第十三話 夢だとはわかっている
カコン、カコン、と。
下駄の音がアスファルトに響く。
「大学行ったらー、まずサークルに入りたい。
何がいいかな? 軽音とか?」
「お前楽器なんて出来たっけ?」
「出来ないけど、出来たらカッコいいじゃん!
私がボーカルで、豊はギターね!」
人波を見送ってからの帰路は、もう随分閑散としていた。
それでも、俺たちと同じような事を考える奴はそこそこいる。
花火大会の見学者が帰るのを待ってから帰り出す輩だ。
俺たちもその中の二人。
ゆっくりとした時間の中、遥は受かるかも怪しい大学生活に夢を馳せる。
だいたいボーカルだったら楽器弾いてないじゃんとは言わない。
あと、俺はギターよりドラムがいい。そっちの方がカッコいいと思う。
受験が辛くなったら入学後の事を考えろと、とある予備校講師が言っていた。
それでモチベーションをコントロールしろと。
なるほどな意見だが、遥みたいに勉強が手につかなくなる場合もある。
諸刃の剣だ。
別に、そんなに高学歴を目指そうってわけじゃない。
ただ何となくそろそろ地元を出たくなって、そうなると勉強しないと受からない。
だから受験勉強をしようと思った。
地元の、名前を書けば入れるような大学に進学する気満々だった遥は、俺の決断に阿鼻叫喚。
すったもんだの末、こいつも同じ大学を目指す事になる。
こいつの部活の成績なら、推薦を狙った方が早いんじゃ……と思わなくもないが。
そろそろ赤点スレスレな日々はマズイと思ったのかもしれない。
とにかく、発狂しそうになりながらも一緒に予備校に通い、勉強を続けていた。
順調にいけば、多分受かるだろう。少なくとも俺は。遥は……うーん。
「でも、明日からはまた勉強です」
「……あ! 見て、ほら!
昔あの公園でよく遊んだよね!」
俺が告げる現実を誤魔化すためか否か、遥はとある公園に駆け出した。
小さい頃は、確かにここでよく遊んだ覚えがある。
遥がいじめられっ子に泣かされていた場所だ。懐かしいな。
当たり前だが、最近は公園に行く事なんてついぞなかった。
子供に混ざって遊ぶのは恥ずかしいし、それ以上にやることはたくさんある。
住宅街の外れ、そこには人っこ一人いない。
「……あれ?」
「ん? ……あー、これも使っちゃダメなのか」
ぐるぐる回る、青い大きな遊具。
そこには『使用禁止』の文字が張られていて、回らないように固定されていた。
ここのところ、こんな話はよく聞く。
子供が怪我して危ないから。
そんな、どこぞのモンスターな親の主張なのだろうか。
公園ではもう野球もサッカーも出来ないし、こういった怪我をする恐れがある遊具は使用できなくなってしまっていた。
じゃあ何をしてるんだ? って調べたら、なんと公園でゲームをしているらしい。
健全なのか不健全なのかわからん。
そこで友達の輪が広がるって意味ではいいのかもしれないが……。
「寂しいもんだな」
「そうだよ。子供は風の子! 怪我してなんぼ!」
「それもどうなんだ?」
やりすぎだろ、とは思うが、確かに危ないもんは危ない。
実際、俺も遥もこれで遊んで怪我をした事がある。
ボンヤリとした記憶の向こうで、母親の取り乱した顔が思い出せる。
一歩間違ったら死んでいた、という主張もそうぶっ飛んだもんじゃない。
ただ、寂しいと思うだけだ。
「おとなになるって、かなしいことなの」
「おいやめろ」
「ブランコもちっちゃいね……私たちが大きくなったんだね」
「そりゃ、ここで遊んでたのは10年以上前だし」
「時間が経つのは早いなー。
私、なんか成長したのかなー」
遊具に飛び乗って、愚痴愚痴と文句を垂れる遥。
どうでもいいけど色んなラインが際どい。
浴衣なんだから、アグレッシブな動きには気をつけて下さいよ。
時間が経つのは早い。
遥の言う通りだ。
ついこの間高校に入学したばっかりだと思っていたら、もう大学受験。
これが大学に入ったらさらに早いんだろうし、社会人になったらもっとだ。
わからない感覚だけど、いつかわかってしまうのだろう。
怖いな。
このまま時間よ止まれ……とまでは思わないけど。
俺の今の想いも、願いも、いつかは風化してしまうのかもしれない。
