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第十六話 ミドルドーナの悪夢


 深夜に差し掛かるか、差し掛からないか。

 子供たちは寝て、大人たちは明日に備えて眠る人、夜の仕事に従事する人、ただ眠れなくて夜更かしする人、夜通し騒いでやろうとする人。


 そんな様々な事情など知ったこっちゃないと、そう言わんばかりに、光が消えかけた魔法都市の大通りを一人、歩く者がいた。


 焦げ茶色の髪に、かつては清廉さを煌めかせていたであろうローブは、血で変色し、もはやその輝きを失っていた。まるで、自身の穢れを示すように。

 彼女はその手に持つ、木製の杖の先端、黒い宝石を瞬かせながら、裂けた口元を歪ませている。


 すれ違う人々は、何の感情も抱きやしない。


 当然だ。ここは魔法都市。

 魔術師風のその様相など、珍しくも何ともないのだから。

 ましてや俯き、ローブで全身を覆ったその姿では、近付いて確認しなければ誰もその顔を認識できないだろう。


 だから気付かない。


 彼女がかつて、世界中の希望を背負いながら、天真爛漫な笑顔の下に、世界を救って見せた勇者だという事に。


「誰も気付かないんだー? 悲しいなぁ。

 ちょっとこの街にお世話になった事もあるのに」


 それは独り言だった。

 誰かに話しかけるようではなかったし、そもそも彼女は一人だった。

 だから人々は、変な人だな、と、せいぜいそう思う程度だった。


「元気かなぁ、あの子。

 魔法出来るようになったかな。

 私もあの頃は全然だったからなぁ……」


 呟きながら、歩を進め。


 広場の中心に辿り着くと、周囲をぐるりと見渡して、

 張り付いた笑顔をさらに歪ませながら。


 宣言する。


「こんばんは! 久しぶり!

 スクリのお礼をしに来たよ!」


 それほど大きな声ではなかった。

 だが、その場にいた誰もが振り向いた。


「……さようなら」


 黒い光が収縮し、空間に波が走ったように思えた、その刹那。

 ミドルドーナの夜に爆発音が響き渡った。



---



「――ッ! 何だ!?」


 凄まじい衝撃と音に、俺は飛び起きる。

 夜中に騒音をまき散らすバカはどこのバカだ。

 近所迷惑を考えろ。


「兄ちゃん!」


 壁を通り抜けて、外からエンがやってきた。

 イタズラでもしていたのだろう。


「何?」

「津波が迫ってる!」

「はぁ?」


 ミドルドーナは周囲を山と町に囲まれた内陸地帯であり、津波など起こるはずもない。

 もしも本当に津波がきたら、それは国そのものがもうダメって状態だ。


「寝ぼけてるんだよ、エン」

「おれは寝ないよ! いいから外に来てよ!」


 俺はエンの呪力で強引に宿の外に引きずり出され。

 そしてその指差す方向、山の方へ視線をやると。


 確かに津波が迫っていた。

 仄かに潮の香りもする。

 意味がわからない。


 凄まじい規模だ。

 まだ街までは届いていないが、もう目視できるほどだ、時間の問題だろう。

 あれが直撃したらミドルドーナは湖にでもなってしまう。


 しかもそれだけじゃない。


 俺は聖剣を取り出し、眼前に迫る敵を一刀両断。


「魔物もいるじゃん!」

「そうなんだよ!」


 言えよ!


 仕方ないのでその辺の魔物を切っては捨て、切っては捨てながら、イーリアス教会の方へ向かう。

 途中、事態に気付いた住民たちが魔法で魔物に応戦している場面を見かけた。

 それなりに皆戦えるらしく、まだそこまで被害は大きくなさそうだが……。


「セレーネ!」

「ユタカ様! 待ってたよ!」


 教会の中では、負傷者が何人か並べられ、その治療をセレーネが一手に引き受けていた。

 対応が早い。


 さすがに異世界の人たちはこんなの慣れっこなのか。

 呼ばれた声に振り向くと、ヨハンが俺の方に走ってきていた。


「ユタカ様。自体は一刻を争います」

「わかってる」

「現在、魔術ギルドと連携し、あの大津波と、魔物の襲撃を食い止めようとしているところです。ご協力頂きたい」

「うん」


 さすがにこんなところで死にたくないが、俺一人でどうにか出来るとはとても思えない。

 そうそう死なない身体とはいえ、本当にあの津波に耐え切れるのか不安だ。身体がバラバラになってしまっても復活できるのだろうか。


 素直に頼った方がいいだろう。


 話を聞くと、幹部の一人である土魔法の使い手に巨大な土壁を作らせる予定らしい。

 予定というか、遠目に見ると既に次々出来上がっていっている。

 凄まじい魔法だ。とても俺に出来るレベルじゃない。


 加えて、別の水魔術師である幹部が、大規模魔法で相殺を試みるとか。

 あれを相殺出来たら化け物だと思うんだが。


 それと同時に、イーリアス教会総出で、街全体に結界を張り、可能な限り被害を抑えると。


「失礼ながら緊急事態ですので、単刀直入に伺います。

 ユタカ様、魔法の心得の程は?」

「……風魔法が使えるけど、あの津波を消し飛ばせるほどじゃない」


 それにはハリケーンレベルの風が必要だろうが、今はまだ、俺には出来ない。

 歯がゆいものだ。聖剣がもっと力を貸してくれないかな。


「では、ユタカ様方には魔物の駆逐をお願いしたい」

「わかった、任されよう」

「待って!」


 突然聞き覚えのある声が耳に届いた。

 カシスだ。気配などなかったのに。

 身体に魔法の残滓を纏っている。多分転移してきたのだろう。


「やっぱりここにいたわね!

