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ウルエ・マジック

作者: 椎名里梨

***


 ある日曜日の昼下がり。

 親戚一同が集まった本家の広間の中央に座す祖父が、にこやかに言い放った一言が全ての始まりだった。


「そろそろ、後継者を指名する時期かと思っていてね。もし、後継者を希望するものがいれば、今から述べる条件を是非クリアして欲しい」


 私の祖父は日本でも指折りの画家として、多くの名声を集めている。祖父の絵画と祖父の顔が一致する人こそ少ないだろうが、祖父の絵画の認知度はとても高く、祖父の描く繊細なタッチに魅了されている方は大勢いらっしゃる。


 祖父は絵画の才能を手に入れるためにあらゆる能力を代償にしたのでは? とさえ思えるような人物で、絵画以外のことに関して挙げていくと、料理はからっきしでお茶さえ満足に入れることができないし、字だってお世辞にも上手いとは言い難いものを書かれるし、交通機関の乗り換えも未だに苦手としている。挙げていくときりがないのでストップするが、文字通り祖父は絵画の才能にのみ特化した稀有な存在と言えるだろう。

 事実、祖父の繊細なタッチは他人が簡単に真似できるものではなかった。だからこそ、いつしか唯一無二の技法として珍重され、祖父の描く絵画は本人の意思とは裏腹に恐ろしいほど高額な価格での取引を求められるようになっていく。だが、祖父は決して金儲けに走ることはなかった。いつだって絵画に真剣に向き合い、本当に祖父の絵画を欲している方にしか売らないと言い続けておられた。


「売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める」


 高額な絵画が出回り始めた頃、祖父はよくこのセリフを色んな方たちに述べていた。転売し、一儲けしたいと企んでいる人や、ただただステータスとして所持したい人など、絵画に敬意を払っていないことを祖父が感じたら最後。問答無用で追い返される。


「自ら描いた絵画の旅路に、無神経でいられる画家なんて存在しない。なんと言っても、我が子も同然なのだから」


 そう語っていた祖父は、まさに絵画を描くことに誇りを持って生きていた。そんな祖父を私は心から尊敬し、いつしか祖父のような画家になりたいと夢を抱くのは至極当然の流れではないだろうか。


 さて、祖父の家系は、祖父の他にも画家を生業としている親戚が多く存在する。とはいえ、祖父の類い稀な才能は異次元の凄さのようで、親戚中探してみても祖父を超える腕前の持ち主は誰一人としていなかった。その変えようのない事実に目を背け、敢えて評論家に転身してプライドを保とうと躍起になっている伯母もいれば、祖父のネームバリューを乱用し、実力以上の仕事を引っ張り、干され気味になっている叔父もいる。たった一人の異次元の天才がいたことにより、非常にドロドロとした内情になっていた。


 何度も繰り返すが、祖父の才能は異次元レベルだ。

 例え、本人に才能がなかろうと、横柄な態度故に干され気味になったとしても、祖父の名前さえ用いれば、芸術家として安泰な生活が保証されることは間違いなかった。だからこそ、そんな祖父の後継者に指名されることを夢見る親戚は大勢いたし、実際に親戚中では最も大きな関心事となっていた。


 しかし、そんな残念過ぎる状況であっても、後継者の存在は必要なものなのだろうか? 念願の美術大学への進学を無事に決めたばかりの私は、疑問に思いつつも、口を挟むつもりは一切なかった。何と言っても、礼装がまだ高校の制服であるほど子どもなのだ。そんな子どもがしゃしゃり出る幕などないだろう。……とはいえ、祖父自身も親戚たちと絵画に対するスタンスが異なることを肌で感じている状況だからこそ、考えていることもあったようだ。


「それは、永遠のテーマをズバリ当てることだよ。私が描いている作品のね」


 そう言って、祖父が条件を発表した瞬間。

 本家の広間では大きな大きな激震が走り、祖父の後継者争いの火蓋が切られることとなった。


***


 祖父が自分の絵画の永遠のテーマを当てることを条件に出した途端、本家の広間に集まっていた親戚たちはざわつき始める。そんなもの解る訳がない、と。

 その親戚たちの様子を黙って見つめている祖父の表情に、現時点では苛立ちも失望も見えてこない。……が、実の娘や息子たちにさえ、自分の核とも言える概念に興味を一切抱いてもらえていなかった事実は、あまりにも悲しすぎることではないだろうか。そう思うからこそ、祖父のメンタルばかり気にしていた。


