納得
「もう大丈夫なの? 辛かったら我慢しなくてもいいんだよ?」
「いえ……もう、大丈夫です」
一頻り泣いたマリーシアだったが、数分もすると涙はぴったりと降りやみ、顔に跡を作る前にいつものまじめな表情に戻った。
「今回私がティムさんをきちんと導けなかったのは……私の勉強不足です。私がもっともっと日ごろから学んでいれば、こんなことには…………」
「うーん、そうかなぁ? リーズはマリーシアちゃんのことすごく努力家だって思ってるし、女神さまのことリーズよりよく知ってるよ」
「それではダメなんです! 末席とはいえ、聖女様にお仕えする神官として、どのような困難でも乗り越えなくては!」
「勉強不足、か……」
マリーシアは自分が論破されたことを勉強不足、努力不足だと思っているようだが、アーシェラは彼女がまだどこか盛大に空回りしているように見えた。
「マリーシア。君はもっと勉強するといっているけど、具体的に何を学ぶつもりなんだい?」
「それはもちろん! 神殿に戻ってもう一度すべての経典を読み直して、より女神さまの神髄を――――」
「そう、それだ。残念ながら、今の君にはその勉強方法じゃ意味ないと思う」
「えっ!?」
はっきりとアーシェラに「意味がない」と言われてしまい、立ち直ったと思ったマリーシアの精神がもう一度折れる音がした。
「な、なんでですかっ! 私はまだまだ未熟っ! だから努力するのは必然で!」
「あーなるほど、シェラの言いたいことリーズもわかってきたかも。確かマリーシアちゃんは、小さいころから神官になるための勉強をずっとしてきたんだよね」
「え、あ、はい。もちろんです勇者様。基礎的な経典から律詩、著名な文献に至るまで、すべて暗記してますが……」
「暗記してるの!? すごいっ!」
「そんな……たいしたことではないですよ。大神殿の神官であれば、当然身に着けるべきです」
マリーシアはしれっと言うが、この若さで女神信仰の経典や文献、さらに詩や歌といったものまですべて暗記しているというのは驚くべきことだ。
「うん、確かにすごいんだけど、マリーシアちゃんはもう一度勉強するって言って、全部暗記してる本とかもう一度読み直すの? 確かにお勉強でも復習は大事だけど、そればっかりじゃ新しい知識は入ってこないと思うんだ」
「はっ……た、確かにっ!? そ、それでは私の努力はすべて無駄に!?」
「無駄にならないようにするためにも、一緒にどうすればいいか考えよう。ね、シェラっ」
「そうだね、マリーシアは今のままだと頭打ちだ。ここから先は、もっと視野を広げていかなければならないと思う。さっき僕がティムを止めなかったのも、人によって考えは大きく変わるということを知ってほしかったからなんだ」
マリーシアが優秀な神官であることはリーズとアーシェラはおろか、あのティムでさえ素直に認めている。まじめで厳格で、宗教に関する知識は豊富。
おそらく大神殿の中で一生を終えるのだったら、今のままでも十分通用したはずだ。
しかし、大神殿の庇護から離れたこの辺境の地では、今までの常識は通用しない。ゆえに、マリーシアは今、別の方向からの勉強が求められている。
マリーシアはしばらく悩んだ。
今の自分では救えない人がいる。しかし、今までの知識を深めるだけでは限界がある。かといって、彼女は今までの方法しか知らない。
「…………村長さん、その、恥を忍んで聞きたいことがあります」
「いいよ、言ってごらん」
「もし村長さんだったら、さっきのティムさんをどうすれば説得できたと思いますか?」
マリーシアからの質問に、アーシェラは内心で「おっ」と感嘆した。
今までのマリーシアだったら、そもそも自分の専門分野のことを素人に聞くなんてことはしなかったはずだし、エリート神官であれば自分の未熟さを認めることとなるため、非常に恥ずかしいことでもある。
それを踏まえたうえで、マリーシアは自らが変わるために勇気を出して聞いてきたのだ。
