幸福
騒がしかった夕食会は無事に終わった。
片付けをして、マリーシアをイングリット姉妹の家に預け、ついでに酔っ払ったシェマをブロスの家に運び…………リーズとアーシェラが二人きりになったときには、時刻はすでに深夜に近かった。
この時間に働いているのは、夜間見張りのアイリーンだけだろう。
「お待たせリーズ。デザートのリンゴ剥いたよ」
「うさぎさんリンゴだ! えっへへぇ~、シェラありがとっ♪」
術式ランプの明かりが灯る食卓に、皮をウサギの耳の形に残したリンゴが運ばれてくると、リーズは待ってましたとばかりに目を輝かせた。
アーシェラは、そんな嬉しそうな顔をするリーズの隣にゆっくりと腰かけ、リーズに小さなフォークを渡す。
「マリーシアちゃんにはちょっと悪いけど…………ようやくシェラと二人きりになれたね」
「あの子も自分で料理はできるようだけど、新しい家ができるまでは面倒を見てあげないとね」
あまり人を好き嫌いしないリーズでも、マリーシアといるとやはりちょっと堅苦しく思ってしまうようだ。それに、ほかの人と一緒に食べるのも楽しいが、なんだかんだでアーシェラと二人きりで食べるのが、彼女にとって一番の幸せだった。
そんなリーズの心情を察したのか、アーシェラはこんな時間になっても、わざわざデザートを作って二人きりの食卓を作ったのだった。もちろん、アーシェラ自身もリーズと二人きりで食事する時間が欲しかったというのもあるかもしれないが…………
「あんっ、しゃくしゃくっ♪ 今度リーズもうさぎさんリンゴに挑戦してみようかな? リーズとシェラの子供が出来たら…………こんなリンゴを食べさせてあげられるようになりたいな」
「ふふっ、じゃあ今度こんな風に剥くコツを教えてあげるよ」
「えっへへ~♪ シェラ大好きっ」
よっぽど二人きりの時間に飢えていたのだろう。
リーズはすぐにアーシェラに寄り掛かり、体をぴったりと密着した。二人ともついさっき風呂に入ったばかりだったので、お互いの体温がいつも以上に温かく感じ、体のにおいと入浴洗剤の香りがふわりと立ち上り…………ドキドキしてしまう。
「シェラとリーズの子供…………か」
「リーズ?」
「ねぇシェラ…………ちょっとだけ、暗い話になるけど、聞いてくれるかな?」
「いいとも。何か悩んでることがあったら、何でも言ってごらん」
「あのね…………マリーシアちゃんと礼儀だとか作法だとかの話になったとき、ちょっと王宮にいたころのことを思い出したの。あの頃は色々なことを全部ほかの人に決められて動かなきゃいけなくて…………とてもつらかったの」
マリーシアも余計なことをしてくれたものだと、アーシェラは心の中で若干憤りを覚えたが、リーズのことになると冷静になれなくなるのは良くないなと考え、その気持ちをすぐに脳の片隅に追いやった。
「リーズはあの環境の中で本当によく頑張ったよ。たとえ王宮の美味しいものを食べられても、マリーシアに言われたような作法で固められたら、食べた気がしなさそうだ」
「そうそう! そうなんだよシェラっ! 王宮の食事って見た目は奇麗なんだけど、上品すぎてリーズには味がよくわからないの! そして何より量が全然足りなくてねっ! お替りもできないから、いつもずっとお腹がすいてたの!」
「それはひどいな……」
リーズは比較的小柄な女の子なので、王国の宮廷料理人やそれを用意する人々も、量を少なく見積もっていたのだろう。おかげでリーズは王宮にいた一年で体重が大きく減ってしまい、かつてのメンバーたちを巡る旅が始まった直後の数日で、たびたび追っ手を撒いて、色々なところでこっそりと食べまくっていたようだ。