「親父! 普通に長男が後継者じゃダメなのか?」


 ざわついていた広間が、一瞬水を打ったように静かになる。でも、それは本当に一瞬のこと。長男であるヒカル伯父様が我慢できずに発した言葉が引き金となり、次々に反論とも意見とも判断しかねる様々な発言が飛び交い始める。


「大賞はおろか、入選さえ遠のいて久しい分際でよくぬけぬけと発言すること」

「なに!? お前だって、最近一切描いてないだろ!? 偉そうに講釈垂れてるけど、お前にはそれほどの腕前はあるのか?」

「何ですって!?」


 丸め込もうと躍起になるヒカル伯父様に、真っ向から意見を申したのは長女であるカヲル伯母様。カヲル伯母様の勝気な性格は健在のようで、気付けばヒカル伯父様と一触即発の事態に陥ってしまっている。


「まぁまぁ。じゃあさ、父の元に一番長く居た者にすればいいんじゃない? 一番、父の考えも受け継いでいることだろうし」


 そこで呑気そうに三男であるミノル叔父様まで会話に加わり、広間の空気はよりカオスになっていく。


「そんな曖昧なことを良しとしたら、大学浪人して二十歳まで家で過ごしていた三男が有利なだけじゃない」

「ちぇー、バレたかー」

「あんたのそういうところ、本当に小賢しいままよね」

「カヲル姉様は、相変わらずの底意地の悪さみたいだね」

「なっ……!?」

「…………」


 ヒートアップしていく父の兄弟たちの暴言を聞いて、ただただ呆然としてしまう。実は、次男である父も人並み以上の絵画の才能を持っており、画家としての活動を有望視された時期もあったらしい。しかし、くだらないことで噛み付いてくる兄弟たちに辟易し、絵画は趣味と定め、研究者としての道を選んだ過去がある。

 故に、兄弟で下らない諍いが生じやすいという話は聞いたことがあった。……が、実際に目の当たりにしたのは今日が初めてで、予想以上の見苦しさに後継者問題に直接関係がない私でさえ気持ちがどんどん滅入っていく。祖父の永遠のテーマから大きく逸脱し、兄弟喧嘩に発展していく様を間近で見るはめになった祖父の気持ちを考えると居た堪れない気持ちでいっぱいになる。


「というか、お前たち。『後継者』を何だと思っているんだ? 私の意志を継ぐ作家であって、初めて名乗れるのでは? ならば、私の永遠のテーマすら分からない者が後継者なんて、チャンチャラおかしい話ではないのかね?」

「本気なの? お父様……?」

「冗談じゃないよな、親父?」


 祖父がものの見事に本質を言い切ると、伯父たちは押し黙る。再び訪れた静寂に、祖父はにこやかに言い放つ。


「だからこそ、私は意志をキチンと理解しているなら、後継者は甥であれ姪であれ、孫であれ……。一切問題がないとも思っているんだ」

「え……。マジかよ、親父……」

「当たり前だ。そんな話、冗談で言う訳もない。この広間に招待された者たちは皆等しく権利があると考えている。だから、お前たちの中で後継者に名乗りを挙げたい者がいれば、年齢も血縁の濃さも気にせず、遠慮なく声をあげなさい。この場にいる人は皆、同じ土俵に上がっているのだから」


 こうして祖父の一連の発言が発端となり、大勢の親戚たちの欲望渦巻く謎解きがスタートすることとなった。


***


 祖父の絵画が、これほどまでに大勢の方に受け入れられたのは、唯一無二の繊細なタッチが鍵を握っていると言っても過言ではないだろう。祖父は風景画を得意としており、一つとして同じ色合いのものが存在しないことで有名だった。その中でも特に祖父の青空の多彩な描写には大きな定評があった。

 晴れ渡る青空の賑やかで活気溢れる町並み、今にも雨が降り始めそうな情緒あふれる切ない鈍色の景色、明日への希望に満ち溢れた夕焼け色に徐々に侵食していく山並み……。色遣いの変化は勿論のこと、その瞬間でしか感じられない空気感をキャンバスに見事に表現することに祖父は大変長けていた。

 透き通るような青、濁る空に移行していく青、夕焼けへ見事にグラデーションしていく青……。同じ青でもここまで色彩を変えることが出来ると知った時のゾクゾクとした感覚は、きっと生涯忘れることはないだろう。


