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秘密の彼女  作者: 大黒
3/3


『続いてのニュースです。数日前に少女の死体が見つかった○○山で、またも、少女と思われる遺体が、現場検証を行っていた捜査官により、発見されました。立ち入り禁止区域になっている○○山に、警察の捜査網をかいくぐって、犯人が死体を埋めたと考えられ、恐らく一件目と同一の犯人であろうという見解がなされています。詳しい捜査状況などはまだ入ってきていませんが、一件目と同じ山に死体を遺棄するその行為は、まるで警察に挑発を仕掛けているようにも思え、警察組織に対して何らかの不満、または、憎しみが伺えます。とりあえずこの事件に関して、捜査は難航しており、現在も捜査中です』



 由紀奈と別れてから携帯を確認すると、メールが一件と、着信が一件入っていた。どちらも、宛先が『新田洋子』となっている。

 こういうのは、僕はめんどくさいと思わないタイプで、むしろ嬉しいと感じた。僕のことを好きでいてくれているのかと、再確認できる。まずは、メールの内容を確認する。

『お疲れ様。大学は終わった頃かな? 私はバイト終わって、今、友達と食事しているの』

 このメールが来たのが三十分前か。僕は急いで返信をした。

『バイトお疲れ様。いいなー友達と食事。楽しんでね』

 由紀奈のことは黙っておくことにした。

 不誠実に映るかもしれない。こういうのも隠さないで打ち明けた方がいい気がする。隠していると、まるでなにかやましいことでも抱えているのではないかと、自分で錯覚してしまいそうになった。そんなことは一ミリもないのに。

 けど、これはメールで伝えるべきではないと判断した結果、報告するのはやめておいた。今度会ってからでも遅くはないだろう。洋子は嫉妬深い方なのかどうかもわからない故に、切り出すことに躊躇いが生じていた。

 五分後。ポケットの中で携帯が震えるのを感じ取り、携帯を取り出す。メールが来ていた。洋子からだった。

『今夜、話せない?』

 それは電話で、ということなのか。

『電話?』

 返信をして、またすぐに返ってくるだろうと思い手に持ちながら歩いていたが、返信はこなかった。


「ただいま」

「お帰り」

 玄関で、エプロン姿の母さんが出迎えてくれた。キッチンから漂ってくるカレーの匂いが、僕の鼻孔をくすぐり、空腹感を誘った。

「今日は早かったのね」

「お昼までだったからね」

 靴を脱いで上がり、そのまま二階にある自分の部屋へと直行しようとすると、呼び止められた。

「あんた、これからどこにも出かけない?」

「うん、まあ」

「だったら、今晩はカレーだから、ちゃんと家で食べてね」

「はいはい」

 適当に返事をして、階段を上る。その間も、僕は洋子のことを考えていた。

 由紀奈の影響もあるかもしれないが、改まって、話せない? とか言われると、どうしても嫌な想像ばかりを働かせてしまう。由紀奈の時がそうだったからだ。何か嫌な話は必ず電話でしたがっていた。彼女がそういうことを大事にしていたのは、付き合っていていて、痛いほど感じていたことだし、それが煩わしいと思ったこともあった。

 それにしても、何かメールを続けていて、声が聞きたくなったから、という自然な流れだったらまだしも、彼女は友達と食事していて、それで改まって、今夜話せる? という文面は、明らかに不自然ではないか。どこか思い詰めているとしか思えない。

 それとも、僕に嫌気がさしたのだろうか。別れ話とか。

 それだったら、心当たりがなさすぎて、仮に別れ話だったとしても納得できるわけがない。いくら僕でも、おそらく食い下がるだろう。いきなりそんな話を切り出されても、まだ心の準備が整っていない。付き合い始めたのだって、一昨日からだし。

