第三話 俺が勇者だ!
水は不定形なものだ。
液体だからな。
決まった形を持たない、逆に言えば、どんな形にさえ成り得る。
そしてこの世界には水魔法というものがある。
インフラとひとつとして、攻撃手段のひとつとして。
様々な様相を形作るそれは、俺が得意とする風魔法より大層便利だろうと思えた。
それにしたって。
「勇者はやめたんじゃなかったのか?」
「…………っ」
「シカトか、よ!」
遥は何も言わない。
何も言わないまま、俺に襲い掛かってくる。
無言の剣裁きは、多分ガンラート直伝なのだろう。
どことなく、西洋剣より刀を扱っているかのような立ち振る舞いだ。
地を滑るような足裁きとか。
引き抜くように振り下ろすところとか。
遥が、ガンラートが、スクリが、コルニュートが。
共に笑い、共に戦い、共に世界を救った瞬間は、確かにあったのだ。
その歴史は脈々と受け継がれていくのだろう。
遥を通じて、俺を通じて。
「遥」
「……」
「聞けよ、おい」
「――うるさい!」
鍔迫り合いを交わす水剣は姿を変え、俺の眼前で槍となる。
殺傷力を存分に秘めたそれが俺の頬を掠めた。
赤く滲む傷跡に水がしみ込んで、ひりひりと熱を持つ。
キィンと、まるで鉄がぶつかり合う様な音が響き、互いに距離を取る。
おかしいな。あれは水で、元を辿れば木製の杖なんだが。
それだけ水を圧縮しているということなんだろうか。
まぁ、水は現代日本でさえ鉄を切り刻めるからな。
何の技術も加えなくたって、長い年月をかけて岩さえ陥没させるし。
さもありなん。
「どうして? ねぇ、どうして?」
「どうしても何も、お前があいつらを蘇らせたんだろ。
魔族として。あぁ、でもコルニュートは違うんだっけか?」
「……そんなの知らない」
「知らないって言われても」
実際にスクリは蘇って俺に牙をむいたわけだし。
ガンラートなんていつもアジトで酒飲んでるし。
コルニュートはコルニュートで魔族じゃなく神獣として勝手に消えやがったが、実は結構カッツカツだったみたいだし。
現れた魔族(候補含む)は、どいつもこいつもかつての勇者一行。
遥以外の誰がそんな事をするって言うんだ。
「知らない。知らない。知らないってば!」
「いや、だけどな」
「もうやめてよ! やめて! 黙って!
何も言わずに――私と戦って!」
甲高い声と共に、彼女は飛翔する。
呪力で構成された、その漆黒の翼を背負う遥を見て。
あぁ、堕天使ってこんな感じなのかなって、呑気なことを考えていた。
「あぁああァああアあああァ!」
――全然なってない。
隙だらけだ。
小さな子供が木刀を振り回すような切り掛り方で、遥は中空から水剣を振り下ろす。
さっきまでの洗練された戦い方とはまるで違う。
こんな『元勇者』に、俺が負けるか。
「――っ」
「――――……」
互いの獲物がすれ違う刹那の間に。
俺は遥の水剣を弾き飛ばした。
それはくるくると宙を舞い、水しぶきを撒き散らせながら、瓦礫の中に落ちていく。
振り返ると、地に伏し、俺を睨み付ける遥の姿があった。
……こいつにこんな目で見られると、なんか胸とか心とかいろんな部分が痛いが。
「俺の勝ちだな」
「まだだよ」
「どこがだよ。もう武器はない。お前は勇者だったけど、今は魔術師だ。
魔術師は杖がないと戦闘力が半減する。
杖があってようやく五分なんだから、もう勝てないよ」
まぁ、それは剣士にも言えることだし、仮に俺が聖剣を失ったら半減どころの騒ぎじゃない。だから、こうして理詰めで潰していくのもカッコ悪いって言えばカッコ悪いが。
というか、お前は俺に殺されたいんじゃないのかよ。
そう考えると、この戦いって何のためにあるんだ。
なんて、ちょっと忌々しい思いを抱きながら、コツコツと歩を進める。
睨み付けるままの瞳には、まだ戦意が失われていなくて。
「……まだ負けてない」
――その鋭い眼差しに、一瞬だけ先日のカシスを思い出した。
思い出したんだから、ちゃんと身構えればよかったんだ。
だけど、遥は腐っても元勇者で、今は魔王で。
そんな隙を与えてくれるほど、甘い奴じゃなかった。
「『終焉』」
「――『絶対零度』――」
音もなく、『白』が懐かしい公園に冬を到来させる。
そして世界は停止した。
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俺は死んだのだろうか。
