第十四話 カシスとセレーネ、リックローブ家とイーリアス教会
数日後のアジトである。
一応カシスの件は解決の方向に話が進んでいるのだが、事はそう簡単ではないようで。
彼女は毎晩俺たちのところに報告なのか休憩なのかわからんがとにかくやってきて進捗を説明し、イライラを全く隠す事無く、浴びるように酒を飲みながら項垂れていた。
「めんどくさい……めんどくさいわ……。
市民の陳情も無下にはできないからいちいち聞かなきゃならないし、事情を知ってる幹部連中を黙らせるのも疲れるし、フェルナンド兄様の目の下の隈は日に日に増えていくし、教会もちょっかいかけてくるし……」
「当主を継いだらこの比じゃなかったと思うけど」
「そうね……そう考えたら、あたしはあんたに感謝するべきなのかもしれないわね……色々と納得いかないけれど」
「えっと、教会の件についてはゴメンね……?」
セレーネはセレーネで結構苦心しているようだ。
毎日足しげく教会に通い、ヨハン辺りと会議している。
俺も一度だけ同行して、余計な事はすんな! と釘は刺しておいたが。
ヨハンは、リックローブ家の件に関しては中立派である。
というか、彼が教皇代理に就いたのはつい先日の事で、自身の内部的な権力はそこまででもないし、ぶっちゃけ発言力があまり高いわけではなさそう。
さらに、彼の保守的な性格も相まって、言ってしまえばどっちつかずの半端野郎。
多分、ヨハンは元来中間管理職的な性分なのだと思う。
組織のトップに立つ器ではない。本人もそれを自覚しているから、さっさと教皇代理を降りてセレーネ辺りに後を任せたいと考えている。
そのセレーネ。
彼女自身は教会内部で人望もあるし、実力もあるが、何分カリウスの威光が強すぎる。
彼と明確に敵対しているセレーネは、様々な面で蚊帳の外に置かれていた。
だから、あまり政治的な関係で裏事情を知っているわけではない。
と、先日本人とヨハンから聞いた。
知らなかったな。
セレーネは叩けば響く聡明で快活な少女だし、俺の疑問にもだいたい答えてくれる。
だから大層ユーストフィア、というかシャルマーニで権力を持っていると思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
言わば客寄せパンダのようなものだ。
聖女として外部から親しまれ、他者を癒し、教会の威光を固めていくためのパンダ。
美しい容姿と分け隔てなく接する性格は誰からも愛され、民からの信頼はとても厚いが、内部では疎まれているというか、首を突っ込まないように隔離されているというか。
俺からの印象と本人たちの証言に乖離がありすぎる。
ってことは、俺はこの世界について本当に全然知らないって事なんだろうな。
……やっぱりもう少し、他人に足を踏み込んで接するべきだった。
「どうしたのユタカ様。……そんなにじっと見られたら照れるよ」
気付けばずっとセレーネを見ていたらしい。
彼女は頬を赤く染めながら、カシスの晩酌に付き合っていた。
ちなみに本人は飲酒していない。
さすがに懲りたようだ。
誠に残念極まりない。
「んー、何というか……聞くまでもない事なんだろうけど。
セレーネはカシスと、別に昼ドラみたいなドロドロしたアレはないんだよね」
「ちょっと意味わかんないけど……リックローブ家との確執に関して聞かれてるなら、そりゃもちろん無いよ」
「だよね。そうじゃなかったら、俺は君を世界一の腹黒聖女として認定して、勇者さえも騙し通せている性悪なキャラに敬い崇め奉ってセレーネ教を設立するところだよ」
「言い過ぎだよ! そんな変な理由で宗教を作らないで!」
いやー、これで実は、カルターニャの件でカシスへの復讐を虎視眈々と狙っていました、なんて言われたらもういっそ爆笑するしかない。
清々しいまでの糞野郎だ。
「あのね、ユタカ様。
ユタカ様も同じ考えだと思ってるんだけど、リックローブはリックローブで、カシスはカシスなんだよ」
「何を当然のことを」
「それを当たり前だって言える人は、ユタカ。
この世界ではそんなに多くないのよ」
注がれたワインを一気飲みしながら、カシスが答えた。
それ結構高いワインだと思うんだけどな。
いや、お前が自分で持ってきた酒だから文句は言わないけどさ。
「どういう意味?」
「セレーネぐらいの有名人になると、この子と教会を同一視する人が大勢いるわ」
まぁそうだろうな。
日本で考えると、内閣総理大臣が国を代表していて、そいつがダメだと国もダメで政党もダメで何か色々とダメだと同一視して、総理大臣、その人を見ていない。俺だってそうだ。
政治家なんて糞だわ、と特定の誰かではなく、『政治家』という抽象的な存在纏めて嫌っていたような覚えがある。
「それはあたしも同じ。カシス=リックローブはやっぱりリックローブの血を引いていて、あたしの一挙手一投足はすべて家に返る。良くも悪くもね」
だからこいつを脅迫できたわけだしな。
「だけど、セレーネも、あんたも。
あたしをリックローブじゃなくて、一個人として扱ってるでしょう」
「まぁ、俺はエルセルは反吐が出るくらい嫌いだったけど、カシスは好きだよ」
