一つの願い
今風に言うと、ぼくは“持っていない人間”だ。
その日の放課後も、ぼくは教室の隅の席から“持ってる”やつらを眺めていた。
誘い合って部活動に向かうやつら、数人のグループでお喋りをしている女の子たち。「パフェを食べて帰ろうよ」「みんなでゲームしようぜ」そんな声がする。
その誰もがぼくに視線を向けることなく、放課後の教室からは徐々に人が流れてゆく。
結論から言って、ぼくは間に合わなかった。ぼくが不思議の国から帰還したとき、ともにあの国を冒険したレイクスはもう、息を引き取っていたんだ。
それが証拠に、教室のレイクス理恵はぼくに話しかけてくることもなく、楽しげに過ごしてみんなと帰ってゆく。
現実世界に戻ってから、もう一週間が経過していた。
今ではあの出来事が夢にすら思えている。いや、実際に夢には違いないんだ。
ぼくが意識を取り戻したのはバーチャル・ドラッグによる気絶から、わずか数時間後のことだったのだから。
パソコンの前で朝を迎えたぼくは、つけっぱなしだったPCの電源をオフにして学校に向かった。
そこは以前と何も変わらない、ぼくの居場所のない空間だった。
あの出来事がただの夢だったのなら、それも理解できる。
だけど驚くべきことに、人工知能【悪戯仔猫】はあの世界のことをおぼえていた。事細かに、ぼくの夢の記憶と寸分の違いもなく。
それに彼女の知能は驚異的に進化していた。それでももう、ぼくの視界の隅に現れることはないのだけれど。
要するに、ぼくは間に合わなかったんだ。
ともにあの世界を旅したレイクスは、もうどこにもいない。
誰もいなくなった教室で、鞄を手に立ち上がる。
本を読む気分じゃない。
誰もいなくなった廊下を歩いて下駄箱へと向かう途中、女子トイレからオリジナルのレイクス理恵がハンカチを口にくわえて出てきた。
少々、行儀が悪い。
これまでだったら、何も言わずに目を伏せて通り過ぎていただろう。だけどぼくは反射的に、「やあ」と声を出してしまっていた。
レイクス理恵は立ち止まり、口から手にハンカチを落として、ぼくを横目で眺めた。そして手を拭きながら「やあ」と言い返してきた。
そんな自分の行動に少し戸惑ってしまって二の句が継げず、後頭部を掻きながら苦笑いをした。
「な~に~? 顔見て笑うなんて、女の子に対して失礼でしょ~」
訝しげな顔でぼくを見てから、レイクス理恵は突如として苦笑いを浮かべた。
「で、それだけ? 直島くん?」
「うん。それだけだよ」
奇妙な沈黙。
通り過ぎて歩きだそうとすると、彼女がわざとらしく咳払いをした。
「何?」
「本当に? 本当にそれだけ? もっと他に何かあるんじゃない?」
「……ないよ。クラスメートに挨拶をするのは普通だろ」
「そうね。でも、これまで話しかけてもくれなかったでしょ」
なぜか真横に貼りついてついてくる。ぼくが立ち止まると、彼女も立ち止まった。
変わりたいな……。ぼくは、変わりたい……。
恐る恐る尋ねてみる。
「……あの、レイクス……さん、……よかったら……その……一緒に帰らない?」
「それってナンパ? 直島くんって、そういう人?」
「ち、ちが……そういうわけじゃ……。……いや……そう、なのかも……。ああ、別にそういう人って意味じゃなくてナンパなんてする勇気ないし……なんていうか……うぅ……」
説明のしようがない。
それにこれじゃどう見てもナンパだ。けれど、しどろもどろになってしまったぼくを見て、レイクス理恵は楽しそうに笑ってくれた。
「あはは、冗談冗談。いいよ。わたしも同じこと言おうとしていたから。もう暗くなるし、夜道は怖いからね。キミの性格から、まさか先に言われるとは思ってなかったけど」
懐かしい感覚に陥って、ぼくはさらに混乱した。
「ぼくの性格? ……言葉を交わしたことなんてなかった気がするけど……」
「そうね。話さなかったね。あと、レイクスでいいよ」
「あ、じゃあぼくも呼び捨てで」
彼女がいつもの笑みを浮かべて口を開く。
「了解、ギイチ」
「ギイチ!?」
レイクスが口を押さえて、目を見開いた。
「ご、ごめん、直島。うん、直島」
「いや、ギイチでいいけど」
まさか、と期待してしまう。そんなわけないのに。
しばらく廊下を無言で歩き、ぼくらは靴を履き替えて合流する。
「お待たせ、ギイチ」
「うん」
あまりにしっくりくる合流。まるで最初からそうする予定だったかのようだ。あの旅と何も変わらない。
だからぼくはありったけの勇気を絞り出し、あの世界の話をしてみることにした。
「あのさ、話があるんだ。おかしなやつだと思わないで聞いて欲しいんだけど」
「うん? どしたの?」
「うん」
中庭を歩き、グラウンドを突っ切って裏門に到達する頃、ぼくはようやく口を開く。
「長い夢を見たんだ。その夢でぼくはレイクスに助けられて、一緒に不思議な世界を旅してた」
直後、レイクスがぼくの片腕にしがみついてきた。
「ギイチ!」
「んなぁっ!? ちょ!」
一瞬なにが起こったのかわからず、柔らかな感触に驚いたぼくは尻餅をついた。レイクスはぼくの前に仁王立ちで、だけど瞳を潤ませながら細める。
「やっぱりギイチだ……あのギイチだぁ……夢じゃない……あれはやっぱり、ただの夢じゃなかったんだよね……? ギイチがわたしの記憶を守ってくれたんだよね……?」
察しの悪いぼくは、ようやく気がついた。
いや、よく考えたらこれまでの会話だっておかしい。不思議の国で再会したレイクスは、ぼくの名前すらおぼえていなかった。
けれどこのレイクス理恵は、確かにぼくを呼んだ。“直島くん”と。
目を見開く。
金色の髪の下、潤んだ瞳から堰を切ったかのように涙がこぼれ落ちた。
「記憶、あるんだ……」
「あるよ! 記憶があるからつらかったんだからね! ……このバカァ……なんでもっと早く話しかけてくれなかったのよぉ……」
立ち上がったぼくにしがみついて、レイクスは笑顔で泣きじゃくる。
下校途中の生徒たちに奇異の目で見られたって、彼女はぼくを罵りながら泣き、そして笑い続けた。
なんのことはない。ぼくはあれが夢ではないとキティから教えられたから確信を持っていたけれど、レイクスにはそれを証明してくれるものが何もなかったというだけの話だ。
涙の伝う頬をそっと指で拭って、ぼくは静かに囁く。
「ごめん……。待たせた」
「遅いよ、バカ」
ルイスはあの心震わす冒険を、眠りながら見る夢として、ぼくらの記憶に上書きしてくれたんだ。
もしかしたら最初に引っかかったバーチャル・ドラッグに、初っぱなから記憶の解凍を仕込んでいたのかもしれない。
いや、そんなことはもうどうだっていい。
ぼくの人生は、たった今、この瞬間に変化し始めた。
どこかから人を小馬鹿にするかのような、あの掠れ声が響いた気がした。
――願いは叶ったかい? では、ボン・ボヤ~~ジュ。
最後までお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
少しスパンがあいてしまうかもしれませんが、今度はもう少し楽しいものを書いて投稿してみようと思っております。
詳細は活動報告にて。
では、しばしのお別れ( ´¬`)ノシ