「説得か……もし僕が仮に神官さんの立場だったとしたら、こう言うかな。「それでも女神さまは君を救おうとしている」って」
「えっと、それはつまり……?」
「確かに女神さまは完璧で万能の存在……だと思うんだけど、逆に言えば女神さまはこの世界のすべてを独りで面倒を見なきゃならない。それはとても大変なことだと思う。僕なんか、この村の人たちが安全安心に暮らせるようにするだけで精一杯なのに、この世界全部のことがどれだけ大変かなんて想像もつかない」
「では、ティムさんが今まで苦労していたのは、女神さまが救うことができなかったから、と…………」
「端的に言えばね。今の時代は人が大勢増えすぎたせいで、女神さまだけでは救いきれない人が大勢いる。そこで、女神様に代わって困っている人々を助けるのが、神官の役目なんじゃないかなって。彼は一度ハズレの神官を引いたからひどい目にあったけど、それでも女神さまは、人々を救おうとしていることは伝えておきたい……ってかんじかな。まあ、多分これだけじゃ納得しないだろうから、あとは例のイェオル神官さんみたいに、毎日少しずつ信頼を勝ち取っていくほかない。人の心は急には変わらないものだからね」
「「おお~」」
アーシェラの話を聞いて、リーズとマリーシアはしきりに頷いた。
マリーシアもそういった矛盾についての解決がある程度経典に書かれていることは知っていたが、説明の仕方を変えるだけで説得力が段違いだった。
「うーん……どのような勉強をすれば、私も村長さんみたいな回答ができるんでしょうか?」
「それは、難しいね。僕の場合は、それこそリーズたちと一緒にあっちこっちに行ってみたり、いろんな人と会って話して、失敗もたくさんして……それらが全部混ざり合って今がある。そんなにすぐ効果が出るものは……………あ、そうだ」
ふとアーシェラはあるものを思い出し、近くにあった本棚から一冊の本を取り出した。
「もしよかったらこの本を読んでみるといい。僕のお気に入りの本で、暇があればよく読み返してたからずいぶんボロボロになってしまったけど」
「えっと、『オストン爺さんの四方山話』……ですか」
「あっ! それリーズも何回か読んだけど、すっごく面白いよ! 冒険者のころに眠れないときに、シェラに読み聞かせしてもらったっけ!」
「読み聞かせ……」
今を時めく勇者リーズが、アーシェラに寝物語をよみっ変えてもらっている光景を想像し、若干困惑するマリーシア。
果たしてどんな内容なのかと適当なページ開いてみると、そこには非常に簡素な話が載っていた。
――あるところにオストン爺さんという気難しいおじいさんがいた。
ある日彼は畑の近くを通ると、細い蔓の先に立派なカボチャがいくつも成っているのが見えた。
さらに、その畑の近くの大樹の下で昼寝をしようと仰向けになったところ、いくつもの小さなクルミが成っているのが見えた。
オストン爺さんは言った。
「なんとまあ、女神さまは全知全能だというが、なぜこんなちぐはぐなことをするのか。なぜあんな細い蔓に大きなカボチャを実らせ、太い木に小さなクルミを実らせるのか。逆のほうがバランスが良くないか?」
すると、偶然にも一つのクルミが風に吹かれて枝から取れてしまい、オストン爺さんの顔を直撃した。
「あいたっ!?」
オストン爺さんはすぐに、これは女神さまからのお仕置きだと気が付きました。
「ああ女神様、愚かな考えを持ったわたくしをお許しください! もしさっきの言葉が本当だったら、今頃私の頭には大きなカボチャが当たっていたでしょう! そうなったら私はどうなっていたことか!」
めでたしめでたし――――
「これは、何と言いますか……感想に困るのですが」
「マリーシアちゃんはまじめだから、たまにはそういう話を読んで息抜きするといいかもしれないねっ!」
マリーシアはこういった逸話を読むのが初めてだからか、若干話のノリについていけなかったが、リーズとアーシェラの好意を無碍にするのもなんなので、一応一通り読むまで借りておくことにした。