「言い方はどうかと思うけど、そういう事よ。
……というか少しぐらいオブラートに包みなさいよ。
あんたの発言はいつもギリギリのラインなのよね」
どういう事だろう。
わかるような、わからないような。
個人は個人で、組織は組織。
俺は別に明確に区分してるわけじゃない。
教会は嫌いだし。
あぁ、でもセレーネの事が嫌いなわけではないか。
ヨハンだってまぁ嫌っているわけじゃない。
一方でカリウスは死ねばいいと思ってるし是非いつか殺したい。
つまりそういう事なのだろうか。
なんて思案していると、カシスはまだ話を続ける。
「……セレーネは、カルターニャ焼き討ちがリックローブ家の仕業だと最初から気付いていたわ」
え。
マジで。
そんな様子億尾にも出していなかったが……よく考えれば、彼女は当事者であり被害者であり、ちょうどのその時その瞬間にカルターニャにいたわけだ。遥の結界に守られながら。
知りながら黙っていても、おかしくはないのか。
そこで黙秘できるこいつは良い意味で頭おかしいと言わざるを得ない……。
「幸いって言ったらダメなのでしょうけど……セレーネ以外の誰も気付いていなかった。
カルターニャから逃げおおせた人は結構いたけれど、誰も。
つい先日、その辺りの調査が完了して、教会最上層部が犯人を特定するまでは」
「……」
「ハルカ以外に最低でももう一人、誰か実行犯がいたのは明らか。
……それがお父様だったわけだけど、セレーネはそれをずっと黙っていてくれた」
そんな女神のような少女に視線をやると、そわそわと所在なさげに紅茶を飲んでいる。
うーむ、ポーカーフェイスができそうな感じには見えないんだがな。
「本当なら、初めてミドルドーナであたしに会った時点で全てを明らかにして、リックローブ家を潰すことだってできたはずよ」
「そうだね。セレーネが証言すれば、みんな信じただろうし」
「だけど、この子は何も言わなかった。それどころか、組織間の確執の件についても、「カシスはカシスだから」って言いながら、笑ってくれた」
「えっと……えっと!
そういうのは本人のいないところでやって!
恥ずかしいから!」
カシスのべた褒めについに居た堪れなくなったのか、セレーネは逃げるように立ち去って、ガンラート、エンと戯れていたメイを抱き上げに行った。もうそろそろ寝かせないとダメだろうに。
その横ではグラシアナと話し込んでいる盗賊(♀)たちによる女子会が開催されており、一方ではアルベロアを慰める会と称した盗賊(♂)たちによる男子会が盛り上がっていた。
本当に自由な奴らだな。
「可愛いわよね、セレーネって」
「え、まさか、カシスってそっちの気が」
「違うわよ! ……とにかく、そういう感じでセレーネはあたしがリックローブだとしても何も言わなかったし、何もしなかった。ユタカ。あんたは気付いてないかもしれないけど、あの子は本当に凄い子よ」
「そうなのかもしれないけど、それを言ったら、カシスだってそうじゃん」
「え?」
きょとんと、ワイングラスを持つ手が止まる。
珍しい表情だな。
「カシスはリックローブの娘で、教会と敵対する立場だ。
だけど、だからといってセレーネを殺そうとか、貶めようとかしなかった」
「…………」
「君だって十分優しいと思うし、凄いと思うよ」
素直にそう思う。
俺にこいつらの真似ができるだろうか。
二人の間でいつ、カルターニャの件について話し合われたのかは知らないが。
仮にも誇りに思っている実家、そこと敵対しているイーリアス教会、その聖女。
互いに憎み合い、潰し合ってもおかしくない。
特に俺が絡んでいるからそれは顕著になるはずだ。
勇者という絶対的な記号の、その仲間として重用される事。
きっと俺の想像もつかない意味を持っている。
それだけの利益を独占したいと思っても何もおかしくない。
だけどカシスも、セレーネも、ついぞそんな様子は見せなかった。
所属している組織の垣根を飛び越えて。
こんな風に語り合うことができるだろうか。
……多分無理だな。
所詮は日本人気質だからな。
今は便利な役職についているから強く言えるが、勇者に選定されていなかったら、俺も大衆に靡くその辺の一般人と変わらなかったはずだ。
「だから、君はもっと自分を誇りに思うべきだ。
言い換えるなら自信を持て。
君が『凄い人』だと思ってる人たちの中に、君だって含まれているんだから」
だから。
「もうそろそろ、自分の事を好きになってやってもいい頃なんじゃないの、カシス」
「…………」
そんな俺の、ちょっと気取った言葉に。
彼女は深く溜息をついて、またワインを一気飲みし、そしてまた溜息をついて。
イライラしてるんだか照れているんだかよくわからん名状し難い表情を携えながら、こう言った。
「あんたがハルカ一筋の男で、本当に良かったと思うわ」
「どういう意味?」
「……『勇者様』には、教えてあげない」
どこかで聞いたような言い回しで。
ワイングラスを片手に微笑むカシスは、少しだけ大人びて見えた。
朱に染まる頬が、喧噪の中、一際美しく際立っていた。