 では、いったいどんな話なのだろうか。考えれば考えるほど頭の回線はこんがらがっていき、オーバーヒートしそうだった。

「お兄ちゃん、いるー?」

 ぼくの心境とは裏腹に、妹の彩の無邪気な声が飛び込んできた。返事を待たずに部屋へ飛び込んできた華奢な彩は、そのまま僕の部屋のベッドにダイブする。

「何しに来たんだよ?」

 今は彩とじゃれあう気になれない。考えすぎて、他のことに頭が回らなくなっているからだ。

「漫画読みに来た」

 というと、ベッドの枕もとにある本棚から僕の漫画を勝手に数冊抜き取り、許可もなしに読み始めた。図々しいというか、デリカシーがないというか。

 それでも、憎めないのが兄の性というものだろうか。

「貸してやるから、自分の部屋行って読めよ」

「嫌だ。また返しに戻ってくるのめんどくさいから」

 どんな理由だよと内心で突っ込み、妹が読んでいる漫画を取り上げた。とたんに、妹は頬を吹くらませ僕を睨み付ける。

「なにするの」

「自分の部屋で読みなさい」

 彩の頭上で、読んでいた漫画をぷらぷらと、ペットの餌のお預けのようにちらつかせていると、妹がそれを奪い取って舌をべーっと出して、部屋を出て行った。

 いつもであればもう少し遊んであげられるのだが、今は一人になって考えたいという気持ちの方が強く、僕は回転椅子に腰かけると、意味もなくクルクルゆくりと回っていた。

 机に置いてある携帯を手に取り、新着メールを確認する。やはり来ていない。今は友達と遊んでいるから返せないのかな、と自分を納得させるが、彼女は友達と遊んでいても、最優先で僕には返信をくれていると思っていただけに、少し不安になった。

 あのメールの文面も、不安にさせる要因の一つだった。

 メールじゃ伝えられないこと、ってなんだろう。

 僕に話したいことって。おそらく、ありすぎるだろう。僕もまた。彼女に伝えられてないこと、話せてないことはたくさんある。

 全身から力を抜いた状態で椅子を回転させていたら、唐突に睡魔が押し寄せてきて、いつの間にか僕はその波に飲み込まれていた。


 凍てつく寒さの中、僕は震える手でナイフを握り、路地裏に隠れていた。ある男がでてくるのをひたすら待ち続けていた。

 かじかんだ手に、もう感覚はない。あるのは、男に対しての憎しみによる原動力だけだった。

 徐々に視界がぼやけてきている。寒さのせいで、意識が遠のいていくのがわかる。それでも僕は、その男が出てくるのをただひたすら待ち続けていた。

 その男に制裁を下す。悪の根源を断てば、好転するはずである。絶対に許せなかった。

 待ち続けること一時間。足元がふらつき、壁に頭を打ち付けてしまうが、そのおかげで意識がハッキリしてきた。その刹那、ようやく目的の男が店から出てくる気配があった。

 この瞬間をずっと待っていた。

 僕は我をも忘れ、その男めがけて、勢いよく路地裏を飛び出した。


 決定的なところで目を覚ます。どうやら眠りに落ちていたらしい。口からだらしなくよだれが垂れているのを、慌てて拭った。

 どれくらい寝ていたのだろうか。腕時計に目を落とすと、眠りについてからおよそ二時間も経過していた。時刻は午後の九時を回った頃で、暖房器具のついていないこの部屋は、冷え切っていた。震えながら、置かれているストーブの電源を入れる。

