第十七話 夜明けの前の一ページ
「緊急! 緊急です! 住民の皆様は、大広場には近づかないでください! また、可能であれば広場に近づく魔物を排除して下さい! これは魔術ギルド、イーリアス教会双方からの特別命令になります! 繰り返します――」
どんな魔法を使っているのか、
拡大された声がミドルドーナ全域に響き渡った。
恐らくヨハンが気を遣ってくれたのだろう。
これで邪魔者は入らない。
この戦いだけに集中できる。
「『抜刀・風刃』!」
高速でつっこみながら、俺は遥に風の刃を飛ばす。
死なない程度の手加減だ。
あいつの身体は人間のままだ。本気でやったら真っ二つになってしまう。
と思ったのだが――。
「なっ!」
「弱すぎるよ! 本気出していいよ!
『終焉・水泡』!」
俺の風はあっという間に遥の水にかき消され、カウンターでいくつもの水の球体が俺を包みにかかる。
全身を覆えるほどの大きさだ。飲み込まれたら溺死する。
しかも速い。何とか回避、切断していくが、五つ目辺りで足がもつれた。
やばい。
「『聖魔法・制約術式』!」
眼前に迫っていた水泡は、セレーネの聖魔法によって勢いを無くし、ただの水に解体された。
どうやら魔法を掻き消す系統の魔法らしい。面白いものを使える。
とはいえ。
聖剣をもってしても攻撃が届きもせず、避け切れないとは思っていなかった。
あいつ本当に日本人かよ。現代人の反射神経を超越してるぞ。
帰還したらオリンピックを目指せばいい。
「豊。期待外れ?」
「……お前が強すぎんだよ」
「本気出してよ。聖剣を持ってたって、手を抜かれたら負けないよ?」
これでもこの世界じゃ負けなしだったんだけどなぁ。
相当レベルの差がある。
仕方ない。手加減している場合じゃなさそうだ。
あれだけの防御力があるなら、多分本気で一撃を与えても死なないと思う。
それに俺も、ダメージ負ったって死にはしない。
バックステップで下がって、ボソッとカシスに呟く。
「カシス。俺を飛ばせ」
「はぁ? ……あぁ、いいわ。わかったわ」
と同時に、俺は聖剣を構えたまま地を翔る。
これでも常人に反応できる速度ではないのだが、遥は涼しい顔を崩しもしない。
「同じ事やってもダメだよ~」
「うるせぇ!」
その杖が瞬く直前に、カシスが俺を転移魔法で遥の背後に飛ばす。
勢いそのままに魔力を込めた剣を振り下ろした。
「――きゃあ! え、痛い! 何!?」
杖に込めた魔力が霧散し、遥が苦しそうに肩を押さえた。
ダメージはある。手応えもあった。
傷も付いているし血も流れている。
嫌な気分だ。多分俺はしかめっ面になっているだろう。
「んー?」
「『風魔法・竜巻』!」
よくわかっていなさそうな隙に小型の竜巻を遥の足元に発生させ、もう一度転移し、斬り付ける。
遥って基本的にバカだったからなぁ。
自分も転移しながら戦えば一瞬で勝負着くのに、気付いてないのかもしれない。
あるいは別の理由があるのだろうか。
などと無駄な思考を巡らせていたら。
「『終焉・水煙』」
俺の攻撃後の隙をついて、足元から水蒸気が膨れ上がってきた。
煙に拘束性がある。動けない。
目の前で悲しげな瞳をした遥が俺に止めを刺そうと、再び杖を掲げ。
「『呪術・遮蔽影』!」
俺たちの間にまっ黒な影の壁が出現し、双方を分断した。
エンだ。間一髪、間にあったらしい。
すかさずセレーネが聖魔法で水蒸気を解除する。
「エン、よくやった!」
「兄ちゃん! ……ハルカ姉ちゃん!」
「あれ? エン君も豊のところにいるの?
元気そう……? あれ?」
半透明のその姿に違和感を抱いているようだ。
わざわざ死んだ事を言ってこれ以上狂わせる必要もない。
エンもそう判断したらしく、答えなかった。
「姉ちゃん! こんな事やめてよ! メイが泣くよ!」
「んー……メイちゃんを悲しませたくはないんだけど。
でも、ごめんね。もう止まれないんだ」
これでもダメか。
「あれが呪力なら……」
セレーネが何かを呟くが相手をしている暇は無い。
水の槍が俺の心臓を貫く。
液状の刃が俺の腕を切り落とす。
水泡が俺を包んで溺れる。
何度も致命傷を負いながらも再生し、攻撃を続ける事で、遥の方にもそれなりのダメージが蓄積していた。とはいえ、俺たちの連携不足が足を引っ張って、なかなか上手く決定打を与える事が出来ない。
セレーネやカシスは直接的な攻撃手段を持たないし、エンの呪術は遥の呪力に阻まれて、得意の束縛が通用しないようだ。時々俺への魔法を弾くだけに留まっている。
遥も途中から転移魔法を併用し始めたが、どうやら魔法の同時発動は出来ないらしい。
こいつの魔法は、発動までの速度が俺と比べて尋常じゃなく早いし、呪力を用いているためか威力もバカみたいに高いが、それでも転移からタイムラグが生じるので、ギリギリで攻撃を回避・防御できている。
俺は回避しつつ転移して単純に切りかかっているだけなので、時間差は生じない。
それだけの優位性があるが、かといって膠着状態を抜け出せる手立てはない。
いや、それ以前の問題で。
何故あの大津波をここで使わない? それで俺以外は死ぬだろう?
