第十話 ユーストフィアの冬籠りⅢ
イーリアス教。
初代勇者イーリアス=ヒストレイリアを神として祀った宗教である。
シャルマーニの国教でもあった。
イーリアスは、初代教皇と恋仲だったので、彼女と子を成し、その後、子は宗教内で重要なポストに就いて、さらに宗教とその血を繁栄させていった。
ズブズブじゃねーか。
これは初代勇者もロクなもんじゃないな。
俺が指輪と聖剣に選ばれたのも頷けるってもんだ。
それに、イーリアス教総本山が領内にあるシャルマーニが、世界最大国家だったってのも十分に納得できる話だ。
さてその初代勇者君。
古の時代、人間が今より遥かに弱く、魔王が荒ぶり世界を掌握していた頃。
大地は汚染され、海が街を飲み込み、山が業火に焼かれ。
滅びが目と鼻の先に待ち受けていたその時、精霊が自身の存在を元に聖剣と指輪を作り出し、一人の青年に託した。
それが初代勇者イーリアス=ヒストレイリアであり、その後彼は、人間達を率いて魔族を倒し、数名の仲間と共に魔王すら打倒した。
こうして世界は平和になったのだ。
「――それが、イーリアス教の経典に伝えられている事だよ」
冬が終わらないからといって、
丸一日特訓をするほどの体力も無く、
暇つぶしにセレーネに尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「それだけ?」
「それだけ」
聞く価値もない話だった。
まさに時間の無駄だ。
完全にお伽噺と言っていい内容だし、肝心な事は何もわからない。
多分色々と捻じ曲げられているしな。
だってこんな宗教が語る事だし、初代は癒着してるし。
「で、その初代勇者と教皇の血を引いているってのが」
「私だよ! 今、この世界には私と、
兄の二人しかいない。
他の家族や枢機卿もそうだったんだけど」
諸々の事情やこの間の大虐殺で死んでしまったと。
枢機卿か。教皇の反対派閥だったかな。
「つまり君が大司教なんていう大層な役職を貰っているのは、
血縁による、いわゆるコネってわけね」
「コネというのが何かはわからないけど、それはかなり大きいね。
でも、私が治癒魔術師として飛びぬけていたってのもひとつの理由」
確かにこいつは規格外なんだろう。
ガンラートも含めて、盗賊どもはそれはもう驚いていたからな。
話を聞くと、大抵の治癒魔法は軽い怪我か、ベテランでも骨折を治せるくらいで、腕や足をくっつける事が出来るのはこいつぐらいだとか。
「精霊ってのは?」
「正直なところわからないよ。
知覚出来るもんじゃないし。
むしろ、ユタカ様の方がわかりそうなもんだ。どう?」
「性格悪いだろうなーってぐらい」
俺に数十人の盗賊団相手に大立ち回り出来る程の力を授ける奴だ。
頭のおかしい殺人狂の疑いすらある。
「それを言われてしまうと、
私には何も言えないよ」
「自分の宗教の根幹になりそうなもんを否定なんて出来ないよね」
精霊は実はクズで、人間が右往左往する事を愉悦とし、魔王と裏で繋がっているんじゃないかとすら俺は思っているが、さすがに穿った見方かね。
きっとこの話を聞いた遥は素直に信じたのだろう。
元々のあいつは単純な奴だったからな。
それで裏切られて、あぁなってしまった部分もあるかな。
いや……俺だって、もっとシンプルに召喚されていれば、文句は言いつつもユーストフィアのために戦おうと思ったかもしれない。
そんな展開に、ちょっとワクワクする可能性は否めない。
状況が最悪すぎた。
おまけに盗賊にそれはもうえげつない目にあわされたし。
思い出したらイラついてきた。
誰か一人ぐらい殺そうかな。
今は俺のものなんだからいいんじゃないか?
「……ユタカ様は時々、とても冷徹な目をするね」
「そう?」
「全く笑わないのは普段からだけど、
時に、その瞳に絶望しか映らない事がある。それは」
狂人の一歩手前だよ。
魔王の一歩手前だよ。
そう言われた気がした。
俺としては全然正気を保っていると思っているんだけどな。
最初に敵意、いや殺意を向けてきた盗賊どもだって、今はそれなりに扱ってやっているし。
「まぁ気にしないでよ。別にユーストフィアを滅ぼそうなんて思ってないし。
というかこの世界なんてどうでもいい。
さっさと遥に会って、俺の世界に帰りたいだけ」
安心させるつもりで言ってやったのだが、
セレーネは複雑そうな、同情的な顔をしたままだった。
あれ、まさか。
「ひょっとして、帰れないとか無いよね?