 それにしても、あの夢はいったい何だったのだろうか。

 なんの脈絡もなく、ナイフを持ち、誰かを殺そうとしている夢を、果たして人はみるのだろうか。

 それに、夢にしては意識もはっきりしていたし、思考もちゃんと回っていた。何より、状況があまりにも具体的すぎはしないだろうか。

 夢から覚めたというのに、手には生々しいほどの、ナイフを握っていた感触が鮮明に残っている。

 僕は、何かに追い詰められているのだろうか。

 とたんに虚脱感がやってきて、ベッドに横になった。また眠ろう。もう目を覚ましたくない。このまま、ずっと眠っていたい……。

 そう思った矢先、携帯の着信音で僕は我に返って飛び起きた。

 すっかり忘れていた。洋子とメールをしていたんだった。あれから返信は来なかったけど。そりゃ二時間もたてば、メールも一件ぐらいきていただろう。

 僕は慌ててベッドから飛び降りて、机に置いてある携帯に手を伸ばし、画面を確認する。

 土佐洋子、とディスプレイには表示されていた。

 僕は心が浮くようなワクワク感半分と、何を告げられるのだろうという不安感の半分が入り混じった心境で、携帯に出た。

「もしもし……」

 僕の第一声は、思ったよりも上ずっていた。

「もしもし?」

 返答がなかったので、もう一度問いかける。

『もしもし……』

 ようやく聞こえてきたと思った洋子の声は、どこか落ち込んでいて、暗かった。電話のせいで余計そう聞こえるのかもしれなかったが、只事ではないと察知した。

「どうした?」

 また黙ってしまったので、優しく声をかけて洋子の気持ちを引き出そうと試みるも、重苦しい気配が携帯越しに伝わってきた。

「洋子ちゃん?」

 何も答えてはくれない。

「そういえば、友達と遊んだんでしょ? 楽しかった?」

 楽しく遊んだ後のようには思えない。友達と喧嘩でもしたのだろうか。

『ごめんね、燐君』

 口を開いたと思ったら謝られ、不意を突かれた。

「え? なんで」

『私、最低だ』

「ちょっと。そんなことないよ」

 脈絡のない言葉。相手が何を伝えようとしているかさっぱりわからない僕は、ただただうろたえていた。

「何があったの?」

 できるだけ優しく、彼女に声をかける。今洋子にしてあげられることは、できるだけ優しく接してあげられることだろう。

『今から話すこと、真面目に聞いてくれる?』

「うん、もちろん」

 改まった言い方をされると、よからぬことを聞かされるのではないかと不安になる。

 そもそもそんな大事な話なら、電話ではなくて、直接、顔を見て話した方がよいのでは。まあそれは、単なる僕の願望にしか過ぎないのだが。しかしこうなると、なおさら洋子に会いたくなってしまう。

 不自然な切り出し方をした以降、押し黙ったままの洋子を、僕は催促せず、そっと待つことにした。彼女なりの整理がついたら話せばいい。心の中でそう声をかけると同時に、もう一つ、もう同じ過ちは繰り返さない、という強い決意を胸に深く、刻んだ。くどいようだが、それは由紀奈と別れ、洋子と出会ってから、そう心に固く誓った意思である。十六歳のいたいけな少女を、自分のわがまま、自己満足のために傷つけるようなことはしたくない。

 どのくらい経ったのだろうか。電話越しに流れる沈黙は、僕にとっての体感時間としては、数時間にも及ぶぐらい、緊張感のあるものだった。自然と体中の体温が冷えはじめ、呼吸に乱れが生じる。洋子はどうなのだろうか。もしかしたら、僕より楽観的なのかもしれないし、緊張しているのかもしれない。

 洋子の心境は計り知れないが、僕は信じて、彼女が話してくれるのを待つことしかできなかった。

『私ね……』

 あまりにも自然に喋りだすのもので、危うく聞き逃しそうになるところだった。洋子の声が小さいのか、電波が悪いのか分からないが、聞き取りづらかったので、携帯の画面を、これでもかというぐらい強く耳に押し付けた。無意識の内に、携帯を握りしめる手に力が込められていた。

『援交しているの』

 その言葉の重みを消すぐらい、まるで何事もないかのように、洋子はさらっと言いのけてみせたが、僕はスルーすることができなかった。しかし、不思議と驚きはない。

 その理由として、彼女が会話の中で時折混ぜてくる、金やお兄ちゃんの話に由来した。

 僕の推測では、洋子は人一倍お金に執着があり、誰よりも必要としている。援交でそのお金を稼いでいたとしても、不思議はないわけだ。

 彼氏として最悪な見解だと思う。僕は、そう推測したのを悟られないために、わざと驚いた風を装った。

「どうして?」

 白々しい聞き方にならないよう気を付けながら、僕は問うた。

 すると、再び彼女は口を閉ざし、沈黙が訪れる。今度はもっと重くてどんよりとした沈黙だった。

 彼女がお金に執着があるということは、もはや自明だった。

 僕たちが出会う前に彼女から週に五日、飲食店でバイトをしていることを聞かされていた。高校生でない洋子は、時間に縛られることなく、自分の空いている日は、バイトに費やせるわけだ。しかも、一日八時間、働いているらしい。このことは、本人から聞いたことだった。

 さらに、彼女は寮で暮らしているという。僕が直接聞かされたわけじゃないが、彼女との会話から断片的に聞こえてくる単語で、彼女が寮暮らしだということが判明したわけだ。

 さらに、彼女の口から両親の話が一切出てこない。父親が何の仕事をしている、とか、こないだ母親とどこいった、とか、家族とどこいく、とか。彼女の口からでてくるのは、お兄さんの話だけ。