 そんな多彩な表現を行う祖父は一つとして同じものを作ることがなかった。そのため、唯一無二の作品を必ず仕上げる職人気質な考え方こそ、祖父のポリシーだと思っていた時期がある。一つ一つ真剣に向き合うことは、確かに祖父が大切にしていることに違いはないだろう。しかし、それはどう考えてもポリシーの話であり、テーマではないだろう。ならば……。


「『売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める』これが永遠のテーマだろ?」


 あれから、伯父や伯母たちが色々な予想を口にしては、祖父にダメ出しを食らいまくっている。正解者が出るまで、何度チャレンジしても良いと祖父は述べた。しかし、予想が外れて撃沈する度、祖父に対する無関心さが露呈することに伯父たちは気付いていないのだろうか。よく何度も発言できるものだと違う意味で感心してしまう。そもそも、テーマを問われているにも関わらず、ポリシーを答えるなんて、祖父を愚弄しすぎではないだろうか。

 とはいえ、現時点ではまだ祖父の意志を理解していない立場同士に変わりはない。目くそ鼻くそともいえる立場である以上、口に出すことなんて以ての外と言えるだろう。


「確かにずっと守り抜いてたことの一つだが、それがテーマではない。テーマとは生涯作品に反映させたいと願ってやまない題材という意味なのだから」


 祖父は、当てずっぽうで次々に発言していく親戚たちの誤りを極めて優しく諭していく。その無駄に優しいところは、祖父の美徳。でも、祖父が懇切丁寧に説明する度、親戚たちに何一つ伝わっていない事実に直面し、落胆しないか心配になってくる。


「売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める」


 さて、このフレーズは祖父がよく口にしていたもので、私自身も再三耳にした言葉である。だが、記憶を引っ張っていると、耳で聞いていた以上にどこかで見掛けていたような気がして、何だか引っかかる感じがする。


「(売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める。売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める。売る絵は……って)あっ!!」

「ん? ルリカ、何か気付いたのかい?」


 大きな声を上げる私に、祖父は笑顔で語り掛けてくる。そんな祖父の声を聞いた瞬間、ふと現実に引き戻される。礼装がまだ高校の制服であるほど子どもである私がしゃしゃり出て、本当に良いのだろうか。だが、朗らかな笑みを浮かべた祖父を見て、その悩みは即座に吹き飛ぶ。祖父のことを誰一人理解していなかったと落胆させない唯一の方法でもあるはずなのだから……。


「『売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める』これはお祖父様の口癖でしたね。これはお祖父様が仰る通り、永遠のテーマではなかった。だけど、永遠のテーマのヒントもこっそり含まれていた」

「どういうことだ?」


 ヒカル伯父様が怪訝そうな表情で私を見つめてくる。その訝しげなまなざしに目の当たりにして怯む気持ちがない訳ではない。だが、ここは祖父のためにも突き進みたい。誰一人として、祖父の気持ちを理解していなかったと絶望感を絶対に味わって欲しくない。それだけが、私の原動力となった。


「とは言え、かなり賭け事めいたヒントだとも思うのですが……」


 そう述べつつ、チラリと祖父に目配せする。まるでスローモーションのようにニヤリと不敵な笑みを浮かべた祖父と視線が交わり、確信となる思いがある。


「お祖父様はよく青空が様々な色へ変化していく瞬間を写真で撮影し、その空の感想を裏面に綴っていました。ところで、ヒカル伯父様」

「……なんだ?」

「お祖父様が厳選された写真に縦書きで書かれたカタカナの『ウルエ』というフレーズをご存知ですか?」

「ああ、知ってるぞ」

「カヲル伯母様とミノル叔父様は?」

「存じてますわ。太いマジックでとても大きく書いてたし」


 『ウルエ』というフレーズを知っていると述べるヒカル伯父様とカヲル伯母様の話を解せぬ顔で聞いておられたミノル叔父様の記憶の中で何かが一致されたようで、大きな声で驚いておられる。


