第四話 魔王シャルル
あれから二日。
「ユタカ。教会から、出頭命令が来てるわ」
「……数日中に行くって言っておいて」
「もう言ったわよ」
魔王が撤退した後、俺たちは速やかにアジトへと帰還した。
無論、遥を連れてだ。
その遥はずっと寝てて、まだ目を覚ましていない。
心も身体も疲労のピークをとっくに超えていたのだろう。
というか、あの戦いに参加した奴は、少なくとも丸一日はずっと寝てた。
不参加組がその生死を訝しんだレベルだ。
一番に復活したのがカシスで、それでも30時間ぐらい眠り続けていたらしい。
最速の理由は通信魔法による安眠妨害だったようだ。
俺? 俺はさっき目覚めたばかりだよ。
大学時代でさえこんなに眠り続けた事はない……いやまだ一応身分は大学生なんだけどね。よく考えなくても留年確定じゃねぇか、やってられん。ちゃんと社会人になれるのだろうか。
寝すぎたせいか、何となく身体が怠い。
筋肉がギシギシしている。
ちなみにやはりカリウスが外側の指揮を執っていたらしい。俺がみんなを集めている間に一瞬だけ邂逅して、目を丸くしながら立ち尽くしていた。奴にしては珍しい表情を浮かべ、何かを言いたげだったが、もう疲れたしさすがにウンザリだし無視して帰ってきた。
で、当然ながらそれ以降、教会とかギルドから引っ切り無しに「ちょっと来て、話をして」って通信魔法が届いている。が、まだ遥が目覚めていない以上、俺がこの場を離れるわけにはいかない。悪いがもう少し待ってもらおう。
はてさて。
魔王シャルル。
遥の既知であり、例の魔族少年――だと思っていた――存在である。
それだけだったらさっさと戦って、はい、終わり、で良かったのかもしれないが。
単純に事が運ばない、いくつかの理由がある。
まずそのひとつ目。
「セレーネ」
「………………」
「話してくれ」
「……そうだよ、ね」
部屋に呼び出したセレーネは、呼び出されることがわかっていたかのような、それでいて覚悟の決まっていないような、何とも不可思議な表情を浮かべながら、決して俺と目を合わせずに座り込んでいた。
シャルルの見た目は、カリウスそっくりだ。
違うのは年齢による肉体の成長度合いと、あと瞳の色ぐらい。
同時にセレーネとも似ているわけだが、これで無関係というのは少々厳しい。
話してもらわなければならない。
「シャルル様は――」
数十秒の時を置いて、彼女は口を開く。
シャルル=ヒストレイリア。
聡明で利発で頭脳明晰、文武両道、爪先から鼻先まで才気溢れ出す非凡の存在。
生来の特異体質も相まって、生まれてから現在まで、その輝かしい将来を確実視された稀代の天才児。
カリウスの実子だ。
何事もなければ次の、あるいはその次の教皇になるレールが引かれていた、そんな少年。
にもかかわらずほとんど表舞台に現れず、民には存在すら危ぶまれていた都市伝説の子供。
いや、その実在性を疑問視していたのは民だけではない。
教会の奴らもだ。
……シャルルは死んだと思われていた。
10歳の誕生日を節目に、忽然と、それはもう唐突に姿を消した。
焦燥し取り乱したカリウスの様子に、喚き叫び心を壊し引きこもってしまった母親の様子に、しかし黙して語らぬ様子に、誰もが何となく、あぁそうなんだろうな、と察した気になっていたらしい。
それが、セレーネが知るところのシャルルだった。
「でも生きてた。シャルルは俺たちに、いや世界に矛を向けた」
「……うん……」
「セレーネ、俺は――」
シャルルを殺さなければならない。
と、またもや言葉が脳を経由せずに口をつきそうになった。
物騒な話である。
二つ目の問題はこれだ。
こうしてあの場を離れてみると、色々と思うところがある。
ぶっちゃけ、……別にシャルル放置していいんじゃね? とか。
俺の最大にして唯一の目的は遥奪還だった。
次の目的は日本に帰還すること。
そう考えると、遥は既に俺の傍にいるわけで、シャルルには特段恨みもないし、関係ないと言ってしまうのは問題かもしれんが、しかし死ぬ気で戦ってまで殺してやろうという高いモチベーションは持てそうにない。
そりゃあ俺だって死にたくないから、あっちから向かって来たら相手をするし、ミドルドーナで約束したように、民を守ってやろうとは思うけど、わざわざこっちから出向いてまで危険な橋を渡る必要はない。
と、冷静になってみるとそういう結論になる。なるんだが……。
……ふと気付けば、如何にして魔王を殺すか。
本当に無意識に、思考がそっちに傾いてしまっている。
そうあることが自然であるように、そうすることが当然であるように。
おかしいだろ。
こんなものは俺の意志じゃない。
俺はそこまで狂人じゃない。
何を好き好んであんなガキを殺さなきゃならんのだ。
これが。
これが、代々脈々と受け継がれてきた、勇者の務めだとでも言うつもりか。
気持ち悪い。
俺ではない誰かの意志に、俺の心が乗っ取られようとしている。
気持ち悪すぎて反吐が出る。
こんなものが勇者の業なのか?
光り輝く世界の希望が負うべき責任なのか?