 つまりこのことから、彼女には両親がおらず、唯一の肉親は、働きもせずただ遊び歩いているだけの兄貴だけで、寮暮らしをしている故に、お金が必要、学校にも行けず、自分の身を顧みずに働く十六歳の少女、というのが、僕が出した推測であった。援助交際しているという事実を聞かされて驚かなかったのも、その推測があった故で、皮肉にも彼女の告白が、僕の推測に信憑性を加える形となってしまった。

 彼女が援交しているという事実を聞いて、僕は傷つくべきなのだろうか、とふと思ってしまった。

 いや、正当な反応であれば、怒るべきだし、やめさせるべきである。

 だがこの時、色んな思いが頭の中を逡巡し、答えを見失ってしまった。

『私、お金が必要なの、たくさん』

 僕の推測通りな意思を彼女は持っていたが、この推測は、できることなら当たってほしくなかったものであり、最後までそう思っていた。自分の意思とは裏腹に、嫌な推測ばかり当たってしまうもので、大抵の場合、僕の手に及ばない域に達しているのが多かった。今回の場合も、僕に何ができるだろうか。

 彼女のために、何をしてあげられるだろうか。

 答えは、まだ出そうになかった。そんな悠長なことを言っていられる状況ではないのだが。

『私ね、いっぱい働いているじゃん。けど、やっぱりそれだけじゃ足りなくて』

 確かに、彼女はたくさん働いていた。体を壊すんじゃないかって、心配するぐらいに。彼女がたくさん働いているおかげで、彼女との予定を合わすことができなくて、中々会えなかったのだ。それで、ようやく会えたと思ったらあんなことがあり、今に至るわけだが、自分でも、茨な道を突き進んでいるなと、自嘲的になる。

『私的にはもっと働きたいんだけど、十八歳未満だと八時間以上働けないし、うち自給八百円だから、どんなに一月頑張ったとしても、稼げるのはせいぜい十万。寮だってただじゃないし、それ以外にも、使い道はあるし』

 考えた挙句に選んだのが、援助交際というわけか。

 予想はしていたはずなのに、こうして改めて言葉にされ、彼女の口から聞かされてしまうと、動揺はするし、怒り半分、悲しみ半分という、気持ち的に八方塞がりだった。これが電話でよかった、と思う。こういう大事な話は直接話した方がよかった気もしなくはないが、もし直接聞かされたとしたら、もっとショックはでかかっただろうし、感情を自制できるかどうか、分かったものじゃない。

 とりあえず声だけは、平静を装おう。僕は一呼吸ついて、体制を立て直した。また別の緊張感が押し寄せてくる。

『お兄ちゃんのことも、養ってあげなきゃいけないし』

 それについて、僕は全く理解することができなかった。

 彼女は、お兄ちゃんが好きなのだという。それは、唯一の肉親おそらくそうだろうであるが故に慕っているからだろうと思っていたのだが、それだけの感情なのか、と疑問に思えてきた。

 兄妹同士、相思相愛、というか、それにしてもあまりにも仲良すぎるように、僕は聞いていて思う。彼女のお兄ちゃんには会ったことないが(写真では一度見せてもらったことがある)、話を聞く限りだと、洋子もお兄ちゃんのこと好きだし、お兄ちゃんもまた、洋子のことを好きなように思える。

 その好きが、果たしてライクなのか、ラブなのか。

 僕とまったく一緒のことを、お兄ちゃんの彼女にも思われたらしい。

 彼女は僕に、付き合う前から何度も弁明している。お兄ちゃんに対しての感情は、間違いなくライクだと。僕も、それを信じて疑ってはいなかった。

 彼女から聞かされたのは、ある日お兄ちゃんから電話があって、お前に聞きたいことがあるんだって、と切り出されたと思ったら、お兄ちゃんの彼女が出て、その彼女から、洋子とお兄ちゃんとの間に肉体関係があるのではないかと疑われ、問い詰められたという。兄貴がいくら弁解しようとしても彼女は聞かず、どうしても洋子本人から直接問いただしたくて、仕方なく電話を寄越したらしいのだが、その話を聞いていて、僕はまさか、という半信半疑だった。兄貴の彼女も考えすぎだろう、と。

 しかしここまでくると、その話も半信半疑ではなくなってくる。心配するその彼女の気持ちも、なんだかわかった気がした。

 働かず、ただ毎日遊び歩いている兄を、妹が必死で働いて養うという状況をおかしいと思うのは、僕だけじゃないはずである。むしろ、何故そこまでして彼女は兄に尽くすのだろうか。

 唯一の肉親だから? それとも、兄に対しての感情が、ラブだから?

