第九話 ノブリス・オブリージュ
月の隠れる晩。
見上げるカシスは、変わらぬ、俺の知っているカシスだった。
「随分やってくれたわね。これだけ騒げば、すぐにギルドから大群が来るわよ?」
「こんなに大騒ぎにする予定じゃなったんだけどね」
当初の予定では、アルベロアたちに軽く騒ぎを起こしてもらって、その隙に俺が侵入してカシスを拉致する予定だった。が、想定外だったことが二つある。
まず、リックローブ家が雇ったであろう用心棒が、想像以上に強かった。
物陰から少々様子を伺ったところ、放置しておくと逃げる間もなくあいつらが粛清されそうだったので、仕方なく助太刀。逃がす事は出来たが、おかげで俺が矢面に立つことになってしまった。
次に、カシスの居場所がわからなかったのだ。
クールアールからもらった見取り図、そこに記載されていたカシスの部屋に向かったのだが、彼女はいなかった。多分、今回のゴタゴタがあって部屋が変わったのだろう。誰かに吐かせようとしていたら、こんなことになってしまった。
どうして俺が立てる作戦は、ことごとく上手くいかないのだろう。
前回カシスを嵌めようと思った時も、結局は失敗だった。
俺にはそういった才能は無いのかもしれない。
「時間がないから簡潔に言うけど、カシス。
帰って来てくれない?」
「事情を分かっていっているのかしら?」
「だいたいね」
情報源はクールアール、あとグラシアナ。
後者はともかく、少なくとも前者は信頼性があるだろう。
「だったら、あたしが帰れない理由は察してほしいわね」
「どうして?
君には兄も姉もいる。君だけが責任を背負う必要はないでしょ。
むしろ、俺の傍にいた方が何かと都合がいいはずだ」
勇者の仲間という圧倒的ステータス。
理解しかねるが、この世界ではそれが大きな意味を持つ。
スクリやガンラートのように殺されてしまう事もあるようだが……逆に言えば、殺す事に何かしらの意味があったというわけだ。それはある意味で価値である。
リックローブ家の教会への敵対意識はともかくとして、誰か一人『勇者』の仲間をやらせておいた方がいいだろう。
ましてやカシスだ。
家系では落ちこぼれの烙印を押された少女。
元勇者の仲間として当主に立てるより、現勇者の仲間として宣伝した方が外向けの効果がある。
そんな感じで伝えてみたのだが、どうもカシスは首を縦に振らない。
「……ユタカ。この家は今、存亡の危機なのよ」
「そんな事はわかってるよ」
当主が死んだ。
しかも、それには結構ややこしい理由があって、表沙汰には出来ない。
「あたしには、リックローブの名を継ぐものとして、この家を守る責任があるわ」
「その責任は君だけじゃなく、リックローブ家の全ての人間が負うものだ。
さらに、君には『勇者』の仲間として、世界のために戦う責任がある。
そっちの方が、よっぽど重要じゃないかな?」
「違うわ……わかってないのよ、あんたはっ!」
バルコニーから身を乗り出す彼女の、悲痛な叫びが耳を貫く。
わかってないだろう。
所詮は庶民だからな。
貴族とか、それに準じる家系の負うべき責任など知らん。
ノブリス・オブリージュだったか。
分をわきまえろという言葉は嫌いだ。
だが、身分があるから身分相応の責任を果たさなければならないという理屈はわかる。
理屈だけはな。
それをわかった上で、あえて言おう。
「だけど、俺はカシスに戻ってきてほしいんだ」
「随分勝手なことを言うのね。
ハルカ以外の誰にも興味がないみたいな態度をとってたくせに」
「それはまぁごめんと言うしかないけど」
「究極的には、あんたが欲しいのは優秀な転移・通信魔術師。
あたしである必要はないわ。
グラシアナ先輩だって、十分あんたの希望は叶えられる。
だから、あたしの事は諦めなさい」
耳が痛いセリフだな。
確かに、今までの俺の姿勢はそうだったかもしれない。
ただ、遥を取り戻すためだけに。
ネットワークを築き、その窓口として魔術師が必要だった。
それは嘘じゃないし、誤魔化せない。
そういう意味ではグラシアナでも別に構わない。
彼女は多少察しが悪いところはあるが、魔法の腕は必要レベルを満たしている。
ただ窓口として魔術師を欲するのであれば、別に彼女でもいい。
彼女じゃなくたって、ギルドに所属するそこそこ腕の立つ魔術師なら誰だっていいだろう。
と、先日までの俺ならそう言ったかもしれないが。
「それでもカシスがいい」
「どうしてよ」
「……上手く言えないけど」
そうだな。理論的には説明できない。
カシスの方が俺の意を汲んでくれるとか、盗賊たちとも上手くやっていたとか、そんな感じの理由をつけることはできるが。
多分、そうじゃない。
俺が言い淀んでいると、バルコニーから彼女の姿が消え。
次の瞬間には、庭に転移し俺と相対する。
「ユタカ。あんたは不法侵入者だって事はわかってるわよね。
事もあろうにリックローブ家に殴り込みをかけた大罪人。
証拠なんて必要とせず、あたしが主張するだけであんたは死刑よ」
「理不尽すぎるだろ、弁護士を呼べ」
「……意味わからないけど。
今、この家を預かるものとして言わなければならないわ。
牢屋で反省してなさい、ユタカ」
