本編
「おかえりなさいませー ご主人さ…………ま?」
……なんでこんなところに居る、裕美佳。
……五分前
「なあ行こうぜ、ほんと可愛い子が居るんだって。お前、メイド好きだって聞いたぞ」
さっきから目の前でうるさいこいつは同じ会社で営業課の同僚の松坂。
元々は大した接点も無いただの同僚に過ぎない奴だったんだが、実は俺の親友のいとこだとわかって以来、急に馴れ馴れしくなった。
俺のメイド好きって情報も親友から得たのだろう…… あいつめ、余計なことを。
「俺が好きなのは古き良きヴィクトリア朝に代表されるクラッシックスタイルなの。何が楽しくてカラフルなんちゃってメイドを見ながら昼食を取らないといけないんだ。それに、今日は六角亭の日替わりランチの気分なんだよ」
「たまにはオムライスも良いじゃん。いや、冗談抜きに可愛い子がいるんだってば。可愛い子揃いのその店でも特に俺の一押しでさ。小っちゃくて、いつもにこにこしてて可愛いんだわ。月・水・木で祭日以外がその子が出てる日だから、今日はいるんだよ。なっ? なっ? たまには俺に付き合ってくれよ」
「はぁー、わかったよ。今回だけな」
「えー? 一回だけかよ~。ま、一回行けば間違いなくお前もハマルさ。よーし、それじゃ急いで行こうぜ」
「はぁ……」
「あそこか?」
半年前に出現した、やたらとファンシーな店構え。
それ以降、妙な恰好の男共をやたらとこの辺りで見かけるようになったわけだが…… そうか、あの店がメイド喫茶でそれ目当ての客だったんだな、あれは……
店の前にはランチタイムの客引きのつもりなのか、やたらと派手な格好をした女の子が立って道行く男共に和やかに声をかけている。
あれ、メイド服のつもりかよ…… あんなどこに引っ掛けるかわからんような上から下までフリルだらけでふわふわなピンク色なお仕着せで真っ当なメイド業務が勤まるかっての。
「そうそう、あそこ。待ってろよ、俺のユキちゃ~ん」
ユキちゃ~ん…… ねぇ……
アラサー男のそのノリは傍で見ていてきついぞ……
そう心の中で突っ込みをいれつつ店の前まで行くと、客引きをしていた女の子が松坂を見て嬉しそうな顔をした。
「あー、りょーちゃんだー♪ っと、ごめんなさーい、ご主人様だねっ♪ おかえりなさーい、ご主人さまっ♪ 入って入ってー♪」
「いつも可愛いねぇ、アイちゃん。あ、こいつ俺の会社の同僚で春日野って言うんだ。よろしくね」
おいおい。俺を紹介すんなよ。
もうここに来るつもりは無いんだから。
そう思いながらも営業畑の習性で、ついついにこやかに対応してしまう。
「初めまして、春日野と言います。よろしくね、アイちゃん」
「……春日野?」
「なにか?」
「あ、ごめんなさい、なんでもありません。よろしくっご主人様っ♪ ごゆっくりなさって下さいね♪」
「あ……ああ」
なんだっていうんだ?