 怖くて、彼女に聞くことはできなかった。

『お兄ちゃんも寮暮らしで、私とは別の寮なんだけど、月に一回以上は会うようにしているし、遊ぶのはいつもお兄ちゃんのとこで、そこまでの電車賃、毎回くれるの。遊ぶお金だってお兄ちゃんが払ってくれるし。だから私も頑張らなくちゃいけないな、って』

 そのお金の元を辿れば洋子になるはずなのだが。彼女はそれに気づいていないのか、少しも疑っている様子はなかった。兄のことを盲信しているように思える。

「だから、援交を?」

 僕の問いかけに、彼女は何も応じなかった。

『私たち、生活保護を受けていて、毎月十万、もらえることになっているのね』

「それは、一人に、ってこと?」

『うん』

 彼女の声は、今にも消え入りそうなぐらい沈んでいた。

『それなのにお兄ちゃん――洋介、っていうんだけど、洋介ね。こないだ確認したら、残っているの、一万円だっていうの。おかしくない?』

 さらに働いていない、ときているから、ここからお金を増やす方法など、ギャンブルぐらいしかないだろう。ギャンブルだって、毎回勝てるとは限らないだろうし、元手一万円では、あまりにもリスクが大きすぎた。

 洋子の兄だったらやりかねないかもしれないが。

『仕事見つけようとしているみたいだけど、中々見つからないみたいだし、ホストとかやっていたみたいだけど、そのおかげですごく稼いでいた時期もあって。ただ、それも続かなかったみたい』

 要するに、どうしようもないわけだ。

『だから、収入なんてゼロ。残り一万円じゃ生活なんて到底できないし、私が洋介にお金あげなくちゃいけないの』

「洋子ちゃんのお兄ちゃんは、それを受け入れてくれているの?」

 数秒の間を置き、洋子は答えた。

『ううん。洋介は私からお金をもらってくれないんだ。だから、洋介の友達に頼んで、その友達を通して渡して貰っているの』

 なるほど。妹を愛し、そんな妹からお金をもらうわけにはいかないというプライドが、兄にはあるわけだ。だが、それでも情けない。陰で妹はこんなにも頑張ってくれているのに、そんな兄はというと、働きもせず、生活保護から送られたお金でさえペースを考えずに使ってしまう体たらく。よくドラマで出てくるような、クズに与えられるポジションではないか。

 しかし、そのことを洋子には言わない。黙って働き、兄のために援交までしてお金を稼ぐ洋子をもどかしく思い、救ってあげたいという気持ちはあるのだが、今ここで言ってしまうと、洋子との関係が破綻しそうな予感がした。

 直接言われたわけではないが、洋子は、僕と兄貴だったら、もしかしたら兄貴を選ぶかもしれない。

 そんな不安が、僕の胸中に渦巻いて、払拭されそうになかった。

『私のバイト代だけじゃ賄えないから、援交で稼ぐことにしたの』

 極端な方法ではあった。確かに、援交を重ねれば多くの金を手に入れることはできる。が、同時に失うものだってたくさんあることに、早く気付いてほしい。

 僕ごときが、それを彼女に気づかせることができるだろうか。

 兄に盲信している彼女を、説得することが果たしてできるのだろうか。

「どうして僕に話してくれたの?」

 一呼吸おいて、僕は続けた。

「隠し通すこともできたのに。お兄ちゃんのことや、援交のこと」

 すると、電話越しに彼女の涙ぐむ声が聞こえてきた。

『私、燐君のことが好きだから』

 胸に、深く突き刺さるほど、僕にとっては重みのある言葉だった。

『燐君のことが大好きだったから、隠せなかったの』

 携帯が割れるのではないかと心配するぐらい、僕の手には力が込められていた。その力は、色んな感情からくるものだった。

『だから、包み隠さず話そうと思って』

 彼女の嗚咽が、僕を苦しめ、より愛おしく思わせる。

『私、援交しているの。お兄ちゃんのために』

 彼女の中の何かが決壊したように、泣き出す。

 傍に行って、大丈夫だよ、と呟いてあげたい。隣で、肩に手をまわして抱き寄せてあげたい。

 彼女との、この距離がもどかしく、苦しい。電波だけじゃ伝えられないことなんてたくさんある。

『お金が必要だから援交しているし、そのために、SNSを活用しているようなものだもん。さっきだって、バイト終わって友達と食事している、っていうメール打ったけど、実は援交相手と会っていたの』

