第一話 シャルマーニ防衛戦Ⅰ
俺の知っているシャルマーニは、王都の名にふさわしく、毎日がお祭り騒ぎなんだろうなって感じの印象を持つ、金持ちになったら住みたい街ランキング第一位に君臨しそうな、楽し気な都市だった。
たとえ王族が死のうと関係ない。
ある意味では逞しい、今を生きている市民ばかりで、明日の朝日さえ拝めるかわからない、ユーストフィアの刹那的な環境を体現しているようだった。
そんなシャルマーニはやっぱり今日もお祭り騒ぎ。
耳を塞いでも喧噪からは逃げられない、そんな状況だった。
阿鼻叫喚の地獄絵図。
って、ゴロのいい言葉だよな。
「『水刃』! 『水刃』!」
「『風刃』! 『風刃』!
おい、多すぎるだろ、これ!」
「いいから黙って戦って!」
遥の恫喝に俺は黙るしかない。
というか、正直長々と喋っているほどの余裕がない。
魔物、多すぎ。
日本では30m歩けばコンビニが鎮座する地域があるらしいが、こちとら5m歩けば魔物に出くわす。二秒で人を殺せそうな醜悪な顔つきをしたそいつらを、俺と遥は次々と出会い頭に細切れにしていった。
多分もう一人頭300匹ぐらいは殺した。
血の噴水が俺の全身を汚す。
肉を切る嫌な感覚が、俺の全身にこびり付く。
手慣れたもんだと思ってんだが、これだけ繰り返すとウンザリするもんだな。
あぁ、なんかもうやってられん。
どうしてこうなった。
俺の仲間たちは、いったい何をやっているのだろう。
見渡すと、ミドルドーナの魔術師や、教会の聖職者たちの姿、あと騎士団っぽい奴らは見えるが、セレーネ、カシス、ガンラート、そしてエンや盗賊たちの姿は見当たらない。あいつらは何かと目立つから、いればすぐにわかる。
一方、ギルドや教会連中は連携がバラバラで、苦戦を強いられている様子だ。
戦闘指揮は誰が執っているんだ?
カリウスじゃないのか?
まだ完全に負け戦って感じではないが……何が起きているんだ?
「…………」
とにかく状況を把握しなくてはならない。
このまま無限に戦い続けたところで、いずれ負けるのは目に見えている。
消耗戦ってレベルじゃねーぞ、限度ってもんがあるだろう。
カシスの通信では、確か数千だったか。
多分、その想定より多いのだろう。
それか、想定外のとんでもない出来事が起こっているか、だ。
いくらなんでも、あいつらが参戦してここまで酷い状況にはならんはずだ。
しかも、シャルマーニにはカリウスがいる。
あいつは本当に死ねばいいと思っているが、それでも、奴個人は優秀なはずだし、まさかシャルマーニが滅ぶのを看過するほど愚かな奴じゃあるまい。
だが、現状はこれで、現実はこれだ。
だから、とにかく状況把握が大切である。
「――『抜刀・雪月花』!」
花弁が舞い、今まさに死を迎えようとしていた市民の命を救う。
シャルマーニに到着して数十分、こんな光景を何度見たことか。
「あぁぁ……ありがとうございます、ありがとうございます勇者さま……」
「いいから早く逃げろ!」
「……でも、逃げるって、どこへ……?」
縋りつく女性の言葉に、俺は何も返せず黙り込んだ。
どこへ逃げればいい。
逃げる場所なんてない。
この街は、どこもかしこも死と隣り合わせだ。
「街の中は魔物だらけです。戦いに来てくださった皆さんは、何があったのか、大半が外壁の向こうへ行ってしまいました。戦う術を持たない私たちは……」
外壁の向こう?
何だそりゃ、シャルマーニを捨てたって事か?
