不思議の国と無垢なる珍獣③
な――っ!?
レイクスのショートソードの切っ先が、背後からぼくへと振り下ろされていたカトラスの刃を跳ね上げた。
「ギイチッ!!」
ふざ――けんなあぁぁッ!!
気づけばぼくは、レイクスからもらったショートソードをベルトから抜刀して、黒いトランプ兵の胸部スペードの紋章へと力任せに叩きつけていた。
甲高い金属音が響き、両腕に凄まじい衝撃が伝わる。
一瞬の間を置いて、スペードのトランプ兵はパーツ事に分かれて地面に散らばった。
「こんなわけのわからないところで殺されてたまるかッ!!」
自分が出したとは思えないほどの怒号で、ぼくはバラバラになって落ちたトランプ兵の胸部パーツへとショートソードを突き下ろす。紋章が完全に消えるまで、何度も、何度も。
気がつくと、ぼくの腕はレイクスの両手につかまれていた。
肩で息をして、黒のトランプ兵を見下ろす。胸部パーツはすでに原型を留めていない。
「落ち着いて、ギイチ。もう大丈夫だよ」
何度も突き下ろされ、刃部分が欠けてしまったショートソードをその場に取り落とす。今頃になって全身に震えがきた。
こ、殺され……かけた……。レイクスがいなかったら……死んでいた……。
「こいつはスペード兵。隠密行動が得意で鎧なのに音が一切しないから気をつけて。気づくのが遅れてごめん。敵の種類や特徴は少しずつおぼえて。生き残るために」
レイクスに礼を言う暇もなく、彼女はぼくの手を取って引いた。
「行こう。トランプ兵は連携を取る。ここはなるべく早く離れたほうがいい」
もつれそうになる足をムリヤリ動かして、ぼくはレイクスに手を引かれて走り出す。しかしその足はすぐに止まった。
ダークブルーの眼光を鋭く変化させ、レイクスは周囲を見回す。
「ギイチ、鍛冶プログラム。武器を取り出しておいたほうがいい」
「う、うん」
ぼくの頭の中は、まだ混乱したままだ。それがどういうことを意味するのかがわからない。それでも言われるままに、ぼくは【悪戯仔猫】を起動し、トランプ兵と同じ型のロングソードを再現する。
「転送、座標ゼロゼロ」
――イエス、マイ・マスター。お気をつけて。
黒衣の少女が視界の隅に出現すると同時に、ズシっと両腕に重みがかかった。ぼくの両手は、すでにロングソードの柄をつかんでいる。
風が凪いだ。不自然なほどに静かな森。虫の鳴き声も、小動物の走る音もしない。
自分の呼吸音だけが聞こえている。
「レイクス……?」
「静かに」
木の葉が揺れて舞い落ちた。
「――上っ!」
レイクスがぼくの身体を片手で押し出すと同時に身を屈める。スペード兵が落下しながら袈裟懸けに振るったカトラスを、紙一重で回避する。
金色の髪が数本、風に流れて散った。
「レイクス!」
ぼくは反射的にスペードの兵の足をロングソードで薙ぎ払う。甲高い音が響いて体勢を崩したスペード兵の胸部へと、間髪入れずにレイクスがショートソードを突き刺した。
レイクスのやつ、すごい反射神経だ。実戦の場数が違いすぎる。六ヶ月、彼女はこの世界で戦い続けてきたというのもうなずける。
「まだいる! 走って、ギイチ!」
レイクスの声に弾かれたようにぼくは駆け出した。遅れてショートソードを砕けた鎧から引き抜いた彼女が、ぼくの斜め後ろにつく。
見上げると、巨大な樹木の木の葉が揺れ続けている。
ゾクッと全身が泡だった。
追ってきてるんだ。ぼくらが地上を走るスピードで、まるで忍者のように枝から枝へと飛び移りながら。
くそ、重量感抜群の鎧だぞ!? デタラメすぎる!
大量の木の葉が散った瞬間、黒の鎧が数体地上へと舞い降りる。やつらは足音もなくぼくらへと迫り、カトラスを振り上げた。
「この――っ!」
レイクスがスペード兵の攻撃をショートソードで受け流し、反撃に転じようとしたぼくの背中を強く押した。
「止まらないで! こいつだけ倒してもどうせ囲まれる!」
樹木から次々と降下するスペード兵たち。
五体を超えた時点でぼくは数えるのをあきらめた。多勢に無勢、勝てるわけがない。走ることに専念しなければ逃げ切れないのは、スペードよりも身の重いクローバー兵で実証済みだ。
ぼくらは降り注ぐ攻撃をかろうじて捌きながら走る。
これは……もたない……っ!!
後方は元より、ぼくらの走る速度に合わせて左右に展開されている。
「な、何とかならないのッ!?」
「ゲームじゃないんだから無理! とにかく逃げて! パーティメンバーを亡くすのは、もう嫌だからね!」
レイクスが胸当てを自ら脱いで投げ捨てる。重量減らしだ。こいつらはクローバー兵よりも身軽で速く、そして鋭い。攻撃の動きが単調なのが唯一の救いだ。
ロングソードでカトラスを跳ね返し、足をもつれさせながら走る。
――まっすぐ、ちょっと右の肉球のほうへ。
突然左の耳元で聞こえた声に、ぼくは一瞬気を取られてふり返った。左隣を走っていたレイクスも、まったく同じタイミングでぼくのほうを向く。
「ギイチ、何か言った?」
「いや。レイクスこそ」
視界の隅に映る黒衣の少女が、すかさず首を左右に振る。
わかってる。【悪戯仔猫】じゃない。もしキティだったら、レイクスには聞こえないはずだ。
――まっすぐ、ちょっと右の肉球のほうへ。
「また聞こえた!」
「こっちもよ!」
男とも女とも言えない声は、少なくとも幻聴ではないらしい。
背後からぼくへと突き出されたカトラスの切っ先をレイクスが銀の手甲で弾いて叫ぶ。
「肉球が意味不明だけど、どうせ他にどうしようもないし、いいよねっ!?」
「ああもう! 不思議なことには慣れた! 行こう!」
視界の隅で黒衣の少女が右腕を薙いだ。背後からぼくらへと迫っていたスペード兵の足元へと、空中から降ってきた巨大な刃が突き刺さり、スペード兵がそれにぶつかって転がった。
ぼくらはスペード兵の攻撃を防ぎながら、進路をやや右に取って走る。数十メートル走ったところで、森の湿り気が急激に増した。
川のせせらぎ! そうか!
