第六話 真理へと続く書物(後編)
「まず、第一次聖魔大戦っていうのはね」
ピッと右の人差し指を立て、あたしは説明を開始した。
「まあ、一言で言えば、いまから八千年くらい前に旧人類と新人類の間で起こった戦争、といったところね」
「きゅ、旧人類? なんだそりゃ?」
アスロックはまたも話を脱線させにかかってくる。でもまあ、仕方ないか。旧人類やら新人類やらのことは、あたしだって『聖本』を読んで初めて知ったんだし。
「んーと。旧人類っていうのは『蒼き惑星』に最初から住んでた人類で、新人類っていうのは『聖蒼の王』があとから創りだした人類のこと。当然、質――魔術を扱う素養に関しては新人類のほうが上よ。
そのことからなんとなく予想はつくと思うけど、旧人類と新人類は相容れない間柄でね、新人類側が聖蒼の剣を、旧人類側が漆黒の剣を手に入れたのをきっかけに、ぶつかり合うことになっちゃったの。
新人類の柱はフィリア・ラズ・ライト・スペリオルとゲイル・ザイン。旧人類の柱はジャック・ウィル・ダーク・リッパーとデューク・ストライド。フィリアは女性ながら『聖蒼騎士』を、ジャックは『黒の将軍』を名乗り、集団で激しい争いを繰り広げたというわ。
で、このとき中心となって戦った人間たちが、後に高位の神族や魔族になった者だったりするのよ。そう、フィリアというのが『スペリオル』が肉体を持った存在――すなわち、後の『聖蒼の王』で、ゲイルがその右腕である『光の戦士』となる存在、同じくジャックが『魔王の翼』を始めとした魔族たちを率いる『魔王』――後の『漆黒の王』となる存在で、デュークがその忠実な部下――後に『暗黒の戦士』と呼ばれる魔族となった奴、という風にね。――ここまではいい?」
「え? ああ、まあ……」
本当に理解できてるのかなぁ、こいつ。まあいいや、説明を続けよう。
「戦争は数・質ともに旧人類を上回っていた新人類有利に進んでいたわ。でもね、第一次聖魔大戦の勃発から五年ほどが経った頃。ジャックは『四大精霊の王たち』に語りかけ、忠実なる僕とするために、不完全ではあったものの『魔法の言語』を作りだしたの。この『四大精霊の王たち』が現在、『魔王の翼』と呼ばれている魔王たち。
これで、戦況は旧人類側に大きく傾いたわ」
「……ほお。そりゃ大変だ」
アスロックの気のない相づち。どうやら退屈らしい。それもかなり退屈らしい。しかし、あたしは気にせず話を先に進める。
「フィリアの軍勢が勝利するには、新人類側の優れたところに――強大な威力を持つ、魔術に似て非なる術に頼るしかなかった。つまり、新人類が主に使っていた『希術』に、ね。
そしてそれから三年が経ち、フィリアとジャックが共に二十八歳になったとき。彼女は『希術』の中でも『秘術』と呼ばれていた術を使い、『四大精霊の王たち』を消滅寸前にまで追い込んだ。結果、『四大精霊の王たち』は物質界に具現する力を――戦う力を一時的に失うことになったの。でも一方、フィリアも『秘術』を使ったせいで力尽き、間もなく死亡した。
彼女の死因は魔法力の過剰な消耗。いまでいうところの『生命維持の魔法力の完全消費』ね」
誰もが命を賭して戦った第一次聖魔大戦。『聖魔大戦』と銘が打たれてはいるものの、それは間違いなく人間同士が戦い、争った戦争だ。後に神族や魔族になる存在が中心となって戦っていたとはいえ、そこにはまだ神族や魔族の思惑なんて絡んでいない。当然、旧人類と新人類、フィリアとジャック、どちらが正義でどちらが悪だったかなんて、現在を生きるあたしたちには決めることなんて永遠にできないのだろう。
「…………」