「いいから入ろうぜ、春日野」
「ああ」
ドアを開けて店内に入ると外観に違わぬファンシー異空間がそこにあった。
「うわぁ……「「「「「おかえりなさいませっ、ご主人様っ♪」」」」」
思わず口から出た呻きが、店内の女の子達の挨拶にかき消された。
そのファミレスとも違う異質な空気に押されて退き気味に周囲を眺めていると、店頭カウンターに座っていたさっきのアイちゃんとやらよりは若干落ち着いた雰囲気の女性がアルバムを開きつつ声をかけてきた。
そのアルバムには女の子の写真が張ってある…… ひょっとして指名制なのか? クラブか何かかよ。
「ご指名はユキちゃんですか?」
「もちろん」
さも当然かのように聞いてくる女性に、軽やかに応える松坂……
この様子からすると、かなり常連なんだなお前。
そして、その女性がマイクのボタンを押して「ユキちゃーんご指名よー」と話すと、奥から女の子が出てき……た…………
ちょっと待て……
「おかえりなさいませー ご主人さ…………ま?」
……なんでこんなところに居る、裕美佳。
「おいっ「ユキちゃーん、ご主人様のお帰りだよー。こいつは俺の会社の同僚で春日野って言うんだ。よろしくね」
どういうことか問い詰めようとした俺に被さるように、松坂が見た事も無い笑顔で裕美佳に話しかけた。
「ユ……ユキです。よ……よろしくお願い……致します……ね、春日……野様」
そう言って裕美佳がぺこりと俺に頭を下げる。
「どうしたの? ユキちゃん」
「い、いえ…… なんでもありません、ご主人様」
「なんでもないって…… そう見えないんだけど」
「いえっ! 大丈夫です」
「そ、そう?」
「はいっ! 申し訳ありませんでした。ご主人様っ」
そのイラッとするようなやり取りを見ながら半目で裕美佳を見据えると、俺と目が合った瞬間おかしいくらいに目を泳がせ、少し涙目になる裕美佳。
なるほど、俺が怒ってるのは解ってるんだな。
ただ、それでも責任感の強い裕美佳は任された仕事を放り出して逃げるよう事はしないだろうな……
それに俺もこの仕事がどんなものかは知らないわけで、ひょっとしたら見た目がアレなだけのファミレスなのかもしれないと考えて自分を押さえ込む。
とにかく、今は下手に事を荒立てずに様子を見るべき。
「て…… テーブルにご案内しますね、ご主人様方っ!」
「ユキちゃん、なにかいつもと違わない?」
「え? あ…… そ、そんな事はないですよ?」
「そうかなぁ」
「そうですよ♪」
そう言ってぎこちない笑顔で微笑んだ。
「んー、まあいいか。それじゃあ今日は食事だけでお願い」
「わかりました、ご主人様。では、お二方ともこちらへ」
松坂の注文に何やら少しホッとしたような顔をして、裕美佳が俺達をテーブルへと案内した。
食事だけってなんだよ…… それ以外に何かあるのかよ。
なんとなく足下がおぼつかないフラフラとした足取りで俺達をテーブルに案内すると、注文を聞いてきた。
「ご主人様方、ご昼食は何になさいますか?」
「エンジェルオムライスふたつね」
「はいっ、ご注文承りました、ご主人様っ♪」
裕美佳が注文を厨房へ伝えに席を離れると、松坂が話しかけてくる。
「可愛いだろ? ユキちゃん。今日はちょっと様子がおかしいんだけど、普段はもっとにこにこと可愛い声で話しかけてくれるんだぜ」
「……そうかい」
「なんだ? 気に入らないのか?」
裕美佳が可愛いのは当たり前だっつの。お前に言われるまでも無い。
こんな所に裕美佳がいるのが気に入らないだけだっての。
「まあ、いいや。お前が気に入らないなら丁度良いや。俺のだから取るなよ?」
「あ?」
誰がお前のだ? ふざけんなよ、おい。
松坂の台詞に、思わず切れそうになった。
それでもこいつは何も知らないだけなんだから、と自分に言い聞かせて、思わず殴りそうになった右手を必死に止める。
それでも表情は隠しようも無いが……
「おいおい、そんなに怒るなよ」
誰のせいだよ……
「……とっとと食って帰ろうぜ」
「はぁ、わかったよ」
それから互いに気まずく沈黙したまま待っていると、両手にトレイを持った裕美佳が戻ってきた。
「お待たせ致しました、ご主人様方。エンジェルオムライスですっ♪」
「ああ、待ってたよー。それじゃ、いつものを俺からお願いね」
「え? あ…… えっと……」
裕美佳がチラチラと俺を見る。
なんなんだ?
「どうしたの? ユキちゃん」
「……わかりました………… ご主人様」
裕美佳はそう言ってオムライスをテーブルの端に置くと、テーブルサイドに置いてあったケチャップを手に取った。
何が始まるんだ? と思っていると裕美佳がケチャップでオムライスの表面にハートを描いた。
そして更に……
『だいすき』
なん……だと?
そして、またもチラりと俺を見た後、目を伏せて小さく息を吐くと顔を上げ、スプーンを手に取り、オムライスをひとすくいし、スプーンの下に手を添えて松坂の口元に差し出した。
「ご主人様っ、あーん」
「あーん」
松坂が良い笑顔でそれをパクリと食べると、「美味しい? ご主人様」と話しかけた。
「美味しいよ、ユキちゃん♪」と松坂が裕美佳に笑いかけたところで、俺の精神が限界を迎えた。
ガタンッ!
