不安
星魚の月13日目――――
この日リーズとアーシェラは、事前の予定通りブロス夫妻を連れて東の山の方にある温泉地へ足を延ばしていた。
できれば一泊して詳しい調査をしたいところだったが、今は諸事情あって日帰りにならざるを得なかった。
「ヤッハッハ、平気かいリーズさん? もし何かあったら、ゆりしーにおんぶしてもらうんだよ!」
「うん、リーズはなんともないよ。それに、辛かったらきちんと言うようにしてるから!」
「はぁ……やっぱりこの崖路をどうにかしないと、ね」
朝早くに家を出て丘陵地帯を抜け、お昼ごろに到着すると、そこでいったんお昼を食べてから崖を上る。
以前見つけた間欠泉の湧く温泉は、村から微妙に離れた場所にあるせいで、見に行くだけでも一苦労だった。
そのうえ、現地についても温泉があるのは山の中腹…………やや急な崖を上った先にあるのだ。
(うーん……やっぱり不安だ。やっぱり、今来るべきじゃなかったかなぁ?)
ウキウキ気分でテンションが高いリーズと裏腹に、アーシェラは若干テンションが低い。
高所恐怖症のアーシェラにとって、崖登りは愉快なものではないが、それを差し引いてももう一つ大きな懸念事項がある。それは――――リーズがそろそろ「母体」としてそれなりに辛い時期に入っているからだった。
実はこのところリーズはたまに嘔吐感を催す時があり、倦怠感を覚えるときもあるという。
正直なところアーシェラとしては、リーズには無理せずに寝ていてもらいたいくらいなのだが、かといってずっと動かないとそれはそれで体によろしくない。
何よりも顕著なのが精神方面の兆候で、寝るときはたとえ昼寝でもアーシェラが近くにいないと猛烈な不安を感じるのだという。
「シェラ……やっぱり高いところは怖い? なんか泣きそうになってるんだけど」
「ふえっ!? そ、そうかな? あはは、だ、大丈夫だよ!」
「全然大丈夫じゃないじゃない。…………そんなにリーズさんのことが心配なのね。気持ちはわかるけど、心配のし過ぎもよくないわ」
「リーズの……? もしかして、リーズと赤ちゃんのことを心配してくれてるの? それこそ大丈夫だよシェラ♪ なんなら、シェラをおんぶしてもいいくらいなんだから!」
「そ、それは勘弁してほしいな!」
「ヤッハッハ! これじゃどっちが身ごもってるのかわかりませんな!」
ただ、周りから見るとリーズはものすごく平気そうに見えるのに、むしろアーシェラの方が色々と不安そうに見えた。
冒険者時代からそうなのだが、アーシェラはとにかく大事な人のことになると、自分のことが見えなくなってしまうという危うさがあった。
何しろリーズは「勇者」と呼ばれるほど身体能力が高いせいなのか、初めて子供を身ごもっているというのにいつも平然としている。が、アーシェラからするとそれが自然体なのか、無理して突っ張っているのかがわからないということでもある。
もちろん、リーズがアーシェラに体調不良を隠すことなどなく、違和感があるときは遠慮なく言っているのだが、それでも不安なものは不安だった。
「おおお!! これが話に聞く湧き上がる温泉! ヤハハ、すごい迫力だ!!」
「お湯が白い……すべすべしているわ」
「えっへへ~すごいでしょ! きっと将来は村の観光資源になると思うよ!」
4人が崖を上っていくと、そこには依然と変わらず勢いよくお湯が噴き出す間欠泉が立ち上っていた。
ゴウという音とともに十数メートルも吹き上がる熱湯。
それが冬の冷たい空気を突き抜け、綺麗な虹を作り出している。
これは見ているだけでも十分に楽しめるものだ。
そして、前に来た時にリーズとアーシェラが作り上げた天然のお風呂も健在だった。
石で囲まれたくぼみには白く濁ったお湯がホカホカと湯気を発しており、いかにも体が温まりそうだった。
「もしよかったらブロスさんとゆりしーで入ってみたら? リーズとシェラは、しばらく別のところ歩いてるから!」
「いいの!? ヤーッハッハッハッハ、さすがリーズさんは話が分かるっ!!」
「調子に乗らないの。でも、せっかくだからお言葉に甘えるわね」
温泉の質を確かめてもらうために、ブロスとユリシーヌにも実際にお湯につかってもらうことにした。
湯舟は一つしかないので、男女に分けるかさもなくばペアごとに分けるしかないので、リーズとアーシェラはしばらく散策がてら別の場所に移動することにした。
「とりあえずこの後は、あのお湯をどうにかして崖の下に流して、できれば溜める場所も作りたいけど…………リーズ、何度も聞いちゃうけど、体は平気?」
「うん! 今日はたくさん歩いたからとっても気分がいいの! えっへへ~、なんだか不思議だよね。安静にしなきゃっていうのは分かるけど、動いてないと元気が出なくて。だから、シェラが一緒に行こうって言ってくれて、とっても嬉しかったの!」
「そっか……それならよかった」
リーズも、アーシェラがいつも自分のことを心配してくれているのは十分に承知していた。なんなら、リーズ自身よりもリーズのことをいたわってくれる。
それは昔からだったし、アーシェラにとってはそれが当たり前だった。
(でも、シェラをこれ以上不安にはさせたくない。リーズのせいで、シェラが不安に押しつぶされちゃったら…………)
今回の探索も、本当はまたアーシェラと二人きりで来たかった。
一緒にたくさん歩いて、景色を見ながらお弁当を食べて、お風呂に入って、そしてまたハンモックでイチャイチャしたかった。
けれども今のリーズの身体は、もうリーズだけのものではない。
アーシェラの不安を少しでも和らげるために、あまり無茶なことはできないのだ。