あたしと同じように感じたのか、アスロックは真剣な表情をして黙り込んだ。
しかし、無視することのできない事実もまた、『聖本』には載っている。
「もちろん、フィリアが死んだというだけで――いえ、『四大精霊の王たち』が戦争の表舞台に出てこれなくなったというだけで、第一次聖魔大戦が終わるなんてことはなかったわ。そう、お互いに消耗して、新人類と旧人類、お互いが争っていた理由を忘れるような――手を組んで生きていかざるをえない状況になるまでは、ね。
ジャックは死後、第四階層世界の下段階――それも、『地獄』よりも更に奥にある『魔界』に堕ちたと『聖本』には書かれているわ。もちろん、デュークと『四大精霊の王たち』も、ね。これが魔族の誕生ってわけ」
そう、これが無視することのできない、厳然たる事実。
どちらが正義でどちらが悪か、あたしたち人間には決められないけれど。
階層世界――あの世には『絶対の基準』というものがあるらしくて。
そしてその『絶対の基準』に従った場合、ジャックという青年は『魔界』に堕ちるほどの『大罪』を犯した『悪』となるらしい。当然、現在『神』とされている『聖蒼の王』スペリオルことフィリアはその間逆。
「と、まあ、ここまでが第一次聖魔大戦。このあと、非人道的な魔道実験が多く行われたりしてた『第一混乱期』を挟んで第二次聖魔大戦に繋がっていくわけなんだけど、続けていい?」
まあ、ダメと言われても説明は続けさせてもらうわけだけど。それを察したのか、それとも少しは興味が湧いてきたのか、アスロックは素直に首を縦に振る。
「ああ。――あ、でもひとついいか? 結局、『漆黒の王』って奴も、最初は人間だったんだよな? 生まれたときから魔族だったってわけじゃなくて」
おや、彼にしては鋭い。
「そうね。いやまあ、フィリアが『聖蒼の王』の生まれ変わりだったことを考えると、ジャックだってただの人間だったとは思えないんだけど。それでも、彼が最初から『魔族』だったわけじゃないことは事実。そう、彼は道を盛大に踏み外しちゃっただけなのよね」
さて、前置きはこのくらいにして、第二次聖魔大戦の話に移ろう。
「いまから遡ること四千と百年ほど前に始まったという第二次聖魔大戦。これは旧人類と新人類の争いだった第一次とは違って、まさに神族と魔族との間で勃発した戦争だったわ。魔界から攻めてきた強大な魔力を持つ魔族は全部で十体。『漆黒の王』と『暗黒の戦士』デューク・ストライド、それと『魔王の翼』と呼ばれている魔王たち――『地界王』、『海王』、『火竜王』、『魔風王』と、彼ら直属の部下である『高位魔族』たちがそれぞれ一体ずつ。けど対する神族側は『光の戦士』ゲイル・ザインを筆頭に、『神族四天王』こと『竜王』アッシュ、『雷王』アトラクター、『霊王』アキシオン、『妖王』ティランクルの五体しか物質界にやってこなかったの。でも――」
「ちょ、ちょっと待った! 一度、頭の中を整理させてくれ! えっと、まず魔族側は魔王と側近と四体の部下たちと、更にその部下たちがやってきて……あれ? 『魔王の翼』のことはともかく、そいつら直属の部下ってのは、どっから出てきた?」
あ、そういえば、そのことを飛ばしちゃってたか。
「第二次聖魔大戦が始まる前、精霊王たちが魔界に堕ちたときのことなんだけど。まず、精霊って必ず『聖』の属性を持っているでしょ?」
「……そうだったっけか?」
アスロックのきょとんとした物言いに、思わず頭を抱えそうになる。まったくこいつは……!
「持ってるの! だから『闇の精霊』は存在しないんだし……って、ああもう話が逸れた!