大きな音をさせて席を立った俺を松坂と裕美佳がビックリしたような顔で見た。
「「春日野?」「あ、あの……」」
「急に食欲が無くなった。すまないけど、帰るわ。これ、俺の分」
そう言って代金をテーブルの上に置いて、二人の返事を聞かないままに外に出た。
「くそっ……」
自販機で買ったコーヒーを一気に飲み干すと、思わず声が出た。
最悪な気分だ。
確かにアルバイトに行きたいってのは聞いてたし、詳しく聞かないままに「いいよ」とも言ったけどさ。
「なんで、あそこなんだよ裕美佳」
その後、あれからすぐに昼食から帰ってきた松坂に昼の件を詫びると、彼からも無理矢理誘ってすまなかったと謝罪された。
それから午後の仕事に入ったが、裕美佳の事ばかりが脳裏によぎって仕事が進まない。
周囲からも顔色が悪いと心配され、急ぎの仕事が無いなら今日は早く帰れと上司にまで言われる始末だ。
それでも家に帰りたくない俺は無理矢理仕事を続けたが、流石に定時を過ぎてまでその状況を続けると上司に咎められた。
「おい、春日野。そんなに顔色が悪くてフラフラした状態で何が出来る。いい加減、帰って休め。今、急ぎの仕事は無いだろ」
「……はい」
「それから、松坂に昼の話は聞いた。もし明日もそんな状況なら有給出していいぞ。何があったか知らんが、しっかり解決してこい」
「…………すみません」
それではと資料室から持ち出してきていた資料の片付けをする所で松坂に呼び止められた。
「春日野、今日は済まなかったな」
「詫びならもう聞いたぞ」
「いや、それ以上の何かあったんだろ? 本当に済まなかった」
「…………松坂のせいじゃないよ」
「済まない。その資料、俺が片付けておくから早く帰って休んでくれ」
「いいのか?」
「ああ、せめてもの詫びをさせてくれ」
「わかった。済まないな、今度、何か奢るよ」
「それじゃ詫びにならねーだろ。それじゃぁな」
そう言って資料を抱えて行った松坂を見送り、このやり取りで少し気分が軽くなって家路につく気になれた。
だが…… 家に近づいて行くにつれ、また気分が重くなる。
マンション入り口のセキュリティーロックを解除して中に入り、エレベーターで家の階まで上がり、家のドアの前に立つと気分が最悪に落ち込むんでいくのがわかる。
それでもずっとここに立っているわけにもいかず、意を決して鍵をセンサーの前にかざした。
カチリとドアロックが解除されたのを確認してドアを開け、家に入ると中はまだ真っ暗だった。
帰ってないのか……
そう思って電気を付けようとした時、暗闇の中、廊下で裕美佳が土下座しているのに気がついた。
「裕美佳……」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
電気をつけると、裕美佳の顔の下の廊下に水が溜まっていた。
ずっと土下座したまま泣いてたのか、こいつ。
「……あのさ、裕美佳がアルバイトしたいって言うからいいよって言ったけどさ…… あんな事をするんだって知ってたら絶対認めなかったよ」
「ごめんなさい……」
「何人に"だいすき"ってやったの?」
「………………いっぱいした……」
「仕事だから割り切ってるって思うけどさ、それでも夫としては良い気分はしないよ? ましてや目の前で他の男にあーんとかやられた日にはさ」
「……ごめんなさい。私もやだったけど…… 昭仁に喜んで……ほしくって…… でも…… わた……し…… やっぱり考えが……甘くて………… 昭仁にあんな……嫌な……おも……おもっ…………うぇええええええぇぇん」
そこまで言うと裕美佳の嗚咽が更に大きくなって声にならず、またポタポタと廊下に涙が落ちる。
俺に喜んで? どういうことだ?
