第八話 あなたが選んでくれたから
秋にもなると、夜は寒い。
フランやセレーネの開放的な服装も最近はすっかり鳴りを潜め、俺やガンラート、そして他の盗賊たち(♂)をガッカリさせている。
特に今夜は黒装束を身に纏い、肌なんて全く見えていない。
アニメになってもこれっぽっちも人気が出ないだろう。
そんな装いで、俺たちはミドルドーナの夜を闊歩していた。
月も星もない深夜。
誰もが寝静まる、夜の帳が下りている。
「いいか、絶対に死ぬな。何だったら戦う必要すらない。
ヤバそうだったらセレーネと一緒に教会に逃げ込め」
「……お頭ぁ。本当にやるんですか?」
アルベロアの情けない声が響く。
やるかやらないかで言ったら、やるしかないだろう。
「やるさ。色々と事情を聴いたけど、放っておくわけにはいかない。
カシスは何としても連れ戻す」
「お頭はー、ハルカさんに続いてカシスさんにも手を出すんですか?」
「え!? ダメだよっ!!!」
「セレーネさん、落ち着いて下さい。ボスですよ」
そっか、そうだよね、とセレーネがホッとしたように息を吐く。
どの辺に焦る要素があってどの辺に安心する要素があったのかさっぱりわからん。
だいたい俺は遥に手を出していない。
残念ながら出せていない。
もはや隙さえあれば出してやろうと思うが、その隙に巡り会えない。
そしてカシスに手を出すとかありえない。
あいつは俺の仲間で、かなり面倒な事になってそうで、それを本人が望んでいるとは到底思えないから……思えない……思えない、よな?
「あのさ、一応聞いておきたいんだけど」
「どうしたの?」
「ここまで来て何言ってんのって感じかもしれないけど。
カシスって、俺のところにいるのが嫌だからというか、そういうマイナス方面な理由で戻って来ないわけじゃない……よね?」
「えぇっ」
「今更っ!」
凄まじい非難の目線が俺を鈍感ゴミ以下野郎と断言している。
良かった、色々と良くないけど、とりあえずカシスの意に反してとかそういう形にはならなそうだ。
無難に行こう。
少年漫画的な王道展開だ。
意地っ張りの姫君を連れ出してやる。
「ユタカ様って、意外と女心とか機敏とかわかってないよね」
「ごちゃごちゃうるさい。
ほら、早く行け。くれぐれも逝くなよ」
「ボス! ややこしいっす!」
「ちょっとデレ気味のお頭にドキッとしちゃうー」
「やっぱり爆発して下さい!」
くだらない事を言っている暇があったらさっさと行け!
と、俺は彼らを送り出す。
セレーネは屋敷の近くで待機だ。
こいつが忍び込んだところで役に立たないし、畏れ多くも聖女様にそんな事させるわけにはいかない。
怪我人が出た場合に速やかに治療してもらうのと、有事の際にはこいつの顔で教会に逃げ込む。
そういう手筈になっている。
何せ、相手は天下の『紅蓮』だからな。
物凄くザックリ作戦を説明すると、あいつらは誘導。
こっそりと忍び込んで騒ぎを起こし、その騒ぎに乗じて俺も内部に侵入する。
あとはあいつらが無事に脱出できるように計らいながら、俺がカシスの部屋に辿り着いて誘拐してくれば話は終わりだ。
なんと、文字にすればたった四行か。
全員で見取り図を見ながら、あーでもないこーでもないという長々としたやり取りがあったというのに。
ま、所詮俺は一介の大学生に過ぎない。
そんな大それた作戦は立てられない。
だけど、借り物の力を利用すれば、出来ることはある。
「じゃあ、俺も行くから」
「うん、気を付けて……ううん、カシスの事、お願いね」
「任せとけ」
俺の身の安全を心配する必要などないさ。
何があっても死なないからな。
ドヤ顔をしながら、俺も夜の闇に消えていった。
やっぱり。
カシスとセレーネの間に、そんな胸糞悪い背景があるなんて思いたくないな。
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アジトを出発してから、もうどれぐらい経ったかしら。
セレーネはどう思っているとか。
ガンラートは、エンは、メイは。
ユタカは間違いなく怒っているわね。
目に浮かぶわ。
イライラしながら、周りに気を遣わせている様子が。
ユタカは本当にデリカシーがない。
わがままで、横暴で、自分勝手で。
それで強いし、何だかんだで助けてくれるし、時々優しいからタチが悪い。
どうせならもっと嫌な奴ならよかったのに。
そうだったら、あたしもあんな場所には居つかなかったかもしれない。
逃げ出すことは簡単だったもの。
転移と通信だけは、誰にも負けない自信がある。
だから、嫌だったなら転移しちゃえばよかったのよ。
脅迫紛いな事を言われたけど、よく考えなくてもどうとでもなったわ。
あんなチンピラをどうしようと、あたしには関係ない。
あたしはリックローブ家の末娘、カシス。
どうせ、勝手に父が揉み消していたでしょうから。
たとえユタカが勇者でも。
たとえあたしが、この家にとって価値のない人間でも。
家の名声のために、あたしの罪なんて無かったことになったはず。
ユタカがよほど教会と癒着しない限りは、負けはしなかったでしょうね。
そして、彼がそれを絶対に望まない事ぐらい、今ならわかる。
組織と個人を同一視しないところだけは、良いところだと思うけど。
