信仰 Ⅱ
自らの地雷とも言える話題にあえて踏み込んでいったマリーシア。
いったいどんな反応を示すのか、リーズとアーシェラがかたずをのんで見守る中、話題を振られたイムセティは首を傾げ――――
「カミサマ、って、ナニ?」
「やっぱり……いいですか、神様というのはこの私たちの世界すべてを作った、とてもすごい存在なのです」
マリーシアにとって、イムセティの反応は想定内だった。
というのも、彼女は先ほどふと思い至ったことがあった。それは、村の祠にお祈りに来ないのがティムだけでなく、この異国少女もお祈りをしている姿を見たことがなかったからだ。
しかし、イムセティはティムとは違い異文化圏出身なので、女神の存在を知らなくても無理はないと内心思っていた。
(やはりこの子は女神さまの存在を知らなかったのですね。であれば、まずはこの子に女神さまのすばらしさを説いて、ゆくゆくはこの子の故郷に布教するのもいいかもしれません)
もちろん、将来的にはティムに対しても進行に立ち返るよう説得できるようになりたいところだが、まずは自らの信仰を問う意味でも、この宗教を知らない少女にゆっくり教え込んでいくべきだとマリーシアは考えたのだった。
ところが、今度はミーナが疑問の表情を浮かべた。
「あれ? たしかセティちゃんって、火の何とかの加護があるから、みたいなお話ししてなかったっけ? それで寒い日も平気で薄着になってたんじゃなかったっけ」
「オ! それは『エメル』のコトカ! ソウソウ、セティは『エメル・デ・フェメン』の血を引くシャーマン、ヨ!」
「お姉ちゃんが言ってたけど、『エメル・デ・フェメン』は火の精霊? なんだって。だからセティちゃんが信じる神様って、火の神様なのかなって?」
「ええと…………」
突然意味不明な固有名詞がいろいろ出てきたことで、マリーシア混乱してしまう。
「ま、まあ、とりあえず今日の授業の一環として、セティちゃんにもう少しく詳しく教えてもらおっか!」
「イイヨ!」
イムセティによれば、彼女の故郷は4つの大きな島を中心としたいくつかの島々に、4つの部族が別れて暮らしているらしく、イムセティはそのうちの一つ「火の部族」の部族の支配者一族にして、火の精霊の加護をつかさどる巫女なのだという。
リーズたち大陸側にも「精霊」という存在は普通に認識されいるが、それらはあくまで動物の一種のような扱いであり、時々辺境のほうで力の強い精霊が土着信仰であがめられる程度にとどまる。
しかし、南方諸島の部族たちは、この世界の根源は精霊たちによって形作られていると信じており、4つの島でバランスをとることでこの世界はうまく回っていると解釈されているそうな。
「ははぁ……島ごとにそれぞれが崇める神様がいるんだ。なんか不思議な感じだ」
「リーズが女神さまから勇者としての加護をもらっているのと同じように、セティちゃんも地元の神様から加護をもらってるんだね!」
「うーん、そうなのカナ? そうかも?」
イムセティはいまいちピンと来ていないようだが、リーズとアーシェラは南方諸島の信仰は複数の信仰が同時に存在しているものだと認識した。
実際のところ、その認識はあまり正しくないのだが、進学が発達していないこの時代ではそう考えるのが普通だろう。
「あ!! そうだ!! コッチのオネイチャンの言ってるメガミサマは、きっと「メレメレ様」のことヨ!」
「メレメレ様!?」
「ソヨ! メレメレ様はすべての『精霊王』を従えて、空と海を作ったスゴイ人なんだ! そして、セティたちのゴセンゾでもあるヨ!」
女神信仰と精霊信仰の隔絶した考えにいまいちピンと来ていなかったイムセティだったが、ふと自分が以前聞いた昔話を思い出した。
彼女の言う「メレメレ様」というのは、南方諸島文明の「始まりの人間」のこと。
伝聞によれば、はるか太古の時代は精霊たちが自分勝手に暴れていたせいで、世界の形が混沌としていたところに「メレメレ様」が表れ、強大な精霊たちを鎮めることで今の安定した世界が形成されたのだとか。
メレメレ様自身はその後、契約した精霊たちと交わることで、精霊たちの力を受け継いだ人間たちを産んだ。その時生まれた人間たちの子孫が、いまのイムセティたちなのだそうな。
