第二話 シャルマーニ防衛線Ⅱ
「――戦え! 逃げてんじゃねぇ!
てめぇらが逃げてたら、誰がこの街を守るってんだ!!
ビビってんじゃねぇよ!」
「だけど! あいつらは……あいつらは!」
「あんな憐れな奴らを、これ以上増やしたくねぇだろうが!」
最前線から、聞き慣れた声が届く。
横では、俺と同じようにピクリとそれに反応する女がいた。
ガンラートの声だ。
あいつはやはりこの場にいるようだな。
って事は、多分他の奴らもいるだろう。
あいつの怒号が何を意味しているのか、一目見ればわかる。
ミドルドーナの魔術師は。
教会の聖職者は。
そして、シャルマーニの騎士団は。
敵の攻撃をいなすばかりで、積極的に仕掛けない。
ただ立ち尽くしているだけの奴さえいる。
その眼には明確な怯えが浮かんでいた。
戦う意思が感じられないのだ。
だからガンラートは怒鳴り声を上げ、こいつらを鼓舞する。
しかし、残念ながらそれはあまり意味を成していないようだった。
襲い掛かる呪力の影を、回避し、防御し、または聖魔術で消し去っているだけ。
少しずつ後退しており、このままでは押し切られてしまうだろう。
「こんなの……こんなのってないよ!」
傍らの遥が、怒りを含んだ声を上げた。
俺も、これはないだろうと、そう思う。
敵は、人間だった。
いや、厳密にはそうではない。
感じ取れる。
人の肉体をベースに、奴らの身体は呪力で構成されている。
それはガンラートと同じような、そう、魔族の証だった。
敵は、魔族だった。
「いやだ! 死にたくない……やめろ、やめろぉおおおおおおおおおお!」
「私を殺して……お願いだから」
「うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!
誰だ! 俺に話しかけるな!」
「あは、アハハハ! そうだよね! ミンナ死んじゃエばいイんだ!」
そいつらは、まだ人の意志を残していた。
強く自分を保っている者、壊れかけている者、既に壊れてしまっている者。
呪力に汚染されている程度はそれぞれのようだが、確かにまだ、意思を持っていた。
――魔王の仕業だ。
間違いない。
この世界に蔓延る災厄。
魔王という闇の象徴が、この事態を引き起こした。
「……やっぱり、そうだったんだ。
わかった……わかったよ、シャルル君。
シャルル君が、……」
何かを呟いていた遥が、突如、魔族の集団へと駆け出した。
ガンラートが待つ、最前線へ向かうつもりなのだろう。
俺も無言でその後を追う。
……身体を操られているのか、恐怖を目に浮かべながら襲い掛かってくる『かつて人だった者たち』を薙ぎ払いながら、その後を追う。
ガンラート、今ならお前の言っていたことがわかるよ。
魔王の脅威ってのがどれほどのものなのか。
なぜお前やスクリが、「死ななければならない」と、俺に戦いを挑むほど追い込まれていて、なぜコルニュートがさながら自殺してまで魔族となることを拒んだのか。
確かに次々と町村が滅ぼされ、人々は消え、裏で何かが起こっている予兆はあったんだ。
だけど、いつまでも首謀者は現れないし、立て続けに色々あって、頭の片隅に追いやっていたことだった。いや、忘れていたといっても過言ではない。放置していた言ってもいいし、解決するつもりがなかったとも言えるだろう。
だけど。
きっと『ユーストフィア』の事を思うなら、片付けるべき最優先事項だったのだろう。
取っ掛かりはあった。
怪しいと思われる存在はあがっていたんだから。
少年。
恐らく魔族だと推測されていた少年がいたはずだ。
忘れていた。考えていなかった。
――きっと、そいつが。
「ガンラート! エン!」
「ガラリア! エン君!」
「兄ちゃん! それに……?」
「お頭ぁ! 遅ぇっすよ! んで、そっちのそいつは……」
呪力を呪力で相殺し、悲痛に顔を顰め合いながら戦うエンが、俺の名を呼ぶ。
刀と槍の変則二刀流で、泣き叫ぶ魔族を次々と殺していたガンラートは、遥の姿に気づいて――こいつの目には違う姿に移っているのだろうが――、薄く、それはもう似合わない穏やかな表情を浮かべつつ、笑った。
「よぉ、久しぶりだな、ハルカ。
さすがお頭だ、有言実行したって事か」
「ガラリア……ねぇ、本当に、ガラリアなの?」
「一応中身は本物だぜ……っと、悪いが感動の再会をしている暇は無ぇ!
