第十話 ツンデレもいい加減にしろ
俺の捨て身のやり方に諦めたのか否か。
推理ドラマのラストシーンみたいに、彼女は少しずつ、顛末を語りだす。
海に面した崖の上じゃないけどな。
「……あたしがリックローブ家を継ぐ事を、誰もが望んでいるわ。
ユタカの仲間としてあたしが周知された時から、まだ、お父様が健在だった時から。
それはずっと、ずっと言われていた。
ミドルドーナで誰かとすれ違うと、それとなく期待され始めてることが分かった」
「……」
「あたしを邪険に扱っていた図書館の人も、魔法学校の同級生も、魔道具店の店長も。
知ってる人も、知らない人も。
いつの間にか、あたしに期待していた。
昔、散々バカにしてきた事も、全部なかったことにして――」
それは……俺の知らない、ミドルドーナの手の平返しだった。
いや、話に聞いた事ぐらいはあったかもしれない。
そういえば、何か扱いが変わってきていることに関して「素直に喜べない」とか言っていたような気がしないでもない。
深く事情を追求したことはなかったけれど。
そうか、カシスは跡取りを期待されるほどになっていたのか。
……そして、その期待を裏切れないと思ってるんだな。
カシスがそう考えてしまうのは、まぁ、こいつの性格を鑑みると頷ける。
他人に期待されることを何よりも求めている少女だ。
でも。
納得できる事と、『わかる』のは話が別なんだなと、今、俺は実感していた。
――俺には、きっと、『わかって』やることは出来ないのだ。
「だから、あたしは戻らない」
「それじゃ俺が困る」
「あんたのそういうところが嫌いって、ついさっき言わなかったかしら?」
「……カシス。俺には、お前の気持ちなんてわからない」
「言うに事を欠いて、その返答はどうなのよ」
キッと睨み付けるその瞳は、まだ死んでいなかった。
周囲の熱気が再度上昇し、空間が歪に移り変わっていく。
「わからないよ。わからないさ!
お前がどんな葛藤の果てに家を継ぐことにしたのかなんてわからねぇ!
俺は貴族とか特権階級とかが無縁の世界に生まれたからな。
生まれ直さないと理解できないだろうし、正直知ったこっちゃねぇし、くだらねぇとさえ思ってる!」
「ふざけないで!」
「ふざけてない。
他人の気持ちなんて、結局本人以外わかるわけないだろ!
だけどなぁ!」
カシスは――不器用な奴だ。
余りあるその才能は、だけど彼女が望んだ才能じゃなくて。
他者を寄せ付けない才気は、だけど彼女が願ったものじゃなくて。
屈辱と恥辱に塗れた日々が、急に卓袱台を返すかの如く様変わりした。
俺というジョーカーが現れたから。
そして周囲の変わり様に、環境の変化に、素直に従っていられるほど、要領が良い奴ではなかった。
嬉しかった、といえば嬉しかったんじゃないだろうか。
自分はそうやって扱われるのに相応しいと、そういう立場の人間だと。
それを望んでいたと、思っていたはずだ。
だけど素直に受け止められなかった。
どうして、と。
矛盾した気持ちはきっとグチャグチャに彼女の心を掻き乱したことだろう。
――わかっていなかったのは、多分カシスも同じだ。
こいつは、こいつは。
「カシス。お前の望みは何だ」
「だから、あたしはリックローブの人間として、みんなの期待に」
「そうじゃねぇ!
それはお前の望みじゃねぇだろうが!
ミドルドーナが押し付けた、他人の望みだろ!」
「――っ!」
本当の。
彼女の本当の願いは何だ。
カシスの意思は、どこにある。
「うるさい……うるさい!
あたしはカシス=リックローブ!
魔術ギルドの幹部として、ミドルドーナを守る者として、あたしに選択肢なんて無いのよ!」
「それはお前の思い込みだ、バカ野郎が!」
「知らない! もう黙って!
何も言わないで!
……あんたと話してると、頭がおかしくなりそう。
だから、だから。
あたしの前から消えてよおおおおおおおおおおおおおお!」
ブワッとその真っ赤な髪が膨れ上がったかのように思えた。
悲痛を携えた瞳は、決して俺を見てはいなかった。
彼女にしか見えない何かを捉えて、その邪魔でしかない壁を取り払うように、莫大で膨大な魔力が信じられない練度で収縮していく。
リックローブの代名詞。
灼熱の、純粋なその塊は、俺に現在時刻を忘れさせるほどだった。
まるで昼がやってきたかのように爛々とミドルドーナの夜が輝く。
見上げると、天を駆け回る火竜が、俺を殺さんと立ち塞がっていた。
「『――紅蓮烈火の舞』!」
おいおい。
そんな大技使えるようになったとか聞いてないんですけど?