 先の公園で彼女が言っていたことを思い出す。出会い系をよく利用する、と、つまりは、援交のためだったようだ。

『燐君のことも、最初は援交相手としてしかみていなかった。けど、こうしてメールとか電話を重ねていく内に気になり始めて、会いたくなって、実際会ったら好きになって……』

「洋子ちゃん……」

 彼女の名前を呟くことしか思いつかなかった。今の洋子に、なんて声をかけられるだろうか。彼女が落ち着くまで、全てを吐き出すまで、聞き役に徹しよう。今の僕には、それしかできない気がした。

『だから、私、燐君のことが好きだから、正直に話して……燐君がこの話をきいてどう思ったか分からないけど……ううん、絶対嫌だと思っただろうけど、これに耐えられなければ、私と別れた方が燐君のため』

 黙って、僕は聞いていた。彼女の思いのたけを受け止める覚悟で。

『別れたいなら……そうして』

 これが、洋子が話したかったこと、か。たぶん、ずっと考えていたんだろうな。僕と付き合ってから、ずっと。一人で苦しんで、考え抜いた結果、勇気を出して話してくれた。

 僕はいったい、何をやっているのだろう。

 どうして彼女の秘密に気付いてあげられなかったのだろう。どうして、彼女一人で考えさせて、苦しめていたのだろう。

 気付けなかった悔しさによる自分への苛立ちと、どうして最初から話してくれなかったのかという彼女への怒りが、僕の体を支配していた。

「そっか」

 言いたいことはたくさんある。ありすぎるからこそ、今出てくる言葉は、素っ気ない返事だった。

『燐君の可能性を、奪いたくない』

「可能性、って?」

『燐君ならきっと、私よりも可愛くて、普通の女の子と付き合えるもん』

 彼女と僕は、きっと想像以上に規模の大きい話をしているだろう。そのはずなのに、何故か僕は、事の重大さを自覚できていなかった。

 おそらくそれは、今はただ、そんなのを関係なしに、彼女のことを好きでいたいという願望の現れからきているのかもしれない。

 僕は洋子のことが好きだ。洋子も、僕のことを好きでいてくれている。それなのに、別れる理由なんかあるはずがない。

「僕は、洋子ちゃんのことが好き。それは変わらないよ。これからも」

 援交しているという事実を聞かされ、彼氏という立場上、怒るべきだし、彼女も、もしかしたらそれを望んで僕に打ち明けてくれたのかもしれない。もちろん、隠し事をしたくなかったということもあるだろうが。

 それでも、話を聞いているうちに援交という非日常かつ、反社会的な行為が、僕視点で正当化されてきたことも事実だ。

 つまり僕は、洋子がこれからも援交することを受け入れてしまっている。やめてほしい、というのは絶対的にあるが、仕方ないのかもしれない、とこの残酷な現状を受け入れてしまいそうになる自分もいる。

 背水の陣による策であれば、援交は仕方ない。今は、だ。これからを見据えて、僕は現状を受け入れるのであって、決して援交を認めたわけではない。

『私、最低だもん。援交してお金稼いで、そのことを燐君に正直に打ち明けて。それなのに、これからも付き合ってなんて言えないよ』

「洋子ちゃんは、僕と別れたかったら、話したの? 援交していること」

『違う』

 涙ながらも、彼女の語気は力強かった。

『燐君が好きだから……大好きだから話したに決まっているじゃん』

「だったら、別れることなくない? お互い好き同士だったらさ。別れる理由なんかないじゃん」

『けど、援交している彼女なんて嫌でしょ?』

「確かに嫌だよ」

 僕は否定しなかった。彼女が勇気を出して本音を言ってくれたのだから、僕も彼女と本音を出して、向き合うことにしたから。

「嫌だし、やめてほしいと思っている。なにより洋子ちゃんのことが心配。胸が苦しいよ。

 けど、僕はまだ洋子ちゃんのこと何も知らないし、だから、援交のことも、簡単にやめてなんて言えない。たぶんそれは、洋子ちゃんが考えに考え抜いた結果、そういう答えを導いたのだろうから。やめて、っていうことは、洋子ちゃんを否定するような気がしたから」