ハルカ! とりあえず戦え!」
「う、うん! あとでちゃんと教えてね!」
「って、どこ行くんだよ、おい! 遥!」
「兄ちゃん、行って! ここはおれたちに任せていいから!」
「お前らは操られないんだろうな!?」
「大丈夫だよ! おれたちは『勇者一行』なんだから!
いいから行って、はやく!」
エンの声に促され、再び走り出す遥を、俺は再度追いかけ始める。
とりあえずガンラートにはアイコンタクトで指示を送っておいた。
指示っていうか、任せる、っていうただそれだけだけど。
奴はコクリと頷いて、また戦いに戻った。
その周囲には、恐怖を押し殺して武器をふるう、盗賊たちの姿もあった。
腰が引けているが、一応、戦ってはいる。
あいつらを見て、頼もしいと、そう思う日が来るなんてな。
遠く、右手のほうで火竜が天空を駆け上っていった。カシスだ。
あいつも、ちゃんと戦えているようだ。
逆側、左手では目を覆いたくなるほど巨大な聖なる光が魔族を浄化していた。
セレーネだろう。こんな状況なら、今日は戦闘要員として八面六腑の大活躍だろうな。
頼もしい仲間たちの活躍に内心嬉しく思いつつ、怨嗟の声を上げながら進路を邪魔してくる魔族たちを真っ二つにし、刺し殺し、風で消滅させながら、戦場を駆け抜ける。
そして、急停止した遥の目の前に、そいつはいた。
息を切らせながら、俺たちはそいつと対峙する。
確かに、文字通り少年だった。
年の頃はエンと同じぐらい、金髪に紅の瞳をした、えらく整った顔立ちの少年。
どことなくセレーネに……いや、むしろ。
カリウスに似ている。
佇まいが、纏う雰囲気が、庶民とは住む世界が違うと、そう言っているようだった。
「勇者様! お待ちしていました!
さぁ、ついに準備が整いましたよ。
僕と一緒に、世界を壊しましょう!」
「私はやらないよ、シャルル君」
「どうしてですか?
以前は、協力してくれると仰っていたではないですか」
「……それは…………」
「腐敗した世界を創造し直す。
そのために、僕たちは涙を呑んで、この世界を破滅させる。
それが僕たちが負うべき、ユーストフィアへの責任。
勇者様も賛同して下さったではないですか!!」
シャルルと言われたその少年は、どうやら遥と既知のようだった。
自信に裏付けられた堂々たる態度は、なるほど、いっそ風格さえ感じさせる。
自分が最も正しいと、心から確信している者にしか取れない態度だ。
こいつが黒幕。
こいつが首謀者。
こいつが……。
「遥をこれ以上そっちの道に引っ張り込むのはやめてくれないかな」
俺は聖剣を突き付けながら、言い放つ。
「あなたは……? いや……まさか、この感覚は」
「……勇者だよ」
「勇者様はハルカ様では?」
「遥からその称号を引き継いだんだよ。
今は俺が勇者、勇者ユタカだ」
キョトンとした純粋なその表情が、この場ではとても不釣り合いに思えた。
あぁ、まさか向こうが勇者の代替わりを知らんとは思わなかった。
そりゃ、世界は広いし、今まで暗躍していたであろうこいつが知らなくてもおかしくはないのかもしれないけどさ。
おかげで自ら名乗るハメになってしまった……なんか悔しい。
「そうなんですか、ハルカ様?」
「そうだよ。ほら、豊が聖剣を持ってるでしょ?」
「ですが、指輪はハルカ様が持っているではないですか」
「これはその、あの、えっとね?」
ギュッと左手を握りしめつつ、頬を朱に染めながらチラチラとこっちを伺う遥。
おいやめろ、今はラブコメやってる場合じゃないから。
そんなかわいい仕草と表情をするのはやめろ!
なんかイマイチ空気が締まらないが、とにかく。
ようやく定められた運命の仇敵と対峙することができたわけだ。
今までずっと勘違いしていたのかと思うと、自分の思考の浅さを呪いたくなるな。
遥が魔王。それを、疑った事もなかった。
所詮は周りの言うことに流され易い、日本人だったという事なのか。
今、こうして向かい合ってみると。
身体の奥底から、俺ではない誰かの強烈な意思を感じ取れる。
伝わってくる。
「君が、魔王なんでしょ?」
少年シャルル。
こいつが、今代の魔王だった。