さすがリックローブを継ごうとしているだけはある。
つーか暑い。熱いし暑い。
生身の人間が耐えられる温度じゃない。
東京のコンクリートジャングルでさえここまでじゃなかったぞ。
身体中の穴という穴から汗がダラダラと流れ落ちる。
かと思いきや汗はあっという間に蒸発し、俺の肉体の水分を根こそぎ奪いに来ていた。
おい。
これ死ぬんじゃないのか。
いや、蘇るんだろうけど、やりすぎだろ!
むしろ何でカシスは何とも無さそうなんだよ!
「消えなさい! ユタカ!」
「アホだろお前!」
「うるさああああああああああああああああい!!!!」
先ほどの宣言通りその魔法を受けるか。
正直ビビッてしまっているので、気合で回避するか。
考える間もなく、『紅蓮』は俺を文字通り消し炭にした。
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再度目を開くと、カシスの端正な顔立ちが目の前にあった。
後頭部からは暖かく柔らかな温もり。
どうやら膝枕されているらしいな。役得である。
「……ごめんなさい」
ボソッと呟いた彼女は、それはもう気まずそうだった。
その様子がおかしくて、かわいらしくて、俺は思わず吹き出す。
まさか、この短時間で二回も死ぬとはな。
二回目なんて死を実感する暇さえなかったぞ。
しかも同じ人間に立て続けに殺されるとか……。
暴走型お嬢様はこれだから困る。
「――お前にちゃんと言ってなかったことがある」
「…………」
「俺はもう、逃げるのはやめたんだ」
「似たような事なら聞いたわ」
「えーっと、そうじゃなくてだな」
身体を起こして、彼女に向き合うように膝をつく。
その瞳に、今度は俺が真っすぐに映っている。
涙に濡れた顔が、きっと俺の瞳にも映っている。
今まで一度だって映してこなかった顔だ。
目を合わせたことは何度もあったけれど。
多分、俺はカシス自身をちゃんと見て来なかった。
俺が悪い。
全部俺が悪かった。
「カシス。もう一度、俺の仲間になってほしい」
「……」
「一緒に戦ってほしい。一緒に生きていってほしい。
俺と、セレーネと、ガンラートと、エンと、メイと、みんなと。
お前がいいんだ。
お前じゃなきゃ嫌なんだ。
お前は、嫌か?」
「何それ。口説いてるつもり?」
「ある意味ではそうかも」
似たようなものかもしれない。
俺たちはちゃんとやり直す必要がある。
全部俺が半端だったせいなんだが……。
でも、俺は誰も手放したくないんだ。
だから誠心誠意伝えるしかない。
口説いているといっても相違ない。
カシスは、手を差し出す俺に向けて大きく息を吐いてから。
「……この状況で言われたら、また脅されてるとか思えないのだけど」
「いや違うから。どうしても嫌だったら、無理強いはしない。
残念だけど。心の底から残念だと思うけど」
「あんた、本当にそれで脅迫してないつもりなの?」
え、そうだけど。
俺の言い方のどこに問題があるのだろうか。
誰かユーストフィア語講座でも開いてほしい。
もしかしたら、この謎の言語変換が上手く機能していないのかもしれない。
そうだな、きっとそうだ。
言葉が通じるのだって、そもそも意味わかんないからな。
「そんなに言葉の使い方が下手くそな男が、ハルカをどうこう出来るのかしら」
「……善処するよ……」
「そうしなさい」
クスリと息を漏らして、カシスは俺が伸ばした手を取る。
そして。
今まで見せたことも無い、太陽のような微笑を浮かべて。
繋がれた手から穏やかな温もりを感じた。
それは『紅蓮』の代名詞に似合わない、優しい暖かさだった。
俺の知らないカシスだった。
「もう一度、ゼロからやり直してあげるわ」
「そうしてくれると助かるよ」
「……と、言いたいところなのだけど……」
これで全部片付いただろう。
多分、そう思ってしまったのは油断だったと、後々にして思った。
悪戯っ子みたいな表情を携えて、彼女は完全に俺の不意を突く。
「やっぱり犯罪は犯罪なのよね」
「え?」
「『転移』」
「えっ」
このパーフェクトに大団円な流れを盛大にひっくり返す形で。
俺だけがリックローブの屋敷から転移させられた。
おい! 話が違うぞ!