そう思った次の瞬間には、意識が消滅している。
俺は死んだのだろうか。
復活した意識の後に、そんな事を考える。
「…………」
キシキシと、氷が空気を掻き鳴らす音色が耳に届く。
繰り返す生と死の狭間で、目の前の少女がフラフラと歩み寄ってくる。
少女って言うのはさすがに悪いか。
俺と同い年なんだから、遥は今、二十歳のはずだ。
あぁ、違う。
遥は今日、二十一歳になった。
俺より少しだけ早く、歳を重ねる。
今日は遥の、誕生日だったな。
「……豊。あのね、昔漫画で読んだんだけど」
結局、プレゼントを買えないまま、今日を迎えてしまった。
「不死身の敵を倒す方法のひとつは」
「相手の全身を凍らせることなんだ」
「知ってるよね」
「だって、豊に借りた漫画に描いてあったんだから」
そうだったかな。
でも、それは理に適っているだろう。
確かに俺は死なないが。
現に、こうして身動きが取れないし、死んでは蘇り、蘇りは死んでいる。
断絶する思考には、決して連続性がなかった。
相手を氷像にすること。
相手を石像にすること。
相手を海に沈めること。
相手を宇宙空間に送り出すこと。
他にも思いつくが、要するに行動不能な状態にする事だ。
それが死なない敵に対する最も有効な手段だと思う。
遥にしては考えたなぁ。
――つまり俺は、負けたのか。
よりにもよって遥に敗れ、結局こいつを救い出すことはできなかった。
情けない。
何て情けない結末だ。
こんなバッドエンドで、俺たちは終わってしまうのか。
……嫌だな。
「……ごめん、ごめんね……」
「私、何やってるんだろ……」
「何がしたいんだろ……」
「わかんない。わかんないよ!」
「ねぇ、私はどうしたら良かったの!?
どうしたら良かったのか教えてよ!
いつもみたいに教えてよ!
助けてよ……豊……ねぇ、死なないで……私を、独りにしないでぇ……」
ポロポロ、ポロポロと。
俺の氷像に縋りつく遥の瞳から、止めどない涙が流れる。
俺こそ何をやっているんだ。
俺こそどうすれば良かったんだ。
なんで遥が泣かなければならない。
意味わからん。
俺は遥を助けに来たのに。
そうだよ。俺は遥のヒーローでありたいんだ。
せっかく、ちょうどお誂え向きの役職を与えられているじゃないか。
目の前でボロボロになっている遥がいるのに、いったいそのヒーローは何をやっているんだ。
死ねない。
――死ぬわけにはいかない。
遥の前では、俺は絶対に死ねない!!!
「……? え、あれ?
今……動いた?」
そりゃ一応不死身なんだからな。
動かそうと思えば何とか動けなくもない。
会ったこともない、見たこともない、精霊とやらが俺に永遠の命を授けた。
麒麟を無傷で跪かせた能面クール野郎が、その呪いを引き継がせた。
そうだ。
俺は、遥を救うためなら何だってしてやると、そう思ってきた。
忌々しい、押し付けられた、バカみたいな称号だとしても。
惚れた女が望むのならば。
今、この瞬間だけは認めてやる。
呪いだろうと何だろうと、俺のくだらない意地なんてどうでもいい。
精霊よ。
イーリアスよ。
聞け!
これは、俺の、俺による、俺だけのための願い。
誰のためでもない、ただ俺が望んだ結末のために。
(――俺が勇者だ、バカ野郎が!)
叫びに呼応するように。
桜色に彩られた光が、氷結の壁を、砕かれたガラスのように粉々に破壊する。
呆けた目をした遥を、俺は力いっぱい抱き寄せた。
こんなところで死んでたまるか。
俺は、勇者だ。
勇者だったら、涙を流すヒロインの下には絶対に駆け付けなければならない。
それは絶対条件であり最低条件で。
必要条件であり十分条件だ。
他の選択肢はない。
たとえどれだけ追い込まれても、たとえどれだけ八方塞がりになろうとも、遥のために負けない事が、死なない事が、……諦めない事が。俺の、勇者である証だ。
「あのさ、遥」
「……うん」
「言い忘れてたんだけど」
首にかけた指輪を外して、彼女に差し出す。
「お前にやるよ」
「え? これ?」
「悪いな。買う暇なかった」
「そうじゃなくて」
か細く、しかし傷だらけの指に無理やりそれを押し込め。
「……誕生日、おめでとう」
まるで言い逃げみたいな形で吐き捨てた後、俺はもう一度、遥を抱き締めた。
何かを言おうと、口を開きかけたその唇を強引に奪った。
ファーストキスは、血と涙の味がした。
ここまで書いた辺りで、もうこれで完結でいいかなって思った




