煮えたぎる憎悪
「はぁ、ほかの人たちはみんな反乱鎮圧に行くみたいだけど、あたしは王都でお留守番か…………ジョルジュ様が手配してくれたのかもしれないけど、仲間はずれなのもなんだか寂しいわね」
ほかの一軍メンバーたちが反乱鎮圧を命じられる中、王都の警備にも人が必要という理由で出撃メンバーから外された女騎士アイネは、もやもやした気持ちを抱えながら、寒空の中王都の警備を行っていた。
魔神王が倒されてしばらくの間は連日のように勇者をたたえるパレードが催されたり、イベントが何度も催されるなどして非常に活気に満ち溢れていたが、勇者リーズが長い間不在にしていることで、かつての活気は見る影もなく萎んでしまっている。
もちろん、リーズが不在というだけならこれほど鬱屈した空気が漂うことはなかっただろう。
「ん……あれは」
アイネが王都の一角に差し掛かると、どこからか騒がしい声が聞こえてきた。
何か事件か事故が起きているのかと思い、連れてきた部下の騎士たちとともに駆けつけてみると、果たして貧困層が住むインスラ(集合住宅)が密集していた地区で解体工事が行われており、その周囲で大勢の人々が騒いでいた。
「ふざけるな、俺たちの家を返せ!」
「長年王国に尽くしてきた報いがこれかよ!」
「ただでさえ税で苦しいのに、私たちからまだ奪うというの!?」
「ええい、下がれ! これは既に決まったことなのだ、それに貴様らには新しい住居も用意したではないか!」
警備兵数名が威圧しながら追い返そうとするものの、住民たちは意にも返さず、まるで凶暴な野犬のように兵士たちに食って掛かろうとしていた。
「ちょっとちょっと、一体何をしているの」
「はっ! これは、あの、ええと……」
「治安維持責任者のアイネよ。あたしのことを知らないなんて余程の新入り……というわけでもなさそうね、あなたたちどこかの貴族の私兵かしら」
基本的に王都内の警備兵であれば、治安維持を行っている担当者の一人であるアイネの顔はすぐにわかるはずだ。なぜなら、警備兵新人は必ず彼女がボコボコに稽古してやるのだから、大抵の者は入隊して数日はほぼ必ず悪夢の中に現れるという。
だが、アイネの顔を知らないという彼らは、おそらくどこかの貴族の私兵なのだろう。その証拠に、彼らに話を聞いてみると…………
「我々はボルン伯爵家の者です」
「現在、伯爵の命によりこの辺りのインスラの《《区画整理》》を命じられております」
(ボルン伯爵…………あの第二王子の取り巻きの一人ね)
伯爵家の名前を聞き、アイネはすぐにその顔と関係が思い浮かんだ。
第二王子セザール派閥の貴族の一派にして、典型的な虎の威を借りる狐だ。
しかも、よくよく話を聞いてみると、伯爵家はこの辺りに新しい大豪邸を建設しようともくろんでいるらしく、そのためにこの一帯の住宅街に立ち退きを強行させているようだ。
この辺りはやや貧困している住人が住んでいただけあって、インスラの居住環境はお世辞にもいいとは言えなかったが、強制移動先の新しいインスラはただでさえ狭い土地に突貫工事で作らせたせいで、地下牢とほとんど変わらない悲惨な場所だった。
そんなことをすれば、住人たちの不満が爆発するのも無理ない話である。
「…………責任者はいるかしら? 少し話があるのだけれど」
「いえ、責任者はここには――――」
「呼んできなさい」
「よ、ヨロコンデー!」
アイネが武器をちらつかせて兵士を脅すと、彼は大慌てで責任者の呼び出しに向かった。
「おやおや、誰かと思えばアイネ様ではございませんか」
「あなたがここの現場責任者ね、なぜこのような無茶な工事をしているの?」
「なぜと申されましても、わたくしめの主がそう望まれましたからには、責任をもって成し遂げなければなりません」