よく解らないが、取り敢えずそれは後回しにして、今一番確認したいことを……
「本当に大好きなのは俺だけだよね?」
「もちろんだよっ! 私には昭仁だけっ!!」
裕美佳ががばっと効果音の聞こえてきそうな勢いで顔を上げると、涙を流しながら真っ直ぐ俺の目を見て言い放った。
「うん。今回は信じるよ。それで? これからどうするの?」
「あれからすぐ、お店には辞めますって言って………… 残り時間は裏の調理だけやって帰ってきた。それで……」
「わかってる。仕事をすぐには辞められないだろ?」
「うん…… ごめん……なさい…… 後、二週間だけ…… でもっ、調理だけで入るようにお願いしたからっ! 表には出ないからっ!」
「わかった。でも、こんな事は二度と勘弁だよ?」
「うん。約束する…… ありがとう……」
そう言って、また涙をボロボロと零す裕美佳を抱きしめると、俺の身体に強くしがみついて声を上げて泣いたのだった。
それから落ち着くまで抱きしめたまましばらく思い切り泣かせると、やっとぎこちないながらも笑顔を見せるようになった。
「やっぱり、裕美佳は泣き顔より笑顔の方がいいな」
「ごめん」
「もういいって。それより、なんでメイド喫茶だったんだ?」
「その…… 前にテレビ見てたとき、昭仁が映画の中のメイドさんを見て「いいな……」ってぼそっと言ってて、その時の横顔が本当に羨ましそうだったから、街にメイド喫茶が出来たって友達から聞いて気になってお店を見に行ったんだ」
は? 俺、そんな事、口走ったのか? いつだ!?
「そしたらそこの服が可愛くて…… それに、昭仁以外の人に"だいすき"とか書いたり、食べさせてあげたりするのは嫌だったけど、どうしたら昭仁に喜んで貰えるかメイドの勉強にもなると思って……」
は? 服が可愛かったは兎も角、あそこでメイドの勉強?
「あそこで何をしてたの?」
「えーと、昭仁も見た食事サービスの他に、性格サービスとか……」
「性格サービス? なにそれ?」
「えーと、プロフィールに対応可能な性格が書いてあってそこから性格を選べるの」
「は?」
「私の場合だとノーマルがデフォルトで、他に妹とツンデレが選択できて…… 他の人だと姉とかヤンデレとか男として育ったとかあった」
……頭いてー なんだそれ。
「他には?」
「んーと、有料のだとコスチュームチェンジとか、対面でカードゲームしたり、イラストを描いたり、折り紙を折ってあげたり…… あと、私はプリクラ不可登録だったけど、プリクラでペア写真を撮ったりするサービスなんかもある…… あ、何が出来るかはプロフィール表に書いてあるからそれから選ぶの」
おかしいだろ…… 確かに子守メイドと言い張れなくも無い仕事が含まれてはいるけどさ……
相手してるのは仮にも大人だぞ?
「勘弁してくれ……」
「え?」
「俺の理想のメイドからは程遠い……」
「あ、あの…… 昭仁?」
「メイドは地味に目立たず所作美しく上品に!だ。それに、あんな媚びたしゃべり方してたら女主人に叱責されるっての!」
「お、女主人?」
「裕美佳!」
「は、はいっ」
「別に俺は裕美佳にメイドになって欲しいなんて思ってない。裕美佳は裕美佳らしく俺と一緒に生きてくれれば良いから」
「昭仁……」
俺の言葉に感極まったのか俺に抱きつこうとする裕美佳…… が!
「だがっ!」
「は、はいっ」
「裕美佳がメイドに無理解なのは許せない。いいか!?」
「はいっ!」
「というわけで……」
立ち上がって、夫婦それぞれのプライベート本棚の俺側の扉を開けて一冊の本を取り出す。
「これを読んでくれ」
「……これ、なに?」
「ヴィクトリアンメイドの解説本だ」
「………………年期入ってるね、この本」
「高校時代に買った本だからな!」
「…………わかった。読むよ……」
「よしっ。今度一緒に語り合おうな! 足りなかったら他にもメイド解説本があるぞ」
「…………うん…… わかった……」
いやー、よかったよかった。
こんな身近に同好の士が出来るなんて。
裕美佳の目が少し冷たい気もするけど、気のせいだろう! 多分!!