アーシェラもリーズが人一倍食べる女の子なのはよく知っているので、その辛さに大いに同情したが――――リーズの受けた仕打ちはこれだけにとどまらない。
「特に嫌だったのは、何回も何回も開かれる舞踏会とかパーティーとかだったわ! 毎回毎回リーズは主役としてみんなに挨拶したり、真面目なお話をしたり、きちんとダンスを踊ったりするけれど、パーティーで出される豪華な食事には一切手を付けられないのっ! 勇者様がパーティーでパクパク食べるのはみっともないですーって! パーティーの時は豪華な料理が出るから、せっかくおいしそうだなって思えたのに、全然食べられないんだよ! もう本当に嫌になっちゃう!」
「そうか………………グラントさんには悪いけれど、そんな伝統がこの先も残るなら、あそこは別の国に作り直した方がいいかもしれないね」
食べ物の恨みは恐ろしいものである。
豪華な食事を前にして、自分だけ食べられなかったことを思い出し、今頃になってぷんすか怒るリーズ。そして、それがどれだけつらく罪深いことかを理解しているアーシェラは、リーズさえいいと言ってくれれば本気で大国一つ滅ぼすことも厭わないほどの怒りをにじませていた。
「本当に…………嫌なことばっかりだったけれど、リーズが一番嫌だったのは…………周りの人に言われるまま、好きじゃない人と結婚して、その人の子供を産まなきゃならないのが、勝手に決められることだったの。だから、リーズは結婚なんて一生したくないって思ってたし、ましてや子供なんて欲しくない……そんな風に思ってた」
「…………っ!」
今はもうリーズとアーシェラは心身ともに結ばれた間柄になり、もはや何も怖いものはないのだが…………王国にいたころのリーズは、心身ともに疲弊していて、自分の将来を大きく悲観していた。
自分はなぜ、あれだけ頑張ったのに、親しくもなければ好きでもない人物と結婚し、跡継ぎを産まなければならないのか……あまりな理不尽な運命を何度も呪ったものだった。
一方でアーシェラも、一度はリーズのことをあきらめ、リーズと王国の王子が結婚するという噂を聞いてもなお、リーズを祝福して自分は逃げ出してしまおうとしていたことを思い出し…………過去の意気地なしの自分を殴ってしまいたい衝動にかられた。
「でも今は、こうして大好きなシェラと結婚して……ずっと一緒にいられる。そして、リーズとシェラの子供をいっぱい作って、いいお母さんになって、たくさん愛情を注いであげたい…………そう思えるようになったのも、全部シェラのおかげだよっ♪」
「リーズ…………お礼を言うのは僕の方だよ。リーズがここまで来てくれなかったら、僕はずっと寂しく過ごしていたはずだ。そして、こんな冬の夜は一人ぼっちで寒さに震えていたと思う。もちろん、この村の人たちもいるから、完全な孤独ではないけれど…………こうしてずっと隣にいてくれる人がいるのは、本当に幸せだ」
「シェラ…………」
二人はどちらからともなく顔を近づけ、唇を重ね合わせた。
リンゴの甘酸っぱい味がするキスだった。
「これからもきっと、今日のように………いや、今日以上に大変なことが起きる日もあると思う。でも、どんなに大変だろうと、僕はずっとリーズと一緒にいるよ。だから、リーズも僕に力を貸してほしい」
「えっへへ~♪ 喜んでっ! なんたってリーズは、シェラの奥さんなんだから♪」
もう何にも縛られるものがなくなった二人は、もう一度長い口づけを交わす。
新しくできた村の新婚夫婦という、何もかもが始まったばかりの日々も、いつしか「伝統」と呼ばれる何かができるのかもしれない。
そして、もうすぐ日付が変わる時間だというのに、リーズとアーシェラの夜はまだまだ始まったばかりのようだった。
グラント「風邪だろうか…………何やらゾクゾクと寒気がする」




