昔のことは話したくありませんので、これ以上ヒントを出すのはやめておきますわ。それに、寒くなってきましたので女神様にお祈りして帰りましょうか」
「うん、お姉ちゃん。女神様女神様、今日も山羊さんや羊さんたちにおいしい草をたくさん食べさせてくれてありがとうございました。明日もおいしい草をいっぱい食べさせてあげてください」
「女神様、感謝申し上げます。最近の魚はすっかり身も大きくなり、手ごたえも歯ごたえも抜群ですわ。欲を言えば、もう少し下流にも魚を住まわせていただけると助かりますわ」
(なんと言えばいいか…………女神様が困っていないか少々心配ですね)
ミーナもミルカも、女神に祈る内容が絶妙にアレなので、マリーシアは困惑しっぱなしだった。
全知全能たる女神がこの程度で困るとは思えないものの、変に身勝手な祈りを聞いて呆れていないか、少々不安に思ってしまう。
「あらあら、それほど変なお願いでしたか? 随分と不満そうですわね」
「で、ですからなんでわかるんですか!?」
「あはは、やっぱりマリーシアちゃんってわかりやすいね~」
「み、ミーナさんまで!?」
ミルカならともかく、ぽわぽわしたミーナにまで言われるのは、流石のマリーシアもショックだった。
「まあまあ、お願いを聞いてくれるかどうかは女神様のご機嫌次第ですので、とりあえず言ってみるものですわ。それに……こんなわたくしでも、女神様にはとても感謝しているのですわ。…………大人から子供まで、容赦なく殺せと命じる狂った神から助けられましたし」
「ミルカさん……」
「うふふ、少し話過ぎましたわね。それでは、ごきげんよう」