愚策もいいところだ。
それはない。
カリウスがそんな手を使うとは考えづらい。
いらない都市ならわざわざ出向いて内政したりしないだろうし。
つまり、街の中をモブに任せなければならないほどの何かが、外では起きている。
外での戦いに、俺の仲間たちも駆り出されている。
そう考えるのが妥当だろうか。
……そうすると、もしかしたら壁の内側に、カリウスはいないのかもしれない。
連携が全然なっていないのもその辺りが原因か。
チラリと様子を伺うと、どいつもこいつも暗澹たる表情を浮かべていた。肉体的にも、精神的にもきついのだろう。戦っている者は、終わりの見えない、希望のない戦いに身を投じなければならない状況。戦えない者は、一秒先の未来に死が待っている状況。
モチベーションの低下が著しい。
このままでは、俺の想像より随分と早く、シャルマーニは陥落してしまうだろう。
一人、いや二人で気を吐いたところでどうしようもなさそうだ。
これは、もう――。
「『支援魔法・拡大、拡散』」
傍らの幼馴染が、俺に魔法をかけた。
例の水魔法で変装しているらしい遥は、勇者である俺と一緒に戦っているにもかかわらず、特段市民からは注目されていない。『世界を裏切った勇者ハルカ』みたいな視線を向ける者は誰もいなかった。多分俺お抱えの盗賊団の誰かだとでも思われているのだろう。
こいつは世界のお尋ね者。
いくら緊急事態とはいえ、表に出るわけにはいかないのだ。
俺にはいつもの遥にしか見えないとはいえ。
そんな彼女が、真っすぐに俺を見つめながら、口を開いた。
「豊。今なら豊の声が、みんなに届くよ
あんまり得意な魔法じゃないけど、少しの間だったら」
「……?」
「ミドルドーナのあの役所にあるような魔道具と同じ効力を持つ魔法をかけたから。
豊がみんなに語り掛けて」
試しに声を出してみると、確かに物凄く響いた。
耳が痛い。スピーカーの真横にいるような感覚だ。
……つまり。
遥は俺に指揮を執れって言っているんだ。
何を目標に戦えばいいのかわからない奴らを先導し、膝をつく市民を鼓舞し。
俺に、シャルマーニの希望になれと言っているんだ。
勇者として。
そうだな、確かに勇者がいるとわかれば、誰もが顔を上げるだろう。
称号の効力は、ミドルドーナで実践済みだからな。
折れた心を奮い立たせるくらいのことは、多分出来るだろう。
「――そんな、諦めたような顔は、豊には似合わないよ!」
ニコッと向日葵の様な笑顔を魅せる遥は、俺のよく知る遥だった。
いつかの死んだ瞳を携えたそれじゃない。
この世界で巡り合う前の、日本にいた頃の、俺が大好きな表情である。
自惚れじゃなければ、多分俺が一緒にいるからだ。
ポルタニアで色々あったからな。
思い出すと顔から火が出そう。
あるいは、切羽詰まった状況が、遥に過去を忘れさせているのもあるかもしれない。
基本的に目の前のことに猪突猛進で、行き当たりばったりで、ひたすら突き進んでいくのが元々の性格なんだから。
あぁ、それでも俺は、そんな遥が好きで。
……やっぱりこいつには、こんな表情がよく似合うなと、つくづく思う。
『――聞いてくれ、シャルマーニの人々』
遥に頼まれたら仕方ない。
嫌とか言ってられない。
俺はこいつのヒーローでありたいと、そう思っているんだからな。
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どのぐらいの時間、戦っただろうか。
ほんの数分だったような気がするし、数時間だったような気もする。
見て取れるほど士気が向上した魔術師たちや教会の奴ら、そして騎士団連中は、俺の指揮の下で完璧な連携を見せつつ、徐々に徐々に魔物の軍勢を押し返しはじめ、今やもう残党を駆逐するだけという状況だ。
勝ち確ってこういう時に言うんだっけか。処刑用BGMとか流れてきそう。
すげぇもんだな、勇者ってのは。
なんて呑気に考えていると、遥が水剣で魔物をぶった切った後、夥しい量の血を浴びながらニコニコと俺に笑いかけた。
ちょっと怖いんですが。
戦闘狂みたい。
そういえばこいつは脳筋なんだった。
生まれがユーストフィアだったらヤバい奴になっていたかもしれん。
優秀な副官が手綱を取っていなかったら、スーパー独裁国家が生まれていたかも。
さすがにそれはないと思いたいが、うーん……。
……きっと、色々あって壊れちゃったからだな。
これが生来の気性だとは思いたくない。
ユーストフィアの屑どものせいだ。そう信じたい。そう願う。
「こっちはもう大丈夫そうだね」
「多分な。でも、まだあっちは――」
街中が落ち着くにつれて、外壁の向こうの戦闘音が聞こえてくるようになってきた。
はっきりと聞き取れるわけじゃないが、今もまだ戦いの真っただ中だな。
敵の戦闘力に苦戦しているのか、それとも単に敵が多すぎるのか……。
まだ、休んでいる余裕はなさそうだなぁ。
正直もうヘトヘトなんだけど。
俺は宝珠を取り出しながら、大きく嘆息して。
「遥、もう一回さっきの魔法をかけて」
「わかった」
支援魔法が効果を発揮している事を確認しつつ、俺はまたシャルマーニに語り掛ける。
ちなみに本人が苦手と公言した通り、その効果はすぐに切れた。
多分30秒ぐらいしか保たなかった気がする。
カシスのお株が奪われることはなさそうでちょっと安心。
『みんな、聞いてくれ。このままいけば、恐らく内側の戦いは大丈夫だ。
だから、俺はこれからこの都市に結界を張って、外の応援に行く』
『結界を張れば、外からまた魔物が押し寄せるってことはないけど、逆に中からも出られない。ってわけで、残存している勢力は速やかに撃退する必要がある』
概ね倒したとはいえ、まだ大型の魔物もチラホラ残っている。
少々不安ではあるが……。
『なぁに、大した数じゃない。
俺がいなくたって余裕だろ?』
だが、鍛え上げられたミドルドーナの魔術師は優秀だ。
教会は腐っても国を牛耳る勢力で、そう簡単に街を明け渡したりしないだろう。
忠誠を誓った王家を失ったとはいえ、騎士団があっさりと民を見捨てては困る。
自分たちの国は、自分たちで守ってもらわなきゃな。
周りを見ると、誰もが俺に頷きかけていた。
大丈夫だから行って来いと、目がそう言っている。
……都合いいなぁと思わなくもないが。
『じゃあ、あとはよろしく頼む』
そして、俺は遥の手を握る。
微笑む遥と共に転移し、入り口の門を背にしながら宝珠を発動した。
外壁の向こうには、波打ち際に転がる貝殻のように、死体の山が築かれていた。