 勇者! あんたの出番よ!」

「勇者って言うな」

「いちいちうるさいわね、じゃあユタカ!

 あんたは雑魚の相手をしている場合じゃないわ!」


 何だってんだよ。


「情報部に、多分この件の首謀者と思われる者の情報が入ったわ。

 気持ち悪い笑い方をしながら、戦況を見てる」

「誰?」

「元勇者」


 元勇者――。

 現在、この世界でそう呼ばれるのは一人しかいない。

 待ち焦がれた。この時をどれだけ待ち焦がれたか。


 遥だ。


「カシス。俺をそこに連れていけ」

「当たり前よ」

「カシスさん! 私も連れて行って下さい!」


 即座に飛ぼうとする俺たちに、セレーネが待ったをかける。

 お前にはここの仕事があるだろう。


 だが絶対に譲らないとばかりに、彼女は俺とカシスの腕を強く掴んで離さない。


「負傷者はどうするつもりだ! 俺は死なないから放っておけ!」

「教会に任せます! ヨハン!」

「大丈夫です。むしろ、そちらの方が危険でしょう。

 是非、我らが神と共に」

「~~~~っ! 仕方ない!

 エン! お前は盗賊どもに伝令、魔物をできるだけ減らせ!

 その後は、出来れば俺に合流しろ!」

「わかったよ兄ちゃん!」

「よし、やれ、カシス!」


 カシスは転移魔法を発動し、俺たち三人を飛ばす。

 不思議な感覚だった。一瞬だけ意識が消えたかと思うと、復帰したその瞬間には、既に全然違う場所にいた。


 そこは大広場だった。ミドルドーナの中心に位置する、憩いの場だ。

 神秘的な噴水が魔術により制御され、人々の心を癒す場所。


 恐らく魔術ギルドの情報部と思われる魔術師が、身を隠して様子を伺っている。

 少し遠く、魔法の飛び交う音と、魔物たちの叫び声が木霊していた。


 そして。


 噴水の縁に腰掛ける女。

 彼女は俺の姿に気付いて、歓喜の声を上げた。


「豊! 豊! ここにいたんだね!

 よかった、いきなり街を破壊しなくて!」

「遥! こんなくだらない事やめろ!」

「会いたかったよ! 強くなった? ねぇ強くなった?

 豊ならきっと私を殺してくれる!

 だって、豊は私の、私の!」


 ダメだ。全然話を聞きやしない。耳に届いてすらいないと思われる。

 この世界で最初に再会した時より悪化している。

 もう正気は残っていないのか。


 いや――諦めない。


「ハルカ様! もうやめて!」

「セレーネちゃん! それにカシスも!

 二人も私を殺しに来てくれたの?」

「止めに来たのよ!」

「アハ、アハはハハは! 嬉しいなぁ。

 私の大好きだった人たちが、私を殺しに来てくれるなんて」


 カシスも遥と面識があったのか?

 と、それどころではない。


 遥は俺たちの言葉に全く耳を貸さず、立ち上がり、その手に持つ杖を構えた。


 禍々しい杖だ。黒い宝玉が闇夜の中でもわかるほどに美しく輝き、木製の柄の部分を通して、遥の魔力を集めていた。

 さらに遥は、自身の魔力とは別に、周囲に飛び交う魔法の残滓を身に纏いながら、黒い影を吸収している。


「呪力を集めてる」

「嘘でしょ」

「あれは人の身には余るものだよ。……ハルカお姉ちゃん」

「やるしかないわね……。

 『支援魔法・筋力上昇! 速度上昇! 魔力上昇』!」


 カシスは覚悟を決めたように、俺に支援魔法をかけた。

 身体が軽い。なるほど、転移と通信以外もそこそこ優秀なようだ。


「ユタカ様。私も聖魔法で援護する。

 でも私だけじゃ勝てないから、お願い」

「あたしも支援だけはしてあげるわ!」


 二人はこの戦いを俺に託すつもりのようだ。

 俺は下唇を噛みながら逡巡する。


 ――クソッ!

 結局こうなるのかよ!


 わかっていた。わかっていたんだ!

 戦わなきゃならなくなるって事くらい!

 俺は勇者で、遥は魔王なんだから!


 運命って奴が、世界の理って奴があるんなら、必ずそう仕向けるだろうとは思っていた。


 でも、でもなぁ!


 惚れた女と本気で殺し合いたい奴なんているかよ!


「豊、喧嘩するのは久しぶりだね。

 10年ぶりぐらい? もっとかな?

 今度も私をやっつけてね! カッコイイ豊を見たいな!」


「……遥。絶対に。

 絶対にお前を連れて帰る」


 静かに聖剣に手をかけ。

 そして。


 何の小細工もなく、俺は一直線に駆け抜けた。

 世界に約束された戦いが、始まる。


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