頼
その日の午後、予定通りユリシーヌが村長夫妻の家を訪れた。
アーシェラとリーズも、軽く口にできるお菓子とそれに合うお茶を用意し、ユリシーヌを迎えた。
「ちょっと話すだけだったのに、色々と用意してくれたのね。嬉しいわ」
「うん! せっかくお話しするんだったら、美味しいものを食べながらがいいよねっ!」
「いっぱい作っちゃったけれど、余った分はブロスや子供たちに持って行ってあげてほしい」
リーズたちが用意したのはこげ茶色のビスケット……というよりも、クラッカーのような甘さがほぼないお菓子で、これにジャムを塗って食べる。
話しながら自家製のジャムの味も楽しんでもらおうという魂胆だが、そろそろアーシェラの家ではジャムの仕込みを始めようとしているので、古い分をとっとと処分するという意味合いもあるのだろう。
「……うん、おいしいわ」
「そう言ってくれると作った甲斐があったよ。子供向けにもうちょっと甘くしてもよかったかもしれないけれど」
「いいわよ、これくらいで。あの子たちはジャムを容赦なくたくさん塗るから」
「えへへ~そうなんだ! えっと、それでゆりしー、お母さんたちともっと仲良くなるコツのことなんだけど」
「コツって言うほどモノでもないのだけど…………」
まずユリシーヌは自分がブロス一家に溶け込めた話を簡単にしはじめた。
「私は元々邪神教団の暗殺者だったけれど、ブロスに助けられてから組織を抜けて、こうしてこの村でひっそりと暮らしているっていう話はしたわよね」
「うん、知ってるよ。前に話してくれたもんね」
「でも不思議に思わないかしら。少し前まで、罪のない人を何人も殺してきたこの私が、あんないい人たちと仲良く暮らしていけているなんて」
「ええっと…………」
リーズはやや返答に詰まった。
確かに今まで考えたことはなかったが、ユリシーヌはかつて邪神教団の暗殺組織の一員として残酷な任務を遂行していた凶悪犯罪者だ。
出るところに出れば、死刑も免れない身上である。
にもかかわらず、ブロスの両親はユリシーヌのことを受け入れ、息子との結婚を許している。
もちろん、出自を明かしたうえでだ。
「実際、私がお母さんやお父さんに初めて顔を合わせた頃は、かなりギクシャクしたものよ。向こうも私の扱いに困っていた……と言った方が正しいかしら。すぐに出て行けと言われなかったのは、あの人たちがとても優しかったからだけれど、だからこそ向こうも私への対応に困っていたわ」
「その時ゆりしーはどうしてたの?」
「もちろん困っていたのは私も同じだったわ。なにしろ私は暗殺者だった頃は殆ど人形のような性格だったから、知らない人とどう接したらいいかわからなかった」
初めての結婚生活は順風満帆とは言い難かったようだ。
父親デギムスと母親ズデンカは、あの底なしに明るいブロスの親だけあって細かいことは気にしない明るい性格だったが、無口な元暗殺者が突然新しい家族になっても対応に困ってしまっただろう。
それでも、ブロスの両親がユリシーヌを拒絶しなかったのも、ユリシーヌが逃げ出さなかったのも、ブロスが二人の間を取り持ち「息子が連れてきた人なら」「夫が信頼している両親なら」と間接的な信頼があったからに他ならない。
「さてと……ここからは少し話すのが恥ずかしいのだけれど」
「……?」
ユリシーヌはやや頬を赤らめながら、コホンと咳払いする。
「私は、教団の暗殺者として生きていくうえで、断種の術――つまり子供が作れない体になる呪いをかけられたわ。あの教団は人類を滅亡させるのだから、子孫を残すのは当然御法度ね」
「そうだ、リーズもその話聞いたことがあるけれど、ゆりしーは子供たくさんいるよね。なんでなんだろう?」
「そう……私もそう思って、ブロスに助けてもらったのは嬉しいけれど、結婚はできないって一度は拒絶したのよ。けれどあの人なんて言ったと思う? 「子供が出来なくても、二人で毎日楽しむことができるならそれでいいじゃん!」ですって。あの時は嬉しく思ったけれど、今思い出すと最低なプロポーズだわ」
「あ、あははは…………」
その話はアーシェラですら初耳で、乾いた笑いしか出てこなかった。
ブロスには悪気はなかっただろうし、その頃の心が空っぽだったユリシーヌにはクリティカルな言葉だったのかもしれないが、妻となる人を娼婦扱いするのは今考えるとひどい話である。
この先は諸事情でやや端折るが、要するに二人は子供ができないことをいいことに、かえって考えなしに愛情を深め合っていたのだが…………
「気が付けば身籠っていたわ。あの頃はそれはもう大騒ぎだった……」
教団が使っていた術がどのようなものかは、実は幹部だったミルカですらよく理解しておらず、一定以上の効果は確認済みなのだが、何かしらの欠陥が存在するらしい。
子供ができないはずのユリシーヌは、わずか16歳にして子供を身籠ってしまったのだから、当人たちはさぞかし混乱したであろう。
「けど、その時に親身になって助けてくれたのが、ズデンカお母さんだったの。私が私じゃなくなっていくような感覚と、私に子供を育てられる自信がこれっぽっちもなくて、ブロスにも結構つらく当たったことがあった。けれど、あのお母さんもお父さんも、そしてブロスも一丸となって私を支えてくれた。ずっとずっと私は頼ってばかりで、甘えっぱなしだった。けれど……一番上の男の子ミクロシュが生まれて一息ついたころには、すっかり私は家族の間に溶け込んでいた」
「ゆりしー…………」
「不思議よね。きちんとしなきゃと思うほどぎこちなくなってたのに、色々と迷惑かけた後の方がずっと仲良くなっているなんて。ね、そろそろ村長なら分かるころじゃない?」
そう言ってユリシーヌは、珍しくちょっとだけ微笑んで見せた。
その一方でアーシェラはようやく何か心当たりがあるように感じたようだ。
「そうか、もしかしたら僕たちは甘え足りないのかもしれない」
「甘え足りない? シェラ、それって?」
アーシェラが導き出した意外な結論に、リーズは少し困惑気味な表情を見せた。




