大魔道動く
サマンサの出産が終った日の夜――――
母親も子供も、そして夜中にずっとつきっきりだったロジオンも、疲れ果ててぐっすり寝静まった後、ロジオンの仲間たちと師匠ボイヤールは、少し離れた空き家を借りて、騒ぎの余韻に浸りながら食事をしていた。
今ロジオン夫婦や赤ん坊のは、サマンサの両親や親戚たちがかいがいしく世話をしているため、今のところ彼らが出る余地はない。
とりあえず何かあった時に備えてゆっくり体を休めているところだった。
「ふっふっふ~、今日は実にめでたいな。いろいろと面倒ごとばっかりだったから、久々に晴れ晴れした気分だ! なぁ、君たちもそう思わないかね?」
「ええ……まぁ」
「めでたいですよね、めでたい。ははは……」
仲間の子供の誕生を祝うために、できる限りの食べ物と飲み物を用意し、4人で卓を囲んでいるのだが、その雰囲気はどうもぎこちない。
(あ~……私はここでも嫌われ者か。仕方ないとはいえ、ちょっとなぁ)
(気まずいな……この人はリーズさんの味方で、ロジオンの魔術の先生をしているのはわかっているんだけど……)
元々引きこもりがちで、余り他人と接点を作ろうとしないボイヤールと、基本的に一軍メンバーにあまりいい感情を持っていない二軍メンバー…………
まるで、知人の知人同士が、共通の知り合いがいないまま顔を合わせてしまったように、お互い気まずい空気が流れる。
とはいえ、ロジオンは昨日の夜からずっとサマンサにつきっきりだったので完全に寝不足だった。
本人は「この喜びを一晩中語り明かしたい!!」と充血した瞳をギンギンに開いて盛り上がっていたが、シェマたちが「奥さんに万が一のことがあったとき、動けなくなったらどうすんだよ」と言って、ほぼ強引に寝床へと押し込んだ。
サマンサの方の様子は、彼女の両親が見てくれていることだろう。
そんなわけで、暫くロジオン不在のまま祝杯を上げざる負えなくなった4人だったが――――――先に奇妙な空気を打破しようと試みたのはボイヤールだった。
「……私がこうしてここまで足を運んだのは、もちろん弟子の子供の誕生を直接祝うためでもあるが、急いで知らせなければならないことがたくさんある。本当は、こんなめでたい席で話したくはないことなんだが、かといって手遅れになっても困るからな。特にシェマ君、君がここにいてくれたのは本当に僥倖だった」
「なんか嫌な予感がするんですけどー……。でも、こーゆー時だからと言って、お仕事の話をしないってわけにもいきませんもんねー。で、何があったんです?」
「そうだな、まず発端として――――――リーズのご母堂と姉、それと一部の使用人は、昨年末に王都アディノポリスから脱出した」
『な、なんだって!?』
ボイヤールからもたらされた想定外の情報に、元二軍メンバー3人は思わず椅子から立ち上がってしまった。
「ま……まてまてまてまて! 勇者様のご家族が脱出するのは来月初めという手はずじゃ……? まさか、王都の情勢が変わった?」
メンバーの一人で、現在はとある町で教師をしているザイドルがそう言うと、ボイヤールは重々しく首を縦に振った。
「な、こんなお祝いの席で話したい話題じゃないだろう?」
「それはそうなんだけど……いえ、知らせてくれて感謝する。しかも年末に起きたことが、今知らされたってことは、すでにリーズのお母さまはどこに避難を? 王国の追跡などはないの?」
「彼女たちは、君たちのお仲間の一人……ヴォイテクと言ったか。彼が船で強引に連れ去った。王国も一時は船での追跡を試みたようだが、見失ったようだ」
「想定外だね、何もかも…………」
同じく二軍メンバーの一人で、サマンサの友人であるエルネは思った以上にややこしい事態になったことを知って、思わず頭を抱えた。
リーズの家族を受け入れるタイミングは、もともとかなり慎重を期して行われる予定であった。そうしないと、こちらの準備が整わないうちに、王国がなりふり構わず戦争を吹っ掛けてくる可能性があるからだ。
軍部の半数はグラントが実権を握っているとはいえ、元一軍メンバーが総力を挙げて襲い掛かってくる可能性もあり、そうなれば二軍メンバーたちだけでは太刀打ちできない。
だがそれ以上に…………リーズの家族たちが、予定にはなかったルートで脱出したのも問題であった。
南方諸国はそのようなことを一切想定していなかったので、受け入れ態勢が全く整っていないのだ。
不十分な防諜体制では、下手をすると王国の隠密に彼女たちを奪い返されてしまう恐れもあるわけだ。
「ったく、マリヤンもアンチェルも何やってんだ…………」
「彼らを責めてやるな。アンチェルは表立って動けないし、マリヤンはとっさの機転で予定を変更し、身体を張ってご母堂たちを逃がした。いずれにせよ、予断を許さない状況だ」
現在王都には、マリヤンのほかにも純粋な連絡役として、劇団員を装ったアンチェルが滞在している。
アンチェルはあくまでバックアップ的な存在であり、仲間へ王都情勢を知らせることしかできない。下手に彼女が動いて、万が一危機に陥ると、王国内の情報が完全に寸断されてしまうのだ。
彼らがここまで役割分担を徹底しているのも、元々アーシェラから薫陶を受けたおかげであり、不慮の事態が起こることを見据えた体制――――だったはずなのだが、それすらも無意味にしてしまうほどの想定外が発生するとは、誰が思っただろうか。
そして、この事態を最も深刻に受け止めているのは、仲間との間で重要な連絡網を司っている、郵便屋のシェマだろう。
「なるほどねー……それで、いつもは外を出歩かない大魔道さんが、こんな辺境の町まで足を延ばしたと……」
「いや、ぶっちゃけこんな連絡がなくても、ロジオンの赤ん坊を直接見に来るつもりだった」
「さいですかー」
「そして、落ち着いたら私も生まれたばかりの子供をじっくり観察して、もし術者適性があれば将来の弟子候補にするのもやぶさかではなかったのだが……そんな呆れた顔するな」
相変わらずこの大魔道は危機感があるのかないのかわからない。
とはいえ、彼は彼で事態がよろしくない方向に向かっているとみているのは確かであり、そのためにボイヤールにしては珍しく、二軍メンバーの協力を仰いでいるのだ。
「で、詳細な連絡はどこまで行ってるんです?」
「精霊の手紙のストックは3通あるから、うち2通は北と南の代表宛に飛ばした。だが、紙一枚では大したことは書けない。いずれ、誰かが現地に行って詳細な説明をしなければならないだろう。今も動いているプロドロモウやシプリアノには、今頃アンチェルから連絡がある頃だろうから、ここは後回しで構わない。そして……リーズたちへは私が直接説明しに向かう」
「じゃあ、南と北には僕がいけばいいとして…………肝心のロジオンには誰がいつどうやって話そうか?」
「それが一番の問題なんだよな」
比較的空気を読まないボイヤールも、流石に喜びの真っただ中にいるロジオンに対して、政治的に悩ましい話を突き付けるのは躊躇しているようだった。
「できれば落ち着いたころに伝えてやりたいものだが」
「そうも言ってられないか」
祝いの席であるにもかかわらず彼らは一様に溜息を吐いた。




