第八話 追いかけっこ
翌日と言ったらもう。
「あ、セレーネ――」
「ユタカ様、私ちょっとカルターニャに行ってくるね」
「お、おぅ」
「なぁセレ」
「カシスー! 今度はミドルドーナまで!」
「はいはい」
「」
「セレーネが、今日は戻れないって言ってたわ」
「わかりました……」
避けられていた。
これでもかってぐらい避けられていた。
いや、あいつが忙しそうにしているのは仕方のない事だ。
カリウスの子供が魔王だったのだから。
それが事実なのか、はたまた俺たちの狂言なのか、といった確認作業が向こうとしては必要だろうし、さらに言えば俺が遥を連れ戻していることも、そろそろバレ始めていたっておかしくない。その辺の調整は全部セレーネが自主的に行っている。
本当は俺がやるべきことだ。
というか、さすがに放置し続けても後々が余計にこじれるだけだし、それを面倒だからと放置するとかさすがにカッコ悪すぎるし、別にそうすることが嫌なわけではない。というわけで、体力回復したから俺がやる、一緒に教会に行く、と堂々と宣言した。
したのだが、セレーネに拒否された。
結果、今はセレーネがカシスを連れ回して、日中夜てんやわんやだ。
……ここまで露骨な態度を取られると、さすがにしんどい……。
昔、クラス中が特定の誰かをシカトするという、いわゆる『ハブり』というイジメがあった。結局何でそいつがその対象になったのかは最後までわからなかったのだが、多分、ハブられた奴はこんな感じの気分だったのだろう。
目が合って、話しかけようとしてもスルーされる。
近場にいる別の誰かの下に歩いていく。
これは、本当に、精神的にクるものだったんだな。
自分の存在そのものを見失いそうになる。
ちなみに俺のクラスであった『ハブり』は、事態に気づいた遥が半日でぶち壊した。
マジ切れしながら鞄をぶん投げていたあいつの姿は、残念ながらとても勇敢な奴だとは言えなかった。が、ハブられた側の女子はとてもとても感謝していたし、遥が行方不明になった時も心から心配し、捜索に協力してくれた俺の救世主の一人だった。
ちなみにのちなみにを言うと。
その時の俺はとてもカッコ悪い事に能動的には何もしていない。関わらないようにと、周りに合わせてそいつをハブこうとしていたクズだ。……それがあまりにも情けなくて、その後、遥が新たな『ハブり』の対象にならないよう、多方面に根回しをした覚えがある。
……俺に遥の真似はできそうにない。
「ねぇ、セレーネちゃんは~?」
苦い思い出を振り返っていると、欠伸で目元を濡らした件の遥が姿を現した。
もう夕食時なんだが。
今夜もダメそうですね。
「セレーネは、今日はミドルドーナの教会に泊まるってさ」
「……教会………なんで………?」
あ、やべ、多分これは地雷だ。
遥の顔色がみるみるうちに青を通り越して白く染まっていく。
さらに、瞳からハイライトが失われようとしていた。
「よぉハルカ、ようやく起きたのか」
「ガラリア」
「もうちょっと遅かったら、お前さんの晩飯は無しだったんだがな」
「――! ダメだよ! おなかすいた!」
フラッと現れたガンラートのおかげで事なきを得る。
俺がホッとしていると、奴がパチリとアイコンタクトを送ってきた。
気持ち悪いやめろ。
……まだ目覚めてほんの一日、二日しか経っていないが、やはり遥はこんな感じだ。どこに爆弾が潜んでいるかわかったもんじゃなくて、ヤバイと思った時にはもう導火線に火がついていて、俺としては昨夜みたいに強引に手綱を握るしかない。
人生経験の少なさが身に染みるな。
ガンラートがいてくれてよかった。
さすがガンラートさんは頼りになるぜ。
「晩御飯できたって。さっさと来なさい」
楽しそうにイチャイチャする遥とガンラートに俺が殺意の波動を向けていると、カシスが扉を開いてやってきた。こいつもこいつで忙しいだろうに、夜には必ずアジトに戻ってくる。何だろうか、帰省本能だろうか。
「今日の当番は?」
「グラシアナ先輩とフラン」
「え゛」
「……安心しなさいな、ほとんどフランが作ったから」
そりゃあよかった。本当によかった。
と、俺とガンラートが同時に胸を撫で下ろす。
アジトの食事当番は持ち回り制である。
共同生活をしているのだから当然だ。
しかしながら、その中でも味覚が崩壊している人間が何人かいる。
蟻の生態じゃないが、集団の中には残念な奴がいるのも仕方ない。
そいつが食事当番の時は誰もが血の涙を流しているのだが、はてさて、まさかのグラシアナもそのポンコツ要因に名を連ねていた。
あのおっとりというか、のんびりというか、何処となくそんな印象を持つ魔術師は、何かよくわからんがカシスが復帰してもちょくちょくアジトに遊びに来る。こんな辺境の片田舎のこじんまりとした元廃城の何が楽しいのだろう。わからない。
わからないが、来たいというのなら勝手に来ればいいと思って放置していたところ、いつの間にか料理当番も担当するようになっていた。馴染み過ぎだ。
で、初めて彼女に料理を任せた時は本当に酷かった。
豚の餌にする事さえ憚られる壊滅的な味がした。
しばらく舌がおかしくなって、水と酒の味の違いがわからなくなったレベルだ。
かといって料理禁止を告げる勇気は俺にも盗賊たちにも無く、みんな次が来なければいいと戦々恐々としていたところの、今夜。
その二回目が来てしまった。
「ごはん! ごはん!」
「ハルカ、あんたも勇者ならもっとシャキっとした態度を取りなさい」
「もう勇者じゃないもーん」
「だったら毎日その指輪を眺めてニヤニヤするのはやめてもらえるかしら!