裕美佳が約束通り表に出なくなったのは、松坂が「彼女がいなくなったー」と大騒ぎしてくれたお陰ですぐにわかった。
こいつに裕美佳が俺の奥さんだってバレたら面倒になりそうなので、先に言って釘を刺しておくべきか? いや、やぶ蛇になるか? と悩んだけれど、すぐに裕美佳の後に入ってきた新人のサキちゃんとやらに熱を上げて、真実の愛を見つけた! とか言い始めたので放っておくことにした。
ちなみに裕美佳の前はマキちゃんとやらが究極の愛だったらしい…… そですか……
それ以外には特に変化も無く―――― つまりは家では裕美佳とラブラブいちゃいちゃと過ごして気力を充実させて、会社ではバリバリと営業をこなす充実ループだ。
あれから三ヶ月余り経った、そんなある日……
今週もよく働いたから、土・日は裕美佳と二人でたっぷり過ごして心と身体を癒すとしよう。
そう思いながらドアの施錠を解除し、ドアを開くと…………
そこにヴィクトリアンスタイルメイドが居た。
ペチコートのフリルが僅かに覗くふわりと裾の広がった黒のマキシ丈ワンピースに、それより僅かに短い白のエプロン。
そして、コルセットかボディースーツなのかはわからないけれど、ここまで決めているなら恐らくコルセットで締めているのだろう普段でも細いウェストが更に細く。
そして忘れてはならない、頭には伝統のリボン付きキャップ。
足下は今日はスリッパの代わりに黒のシューズを室内履きにしている。
「おかえりなさいませ、旦那様」
微かに微笑みをたたえた表情に落ち着いた口調に優雅な礼……
「…………………………………」
「どうなさいましたか? 旦那様」
失礼に当たらない程度に小さく首をかしげるその仕草……
「…………………………………」
「あの………… お気に召しませんでしたか?」
その一言で俺の魂が身体に戻ってきた。
「まさか…… 気に入らない筈なんてない…… この服を他の誰でも無い裕美佳が着ているんだ。世界一だよ……」
そう言うと、裕美佳はにこっと微笑んで綺麗なカーテシーを決めた。
「ありがとうございます。旦那様」
そのあまりの美しさに、自分が息を飲んだまま呼吸を忘れていたことにも気づかなかった。
「くはっ」
「だっ、旦那様っ、どうなさいましたか?」
「……ああ、美しすぎて息をするのを忘れてた」
「まぁ、旦那様ったら、お上手ですね」
「本心だよ」
そう言うと、裕美佳は両手をスカートの前で合わせたままきゅっともじもじとさせ、顔を真っ赤にして恥じらった。
頑張るなぁ…… 可愛いぞ、裕美佳。
このまま裕美佳を眺めていてもいいのだけれど、それはそれで勿体ないので裕美佳のメイド業を堪能することにしよう。
そして、リビングへと移動する俺の後を音を立てずに静々と着いてくる裕美佳。
……すげぇ。
おかげで、リビングのソファーに座る頃にはすっかり旦那様気分だ。
「紅茶を貰えるかな」
「はい。かしこまりました」
俺の依頼を受け、スカートの前に手を合わせ優雅に深く一礼すると、裕美佳はキッチンへと下がった。
シューシューとヤカンが湯気の音を立て始めると、少しの間、小さくカチャカチャと音が鳴り、その音が聞こえなくなると裕美佳がお盆の上に白いカバーを被せたティーポットとティーカップを乗せて持ってきた。
そのまま少しずつ強くなっていく漂う香りを楽しんでいると、裕美佳がそっとカバーを外した。
一気に広がる紅茶の心地よい香り。
その香りに思わず頬を緩めていると、裕美佳がそっとティーポットを持ち、カップに琥珀色の紅茶を注いだ。
そして、そのカップを音を立てずにソーサーに乗せると、俺の前のテーブルにそっと置いた。
「どうぞ、旦那様」
「うん。ありがとう」
俺はその一連の流れに満足して鷹揚に答えると、カップを持ち上げ紅茶の綺麗な琥珀色とまっ白なティーカップのコントラストに微笑みながら紅茶に口をつけた。
ほのかな苦みと甘さが口いっぱいに広がり、心地よい香りが鼻に抜けていく。
「旨い」
「ありがとうございます、旦那様」
本当に嬉しそうに微笑む裕美佳にちょっとした悪戯心が湧く。
「こっちにおいで」
「はい」
裕美佳がテーブルのこちら側に回って、俺の隣に来たところで俺も立ち上がり……
「あの…… 旦那様、どうなさ…… んっ……」
裕美佳が話す途中で口づけをした。
ちょうど「さ」の発音で口が開いていたところだったので、ついでに舌を絡め取る。
