形勢逆転
「追ってくるわ……たった一人で」
「もう、タイミングがいいんだか悪いんだか」
たった一人で猛然と馬車を追いかけてくるアイネの姿を見て、マリヤンと、馬車に同乗しているある人物がそう言った。
彼女たちはあらかじめアイネやそのほか王都の人間たちが隙を見せるのを待って脱出したわけだったが、もちろんこのようなイレギュラーにも備えを怠っていない。
むしろ、たった一人で追いかけてきてくれたのはある意味チャンスだった。
「みんな、プランBで行くからっ、ここが勝負所よ」
今まで3台縦列で走っていた馬車たちが、少しずつ隊列を変え、マリヤンが操る馬車を中央に「V」の形になっていった。マリヤンの馬車が少しだけ後ろに下がり、ほかの2台が少しだけ前に出る形だ。
「くっ…………なかなか追いつけない。手投げ槍の一本くらい持ってくるべきだったかしら」
その一方で、前を走る馬車たちになかなか追いつけないアイネは若干焦っていた。
馬車くらいすぐに捕まるだろうと甘く見ていたのだが、二頭立ての上に積み荷がほとんどないからか、単騎駆けしているアイネとそう変わらない速度が出ているようだった。
だが、ここで引き返してしまえばアイネの責任問題になってしまいかねない。
差は広がっておらず、少しずつではあるが確実に彼我の距離は縮まってきているし、そのうちスタミナ切れを起こすだろう。
執拗に追いかけること1時間…………スタミナ切れか、はたまた馬車に問題が生じたか、マリヤンの馬車だけがずるずると後退してきた。
「そこの馬車、止まりなさい! でないと車輪を破壊するわよ!」
「ひ、ひえぇっ! こ、降参! 降参しますから、殺さないでください!」
もはや逃げられないと観念したのか、マリヤンが馬車を減速させながら文字通り白旗を掲げてきた。
ほかの馬車は薄情にもマリヤンを置いて逃げて行ってしまったが、アイネはひとまずそちらは無視して、マリヤン荷馬車から降りるよう命じた。
「マリヤン…………いつか何かやるはずと思っていたけど、とうとう馬脚を現したわね。観念しなさい」
「うぅぅ、だってぇ……アイネさんも、あの王子様も、ずっと私たちを王都に閉じ込めて…………もう売るものがなくて、このままじゃ商売あがったりなんですよ」
「だからと言ってあたしの目の前で門番を買収するんじゃないわよ」
「ごめんなさい」
アイネはマリヤンのことをずっと怪しいと思っていたし、今こうして逃げ出したのだから疚しいことがあることは間違いない。
しかし、素直に投降してしょんぼりしながら謝ってくる彼女にも、若干哀れみも感じた。
「とにかく、あなたは法を破った以上、王都に連れ戻すほかないわ。ほかの逃げた商人はこの際見逃すけど、その分の罪はあなたに償ってもらうから」
「えー……また王都に戻らなきゃいけないんですか?」
「当たり前でしょ! もしかして、また何かたくらんでるんじゃないでしょうね」
「そうね」
「!?」
背後から聞き覚えのある声が聞こえた次の瞬間――――アイネは背中に針で刺されたかのような軽い痛みを感じ、すぐに猛烈な眠気を覚えた。
「ぁ…………しまっ」
黒天使と恐れられた元勇者パーティー1軍メンバーだったアイネは、あっけなく地面に突っ伏し、意識を失ってしまった。
「まったく、相変わらず腕っぷしだけの単細胞ねアイネ。敵は目の前だけじゃないって、グラントさんからも言われてたでしょうに」
「ふぇーっ、助かった。ありがとうございます、アンチェルさん」
アイネを無力化したのは、マリヤンとは別行動で王都で活動していた元2軍メンバーのアンチェルだ。
彼女が手に持っている刺突剣は剣先に強力な麻痺毒が塗布されており、命の危険性はかなり少ないものの、しばらくの間全身麻酔のように昏睡状態に陥ってしまう。
で、なぜアンチェルが此処にいるのかといえば、マリヤンと同じくこれ以上王都にいると危険なので、マリヤンが脱出する動きに便乗したというだけだ。
2軍メンバーの中でも比較的実力があるアンチェルが一緒にいれば、今回のようなもしもの時の護衛にもなる。
一般的に1軍メンバーと2軍メンバーでかなりの実力差があると言われているが、それはあくまで正面から戦った場合。
このように不意打ちをすれば、あっさりと負けてしまうのだ。
どこかの貴族出身のメンバーも、警戒を怠れば動物用の罠にかかることもあったように…………
「さて、生け捕りにしたのはいいけど、どうしておこうかな」
「アイネはこう見えてもかなりの怪力だから、普通の縄だと千切れるわ。布の上から鎖で縛っておきましょう」
「まるでゴリラの捕獲みたいですね……」
ちなみに、この世界には普通にゴリラの魔獣が生息しているし、毎年何人もの冒険者が犠牲になっていたりする。
とりあえず麻痺毒が効いているうちにアイネを簀巻きにすると、マリヤンたちを置いて逃げた…………と見せかけて、巻き込まれないように退避していた馬車の1台から荷物用の鎖を受け取ると、厚めのマットで包んだ上に鎖でがっちりと縛り上げた。
「アイネさんには散々お世話になったことですし…………今度は私たちの方でおもてなししてあげませんとね♪」
こうして、マリヤンとアンチェルたちは思わぬ収穫を手土産に、仲間たちのところへと帰っていったのだった。