で、彼らが魔族になってからは、その『聖』の属性が自らの存在を脅かすことになってしまって……まあ、常に体内に毒がある状態、と考えてもらえればいいわ。当然、そんな状態でいるのは『魔王の翼』といえどもしんどいから、四体は『聖』の属性を外に出してしまうことにしたの。そうして外に出された『魔王の翼』の力の一部が人格を持ったのが『高位魔族』」
「四体、いるんだったよな?」
「そう。地界王ノームルスの部下が『地闘士』、海王ウンディネスの部下が『海魔道士』、火竜王サラマンの部下が『火将軍』、魔風王シルフェスの部下が『魔風神官』という具合に、ね。あ、ちなみに『高位魔族』たちの名前を特定するまでには至ってないわ」
「憶えきれないだろうから、それはいい。や、もちろん丸暗記は得意なんだけど、それでもちょっと、な。しかし、なるほど。それで一気に四体も数が増えちまったのか」
「ええ。といっても、これはあくまで『魔王の翼』たちが苦しまずに済むようにするためにやったこと。『聖』の属性はね、今度は当然、『高位魔族』たちを蝕むことになる。そう、理屈の上ではそうなるはずだったんだけど……」
「理屈どおりにはならなかったわけだ」
そうなのだ。なんとなく嘆息し、あたしは彼に向かってうなずいてみせる。
「それが偶然か、それとも意図してのことだったのかまではわからないけどね。どちらにせよ、『高位魔族』は『聖』の属性の呪縛から逃れられてしまったの。なんていうのかな、こう、まるで磁石の同極のように『魔』と『聖』が反発しあって、『聖』の属性は『高位魔族』から離れて、形を持ち、物質界に落ちてきたらしいの」
それが伝説にある魔道武器――『地闘士のナックル』、『海魔道士の杖』、『火将軍の剣』、『魔風神官のローブ』なのだけど、まあ、そのことはどうでもいいか。
「ふうん。――それで、今度は神族側のほうだけど。確か、『光の戦士』と『神族四天王』の五人だったか。……なあ、ミーティア。どうして人間ってのは『あまり自信がないこと』に限って『確か』なんてつけるんだろうな?」
「言われてみれば、そうね。全然『確か』じゃないっていうのに……。――な~んてあたしに乗ってもらえると思ったら大間違いよ、アスロック! 話を逸らすなっ!」
「へ? いや、別に逸らしたつもりはないんだけど。それで、この『神族四天王』ってのはなんなんだ?」
え、いや、『なんなんだ』と言われても……。
「『神族四天王』は『神族四天王』でしょ。『神の聖地』に住まう、神様たち。あ、神界術の力の源でもあるわね」
「や、創ったのは誰なんだとか、そういう意味での質問だったんだが」
「へ? そういう意味? ……ん~、それはあたしも知らないのよねぇ……」
「へえ、お前も知らないって、珍しいこともあるもんだな」
や、あんた。あたしを一体なんだと思って……。
「あ、それともうひとつ。どうして『聖蒼の王』はこの戦いに参加してないんだ?」
「ああ、『聖蒼の王』はね、『力』が完全に回復していなかったのよ。第一次聖魔大戦のときに使った『秘術』は『フィリア・ラズ・ライト・スペリオル』という人間の生命力だけじゃなく、『スペリオル』という意識体そのものが消滅してしまう可能性まであったものだったから」
「――えっと……?」
いまひとつ理解しきれないらしく、首を傾げるアスロック。
「う~んと、つまりね。フィリアの肉体だけじゃなく、魂――その存在までもが消滅するかもしれなかったの。『世界』そのものから消えちゃうっていうか。つまり、彼女はそれほどの覚悟をもって『秘術』を使ったということね。
で、その『秘術』を使った際、『人間』としての彼女はもちろん死んじゃったわけだけど、魂が存在し続けるために必要な『力』も、かなり消耗してしまった。第二次聖魔大戦勃発時、まだその『力』は完全に回復していなかったのよ。
一説によると、『聖蒼の王』は自分の『力』を一部、切り離して別個の存在にしたらしくてね。それを取り込まないと完全復活はできないとも言われているんだけど。まあ、それはそれね」
なにせ、噂の域を出ない説だし。
「さて、じゃあそろそろ本題に戻るわね。五対十という厳しい戦いを強いられた神族軍だったんだけど、でも神族側は常に優勢でいられたわ。理由は単純。ほら、魔族って協調性ないから、大抵の場合は五対一で戦えていたのよ」
「なんだか、間抜けな話だな……」
同感の意を込め、肩をすくめるあたし。
