毛糸
リーズたちがユリシーヌと話をした次の日のこと。
この日も村では大きな事件もなく一日が過ぎ、短い陽が落ちる前に羊飼いのミーナと、リーズの母マノンが羊をぞろぞろ引き連れて村に戻ってきた。
「お疲れさまでした、マノンさん!」
「今日も羊さんとお別れの時間ですね。できればもう少しお世話していたかったわ」
「そ、そうなの? えへへ~、まさか羊飼いのお仕事を気に入ってもらえるなんて、思わなかったですよ」
「このモコモコがたまらなく心地よくて、できればずっと抱っこしていたいくらいよ。1匹借りて一緒に寝たいくらい。ダメかしら?」
「さすがにそれはちょっと…………」
ここ数日でマノンは、貴族出身なのに平民の仕事の中でも格下にみられる羊飼いの作業を楽しそうにこなしていた。
それどころか、羊の体毛のモコモコ具合がやけに気に入ったらしく、日中は羊のお世話をしつつ、隙を見てはモコモコを存分に堪能していたのだった。
ミーナからしてみれば、貴族たちが暮らす家の高級ベッドのほうがよほど心地いのではと思うのだが、マノンには何かしら気に入るツボがあったのだろう。
とはいえ、さすがに家に持って帰られては困るが。
「あ、お母さーん! お帰りなさーい!」
「あら、リーズ。どうしたの? それにアーシェラさんも」
「お疲れ様ですお義母さん」
仕事が終わって解散となる寸前、リーズがマノンの姿を見つけて駆け寄ってきた。
その手には何やら毛糸でできた何かが握られていた。
「はいこれ! コートがあっても外の風は寒いでしょ? 昨日の夜にリーズとシェラで作ったんだよっ!」
「これは、毛糸の手袋……? これをリーズとアーシェラさんが?」
「はい。しかも、この毛糸はその羊たちからとれた羊毛で作られているんです。頑丈で長持ちしますよ」
「まあ、まあまあまあ! とっても嬉しいわ!」
リーズとアーシェラがプレゼントしたのは、毛糸でできた手袋だった。
一応マノンも仕事の際は杖を持って歩くので、皮の手袋をしているのだが、それだけでは寒さは防ぎきれない。
そこで、皮の手袋の上にさらに毛糸の手袋をして、冷たくなりがちな手を保温することができる。
「リーズもまだちょっと慣れてないから、ちょっと不格好になっちゃったけど、今度はマフラーにも挑戦してみようと思うの!」
「リーズはすごいんですよ、お義母さん。少し教えただけでも、あっという間に編み方を覚えたんですから」
「そうだったのね…………ありがとう、リーズ」
「よかったねマノンさん!」
リーズの言う通り、まだ編み物を始めたばかりだったせいか、左右の手袋の大きさが一目見てわかるくらい差があり、ちょっと余分にモコモコしているが、初めてにしてはうまくできている方である。
特に指先の編み込みはなかなか難しかったので、今回は手袋というよりもミトンのような形状になっているが、それでも十分である。
「それでね、お母さん…………その」
「……? どうしたのリーズ?」
「えへへ、実はちょっとお願いがあるの。リーズもね、お母さんが作ってくれる、何か身に着けられるのが欲しいなって」
「いいわよ。作ってあげるわ」
「ありがとうお母さ…………え?」
ここでリーズは、昨日の話し合いで決めたように…………きっかけを作ってから、母親にお願いをしてみた。
が、どういうわけかマノンはあっさりと承諾した。
これにはいろいろと覚悟していたリーズも、完全に拍子抜けだった。
「本当に、いいの? こんなこと言うとあれだけど、お母さんってお裁縫できるの?」
「ふふふ、お母さんはね……お裁縫やったことないわ」
「え、ちょ……お義母さん!?」
「というよりも、家事全般は召使さんたちがしてくれたから、私は全然経験がないの」
「じゃあどうして…………」
あまりにも安請け合いするものだから、てっきり裁縫に自信があるのかと思いきや、まさかの家事経験ゼロとわかり、アーシェラは思わずズッコケそうになった。
「だって、リーズがこんなに頑張ってくれたんだもの。お母さんだって頑張らなきゃいけないなって思ったの」
「お母さん…………」
「リーズは何が欲しい? 手袋? それともマフラー?」
「ええっと…………」
(いったいこの人の自信はどこから出てくるんだ…………?)
アーシェラにはマノンの考えていることが全く分からなかった。
彼自身、完璧なものを作るために何度も反復練習するタイプであり、できると確信できるものでなければ、そう簡単にできると断言できない性格である。
なので、やったことないうちに「できる」と断言するマノンは、かなり異質な存在に見えたのだった。
その感情が羨望なのか、それとも恐怖なのか……アーシェラ自身もよくわからない。
「実はね、手袋とマフラーは、もうシェラに作ってもらったの。だから、できればそれ以外がいいなって…………ちょっとわがままかな?」
「手袋かマフラー以外ね。わかったわ、何になるか今から楽しみにしててね」
(大丈夫かなぁ……)
リーズもまた、アーシェラ同様言い知れぬ不安を感じていた。
リーズもアーシェラも、昨日から考えた末にプレゼントしてから話題作りの流れでおねだりして、最終的に距離を縮めていこうと思っていたのだが、なんだか思っていた通りに行かないような予感がしてきた。
だからといって、今更やっぱりナシとは言えない。
たとえ今回うまくいかなくても、また次のことを考えればいい。
「そうだ! せっかくだから、ミーナちゃんにも作ってあげるわ! いつもお仕事を教えてくれるお礼ね」
「え、いいのですか!? ありがとうございます!」
「もちろん、アーシェラさんにも作ってあげるからね」
「それはどうも…………」
そして、リーズのだけでなくほかの人の分まで作ると言い出したため、二人はさらに心配になってくるのであった。
とはいえ、リーズも初めて手作りした毛糸の手袋を喜んでもらえて、うれしかったのもまた事実であった。




