崩壊の足音
「…………で、結局勇者の母親をはじめとする一家の大半は、まんまとこの国を脱出したと」
「は、ははぁっ! まことに、申し訳ございませぬ……!」
夜――――第三王子ジョルジュの邸宅では、どす黒いオーラを纏ったジョルジュの前で、邪神教団の生き残党の老人コドリアが、身体を震わせながら平身低頭していた。
なにしろ、勇者の母親の脱出を阻止し、最終的に人質にすることは、これから先の行動の重要なファクターとなる要素であり、すべての計画を練ったコドリアは大失態を犯した形になる。
「それで、勇者の母親どもはどのようにして脱出できた? 王都の城門はすべて我らが派閥の支配下に置き、意のままに命令できるはずではなかったのか? これはアイネの失態か? それとも、貴様の見通しが甘かったのか?」
「そ……それが、調べたところ彼らは城門を通過した形跡がありませぬ。まだ確定したわけではありませぬが…………恐らくは港から船で逃げたと思われます。それも、例の商人をおとりに使ってまで……」
「なるほど、見通しが甘かったということか」
「…………はっ」
ジョルジュの声は比較的冷静だったが、だからこそ怒鳴られるよりも恐ろしい。
ジョルジュの怒り方はアーシェラと似ているようだ。
王都に入るための城門を管轄している大元はアイネだが、彼女は訓練中心で実務にはあまりかかわらないため、人員を管理するのは別の役人が担っている。
そのため、アイネを味方に引き入れて、彼女の名前と権限を使って出入国権限を手中に収めた第三王子派閥だったが、海から逃げるのは完全に想定外だったのだ。
これでは見通しが甘いと言われるのも仕方ないことである。
「そもそも、モズリーは何をしていた。あやつには勇者宅の使用人として潜入し、逐一動向を知らせるよう申していたではないか?」
「……彼女からの連絡も途絶えました。恐らくモズリーと連絡が取れるのは、脱出した船がどこかの陸地についてからとなるでしょう。もっとも、どこまで行ったかがわかれば、それはそれで有益かと存じますが……」
「やれやれ…………敵はよっぽどのやり手のようだな」
裏でジョルジュの手足の如く働いていた少女モズリーは、監視を徹底するために勇者の家の使用人として潜入し、状況を逐一連絡してきていた。
この日の午後にマリヤンたちが馬車でリーズの母親たちを国外に逃がすという情報は、モズリーを通じて第三王子に筒抜けだったわけで――――この日マリヤンに嫌がらせできたのも、彼女の情報によるところが大きい。
だがマリヤンは、グラントから第三王子の動きを聞いて、自分たちの身内のどこかに彼らの潜伏者がいる可能性に思い当たった。そのためマリヤンは、ちょうど商品の仕入れの船が来たのをいいことに、リーズの母親にすら知らせずにほぼ誘拐のような形で無理やり脱出させてしまったのだった。
今頃マノンたちは困惑しているかもしれないが、一番困っているのはすぐ近くで随行員として潜伏していたせいで巻き込まれてしまったモズリーだろう。
「それで……件の商人はいかがなさいますか? 我々の意図を知られた以上、すぐに始末した方がよろしいかと…………」
「始末……か。やはりおぬしらは詰めが甘い。出し抜かれたことを今更逆恨みしたところで、現状は変わらぬだろう。むしろ、新たな使い道ができた。最終的には色々と面倒な情報をもって『お仲間』のところに戻ってもらおうではないか」
「…………よいのですか? あの商人には、すぐに回収できるからと王室金貨まで渡したのですぞ。せめてもう少し搾り取り、痛い目に合わせるべきかと…………」
「最終的に世界を滅ぼそうとしているお前らが、今更金の心配をするのか? そんなみみっちいことにこだわるから、お前らの組織は散り散りになり、肝心な時に見落としをするのだ。もっと長い目で見て考えろ」
「お、恐れ入りましてございます…………」
先ほどから平身低頭して謝ってばかりのこの老人を前にして、ジョルジュは怒りを通り越して呆れてきた。
邪神教団の残党たちは、確かに王国が持つ裏の情報網よりもはるかに役に立ち、お互いに利用し利用される関係とはいえ、それなりに精力的に働いていた。
おそらく今の彼らは、王国にいるどの役人よりも勤勉に働いていることだろう。
だが、結局のところ彼らは「残党」であり、彼らが「残党」となってしまった原因をしっかり引き継いでいるのが最大の問題だった。
目標に対する執念はすさまじいものがあるが、それが却って目の前のことばかりに執着させ、長期的に見てどうなるのかをあまり考えない…………その結果、詰めが甘いところを露呈してしまうのである。
もっとも、彼らも人員に限りがあるため、今以上に方々を監視するのは無理な話であり、そのためターゲットを絞って注力するのは悪いことではないのだが。
「まあいい、少し懸念事項は増えたが全体としてはおおむね滞りなければそれでよい。あの愚兄のほうはどうなっている?」
「はっ、お喜びください。こちらの方は正真正銘、順調そのものでございます。本日王宮で行われた聖人祭(※古狼の月25日に行われる、古の聖者を祝う祭り)で、王国外諸国が連合を組み、王国に攻め入る野望を持っているという噂がかなり広まっていることを確認しましたぞ」
「愚兄もすぐに飛びついたらしいな。勇者が戻ってこず、せっかく手籠めにした女すら壊してしまうほどにイライラしているあやつのことだ、喜んで乗ったことだろう」
「かつて勇者パーティーにいた者共も、下っ端たちが自分たちにたてつくのが面白くないのでしょう、勇者の行方不明の責を彼らに求めて、先制攻撃を行おうとする気概に満ちております」
「くっくっく…………平和とは、脆いものだなァ。あれだけ痛い目にあったというのに、もう次の争いを始めようとしているではないか」
マリヤンにこそしてやられたが、もう一方並行して行っている、第二王子をはじめとする元勇者パーティーの一軍メンバーに対する工作は順調そのもののようだ。
王国外諸国が連合を組もうとしている動きがあるのは本当だが、コドリアたちはその動きを「勇者パーティーで下っ端だった連中が、王国を逆恨みして王国に攻め入ろうとしている」として、積極的に噂を流したのだった。
リーズが不在で、全員が正体不明の閉塞感にあえいでいる今、第二王子をはじめとする王宮の人間たちは、分かりやすい敵の存在に容易に食いついた。
特に第二王子セザールは「王国を再び大陸を統一させた国王」になれると言われてすっかりその気になっており、近々グラントに銘じて国軍の動員準備を行うよう指示させるつもりらしい。
時期国王になるというのはまだ決定事項ではないというのに、セザールはすでに国王になったかのように振る舞っているのが、ジョルジュから見てなかなか滑稽であった。
「やはり……やはり、私の考えに間違いはなかったな。このような愚かな世界は、一度破壊せねばならぬ。あと少しで、世界が崩壊するというのに……愚か者たちは、せいぜいお互いに争い続けてもらおうではないか」
そう言ってジョルジュは、世にも恐ろしいどす黒い笑みを浮かべた。