「まあね。でも魔族には『力を合わせる』とか『協力する』ってことが基本、できないのよ。仲間意識が乏しいらしいから。共闘しようとすると『いいから俺に協力しろ』、『嫌だ。協力しろと言っておいて、最終局面では俺を盾にするつもりなんだろう』なんていう風になっちゃうらしくてね。それに、そのおかげで神族側が優勢でいられたんだから文句はないでしょ」
「それはそうなんだけどな。でも、なんか釈然としないっていうか……」
「まあまあ。話は戻って、第二次聖魔大戦勃発から三百年ほどが経過した頃。この頃になると魔族の脅威が大きくなってきすぎたため、人間やエルフ、ドワーフにドラゴンといった『生命あるもの』はすべてが神族側に味方するようになっていたんだけれど、それでもこの戦いが終わる兆しは一向に見えてこなかった。
まあ、当然のことといえばそうでしょうね。魔族の糧は『負の感情』。そして濃密な『負の感情』は戦場でこそ生まれる。つまり、戦争という行為自体が魔族に『力』を与えてしまうの。これじゃ魔族をすべて倒すなんて不可能。魔族の性質は『上には絶対服従』だから、『漆黒の王』を倒して改心させることができれば神族側の勝利となるんだけど、そんなあっさり改心なんてしてくれるわけないし、そもそも『漆黒の王』と対峙しても『聖蒼の王』抜きじゃ倒すこと自体、できそうになかった。そこでゲイルは階層世界に戻って、『力』がある程度回復していた『聖蒼の王』にひとつ、頼みごとをしたの」
「頼みごと? 一緒に戦ってくれ、みたいな?」
おそらくは、誰もが一番最初に思いつくであろうその発想を、かぶりを振って否定する。
「いいえ。界王の力を借りた術を使うために必要な魔法の品――『賢者の石』を作ってくれって。聖蒼の剣はゲイルがすでに持っていたからね」
「その術って……」
「そう。あたしが完成させようとしている術のうちのひとつ。ゲイルはこれを使って『漆黒の王』を『ここではないどこか』――つまりは『異世界』に飛ばしたの。仲間意識のない魔族であっても、『一番上の存在』がいなくなれば多かれ少なかれ困りはするだろう、と踏んでね」
ちなみに、この『異世界』というのは、魔道学会内で用いられている比喩表現に過ぎない。実際にそんな世界が確認されたことは一度だってないのだ。だから『漆黒の王』が飛ばされた場所は、おそらく魔道士たちの理解すら遠く及ばない『どこか』だと解釈されている。そう、『次元の狭間』とか、そんな感じの『どこか』。
まあ、それはともかく。
「で、魔族たちは実際に困ったのか?」
「ええ、それも予想以上に。というのもね、『漆黒の王』が消えてすぐ、魔族たちは彼をこの世界に呼び戻す方法を探し始めたのよ。それこそ、戦争なんてやってる場合じゃないって感じで、ね。これが第二次聖魔大戦の終わり。
で、いまも魔族は『漆黒の王』の召喚を主な目的として動いているってわけ。まあ、あとは『聖蒼の王』が完全復活すれば神族側の勝利となるんだけどね」
得心したようにアスロックがうなずいた。
「なるほど、神族側も完全な勝利を収められるそのときを、いまも待っているってわけか」
「そういうこと。『神族四天王』が各々(おのおの)留まっている、『神の聖地』で、ね」
「あれ? ゲイルは?」
「ん~、ここからは『聖蒼の王』の力の一部のこと同様、眉唾ものの伝説でしかないんだけど、なんでも当時存在していた国のひとつに『聖本』と六つの解読書を預けてから、その国のどこかで自分自身に『石化』の類の術をかけ、永い永い眠りについたそうよ。物質界に生きる人間たちに変な影響与えないようにってね」
はてさて、この説には一体どれだけの真実が含まれているのやら。さすがに全部が全部作り話ってことだけはないだろうけど。
「自分で自分に石化の術を、か。……なんていうか、神様のやることはよくわからないな」
「まあ、理解しようとしてできる相手でもないんでしょうしね。それに第二次聖魔大戦の時期だけに絞ってみたって、そういう変わり者――もとい、偉人は何人もいるわ。それこそ『聖本』に載るほどの人物だって、ね」
「へえ、例えば?」
「例えば、そうね……予知能力者とか」
「予知!? そんなことできる奴がいるのか!?」
さすがのアスロックでも、予知がどれだけの不可能ごとなのかは知っていたらしい。
「あ! それとも、もしかしてミーティアもできたりするのか!?」
前言撤回! 全然知っちゃいなかった!