何でだ。発動に時間がかかるとか?
そもそも、魔法の同時発動が出来ないなら――。
「ユタカ様。もう一回」
「何かあるの?」
「うん。……でも、ハルカ様を殺さないでね」
当たり前だ。
「遥。もう終わりにしよう」
「ホント? やった! 私もこれで最後だよ!」
最後にはさせないけどな。
俺は目線で合図をし、また直接攻撃を仕掛ける。
遥の魔法が耳を斬り飛ばしたあたりで意識が飛んだ。再び転移したのだ。
そして覚醒と同時に斬りかかろうとして、
「『制約術式』!」
セレーネの聖魔法が、遥を覆っていた呪力を解除する。
完全に生身だ。このまま振り下ろしたら遥は死んでしまう。
あのバカ、先に言えよ!
「――――ッ!」
何とか刃を返し、剣の腹で殴り付ける事で即死を回避する。
もっと一緒に連携を確認しておくべきだった。
とにかく、明らかに大ダメージを与える事ができたはずだ。
勢いのままに背後から殴りつけられた遥は、そのまま倒れ込んで膝をつく。
骨折したのだろう、肩を押さえながら俺を見上げた。
瞳に、絶望と希望の双方が宿っている。
俺は肩で息をしながら、剣先を突き付けた。
「やっぱり豊は死なないね。勇者だもんね。
私もそうだったよ」
「……今はそうじゃないんだろ」
「うん、今は死ぬよ」
やはりか。
不死の身体が勇者特権なら、もはや勇者ではない遥には適用されない。
ここで首をはねれば、死ぬ。
でもそんな事をするためにお前を探していたわけじゃないんだ。
「じゃあ、殺して?
殺してくれないなら全部壊しちゃうよ?
それは困るよね?
だから殺してくれるよね?」
「殺さないよ。一緒に日本に帰ろう」
「日本かぁ……帰りたいなぁ。
豊と一緒なら幸せだろうなぁ」
「俺だってなぁ……お前がいなくなってどれだけ辛かったと思ってんの?
もうこんな世界、どうだっていいだろ。だから俺と一緒に――」
だけど。
遥は、昔とは違う。
諦めたように、薄く儚い笑顔を魅せて、俺の言葉を遮る。
「どうしても殺してくれないの?」
「当然だろ」
「……じゃあ、ダメ」
小さく首を振りながら俺の願いを拒否し、遥は自身の足元に魔法陣を発生させた。
しまった。あれだけやってまだ魔法が使えるのか。
最初に飛ばされた時と同じ。転移魔法だ。
わざわざ魅せつけるような派手な発動の仕方しやがって。
「待て!」
「帰れるなら、帰りたかった。
豊に会いたかった。ずっとずっと。
助けて欲しかった。
でも、もうダメだよ。
だから……今度こそ」
今度こそ、私を殺してね。
声にならないその嘆きは、口元の動きだけが俺の脳裏に刻み込まれ、遥と共に何処かへと消えていった。
逃げられた。
「…………」
「ユタカ様、その……」
「わかってる」
魔物を殲滅しなければならない。
カシスに転移を使わせようと振り向くと、杖を支えにしながら、足をガクガクと震わせていた。
恐らく魔力が尽きそうなのだろう。
魔力総量は基本的に内蔵するものが全てで、この世界に回復ポーションのような即効性のあるものは無い。数時間の休憩か睡眠が必要となる。
本当にギリギリの戦いだったようだ。
とはいえ、もう一度やってもらわないと困る。
「カシス。悪いけど、あと一回だけ頼むよ。
君とセレーネは教会か、父親のところへ行って、遥の撤退を伝えるんだ」
「わか、ったわ……」
「その後は休んでていい。セレーネ、説明は任せる」
「任せて」
遠く山を見上げる。そこには天まで届きそうな土壁と、遥には劣るものの巨大な水魔法とが津波を堰き止めていた。
火の竜が水分を蒸発させようとしているのだろうが、さすがに属性の関係で不利なのか、あっさりと大津波に消滅させられ、莫大な水蒸気を発生させるに留まっていた。
さっきも少し思った事だが。
遥がここで魔法を使っていたのに、何故あの津波は消えない?
一度発動してしまえばそのまま残るのか?
それとも、また何か別の理由があるのか?
いずれにせよ、規模が違いすぎて俺があそこに駆け付ける意味は無い。
俺にもあれだけの力があれば。
嘆いても仕方ないか。
「行ってくれ」
「うん、ユタカ様、気をつけてね」
「いくわよ……」
カシスは最後の力を振り絞って転移し、二人は姿を消す。
セレーネに任せれば大丈夫だろう。知名度も相まって説得力が段違いだ。
周囲を見渡す。
俺たちの戦いの犠牲になった人がいるかはわからないが、何人かの魔術師が地に伏していた。それでも抗い続ける街の人々と、配下の盗賊どもの姿も見える。
放置するのも後味が悪いからな。
「エン。行くよ」
「うん、行こう!」
俺は静かに聖剣を構え直し。
そこらで暴れている魔物ども、鬱憤を晴らすかのように狩り続け。
夜明けまでひたすらに戦い続けた。
俺は無力だ。




