埠頭
港町ルクリアに突入して3日目――――
濃密な瘴気と不安定な足場、それに無数に湧き出てくるネズミの魔獣に対処しながらも、リーズたちは何とか港町で一番大きい埠頭を確保することができた。
町全体の解放まではまだまだほど遠いものの、こちらに向かっているであろうヴォイテクの船が入港できる最低限の用意は整った。
「何とか安全は確保できた……みんな大丈夫?」
「ねむい……」
「ヤハハ、流石にちょっと辛いかもしれない。でも、まだまだやれます!」
ここに来るまでの道のりは、かなりの苦難の連続だった。
街に蔓延るネズミの魔獣は、リーズたちの存在を餌と認識しているのか、見つけ次第大量の群れとなって襲ってきた。
厄介なのは、食事をし始めると匂いにつられてより遠くから襲撃されるし、夜行性なのでよりは一人一人交代して眠らざるを得なかった。
おかげで彼らは着替える暇もないせいで服がボロボロで、おまけに寝不足気味だった。
「でも、魔獣はかなり数を減らしてる。もう罠を設置しても襲ってこなくなったし、暫くはここでゆっくりしよう」
ただ、彼らもやられっぱなしという訳ではない。
アーシェラはネズミの魔獣が、全体的に飢えているせいで食べ物の匂いにかなり敏感になっているのを逆手に取り、いい匂いがする食べ物を作って群れを引き寄せたところを一網打尽にする作戦をとった。
この作戦は大当たりで、かなり遠くに潜んでいた魔獣の群れまで根こそぎ引き寄せ、狭い通路に引き込んでから「パニッシャー」で一網打尽にしたり、術で混乱させて同士討ちさせたり、死骸を焼いた匂いでまた更に引き寄せるなど…………
もはやネズミの魔獣たちにとって、アーシェラの存在は魔神王そのものだろう。
襲撃の心配が薄れたことで、リーズたちは周囲を囲まれる心配がない埠頭にとりあえずテントを張り、眠気が限界に達しつつあるメンバーを休ませることにした。
「ボスコーエンさんも少し休んだら?」
「いえ、自分はまだ大丈夫ッス! それより、船長が近くまで来てないか、見てきやす!」
ボースコーエンとその飛竜にも疲れが見えていたが、せめて船が近くまで来ているかどうか確認しないと休める気がしないのだろう、彼は飛竜に跨って埠頭から大海原へと飛び立った。
そして、湾の上空を旋回しながらはるか遠くの海原を見渡すと…………はるか南の海上に、微かにだが船らしきものが見えたのだった。
「船長…………船長っ!! よく、ご無事で!!」
まさに、神がかり的なタイミングだった。
一人で船を離れてあちらこちらを回っていたボスコーエンは、日々仲間たちの無事を祈っていたが、今目の前にいるとわかると安堵感で胸がいっぱいになると同時に、目からわずかに涙がこぼれた。
向こうもボスコーエンの姿が見えたのか、信号に使われる反射鏡の光がちかちかと光っていた。
「おーい、リーズさん、アーシェラさん! 船長だ! 船長の船が見えたッスよ!!」
「本当!? ヴォイテクがもう近くまで来てるの!? ってことは……」
「リーズのお母さんたちがすぐ近くまで来ている。よかったね、リーズ」
「うん、シェラ……」
「ボスコーエンさん、君はそのままヴォイテクさんの船まで飛んで行っても大丈夫だよ! その代わり、戻ってくるときに船をこの埠頭に誘導してほしい」
「お安い御用でさぁ!!」
アーシェラの言葉を聞いたボスコーエンは、疲労の色が濃い飛竜に「もう少しの辛抱だ」と言い聞かせると、こちらに向かってめいっぱい帆を張って進んでくる船を目指して、一直線に飛んでいった。
「本当に、本当にリーズの母親が来たのか村長!?」
「寝てる場合じゃなかった! すぐに片づけないと!」
「そうだね……まさかここまでタイミングぴったりになるなんて、女神さまが用意してくれたんだろうか。服はもうこの際どうしようもないから、失礼がないように体は清めておこう」
「リーズさんのお母さんってどんな人なんでしょうか? ウワー、なんか緊張してきた!」
まさかヴォイテクたちがもうすぐ近くまで来ているとは思っていなかったレスカ姉弟やフィリルは、失礼があってはならないと慌てて身支度を始めた。
ただ、明日には拠点に一度引返す前提で準備していたせいで、下着類以外の着替えが用意できておらず、清めの術で服や体の汚れを落とすので精いっぱい。
ましてや、探索の疲労困憊など隠しようがない。
「まあ、向こうに事情を話せばきっと納得してくれるよ。納得してくれなかったら、納得するまで僕が説得するから」
「村長さんがそう言うと、頼もしいような、おっかないような…………」
「お母さんが来る……か」
「リーズさんは、お母さまとはどれくらい会ってないんですか? あたしも、故郷を離れてそれなりに経ってますけれど、少なくとも1年くらいは…………」
「リーズはね、冒険者になるって言って家を出てから……ううん、たぶんその前からもうお母さんの顔を見てない気がするの」
「え!? 王国で勇者様やってた頃も会ってないんですか!?」
「うん……だから、会えるのは嬉しいんだけど、どんな顔をしたらいいのかなって」
一方、母親に再会できてうれしいはずのリーズは、かなり複雑な表情をしていた。
リーズがあまり家族と親しくないことは、アーシェラは前からよく知っている。それでも、彼女にとってはかけがえのない肉親であり、血のつながりは無視するわけにもいかない。
(そして僕は……リーズと結婚したことを言わなきゃならないんだよね)
向こうの両親に対し婚姻を申し込むのをすっ飛ばして「結婚しました」と報告するのは、幾らアーシェラと言えども若干申し訳ない気持ちはある。
ましてや向こうは勇者を輩出した貴族の家柄であり、アーシェラは滅亡した国の平民で、普通なら嫌味の一つや二つで済むはずがない。
(あとは、ボスコーエンさんが言っていたスパイらしき存在か。ここから一人で逃げ出しても、それこそリーズくらい強くないと冬の旧街道を越えることは不可能だけど、そのままどこかに潜伏されるのも面倒だ。ふむ…………)
考えることは山ほどあり、そのどれもがすぐに結論が出せるものではないのがアーシェラにとってはとてももどかしかった。
「シェラ、大丈夫……!」
「ん?」
「何があっても、リーズはシェラのことを守るから。たとえ、せっかく会えたお母さんを敵に回しても」
「リーズ……」
(そうだ、独りで悩むのは僕の悪い癖だ。リーズと僕は夫婦なんだから、二人で一緒に考えていけばいい)
今はまだ見えないが、ヴォイテクの船はすぐそこまで迫っている。
リーズとアーシェラは、共に手を握りながら、埠頭の先の大海原をずっと見つめ続けた。