責任者を名乗る中年の女性騎士は、アイネを見るなり慇懃無礼な態度を見せた。
「こんな工事、今すぐ止めさせなさい。さもないとあなたたちを捕らえるわよ」
「それは無理なご相談ですな。いくら相手があの黒天使アイネ様だとしても。なにせ、我々には第二王子殿下が付いているのですから、下手な真似は慎んだ方が賢明ですもの」
「ふぅん……」
予想通り、彼女は第二王子セザールの名前を盾に出してきた。
正直なところ、第三王子ジョルジュを直接的な後ろ盾を持つアイネにとって、このような脅しは屁ではないのだが……………
(今ここで叩きのめしてもいいんだけど、念のためにジョルジュ様に確認しておこうかしら)
昔から直情的になりがちなのがアイネの悪い癖だ。
そのことはアイネ自身も重々承知しているので、ここは気持ちをぐっとこらえ、念のためにジョルジュに止める許可をもらえないか確認することにした。
それに、王国は腐っても法治国家であるため、捕えるにしても法的な根拠がなくてはならない。衝動的に行動して不利になるのはアイネの方だ。
「あなたたちはこの場でとっちめてやりたいところだけど、残念ながらいろいろと確認しなければならないわ。自分たちの行動を省みる時間をあげるから、その間に撤収することをお勧めするわ」
「さようでございますか。では、予定を繰り上げて今日中には解体作業を始めませんとね」
「…………っ」
やりたい放題やっている悪党が目の前にいるのに、権力のせいですぐには止められない…………アイネは今ほど無力感を感じたことはなかった。
「みんな……もう少し待っていて。あたしが何とか止めて見せるから」
アイネは何とかして住民たちを助けたかった。
しかし、住民たちがアイネを見る目には――――ほとんどあきらめの色が浮かんでいた。
どうせ出来っこない。そんな約束など信じられない、そう言いたげな目だった。
「アイネ様、彼らは…………」
「ええ、あの様子だとあたしたちはまるっきり嘘つき扱いね」
「彼らはことあるごとにいろいろと奪われ続けているのです。いよいよもって限界が近いのでしょう」
「勇者様がお帰りになれば、このようなことは……」
あの後アイネたちは、巡回を早めに切り上げて駐屯地に戻り始めた。
あの騒ぎのことをすぐにでもジョルジュに話し、ことを収めねばならない。
正義感がそうさせるのもあるが、アイネたち王国貴族たちはどうも王都の一般人たちに信頼されておらず、憎悪の対象になってしまっている。
一刻も早く、彼らの約束を守り、少しでも信頼を回復しなければならないだろう。
そんな時、城門付近でアイネは偶然にも見覚えのあるものをみつけた。
「あれ? まさか、マリヤンの馬車……?」
何の紋章も書かれていない無印の馬車が3台、今まさに城門をくぐって王都から出て行ってしまった。
「……っ! 予定が変わったわ、ジョルジュ様への連絡はあなたたちがやっておいて! あたしはあの馬車を追うわ!」
「えぇっ!? ま、待ってくださいよアイネ様! 私たちじゃジョルジュ様にお目通りできないですって!」
第六感で何か良くないことを感じたアイネは、諸々のことを部下の騎士たちに丸投げすると、慌てて城門に駆け付けた。
「ちょっとあなたたち!」
「へぁっ!? あ、アイネ様、何事ですか!?」
「どうしてさっきの馬車を通したの!? あれは要注意対象だから、通ったらあたしに知らせてと言ったはずなのに…………!」
そう言いつつ、警備兵の手元に視線を移すと、そこには何かがいっぱいに詰め込まれた袋が握られていた。
何のことはない、彼らは買収されていたのだ。
(くっ、駐屯所に戻っている時間はないわ!)
アイネはたった一人で馬にまたがり駆け出した。
慌てて走り去ろうとする馬車たちを追いかけるために――――