「できるわけないでしょ! 予知っていうのはね、基本、第八階層世界に存在する『アーカーシャー』に触れられる存在にしかできないことなのよ!」
「あ、あーかーしゃー? なんだそりゃ?」
……ああもう、焦れったい! そりゃ、魔道士でもない人間が『アーカーシャー』の存在を知らないのは当然といえばそうなんだけど!
「『アーカーシャー』っていうのはね、未来をも含めた『すべての事柄』を記録しているモノのことよ!」
思わず叫んでしまい「どうどう」とアスロックになだめられる。まあ、確かにいまは彼に怒る場面じゃないか。ぜえぜえと肩で息をするほどに、乱れまくった呼吸と整えるべく、そして心を落ち着けるため、あたしは一度深呼吸をした。
「――もっとも、それが『物体』であるのか『場所』であるのかは不明だから、『モノ』としか表現できないんだけどね……」
「なるほど。――とりあえず、ミーティアに予知はできない、と」
「その結論、いま改めて出す必要あるの……? ……まあ、いいわ。まとめると、第八階層世界に心が通じている存在にしか、本当の意味での予知はできないのよ」
「本当の意味の予知? 予知に本当も嘘もあるのか?」
心底、意外そうに訊いてくるアスロック。あたしは右の人差し指を立てて、
「あるのよ、それが。たとえば……そうね、雨雲が空に広がっていたら、ああ、これから雨が降るなって予想できるでしょ? それを大規模にした場合の――つまりは、『頭が回るがための、思考に基づく未来予知』というものがあるの。いままでに存在した予知能力者の九割以上がこのケースだと魔道学会では言われているわ。というか、『聖本』にある『本当の意味での予知』を成した人物だって、実際は『思考に基づく未来予知』を上手いこと用いただけなんじゃないかって疑ってるしね、あたしは。まあ、魔道学会の上層部には盲目的に信じてる人もいるけど」
「信じてやれよ、お前も……」
多分に呆れの感情が含まれたアスロックの声。でも、根拠もないことを信じろって言われても、ねえ?
「……コホン。あとは、心が第八階層世界に通じていなくても、『アーカーシャーの管理者からの神託』という形で予知を行う人もいたわね。もっとも、神託を得るには、最低でも第六階層世界くらいには心が通じている必要があるみたいだけど」
「アーカーシャーの管理者?」
「現在、判明している管理者は、ヨハネ、ノストラダムス、エリスフェールの三人ね。もちろん、それ以外にもいるんだろうけど」
あ、『三柱』と言うべきだったかな。管理者の誰もが『聖蒼の王』と同じく『神格』を持っているらしいし。
細かいことではあるけど訂正しておこうか、と考えていると、アスロックが「ところで」と疑問をぶつけてきた。
「さっきから気になってたんだけど、階層世界ってのはどういう世界なんだ?」
ふむ、どういう世界なのか、か。答える術はいくつかあるのだけれど、それらは果たして、彼の質問の解答になるのかなぁ。……まあ、大丈夫か。物事を深く考えてはいないっぽいアスロックだし。
「……一言で言うのなら、『あの世』ね」
「あの世って、天国とか地獄とかがあるっていう、あの?」
「そう。『生命あるもの』が死後に向かうべき世界であり、生まれる前に居た世界。
他の説明の仕方をするなら、神々や精霊が住まう世界って言うこともできるわ。まあ、さっきも言ったとおり、第四階層世界の下段階――『地獄』の奥も奥にある『魔界』には魔族も住んでいるけど。
魔道士としての見地から階層世界を語らせてもらうなら、『エリュシオン』や『アーカーシャー』、『本質の柱』といった、あたしたち魔道士が『真理』と総称しているものが存在する世界、といったところかしら。あ、ちなみに『階層』と呼んではいるけど、これはあくまで理解しやすくするための『喩え』でしかないから」
「? と、いうと?」
「つまり、ここから上が第五階層世界でここから下が第四階層世界、なんていう物理的な『床』や『天井』みたいなものは存在しないらしいのよ。あるのは『波長』のみ。誰も彼もが自分と『波長』が合う階層で過ごしているらしいの。そうそう、階層のことを『次元』と呼ぶ人もいるわね。四次元世界、五次元世界という風に」