彼女が両手を広げると、その周囲を守るように無数の火の球が浮かび上がる。
杖も持たずにそれを成して見せる彼女は、やはり『紅蓮』の才能を受け継ぐものなのだろう。
「死刑だけは、勘弁してあげる」
魔術師にとって杖は無くてはならないものだ。
魔力を宿すその武器は、魔術師の手となり、足となる。
よほどの使い手でないと、実力の半分すら出せないと聞く。
だけど、カシスはそれを物ともしない。
そんな風貌で、俺の前に立つ。
名家の名を預かる者としての責任感か。
それとも彼女自身のプライドのためか。
少なくとも、これほど炎を容易に扱える奴だとは、俺は知らなかった。
……だが。
「俺に勝てると思ってるの?」
「勝つわ。
あたしは、カシス=リックローブだから。
……負けることは、許されないもの」
彼女の殺意を一心に引き受けて。
俺は今一度聖剣を構え、『紅蓮の魔術師』に向き合った。
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――空間を捻じ曲げるほどの熱を持つ炎が、俺の身体を焼き尽くす。
赤を通り超して青く煌くその魔法は、美しいとさえ思えた。
熱いのか、痛いのか、苦しいのか、もはやわからないほどの瞬間が通り過ぎて、声にならない声に喉の死を実感していると、あっという間に意識が途切れる。
そして、また目を開いた時には。
肉が焼け焦げた嫌な匂いが、お伽噺みたいな庭園に充満していた。
また死んだか。
手を握ってみると、どこにも火傷の後遺症もなく、問題なく動く。
顔に触れてみてもそんな様子はない。
ついでに髪の毛も生えている。指輪の力ってすげー。
自身の復活を実感していると、カシスが泣きそうな顔をしながら唖然と俺を見つめていた。
「な……なんで。なんで避けないのよ。
あんただったら……こんな速度の魔法ぐらい、簡単に避けられるはずなのに」
ちょっと青白い顔をした彼女。
まぁ、人が目の前で焼死するのを見たんだ。
俺だって似たような表情をするだろう。
「俺は、戦いに来たわけじゃない」
「周りを見てから言いなさい」
「……えーっと、それは、已むに已まれぬ事情というか……」
倒れ伏す用心棒たちからさっと目をそらす。
だって話聞いてくれなかったから仕方ないよな? な?
なぜこれほどの魔法を受けても燃えないのか理解できない芝に腰を下ろし、俺は口を開く。
「話をしよう。カシス」
「…………」
「俺は、君とは戦わない。
君が話をしてくれるまで、何度だって君の魔法を受けるよ。
……正直しんどいから、もう勘弁してほしいんだけど」
この世界に来て、何回死んだかわからん。
わからんが、きついもんはきついんだよな。
特にこんな風に、俺自身が戦いの熱気に呑み込まれていない時は、マジできつい。
正気を保てているのが不思議でならない。
いや、もしかしたらとっくに狂ってしまっているのかもしれないが……。
「……あんたの」
「うん?」
「あんたの、そういうところが嫌い」
「……」
ネグリジェの裾をぎゅっと掴みながら、カシスは言う。
「自分の命をモノみたいに扱うところが嫌い。
あんたの傷つくところを見る人の気持ちを考えてないのが嫌い。
上から目線なのが嫌い。
自分の都合優先で、ユーストフィアの事を何も考えてないのが嫌い。
他人なんて使い捨てるものって考えてそうなのが嫌い」
お、おう……。
そうか、カシスからはそう見えていたのか。
思い返してみると、確かにそんな感じで行動していたような気はする。
ゲーム感覚で、攻撃と素早さに全振りした戦いをしていた。
それは否定できない。
どうせ指輪の力で生き返るんだからと、傷も命も蔑ろにしていた。
遥さえ取り戻せれば正直他の全てがどうでもよかった。
急に異世界なんてところに召喚されて、闇落ちした遥と再会して、いきなり殺されかけて、そっちが理不尽ならこっちも理不尽でいいよなと、開き直ってしまった感じはあった。
だからユーストフィアの全てを見下していたというのも、否定はできない。
お前らが俺を勇者として崇めるなら、なら、俺だって利用していいよな、と。
確かにそう、思っていた。
「ぶつくさ文句言いながら、結局助けてくれるところが嫌い。
あの時、誰だって良かったのに、あたしを選んだところが嫌い。
勇者のくせに勇者らしくないところが嫌い。
勇者らしくないくせに勇者みたいなことするところが嫌い。
嫌い、嫌い……ユタカなんて大っ嫌いよ!」
どういうことなの……。
真正面から繰り返し嫌いって言われたら結構へこむ。
畳みかける彼女は、何か色々と諦めているように思えた。
「……だから俺のところに帰って来ないの?」
「――そうじゃない! そうじゃないわよ!
あたしだって……あたしだって本当は……っ!」
握りしめた指先から、ツーッと血が流れ落ちてきていた。
その語尾の向こうで、何を経験し、何を葛藤し、何を一人、決めてしまったのか。
寝巻が汚れることも気にせず、彼女は芝生に膝をつく。
丹精に、丁寧に整えられたそれには、この家の見栄と義務と責任が込められている気がした。
意外と普通に日帰りできたので更新
説得タイムが長すぎたので分割しました