どこかの誰かの願い、止めどなく襲い来る感情の波、そう、まるで、この感覚は――。
「…………」
「ユタカ様?」
黙っていると、セレーネが心配そうな面持ちで俺の頬に手をかざしていた。
そんなに不安を与える感じだったのだろうか。
……俺が心配されてどうするんだ。違うだろう。
「セレーネこそ、大丈夫?」
セレーネの方がよっぽどヤバイはずである。
こいつにとってはシャルルは甥っ子だ。
その甥っ子が魔王とかいう現実に、俺だったら吐き気を催しそう。
……が。
「もちろん。私は、大丈夫」
気丈にも笑顔を浮かべるその様子に違和感しかない。
こいつはこんな薄気味悪い笑い方をする奴じゃない。
強がっているのがバレバレで失笑さえ漏れない。
あぁ、なんてバカな女なんだ。
辛いなら辛いと言えばいい。
苦しいなら苦しいと言えばいい。
どうしたらいいのかわからないなら、そう言えばいいんだ。
まだ女子高生なんだから。
「なぁセレーネ――」
「ストップ、ユタカ様」
何か声をかけようとしたら、遮られてしまった。
「今、優しくしてくれようとしたでしょ」
「……まぁ、慰めようとは思った」
俺は所在なさげな宙ぶらりんの右手を、さてどうしたものかとプラプラさせながら答える。ホントにこれ、どうしたらいいんだ。カッコ悪い。イマイチ恰好つかないのが俺って奴だよなぁ。
そんな様子を見ながら、クスクスと声を漏らすセレーネは、ちょっとだけ嬉しそうに、だがよく見ると寂しそうに。
「これは、私たちの――ヒストレイリアの問題だから。
ユタカ様は気にしないで。
それより、ハルカ様の傍にいてあげてよ」
それは……それは、セレーネからの明確な拒絶だった。
関わるなとはっきり言われたのは、多分、これが初めてだった。
ここまでバッサリ切られると何も言えん。
遥のことは心配だ。
目覚めた時、どんな精神状態になっているかわからんもんじゃない。
いきなり叫び出したって驚きもしないだろう。
だけどな。
俺は、セレーネだって心配なんだ。
だって、仲間なんだから。
放置して良いって事にはならないだろ。
「その気持ちだけで充分だよ。
……ありがとう。
もう寝るね、おやすみなさい」
お前さっき起きたばっかりだろうと。
そんな軽口さえ言わせない頑なな態度で、彼女は去っていった。
まったく。これだから責任感が強い奴は嫌なんだ。
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「って感じなんだけど、どうしたらいいと思う?」
「兄ちゃん……それをおれに言って、答えが返ってくると思う?」
「思わないけどさ」
静かな夜の話し相手と言えば、エンである。
なぜならこいつは眠らないからだ。
俺が夜更かししていると、フラフラと漂いながらやってきて、眠くなるまで無駄話をするのが日常の1ページだった。
そんなエンにセレーネの件を相談してみたのだが、やはり芳しい回答は返ってきそうもない。わかっていたことだが、じゃあ誰に相談すれば良かったんだよ。カシスか? ……うん、カシスだったかもしれない。
あいつはセレーネと仲が良いからな。
しかも意外と思慮深い。
ハッとするような答えをくれただろう。
近いうちに聞いてみるか。
「それより、兄ちゃんはハルカ姉ちゃんの事を考えた方がいいよ。
セレーネ姉ちゃんの事は、出来ればおれたちに任せてほしいなぁ」
「いや遥の事は考えてるけどさ、だからってセレーネの問題を放っとけないだろ?」
「……意外と浮気性だったのかな」
「何の話だ」
「なんでもないよ。はぁ……二人ともかわいそう」
何がかわいそうだというのか。
二人ってのは誰と誰の事なのか。
問い質してみるも、エンは頑として口を割る気配はない。
こいつもなかなか難攻不落だよな。
さすがお兄ちゃんだ。
「エンだって、いつもメイの事ばっかり考えてるわけじゃないでしょ」
「そうだけど、それとこれとは別問題だよ。おれとメイの関係は兄妹だけど、兄ちゃんとハルカ姉ちゃん、セレーネ姉ちゃんは違うでしょ?」
そりゃあそうだ。
遥は俺の幼馴染であり、セレーネは俺の仲間。
血の繋がりなんて勿論無い。
まぁ……遥とは兄妹みたいなもんかもしれんが。
仮にそうだとしたら、俺が兄貴だ。
これだけは譲れない。
実際、10人に聞いたら9人が賛同してくれると思う。
ちなみに首を縦に振らない1人は遥自身を想定している。
「おれはそういう事はよくわかんないけどさ。
でも、兄ちゃんたちを見てると、なんかイラッとする」
「……なんでだよ」
「それがちゃんとわかる頃には、おれはきっと兄ちゃんをぶん殴ってるよ」
なんて危なっかしい事を言うんだ。
そんな子に育てた覚えはないんだが。
結局、エンははっきりしたことを言わないまま、寝床のメイの様子を見に帰ってしまった。
なんか、考えなきゃならん事がたくさんある気がするな。
3連休なのに前日入りで10日間も出張とか酷くね?
イラッとしたのでPC持ってきました