「へぇ! すごい素敵なお話だねっ! とっても面白かった!」
「エヘヘ~、セティはオベンキョウちょっと苦手だけど、ちゃんとオベンキョウしておいてよかった!」
「うーん、やはり女神さまの存在は世界共通……? でも、何か違うような……」
「女神様=メレメレ様」ということで納得した様子のイムセティ。
だが、今度はマリーシアが「なんか違う」と悶々としてしまうのだった。
つい先ほどまではイムセティへの布教はそこまで難しくなさそうだと考えていたマリーシアはだったが、一通り話を聞いた後は、むしろティムとは別の意味で女神様信仰に目覚めさせるのは難しそうだと感じたようだ。
(今のままでは、肯定もできなければ否定もできない……私はすべて知った気になっていて、まだ何も知らなかったのかもしれない)
異国の話を聞いたマリーシアは、急に自分のことがものすごくちっぽけに思えてきた。
そもそも、女神様が作ったというこの世界のことを、果たしてどこまで理解できているか…………そんな不安な気持ちが見る見るうちにわいてくる。
心がこんがらがってぴったりと大人しくなってしまったマリーシアを尻目に、イムセティの異文化授業は続いていく。
「メレメレ様はスゴイ人だから、全部の島でオマツリやるの!」
「ああなるほど、島ごとに違う精霊を祀っているから、祭りも島ごとに違うのか…………そうなると確かに、そのメレメレ様のお祭りは各部族で共通だから、ほかの島の人とも一緒に祝えるんだね」
「やっぱり島のおいしい食べ物とか、いっぱい出てくるのかなぁ」
お祭りと聞くと、やはりリーズが真っ先に思い浮かべるのは食べ物のことだった。
「うんうん! お祭りはネ! あっちこっちの島から、おいしい食べ物を持ち寄って、セティも大好きな「タクス」もいっぱい作って……!」
(また知らない単語が……)
異文化の話を聞くのは面白いが、時々出てくる固有名詞がよくわからないのが難点だと考えていたアーシェラだったが…………ふと、楽しそうに話していたイムセティが突然悲しそうな顔になったことに気が付いた。
「ど、どうしたの、イムセティ?」
「ええっと、ね…………サイキン「タクス」食べてないなって思ったら」
どうやらイムセティは、故郷の話をしているうちにホームシックになってしまったようだ。
こちらの食べ物が合わないというわけではないようだが、やはり故郷の味は忘れがたいのだろう。
「セティちゃん、その「タクス」って、食べ物だよね?」
「うん、そーだよ」
「じゃあさシェラ! せっかくだから、セティちゃんに「タクス」っていう食べ物の作り方を教えてもらおうよ! そうすれば、少しはさみしさも和らぐかもしれないよっ!」
「おっと、さてはリーズ、自分がタクス食べてみたいんでしょ」
「もちろん!」
リースはアーシェラに、イムセティの故郷の料理を作ってみようと提案した。
まあ、当然のごとく「自分が食べてみたい」という食い意地もあるが、リーズは悪びれもしなかった。
それに、アーシェラも道の料理を作ってみたいという興味がわいてきた。
「よーし、それじゃあ、簡単でいいからレシピを教えてくれるかな!」
「エエトね、タクスはね「タロ」をマシュテップにして、そのマッシュテップをグリィドにしたら薄く延ばしたトルテにして…………」
「ま、待った待った! さすがにわかんない単語が多すぎるって!」
色々な料理の経験を積んできたアーシェラだったが、異文化の料理は(言語的な意味でも)苦戦しそうだった。
ミニ用語解説:「タクス」
「タクス」とは、南方諸島で食べられているメジャーな主食の一つである。
基本的にタロ(タロイモ)を石臼でマシュティップ(タロイモ粉末)にしたものをグリィド(生地)にし、それを薄く延ばして焼くことでトルテ(クレープ生地的な何か)にした後、焼いた肉や魚、野菜を包むことで完成する。
つまり、われわれの世界でいうところの「タコス」である。
南方諸島で採れるタロイモはどういう進化を遂げたか定かではないが、なんと浅い海中に実る。
そのため、耕作地が少ない島国では非常に重宝されている穀物だが、反面非常にしょっぱく、生で食べるのはやや厳しい。そのため、基本的には一度水につけてある程度塩抜きした後、臼で挽いてから水と混ぜて生地にするのが好ましい。