スペード兵がついにぼくらの斜め前方を位置取る。回り込まれたら、おしまいだ。
――そのまままっすぐ、おひげのほうへ。
かつてないほど真剣に走った。手に持ったロングソードを斜め前のスペード兵めがけて投げつけて怯ませ、恥も外聞もなく叫びながら手足を動かす。
「だああああぁぁぁ、友達もいないまま死んでたまるかあぁぁぁぁ!」
「神様、わたしもっとおいしいもの食べたいっ! 彼氏が欲しい! お金持ちになって毎日遊んで暮らした~~~いっ! あと犬を飼いたい! コーギーィィッ!!」
何言っちゃってんの、この人っ!?
湿り気を増してゆく落ち葉を蹴散らして、ぼくらはひたすら突き進む。進行方向にスペード兵が回り込む直前、突然ぼくらの目の前が開けた。
川だ。それも、そこそこの幅を持っている。
レイクスが両腕の手甲を外してショートソードごと投げ捨て、深い流れへと飛び込む。カトラスの薙ぎ払いをかいくぐって、ぼくも頭から水面へと飛び込んだ。
「きゃあああぁぁぁーーーーっ!!」
「わああああぁぁぁーーーーっ!!」
視界が澄んだ水と無数の泡に包まれる。
ぼくは夢中で手足を動かし、岸から少し離れて浮上した。深い。足が付かない。だけど。
スペード兵たちは川の手前で立ち止まり、右往左往している。身軽とはいえ、さすがに鎧を着たままでは泳げないのか。それとも錆びることを気にしているのか。
い、いずれにしても、助かっ――あれ? レイクスがいない。
「レイクス! レーイクスっ!?」
ふと近くの水面を見ると、無数の泡だけが浮き上がっているのが見えた。ぼくは大慌てで潜水する。水深はおよそ三メートル弱といったところか。その水底で、レイクスは銀の膝当てを外そうと藻掻いていた。
けれど指が滑るのか、うまく留め金が外せていない。ぼくはとっさにもう片方の膝当てに手をかけるが、やはり外れない。頑丈な作りが仇になっている。
ダメだ。どうする? どうしたらいい?
やがて大きな泡を一気に吐き出して、レイクスがぐったりとうな垂れた。その指だけが水面を指し示し、視線でぼくに何かを訴えかけている。
あのピンチを生き延びたんだぞ!? こんなところであきらめるのか!?
ぼくは一気に浮上して、水面で大きく息を吸った。スペード兵たちはまだ右往左往するだけで、川にまでは侵入してきていない。
もう一度潜り、ぼくは、瞳を閉じて流れに揺られるレイクスの顔の前で合掌した。
ごめんっ!!
後頭部をつかんで引き寄せ、その鼻をつまみ、一度躊躇ってから唇を重ねる。そうして、思いっきり息を吹き込んだ。
瞬間、レイクスが驚いたのか、目を見開いて巨大な泡を吐き出し、両手で藻掻いた。しかしすぐに冷静さを取り戻したのか、今度は両腕をぼくの首にまわして抱え込み、彼女は自ら唇を重ねてきた。
ぼくが息を吹き込むと同時に、彼女の胸が大きく膨らむ。
よし、今度はちゃんと肺に入ったようだ。
唇を離し、うなずき合う。
ぼくは彼女の手を引っぱって、水底を泳ぎ出した。大量の泡を吐きながらも、レイクスが緩慢な動作で水底を走り始める。色とりどりの魚が一斉に散った。
な~に、対岸まではたったの十五メートルほどだ。それくらいの潜水なら……浮上したら景色がお花畑になっていないことを祈るばかりだ……。
空気を吐いてしまわないように口を手で押さえて、二人して水底を進む。やがて浅瀬に辿り着いたのか水面が近づき、ぼくらは同時に水面へと顔を出した。
「ぶっは……っ! ……がっは……げぼ……レ、レイクス、大丈……夫?」
「……げほっ……ごぼ……。……ぅぅ……こ、こっち見ないでバカァ……」
レイクスの手が伸びて、ぼくの頬をムリヤリ押した。
「ご、ごめん」
おおよそ女の子から発せられるものとは思えない音で咳をして、ぼくの隣で四つん這いになったレイクスが大量の水を吐いた。
ぼくは彼女の手をつかんで岸まで引き上げ、河原で膝を付く。もう体力の限界だ。
スペード兵は知能が低いのか、未だに対岸でうろうろしている。
うつ伏せにぶっ倒れたぼくの横で、レイクスが仰向けになって右腕で両目を塞いだ。
あきらかに何か深く落ち込んでいるご様子だ。
触れない。絶対に唇のことには触れないぞ。