それなら俺も魔王になって世界を滅ぼすけど」
「それはないよ!
過去の、異世界から召喚された勇者で、
自分の世界に帰ったものはいる。ただ……」
その方法がわからない。
何故なら、それは勇者本人と、教皇しか知らない事だったから。
俯いたままセレーネはそう言った。
「指輪じゃないの?」
「そうかもしれないし、
そうじゃないかもしれない。
断定的な事は、私には言えない。
……役に立てなくてごめん、ユタカ様」
ふむ。わりとショックだ。
思考が完全に停止している。
多分今、俺は呆けているのだろう。
セレーネが慰めるように手を伸ばしかけ、やめる。
そうだな。意味はないな。
そもそもお前らの宗教のせいだしな。
「……ちょっと外の空気を吸ってくる」
「うん、ごめんなさい……」
フラッと立ち上がって、俺は自分の部屋を出て行った。
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アジトの外は相も変わらず雪景色である。
何も変化がない。そろそろ飽きてきた。
そう離れていないところで、ガンラートとメイが戯れている。
俺の姿に気付くと、二人が近づいてきた。
「ユタカお兄ちゃん!
……ユタカお兄ちゃん、どうしたの?」
よほど酷い顔をしているのか、
メイにまで心配されてしまった。
さすがに情けない。
「何でもないよ。ちょっと冬に飽きてきただけ」
「ほんとう? じゃあ、メイと遊んで!」
「うん、いいよ」
今は何も考えたくない。
同じく何も考えてはいないだろうメイと遊ぶのもいい。
肩車をしたり、雪だるまを作ったり、
鬼ごっこをしたりして数時間過ごしたら、
やがてメイは電池が切れたかのように眠ってしまった。
仕方ないので抱っこして、腰を下ろす。
寒い。
「何かあったんで?」
ずっとその光景を見ていたガンラートがふと話しかけてきた。
お前も大概暇なんだな。
「ん? 実はねー」
普段なら絶対に口を割る事は無いだろう。
だが、きっと衝撃的すぎて気が動転していたのだ。
先程の話を、ペラペラと話してしまった。
「はぁ……それは、その」
「いいよ、無理に慰めようとしなくて」
ガンラートにどうこうできる問題じゃないだろう。
「……カルターニャにもう一度行けば、
何かわかるんじゃ?」
「多分、もう燃え尽きていると思う。
大聖堂の周りは林だったでしょ。
街の火の勢いを考えても、残っているとは思えない」
勿論真っ先にそれは考えた事だった。
そして、すぐにこの結論に達したのだ。
八方塞だ。
教皇は死んでしまった。
その手段を伝達せずに。
過去に召喚された勇者は、帰ってしまってもういない。
遥に可能性は残されているが、
そんな手段を知っていたら、とっくに日本に戻っていただろう。
あいつがどのぐらいこの世界に愛着を持っていたのか知らないけど、魔王に堕ちるほど追いつめられて、それでも残るほどバカじゃないと思いたい。
どうしようもない。
「お頭、今考えても仕方ない事です」
「は?」
「わからない事をどれだけ考えても答えは出ませんぜ。
それに、勇者ハルカと一緒に帰る事は出来なくても、助けてからこの世界で生きるって手もあります。もしかしたら、勇者ハルカをなんとかしたら、精霊が帰還方法を教えてくれるかもしれません」
……それは、そうだが。
「立ち止まっていたって勇者ハルカは待ってくれませんし、考えたって帰る方法はわかりません。なら、まずはお頭がやるべき事である、勇者ハルカに会うって事をやりゃあいいんじゃないですか」
「……ねぇ、ガンラート。
本当に心底思うんだけど、
何で盗賊なんかやってんの?」
「それはお頭でも秘密でさぁ」
不思議な奴だ。
いつ聞いてもそれだけは教えてくれない。
聖剣で脅してもダメだった。
でも、少しは救われた。
そうだな。まずは遥に会わなきゃ話にならん。
心の中でガンラートに礼を言って、俺たちは中に戻った。
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そして。
長い長い、暇で暇で仕方ない三カ月を終えて。
ユーストフィアに春が訪れる。