「なんか、ずいぶんと曖昧な言い方だな」
それは否定できない。だって、あたしにも構造が完全には理解しきれていないのだから。当然、微に入り細を穿つような説明なんて出来るわけがないのである。『本質の柱』に到達した者――『真理体得者』になら可能なのだろうけど。
これ以上、階層世界の在り方を突っ込まれるとキツイので、ちょっと話を逸らさせてもらうことにする。
「で、第八階層世界に心が通じている者は『アーカーシャー』に触れられるがゆえに予知能力が使えるわけなんだけど、最近、予知の他にもそういう特殊な術が魔道学会で報告されたのよね。そう、第五階層世界以上に心が通じていて、かつ素養がある者にのみ使うことのできる、心を繋げることによって言葉を用いずに意思を伝え合う術が」
確か、<通心波>といったっけ。それと、その術の報告によってランクアップしたのはまだ若い女僧侶だとのこと。名前は確か、そう――
「ランクアップかあ。おれは魔道学会のこと、まったくと言っていいほど知らないけどさ。なんとかって機関ではランクアップするのがかなり大変って話はガルス・シティにいた頃に聞いたことあるぞ。――そういえば、なんでお前、そんなこと知ってるんだ?」
「ああ、あたしも魔道学会に所属してるから」
「マジでか!? あ、でも所属するだけなら誰でもできるんだったっけか?」
「そうだけど……。言っておくけど、あたしAランクだから」
魔道学会に所属している人間には毎月、ランクに応じて研究費用が支給される。そしてそのランクのほうは最低がDで最高がS。ちなみにAランクは上から数えて二番目だったりするのだけれど、実はあたし、それを素直に喜べなかったりする。だって、王族としての威厳のため、みたいな理由で高ランクになれているのだから。ああ、早く界王の力を借りた術を完成させて、名実ともにAランクと胸を張れるようになりたい!
そう思いながら『聖本』に視線を戻す。アスロックのほうは無言。ちょっと気になって彼の顔を盗み見てみると、なにか必死に頭を回転させているような表情をしていた。……ふむ、Aランクというのが魔道学会においてどれくらいのところに位置するのかがわからなくて悩んでいると見た。でも説明するのもいい加減疲れてきていたので、ちょっと無視させてもらうことにする。
しばしの静寂。唯一、『聖本』のページを繰る音だけが耳に届く。しかし、この静かな雰囲気、あたしはどうも苦手で仕方がなかったり。それに、ちょっと偶然じゃ済ませられない箇所が『聖本』に見つかったりもした。これは一人で考え込んでいても時間の無駄そうだし……。
そんな二つの理由から、あたしは隣にぼんやりと座るアスロックに話を振ってみることにした。
「ねえ、アスロック。以前から気になっていた項を暇つぶしに解読してみたんだけど、ちょっといい?」
「うん? おれになにか意見を求めるのか?」
無駄だからやめとけ、みたいな口調。うん、こいつ意外と自分のことをわかってるっぽい。なのでこう返す。
「そうじゃないわよ。ちょっと話の聞き手になってほしいだけ」
「……暇つぶしの相手ってことか?」
「う~ん、まあ、平たく言えば。で、この『聖本』にはね、『こうして世界は滅びを迎えた』っていう類の文章が何度か登場するのよ。あたしはこれ、いままでは新人類が新たな地の支配者になったことの比喩なんだと思ってたんだけど……」
「そうじゃないかもしれない、と?」
「ええ。……新しく解読してみた箇所にはこうあったわ。『とある青年とサーラ・クリスメントは『皇帝騎士団』の協力を得て魔王と戦ったが敗北した』って。そしてその結果、世界が滅んだ、とね」
「……ふむ。ところで、その『とある青年』って誰だ? サーラ・クリスメントっていうのは誰だ? それに『皇帝騎士団』ってのはなんなんだ?」
「『とある青年』は、残念なことに名前が前の段落に書いてあるらしくて、わからなかったわ。『聖本』の文章を正しく抜粋すると『そして、彼とサーラ・クリスメントは『皇帝騎士団』と力を合わせ~』って書かれてるから……。『皇帝騎士団』っていうのも、なんのことかサッパリだし……。