それは怖い。怖すぎる。
何も伝えないままに終わってしまうのは怖い。
『――そして、それは現実となったね』
ふいに聞こえてきた言葉と共に、世界は灰色になった。
俺以外の全ての時間が停止する。
風も、木も、草も、遥も。
灰色の世界で、ぼんやりと姿を現す人物。
「…………」
「まさか、ハルカと同じ夢を見るとはねぇ。
そんなに重要だったのかい? この日が」
「……さぁね」
コルニュートが言った言葉は、確かに真実となった。
何も言えなかったという事実は、この数カ月後に現実となる。
遥は行方不明となり、そして俺たちの高校生活は終わった。
あれから、長い長い月日が流れた。
「君がハルカを失って二年。
ユーストフィアに召喚されて八カ月。
想いが風化するには充分な月日だ」
「そう?」
「そうとも。人間の寿命は短く、体感時間はもっと短い」
二十一世紀の日本にはおよそ似合わない格好で、賢者は続ける。
「二年と八カ月もあれば、新しい生活が始まり、新しい出会いがあり、新しい夢を持ち、そして新しい恋をするには充分過ぎる。忘れる事が出来るのは、人間の長所でもあるからねぇ。さて、君だってそうだろう?」
「いや、全然」
「……少しも迷わないね」
どこに迷う要素があるというのか。
もし、万が一俺がユーストフィアに召喚されなかったとしても、それはなかった。
無気力で堕落した大学生活を送り、無気力で堕落した社会人となり。
そして死んでいっただけだろう。
親に申し訳ないから、結婚して、子供を作ったかもしれない。
でも、きっと作業的に行ったんじゃないだろうか。
そんな嫁さんは不幸だと思う。
そんな未来が無くてよかった。
「だから、これでいいんだ。
まだ何も終わっちゃいない」
「……そうかい?」
「あぁ、今ならシャルマーニの姫に感謝さえ出来るよ」
俺を召喚してくれてありがとう。
遥にまた会わせてくれてありがとう。
俺たちに、未来をくれてありがとう。
「遥はかなり迷子になったんだが。
……君には必要ない『夢』だったかな~」
「そうでもないさ。
懐かしくて涙が出そうだったよ」
「全然そう見えない」
「本当だよ」
あの頃の遥に会えて、本当によかったと思っている。
「さて、もう次に行ってもいいのだけど。
どうしようかなぁ。あっさりし過ぎてちょっと」
「コルニュート。時間を進めてくれ」
「まだこの『夢』に何か?」
「あぁ」
「……いいだろう」
パチンと彼が指をかき鳴らすと、世界に色が戻る。
そして賢者の姿が消え、遥と目があった。
風が、木が、草が、命を取り戻す。
凄い魔法だな。
他人の夢に干渉出来るって意味わからん。
「どうしたの? ボーっとして」
「別に変わらないよ」
「何が?」
「俺たちは、何年経ってもこんな感じだって」
何となく、空気が変わったのを感じ取ったのかもしれない。
遥は遊具から飛び降りて、俺の前に立つ。
そうだ。あの時もこんな感じだったんだ。
意識した言葉ではなかったと思うが、多分大事だった。
色々と変わるべき瞬間だった。
だから俺も遥も、同じ夢を見る。
「高校卒業したらさぁ……」
「うん」
「…………」
「…………」
そう、そして俺は手に汗を握るのだ。
手だけではなく全身に嫌な汗が流れてくる。
じんわりと溢れ出る不快な感覚。
やっぱりあの頃の俺はヘタレだった。
色々と誤魔化して、真正面から当たれなかった。
これだから童貞は。
後悔してからじゃないと何も出来ないんだよな。
でも、今は違う。
もう死ぬほど後悔したからな。
あの頃は言えなかったけど。
今なら言える。
……逃げ続けるのは、もう終わりにしよう。
「遥」
「うん」
「お前が好きだ」
「……うん」
「大学行ったら一緒に住もう」
「……遅い! 遅い! 遅すぎるよバカ! 豊のバーカ!」
「ごめん」
――夢だとはわかっている。
俺の現実はユーストフィアで、日本の、高校三年生の、夏休みなんかじゃない。
だからこれは夢だ。
実際にはまだ何も伝えていない。
だけど、まだ間に合う。
間に合わせる。
浴衣姿の遥を抱きしめながら。
俺はもう一度、深く心に誓ったのだった。
この笑顔に、現実で会いたいから。