 優しく語り掛けるように、僕は続けた。

「だからといって、僕は洋子ちゃんのことがどうでもよくなったとかじゃなくて、今は、援交に値するほどの解決策に辿り着いていないだけで、いつかは、援交なんかしなくてすむように、僕がするから。いつになるかは分からないけど。でも、マッハで頑張る。だから、僕はずっと、洋子ちゃんの傍にいる。

 洋子ちゃんを、守るために」

 黙って聞いていた彼女が、果たして何を思い、どう思われたいのか、僕には分からない。けど、これら出た一連の言葉が、僕の彼女に対する今の気持ちであり、自分に言い聞かせるための言葉でもあった。

「きっと、話しづらかったと思う。洋子ちゃんも、もしかしたら、別れて、っていう言葉が僕の口から出ることを期待していたと思う。けど僕は、別れて、なんて思わないし、電話する前も後も、ずっと一緒にいたい、って思っていたよ。

 話してくれて、ありがとうね。一人で抱え込まなくていいんだよ? これから、一緒に考えればいいじゃん。一緒に。ね?」

 しばらく、電話越しから彼女の嗚咽が止まらなかった。僕はそれに対し、黙って耳を傾けていた。

 一緒に考える、といっても、具体的なことはまだ何も思いつかない。

 けど、うじうじしていたって何も始まらないし、前向きに構えていかなきゃ先へは進めない。

 僕が彼女を守らなくちゃいけないんだ。洋子の兄貴――洋介の代わりに。

「うん……ごめんね」

「謝ることなんてないさ」

 全ての元凶は、洋介にあるわけだから。

 しかし不思議なのは、どうして洋介は定職に就かず、遊び歩いているのだろうか、という点である。話を聞く限りでは、洋介も、妹の洋子のことは兄として愛しているように思える。だとしたら普通は、妹のために社会に出て働き、お金を稼ぐのではないだろうか。どんなに働くことが嫌だとしても、そんなつまらないプライドは捨てて、働こう、と僕は思う。

 普通の発想が、洋介に通じないとしたら、いくら考えても無駄だろうが。洋子の会話の断片で、洋介が相当なろくでなしであるということは大体承知している。

 とりあえず今の僕にできることは、洋子のケアである。援交だって、認めたわけではないが、いつか必ずやめさせるため、援交なんかしなくてもすむようにするため、必死で打開策を考えてあげることは、今の僕にもできるはずだ。

 全ては洋子のために。僕は考え、そしていつか、すぐにでも救ってあげるのだ。

『ありがとう、燐君。こんな話聞いてもらって』

「いいや、べつに。どうってことないさ。感謝されるようなことはしていないし、僕が好きでそうしているだけだから。洋子ちゃんを守るためにね」

『ありがとう……』

「だからさ。一人で悩むんじゃなくて、一緒に考えよ?」

「うん」

 彼女の抱えている秘密は、あまりにも大きかった。援交している十六歳の女の子と付き合うことなんて、誰が想像できただろうか。しかも、出会い系で知り合って、だ。

 両親もいない、兄はどうしようもない、言ってしまえば社会のクズのような存在で、でもそんな兄を、唯一の肉親であるから慕う健気な彼女。それ故に、彼女の前では兄のことはけなすことはできない。それでも、いつかその兄を根本的に排除しなければならなくなる日がくるかもしれないな……とふと考える。

 その兄がいるおかげで、彼女は毎日アルバイトを頑張り、裏で援交してさらに金額を稼ぐ。それを、間接的に兄に仕送りし、その兄はというと、働きもせず、生活保護で得た金と差出人を知らない金で悠々自適な生活を送っている。考えただけで吐きそうだ。僕は絶対許さない。