そう。
セレーネと同じように。
「お嬢様。何かお飲み物をお持ちしましょうか?」
「いらないわ」
「そうでしたか、差し出がましい事を申し上げました」
恭しく頭を下げる彼の名はサミィ。
あたしが生まれた頃には、既にこの家にいた初老の執事。
いつも気を利かせて、こうして話しかけてきてくれる。
彼だけはあたしを差別しなかった。
今だって、あたしの心境を察して、飲み物を持ってこようとしたのでしょう。
確かに喉が渇いた。
でも、何も飲みたくないし、食べたくない。
お父様が死んだ。
あの人が老衰以外で死ぬなんて思いもしてなかったわ。
だって、強かったもの。
あたしじゃ逆立ちしても勝てない。
当然ね、あたしはリックローブの落ちこぼれ。
炎を自分の指先みたいに操る、兄や姉、父や母に敵うはずもない。
でも、それでも最近は少し、炎を扱えるようになった。
まだまだ、使われている感じは否めないけれど……。
何もできなかった昔を思い出せば、比較するまでもないぐらい幸せだ。
どんなに勉強しても、炎を出す事はできなかった。
……でも、今はできる。
そう考えると、きっと、あたしはユタカに感謝すべきなんだと思う。
彼はあたしを認めてくれた。
必要としてくれた。
他の誰でもない、あたしを選んでくれた。
そしてあたしが、『紅蓮』に爪先ぐらいは突っ込む、その礎を築いてくれた。
それは、サミィもしてくれなかった事だ。
彼はリックローブの人間に対して平等で、でもそれだけだったから。
ユタカみたいに選んでくれたわけじゃない。
ユタカみたいに戦い方を教えてくれたわけじゃない。
そりゃ、彼にもロクでもない事情があったんだろうって、今ならわかってる。
だけど、あの時のあたしは凄く嬉しかった。
嬉しかったんだけど、ね……。
「サミィ、もう寝るわ」
「かしこまりました。どうか朝食はお召し上がり下さい」
そう言って、彼はあたしの部屋から退出する。
今回の件で移った、元々は父の部屋だった場所だ。
書斎が一体化していて、圧迫感がちょっと居心地悪い。
もうずっと、まともな食事をとっていない。
飲み物と、死なない程度の栄養を取るために何かを口にするぐらい。
毎日豪華な食事が出るのにね。
ベッドに倒れ込みながら、アジトの日々を回想する。
食事なんて、食べれたらいいだろうって程度のものしか出なかった。
汚いし、人が住むところじゃないと思った。
でも、あたしはあそこが好きだった。
いつも人を馬鹿にして、でも最後には頼りになるユタカとか。
カシスはカシスだもんって笑いながら言ってくれたセレーネとか。
ヘラヘラしながら、時々悟ったような事を言うガンラートとか。
悲惨な過去を背負ってるくせに毎日元気なエンとか。
無邪気に笑いかけてきてくれて、癒してくれるメイとか。
だらしなくてガサツでどうしようもないみんなも。
大好きだった。
大好きだったけど。
「……戻るわけには、いかないわね」
そう、小さく呟いた瞬間。
耳をつんざく爆発音が聞こえて、バタバタと誰かが走る音や、どう考えても戦っている衝撃、誰かの悲鳴や怒号が飛び交う。
それがどんどん近づいてきていた。
侵入者?
誰が?
まさか、ここはリックローブの家よ?
来るとしたら……同じ、ギルドの幹部か。
あるいは、教会か。
この家の警備を掻い潜れる人なんてそうそういない。
お金と権力にものを言わせて、有数の手練れを雇っているもの。
昔、お父様がそう自慢していたのを覚えている。
だから、こんな襲撃をかけてこられるのは同格以上。
部屋にいるだけで被害状況が分かる、こんな風に突き進んでこれる人なんて、この世界でも本当に数えるほどしかいない。
――そして、このタイミングで来そうな人は一人しかいない。
彼が来たんだわ。
間違いない。
昼間に訪問があったって話は聞いている。
取り合わなかったらしいけれど。
そのせいで、現在この屋敷は厳戒態勢。
……でも、きっと意味がないわね。
あたしは杖も持たずに部屋を飛び出して、騒ぎの方向へ駆け出す。
サミィの、メイドたちの、あたしを止める声が聞こえた気がした。
ごめんなさい。
多分、これも全部あたしのせいだから。
だから、行かないと。
踊り階段を背に廊下を走り抜けて、バルコニーから庭を見下ろす。
死屍累々って言ってもいい有様だった。
お父様やお兄様が雇った優秀な護衛たちは、誰も彼も地に伏している。
そんな中、まだ立って武器を手にしている何人かの人たちも。
闇に紛れた音速の影に触れたかと思うと、あっという間に気絶してしまった。
支援魔法で自身を強化することで、ようやくその姿を捉えられる。
当たり前よ、生身のあたしに彼の動きが見えるはずがないじゃない。
一緒にハルカと戦った時だって、こうでもしないとついていけなかった。
「――――っ!」
バルコニーから身を乗り出して、あいつの名前を呼ぶ。
その声が響き、影の動きが止まったのは、ちょうど意識のある護衛が一人もいなくなったタイミングだった。
いつもみたいに呑気な顔してあたしを見上げて、
「夜分遅くに失礼。迎えに来たよ、カシス」
「……ノックはもっと丁寧にしなさい」
侵入者が、手を振りながらそう言った。
というわけで明日からまた出張です……