「はっ……!? あれは『ウルエ』と書かれてたのか!? 『ウハエ』じゃなかったのか?」

「何、ミノルは馬鹿なこと言ってるの。『ウハエ』なんて日本語、聞いたこともないでしょうに」

「いや、でも……。あれは正直『ウハエ』にしか見えなかったぞ?」


 長年信じていた認識が違っていた事実に驚愕しきりなミノル叔父様の反応を見つつ、丁寧に説明を試みる。


「私は『売る絵』の資料であると長らく思い込んでいたため、今まで『ウルエ』と書かれていたと違和感なく信じ込んでいました。ですが、お祖父様が書く文字の癖を考慮するならば、きっとミノル叔父様が認識された『ウハエ』というフレーズの方が本質に近かったはずです」

「ルリカちゃん。言っちゃ悪いけど、意味をなす『売る絵』というフレーズをわざわざ意味不明な『ウハエ』という謎なフレーズに読み解く必要性なんてあるのかしら?」


 カヲル伯母様も蔑むようなまなざしで参戦して来る。……が、ここで怯むわけにはいかなかった。


「『ウルエ』も『ウハエ』という表現も便宜上、です」

「便宜上……?」

「はい、そうです。つまり、お祖父様が表現したかったフレーズは『ウルエ』でも『ウハエ』でもなかった。何故なら、どちらのフレーズも不正解のはずですから」

「はあああ? ルリカ、何言ってるんだ?」


 短気なヒカル伯父様が興奮し始め、恐怖で体が竦んでしまう。きっとここが正念場だろう。大好きな祖父のために勇気を奮い立たせ、ただただ真実に辿り着くために語り続ける選択をする。


「しかし、どちらのフレーズも不正解とはいえ、お祖父様は『ウルエ』と認識される可能性に賭けたかったのだと思います。だからこそ『売る絵は、自分で決める。売るかたも、自分が決める』という言葉を周りに浸透した後も口酸っぱく述べられたのではないですか? マジックを用いて書かれたこのフレーズを奇術マジックの如く、思い込みを打破してタネ(真実)を見破って欲しいと願いを込めて」

「おいおい、ますます意味がわからないぞ?」


 ミノル叔父様も声を荒らげて立ち上がり、喚き散らされる。しかし、ミノル叔父様の傍にいた父や従兄弟たちによる静止が成功し、乱闘騒ぎへの発展は何とか免れる。

 改めて大変デリケートな問題であることを肝に銘じ、私は言葉を丁寧に選んで続きを語る。尤も一番大切すべきは祖父である。そのことだけは譲れないため、どうしても選ぶ言葉に限界はあるのだが……。そんなことを考えつつ、祖父に目線を合わせて言葉を紡ぐ。


「単刀直入に述べますね。お祖父様の永遠のテーマは、恐らく『空』です。お祖父様は恐らく売る、売らない関係なく、これから描きたいと創作意欲を掻き立てる『空』の写真を区別するべく、ただただ大きな文字で『空』と記載していたのではないですか? その証拠に、お祖父様の作品には必ず空が見える構図になっていますし、また一つとして同じ青色の空が描かれることもありません」

「……さすが、ルリカ。よく見てるなあ。ルリカこそ、後継者に相応しい」


 こうして祖父の一声により、後継者争いにピリオドが打たれた。そして、間髪入れずに隣の部屋に待機させていた弁護士を祖父は呼び寄せ、アトリエ施設などの権利譲渡関係を筆頭に、後継者として後々トラブルにならないよう正当な権利を保障する書類上の手続きをあっという間に完遂させていこうとする。

 終始あっけにとられていた私が本当に後継者に相応しいか、自分自身まだ絶対的な自信は持ち合わせていない。だけど、ずっと尊敬していた大好きな祖父の後継者になれるチャンスを無下にするのも忍びない。

 覚悟を決めて書類にサインをする瞬間、顔が綻んでいる祖父の姿がチラリと見えた。それはまるで祖父が描く絵画の晴れ渡る青空とリンクするような、とびっきり爽やかなものだった。

 これから、祖父の後継者としての試練はたくさんあるはずだ。今日の伯父様たちの圧力以上に、辛辣な言葉を投げかけられることだってあるかもしれない。

 だけど、私が一番譲れなかった祖父を守り切った事実さえあれば、私はどこまでも頑張れる。そう思っている私自身も、自然と祖父と同じ爽やかな笑みを浮かべていることだろう。


【Fin.】

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― 新着の感想 ―
[良い点] 今後も大人の醜悪な部分に晒され続けることになるのでしょうが、親族でおそらく唯一心の底から祖父と祖父の絵画を想うルリカに頑張ってほしいと言いたくなるような、温かい話でした。 売る絵は〜のフレ…
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