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二〇二  作者: 牧田紗矢乃
 
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 キンコンと乾いた音が響く。

 ……チャイムが鳴っている。誰かが来たのだ。


 思考を放棄した脳味噌がゆっくりと認識した情報を伝達する。

 動くのも億劫で、視線だけを玄関へ向けた。扉の向こうでは私を待つ誰かが「すみませーん」と声を上げていた。


 ゆっくりと視線を戻せば、老婆の顔。二〇一号室のおばあさんだ。

 おばあさんは険しい顔で私を見ていた。私が動く様子がないのを確認して、ゆっくりとクローゼットに向かう。


「絶対に動くんじゃないよ」


 しわがれた低い声は私たちを威圧し、自らの住居へ消え去った。




 私は迂闊だったのだと思う。

 あの晩の侵入者騒ぎの後、一人で夜を過ごすのは不安だろうと差し伸べられた手を取った。よく知る人の良いおばあさんだから。このハイツの管理人さんなのだから。

 安心した私は二〇一号室に招き入れられた。招き入れられてしまった。


 初夏とはいえ、夜は肌寒くなる。風邪をひいたらいけないからと差し出されたお茶を、私は何の疑いもなく飲んだ。


 次に記憶にあるのはがらんとした部屋と見知らぬ風景だった。二段ベッドを分解して一段にしたような、柵付きのベッド。私の両手両足は、それぞれその柵に手錠で繋がれていた。

 もがいても鎖がガチャガチャと音を立てるばかりで外れる様子がない。

 助けを求めて声を上げようとしても、きつくかまされたタオルが邪魔で声が出せない。

 自分の身に起きたことが理解できず、辛うじて動く首を回した。


「……っ!」


 声にならない声で悲鳴を上げる。

 私の隣には、ミイラがあった。ミイラは黄色く濁った瞳をこちらへ向け、ヒューヒューと苦しそうに呼吸を繰り返す。


 ――生きている、人……?


 骨と皮ばかりになった男性は、視線だけで何かを訴えようとしていた。彼は手足が自由だったが、動く体力も残っていないようだった。


 がさり。

 物音がして、男性の黄色く濁った瞳が見開かれる。そこにあるのは恐怖の色だった。


「起きたのかい」


 聞き覚えのある声だ。声の主を求めて首を持ち上げる。


「……っ、……っぐ!」


 クローゼットの中から、二〇一号室のおばあさんが出てくるところだった。

 助けを求めて声を上げると、おばあさんの表情が険しくなった。


「黙んな。他の部屋に知れたら困るだろう」


 普段の優しげな様子からは想像もつかない声色でねめつけられる。直後、老人とは思えない力で平手打ちされた。

 唐突な出来事に震える私に、おばあさんは酷く歪んだ笑みを見せた。




 空き巣騒ぎのあの晩、他人の家に侵入したのは他でもない私だった。それを確信したのは、盗まれたはずのハンドバッグが部屋の片隅に置かれているのを発見した時だった。

 意識ははっきりしていたつもりだが、間違えて隣の二〇二号室の扉と格闘していたのだ。そして、何の偶然か鍵が開いてしまった。

 そうとは知らず普段通りにくつろごうとした時に、ちょうど男性と目があった。彼はこの監禁部屋から、最後の力を振り絞って脱出するつもりだったのだろう。救いを求めて出した声は、皮肉にも私を部屋から追い出してしまった。


 おばあさんに監禁されるうち、私は色々なことを知った。


 私の隣でミイラのようになった男性は、おばあさんが言っていたオーナーを務める息子さんであること。一号室と二号室が左右対称の造りになっていることを利用し、クローゼットを使って行き来できるように改装していたこと。

 そして。

 私は死ぬまでこの部屋を出られないこと。


 初めはこの部屋を引き払って息子さん夫妻の家で同居するか否かという、ほんの些細ないさかいだったらしい。

 愛着があるから離れたくないというおばあさんと、その部屋も貸した方が収入が増えると説得する息子さん。二人の意見が一致することはなかった。


 息子さん夫妻は、強引に荷物を運び出して同居するしかない状況にしてしまおうと考えたのだ。

 それに勘付いたおばあさんは、私にしたのと同じように二人の飲み物に睡眠薬を混入した。


 二〇一号室の奥の洋室に二人を監禁していたが、それではどうにも手狭になってしまう。そこで空き室だった二〇二号室を改造して監禁部屋を作ったのだそうだ。


「ここを見られてしまったらねえ、そのまま帰すわけにはいかないんだよ」


 おばあさんに私を巻き込むつもりはなかったと見えて、何度も弁解の言葉を繰り返した。

 それでも、騒がれては困ると手足につけられた手錠と口に噛まされたタオルが外されることはなかった。


 基本的に食事は与えられず、日に何度かタオルに水が注がれる。

 それを必死に搾り取って腹を満たす他なかった。


 空腹で朦朧とする意識をどうにか繋ぎ止め、脱出の隙を図れたのは三日目の朝までだった。

 厚い遮光カーテンが引かれているため正確な時間はわからない。二度寝て、二度起きたという事実だけが手元にあった。


 物音を立てようものなら、おばあさんは昼夜を問わずクローゼットから現れた。その度にもたらされる折檻はじわりじわりと私を蝕んだ。


 ――大人しくしていれば平穏に暮らせる。


 私は、どう安全に一日を過ごすかという事しか考えが向かなくなっていた。これもおばあさんの思惑通りだったのかもしれない。

 来客があった時は、普段以上に気を遣って気配を消す。それが私の生活の鉄則になっていった。




 いつしか動かなくなった男性が、異臭を放ち始めた。

 夏だ。仕方ない。

 そう思う反面で引っ掛かりを覚えた。


 ――この臭い、どこかで……。


 記憶を辿ろうにも頭が働かない。

 そんな私の疑問は、おばあさんの言葉で氷解した。


「年に二回も下水の不調なんて言えないじゃないか。まったく、厄介な息子だよ」


 そうだ。あの時の臭いによく似ているんだ。

 そこで気付いてしまった。おばあさんが監禁したのがであったことに。




 監禁から何日が経ったのか、とうの昔にわからなくなってしまった。誰も私がいなくなった事を気にかけないらしく、まだ救いの手は差し伸べられない。


 ――……私、このまま死んでいくんだ。


 おばあさんが引き連れてきた見知らぬ男の人が、息子さんの亡骸をどこかへ運び出していった。

 その時に「まずいよ。兄貴だけじゃなく知らない人まで巻き込むなんて」という押し殺した声を聞いた気がする。けれど、おばあさんが何も答えなかったところを見るに、幻聴だったのだろう。

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