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怪奇拾遺集

雨天相見

作者: 狂言巡

 委員長会議がある週末。個人的な雑務を幾つかこなし、家路に着く準備が終わった頃には、空はすっかり機嫌を損ねていた。

 雨が降るだろうからと、いつもより随分と早めに委員長会議を切り上げた委員達はとっくに帰ってしまっている。いつも会議が終わっても、中央委員長である自分はある程度の時間を学校で過ごすことを知っているからだ。

 空の涙なのか、随分と激しい泣き方をする雨は、これから帰ろうとする人間一人のために止まってくれるわけもないようだ。誰に涙を伝えたいのか、さめざめと雫を降らし続ける。

 天気予報の促した通りに折り畳み傘を持って来てはいた。しかし、うっかり傘を忘れてきてしまった幼馴染に貸してしまったため、今は手元にはなかった。だからと言って別段彼女に何かを思うわけでもなく、さてこれからどうしようかと思考を移す。

 さてなどと改まってみるも、どうせ選ぶ道なんて決まっているのに。空が笑顔を見せるまで、図書室か自習室で時間を潰すと言う手もあるだろう。今日学校で出された宿題を学校で済ましてしまうことだってできる。しかしこの雨がすぐに止むなんて確証はどこにもなかった。今日はゆっくり休みたかったが、風邪をひいてしまったら元も子もないだろう。

 多少考えはしたが、なるべく急いで帰れば大丈夫だろうと結論を定めて、鞄を背負って涙色の空へと飛び込んだ。


 ふと、この情景が過去にも経験したことがあったように思えた。妙な視界の感触に、首を傾げる。

 既視感デジャビュだというならまだ辻褄は合うが、それとも少し話は違う気はするのだ。過去に一度だけ、この情景を想像したことがあった、くらいのものだった。

 水溜りに足を突っ込んでしまわないようにと、足元に注意を払って進みながら、先程の妙な感覚の謎を解決するための記憶を辿った。

 自分がまだ小学生だった頃、怪談じみた噂話が流行っていたなとぼんやりと思い出す。

 花子さん太郎さんだとか、悲惨な過去を持つ口裂け女だとか。

 トンカラトンだかテケテケだか、間の抜けた形容のわりに意外に物騒な妖怪だとか。

 四時四十四分にどこそこのトイレの鏡に何か映りこむだとか。

 今考えると思わず笑ってしまいそうな話も多かったが、それでも、その当時はひどく不気味に思った気がしたことも思い出した。

 そう言えば、こんな話はなかったか。

 雨の降る夕方に一人で歩いていたら、突然後ろから誰かに声をかけられて――。

 その誰かと言うのがどんなものであったかは聞いていないのか、覚えていないのかは分からない。

 その子は傘を差し出して――。

 そして、なんと話しかけてくるのだっただろうか。幼い頃の記憶など曖昧なものだと軽く笑った。


「あの、」


 雨の音の所為であやふやではあったが、確かに声がした。

 突然後ろからかかった小さな声に気づいて、反射的に足を止める。突然のことだったので上半身は反射に追いつかない。前のめりになりながらも、濡れた地面の上を転倒――などという情けない事態は避けることができた。

 振り返ると、いつの間に自分の後ろにいたのか誰かが立っていた。自分よりも幾分か小さい――女性と形容するにはまだ幼さの残るとは言え、女の子と呼ぶには少し大人びた雰囲気を持つ――少女と呼ぶのにふさわしいだろう少女が。彼女の白い手には、しっかりと傘が握られている。

 ……霊感のある家系だとか、そういうわけでは全くなかったし、自分にそういったモノを見分ける能力なんて皆無だと思っていたが。

 自分の目の前にいる少女は、自分と同じではない――人間ではない別の何かであるような気がした。

 何が理由かなんて、自分でも何一つ保証出来ないが、強いて言うなれば第六感のような。


「この傘、良かったら使ってください」


 ――夕日の見えない夕刻。

 ――なかなか止みそうにない雨の日。

 ――人気が全く居ない道を歩いていると。

 ――少女に声をかけられる。


(なるほど、)


 彼女が、自分の前に現れる理由に納得できたような気がする。

 差し出された小さな傘も、少女の履いている長靴と同じ原色の赤色で。灰色の空――泥のようにずぶずぶと沈んでいくような気だるい世界の中では、やけに鮮明に映った。

 ……確かあの話には、まだ続きがあったはずだ。

 実際は、どうとして噂に面白おかしく尾びれ背びれが着くのは、当たり前のことでもあろう。不気味な噂話とされるくらいだから、この先で更に何かが起こるはずなのだ……。


(ああ、そうだ)


「……あの、」

『私の名前を、知りませんか?』


 ――名前を少女は聞いてくる。

 ――そして、呼びかけた相手の名前を奪いとる。

 そんな、話。

 でも、どう見ても昔に聞いた話とは展開が違う。発された言葉は、一字一句間違いは無かったのに。

 腕を――彼と比べてずいぶんと小さく細い――まっすぐ伸ばしている彼女の手から、そっと傘を受け取る。軽く水をふり払って丁寧にその傘を開くと、彼女に雨が当たらないようにと傾けた。


 タン、タン……。


 少女の髪を伝わる水滴は時を刻むように、傘の外の世界の大雨に掻き消されて聞こえやしないはずなのに、傘の中の世界で音を立てている。落ちた水滴は真っ直ぐに地面へと吸い込まれていく。身体を侵食していた雨はやがて地面で解けて、再び足元を侵食して行くだろう。


「こんなに濡れていては、貴女も風邪を引いてしまうよ」


 彼女を怯えさせないように、いつもの表情で優しく微笑んだ。そして雨に晒されて、すっかり色を変えた鞄の中から使っていない手ぬぐいを取りだす。

 これも雨に多少侵されて良い状態と言えるほどではなかったが、それでもないよりはマシだったろう。自分の、恐らく彼女にとっては予想外の行動に目を丸くした。


(――この人は、私の正体に気づいている)


 それでも、異常事態(そんなこと)など気にしないように彼は紳士的に、真面目に一人の女性として対応した。


(今までこんなこと、一度だってなかったのに)


 俄雨がちょうど頭上を通り過ぎはじめたのだろう、みるみる内に空から投げ出される雨粒の量が減っていく。


「もう、行かないと……」


 どうやら彼女が雨の降っている間にしか、こちらの世界に存在することができないようだ。

 少し寂しそうに空を見上げて、それから彼の顔を見上げて呟いた。その表情は無性に胸を締め付けてきた。

 途端、へばりつくような鈍い痛みが、自分の心を襲った。

 雨が、自分と彼女を隔てる決定的な壁であるようだった。


「大丈夫、君はまた雨の日に此処に来られるんだよね? その時にまた名前を探そう。僕でよければ、手伝うから」


 もう一度、微笑んだ。不謹慎だが、彼女の心に残る自分が、どうか良いものであるように。

 少女の頬がさっと赤くなるのが目に見えて、愛しさを感じた。

 弱まっていく雨音とともに薄れてゆく身体が、完全に消えてしまう前に。


「僕は黄桜梅園きざくら うめぞの。今度、君にも名前が見つかっていたら、その時に教えてほしいね」


 躰を叩いていた冷たい雨に相反して、そっと握られた手は、温かかった。

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