正直イラッとするのよ!」
「こ……これは! これはね!」
「いい加減にしないと晩御飯抜きよ!」
「それだけはやめて下さいお願いします!」
遥が救いを求めるように俺に視線を向けた。
俺は決して目を合わせないようにしてケインに話しかける。
「なぁケイン、菜園の調子はどうだ?」
「完璧っす! 冬が来る前にはバッチリ収穫できる予定っす!」
「そりゃあよかった」
「豊ー! 豊ー! カシスを説得してよー!」
無理だ、諦めろ。
結局その後、泣き落としに入った遥を心から見下すカシスの素晴らしい目線に男性一同が戦慄しながら(一部は恍惚とした表情をしながら)、器用に蒸かしイモ(グラシアナ作)だけを避けて進められる夕食を楽しんだ。ちなみに蒸かしイモは食えない事はなかったが、やはり何人かが腹痛に身悶えていた。
そして。
伝言の通り、セレーネは帰って来なかった。
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カシスじゃないが、正直イラッとする。
つい先日までは普通に楽しく仲良く会話をしていた相手が、ある日を境に、しかも原因さえわからないままに露骨に避けてくる。
悲しいとか辛いとかそういった感情がまず湧き上がって、次に怒りが湧いてくる。
なぜ俺が避けられなきゃならん。
俺が何をした、嫌いになったら嫌いとはっきり言ってから俺の下を去れよ。
確かに俺は、セレーネにとって理想の勇者ではなかった。
程遠かったと言ってもいいだろう。
不特定の誰かのために何かをしようなんてサラサラ思わないし、人々の期待に応えようなんて思うわけがないし、ましてや世界のために戦おうなんて思った事は、今でさえ一度もない。自分自身が勇者なんだと納得しても、そこまで大それたことは考えられない。
スケールがデカ過ぎるんだよ。
日本という『国』でさえさっぱりわからない俺に、ユーストフィアという『世界』を実感する事など出来ようはずもない。それで、そこに生きるどこかの誰かを救え、なんて言われたって困る。
俺が守れるのは。
守りたいと思っているのは――。
「――それでは」
「はい、セレーネ様。また後ほど」
「よろしくお願いします」
霧雨の彼方から、耳によく馴染む声が聞こえた。
魔力の残滓が消え去った辺りで、サクサクと濡れた足元を踏みしめる音が近づいてきていた。
早朝もいいところの、多分午前4時半ぐらい。
天候には恵まれない日になりそうだが、きっとケインは喜ぶだろう。
野菜に水をやる手間が省けるからな。
いや、農業ではその辺ちゃんとやらなきゃならないんだっけ? ちょっとよくわからないけど。
今日は戻らない、なら明日になったら戻ってくるんだろう。
明日の何時に戻るかわからないなら、ずっと待っていればいい。
そう思った。
何かストーカーみたいな考え方だが、ちゃんと話がしたい。
ガンラートも、カシスも、エンでさえも放っておけって言っていたが、それで納得できるほど、俺は大人じゃなかった。
だから、待つ事にしたんだ。
「――おかえり、セレーネ」
「ユタカ、様?」
傘も差さずに立ち尽くす。
水も滴る美しき金色の聖女が、そこにはいた。