「んっ…… んぅう…… んんっ…………んっ…………」
ぷはっ
裕美佳が俺の胸を押して、身体を離した。
「だっ、旦那様っ! お戯れが過ぎます。わたくしはただの使用人ですよ?」
「ああ。どうやら、僕には妻が居なくなってしまったようなんだ。だから次の妻を考えたいのだが、それは誰よりも君が良いんだ…… 駄目かな?」
そう言うと裕美佳が俺に抱きついた。
「駄目じゃ…… ないです」
「僕の妻は君だけだよ? いいね?」
「はい。私の夫もあなただけです」
その心地よい返事に、裕美佳の顎の下に人差し指と中指をあて、ついと上を向かせると、裕美佳はそっと目を閉じた。
俺はその艶やかな唇に吸い付くように自らの唇を合わせ、裕美佳を強く抱きしめる……
さあ、長い夜の始まりだ。
――――――――――――――――――――――――――――――
次の日の朝は色々と大変だった。
もちろん着たまま致してしまって俺と裕美佳のあれやそれやで色々と汚してしまったメイド服は、しかけた俺が責任持ってクリーニングに持っていく事になってしまった。
そして……
「そういえば、あのメイド服ってどうしたんだ?」
「えっと…… あの時、昭仁にメイドの事ですっごく嫌な思いをさせたから、いい想い出で上書きしたかったの」
「それであのメイド服?」
「うん。昭仁に借りた本を読んだ後、ネットで色々調べて、どうせならってイギリスで本当のメイド服作ってるところにオーダーして個人輸入した」
「は? やけに仕立てが良いと思ったけど、オーダーメイドまでしたの? 高かっただろうに」
「大丈夫。家計からは出してないよ。私が学生の時のアルバイトと結婚前に働いてた時の貯金で買ったから」
責める意味で言ったんじゃないんだけど…… それでも、裕美佳の想いはヒシヒシと感じ取れた。
「裕美佳……」
「それに、おかげですっごく嬉しい言葉も貰えたし、お詫びのつもりだったのに私の方が得しちゃった気分だよ?」
なんだよ。俺の嫁、可愛すぎるだろう。
にこにこと笑顔が眩しい裕美佳を思わず抱きしめた。
「昭仁?」
「……裕美佳、ずっと一緒に生きていこうな」
「うん。ずっとだね」
「ああ、ずっとだ」
裕美佳が目をとじて、嬉しそうに顔を俺の胸に押しつけてぎゅっと抱きついてくる。
「だいすき……」
そして、この"だいすき"は俺の胸にジーンと染み込んできた。
ああ、幸せだ……
…………それはそれとして、これは言っておかないと。
「でさ、これからもたまにはあのメイド服着てくれよ?」
「うわっ、感動台無し…………って、え? あれ、コルセットでぎゅっと締め付けないといけないから、着るのにしっかり体型維持し続けないといけないんだけど……」
「あー、確かに容赦ないピッタリ採寸だったもんな。よく遠距離注文であれだけの採寸が出来たもんだ」
「ネット環境が進んだ今だと、そういう依頼もたまにあるんだって。採寸の取り方を細かく指示されて、すっごくいっぱいデータを送ったよ」
「なるほどね…… 便利な世の中になったって事か。とにかくあれを定期的に着てくれたら裕美佳の理想的なプロポーションが維持されるって事だな。そーかそーか、あのメイド服にはそういう嬉しい特典もあるんだなぁ」
「鬼ー! うわー、作らなきゃ良かったよー」
「自爆だな」
「うわーん、死なばもろともだー。昭仁も体型維持ノルマだー」
「え? 俺もか!? これから体型維持がきついお年頃に入ってくるんだけど……」
「そんなの知るかー。一蓮托生だー。昭仁も私の理想を維持しやがれ―」
やぶ蛇だった……
でも……
裕美佳と一蓮托生って響きは悪くない。
「ん? どしたの?」
「なんでもないよ。 よしっ、それじゃ今日から頑張るか」
「え? きょ……今日? 明日からじゃダメ?」
「だーめ」
「うううう…… 報酬はでるの?」
「報酬?」
「メイドだよ? お仕事だよ? お給料はでますか?」
ああ、そりゃそうだな。仕事じゃなきゃただのコスプレだ。
「あー、んーと、キス一回?」
「………………」
「ははは、やっぱりダメかぁ。えーと、それじゃ……」
「……いい」
「は?」
「それでいい」
「いいのか?」
「年取っても着るよ? 忘れちゃやだよ? 私が満足するまでが一回だよ?」
そう言って真っ直ぐ俺を見つめる裕美佳を思わず抱きしめた。
そして誓う。
「もちろんだ」
メイド服が結びつける俺達の絆…… か。