 これ以上、洋子を苦しめるようなことはさせない。

 そう思うのは簡単である。けど、実行に移すのは難しい。

 でも、今思うことは、電話じゃなくて、直接会って話したい。洋子に会いたい。会って、強く抱きしめたい。その思いだけが、今の僕を占めていた。

「洋子ちゃん……」

 僕は、洋子の名前を呟いた。

『ん?』

「会いたい」

『それは私もだよ』

「会おう?」

『いつ?』

 今すぐ、といいかけてやめた。時刻はもう深夜で電車は動いていない。僕のところから洋子の住んでいる地元まで、約二時間かかることを思い出す。

「明日、は?」

 時刻が変わったから、今日か。

『ごめん。バイトなの』

 やっぱりそうか、と思いつつも、もしかしたらバイトは休みじゃないかと期待していた自分もいた。

『また、空いている日があれば連絡するね』

「うん」

 それがいつになるのかと、考えただけで胸が苦しくなり、切なくなる。こんなにも会いたい気持ちが募るのは、本気で洋子のことを好きだからだろうか。

 決して由紀奈のことが好きじゃなかったとはいわない。もちろん、由紀奈の時も、毎日会いたいという気持ちはあった。けど、こうして比べてみると、何か異なるような気がするのは何故だろう。

 どうしてこんなにも、洋子のことが愛おしく感じてしまうのだろう。

 僕は携帯を強く握りしめ、呟くように言った。

「好きだよ」

『私も』

 傍から見れば、背筋が寒くなるようなやりとりだろうが、当事者になってみれば、恥ずかしげもなくできるということに気づいた。

「明日もバイトなら、そろそろ寝よっか」

『うん。ごめんね』

 切りたくない。それが本音だけど、さすがにこれ以上は体に支障をきたすだろうし、それでなくても、毎日働いて援交までしているのに、睡眠不足はもってのほかである。

「おやすみ、洋子ちゃん」

『うん。おやすみ、燐君』

 洋子の言葉を聞き、僕は意を決して電源ボタンを押し通話を切った。とたんに電波が途絶え、ツー、ツー、と無機質な音が通話口から流れる。

 大げさかもしれないが、通話を切るという行為は、永遠の別れのような気がして嫌だった。通話は好きだが、切るのは苦手だ。といっても、いつかは切らなくてはいけなくなるわけだが。

 僕は携帯をベッドに投げ捨て、しばらく天井を見上げて呆けていた。

 何もやる気でない。夕食を食べることも、寝ることも。

 今僕の中に残されているのは、空虚感だけ。一つ言えるのは、この通話は僕にとって、洋子のことをしれた大事な通話でもあったが、その一方で、ひどく疲れたという感想もあった。

 ベッドの淵に背を預け、しばらく一点だけを見つめ、そしてゆっくりと瞼を閉じる。こうしていると落ち着き、なんだか自分だけ別の世界に迷い込んだような感覚を味わうことができた。

襲ってきた二度目の眠気に促され、次に目が覚めた時には日はすっかり昇っていて、窓から一筋の日の光が差し込んでいた。

 もう朝になっているのを確認し、ベッドにある携帯に手を伸ばして画面を開く。すると、つい先ほど、メールが入っていたのに気付いた。宛先は、新田洋子、となっている。

『おはよう。朝早くにごめんね。昨日はありがとう。話せてすっきりした。こんな私でもよければ、ずっと一緒にいてほしいな。バイト行ってきます』

 今、盛大に顔がにやけているであろうことを想像して気持ち悪かったが、それでも構わず返信文を打つ。

『おはよう。僕も、洋子ちゃんがその秘密を話してくれて嬉しかった。その話を聞いて、嫌いになるなんてことはないからね。一緒に考えていこう。洋子ちゃんは、一人じゃないんだから。バイト頑張ってきてね』

 打ち込んだ文は読み返さず、そのまま送信ボタンを押して、ベッドに寝転がる。この、携帯を打つという一連の行動だけで、一気に疲労が押し寄せてきて、そのまま三度目の深い眠りにつこうとしていた。今日は土曜日で幸い大学もないし、ゆっくり休もうという魂胆が、僕にはあった。

 このまま寝よう……。

 次に目覚めたときは既に夕方で、携帯を確認すると、お昼の休憩中に洋子がメールをくれたみたいで、疲れたけど、夜も頑張るね、という他愛もない内容のものだったが、くれたというだけでも、僕の心は躍動する勢いだった。僕はそのまま、無意識にボタンに指を走らせてすぐ返信をした。 


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