でも、ね。『魔王』は『漆黒の王』か、『魔王の翼』と呼ばれる魔族たちのことだと思うし、なによりサーラ・クリスメントっていう名前にだけは、心当たりあるのよ、あたし」
「え、マジで……?」
「ええ。さっき『言葉を用いずに意思を伝え合う術』が最近、魔道学会で報告されたって言ったでしょ? 正式名称を通心波っていうんだけど、それを報告した人物っていうのが……」
そこであたしは言葉を切った。皆まで言わなくても伝わると思ったから。そして、さすがのアスロックでもあたしの言いたいことは理解できたらしく、
「その人物っていうのが、サーラ・クリスメント?」
あたしは小さくうなずき、首肯する。
「『魔王に敗北した』とはあるけど、とりあえず『死んだ』とはどこにも書かれてないしね……」
まあ、仮にも『聖本』において『魔王』と記述されている存在に戦いを挑んで、負けはしたけど死なずには済んだなんて、普通に考えればありえないことだとは思うのだけれど。そもそも、『漆黒の王』が復活したなんていう話はおろか、『魔王の翼』が表舞台に姿を見せたなんていう類の噂でさえ、あたしは聞いたこともないし。
それに『聖本』に載っていることである以上、現在ではなく遥か昔のことである可能性のほうが高いというのも事実。ついさっきは偶然じゃ済ませられないと感じたけど、やっぱり、たまたま同じ名前があっただけ、としたほうが自然なのだろうか。
なんにせよ、一度サーラ・クリスメントに会って尋ねてみるべきかもしれない。偶然の一致で終わる可能性が一番高くはあるけれど、それでも無意味ではないはずだから――。
そう考えをまとめ終えようとした瞬間。
少しだけ荒々しく図書室の扉が開かれる音がした。続いて飛び込んでくる、聞きなれた女性の声。
「ここにいらっしゃったのですが、ミーティアさま!」
振り返ると、そこに白いマントを羽織った、二十代後半くらいの背の高い女性が立っていた。後ろのほうで無造作に結わえられている長い髪は鮮やかな金色。瞳の色は目も覚めるような青。
そんな彼女――ブリジット・クルージェの顔に貼りついているのは焦燥と困惑の色だった。思わず眉をひそめるあたし。だって、彼女にそんな表情をさせるようなことなんて、いまのところ、あたしは一切してないし。
あたしとアスロックから怪訝な表情を向けられたブリジットは軽く頭を下げて、
「突然で申し訳ないのですが、ひとつお訊きしたいことがありまして。あの、セレナさまをお見かけになられませんでしたか?」
「お姉ちゃん? ううん、今日はまだ会ってないけど」
「そうですか……。あの、では昨日の夜などは?」
「夕食を一人で食べて、そのあとはずっと自分の部屋にいたから、会って、ない……。え、なに? お姉ちゃんになにかあったの!? アスロックからはお父さまから用があって呼ばれたって聞いたけど……!」
「落ち着いてください、ミーティアさま。まだ確認して回っている段階ですので。……しかし、ミーティアさまも顔を合わせていらっしゃいませんでしたか。――しかし、そうか。シャズール殿も陛下も昨日の謁見終了の時間を最後に会っていないと言っていたし、これは誤報とも言い切れなくなってきたか……?」
誤報? いや、それ以前にアスロックとの謁見以降、シャズールもお父さまもお姉ちゃんと会っていない? 一体なにがどうなって……?
ブリジットの呟きに混乱するあたし。代わるようにアスロックが質問を投げかける。
「なあ、昨日から会ってないって、食事とかはどうしたんだ? おれのところに食事を届けてくれる人がいたんだから、当然、セレナさんのところに食事を届けた人もいるんだろ? いくらなんでもその人は今日の朝、セレナさんに会ってるだろう」
「ああ、それは――っと、貴殿は昨日、陛下に謁見したという――」
「アスロック・ウル・アトールだ」
「――失礼。私はブリジット。ブリジット・クルージェ。この聖王国の副将軍だ。――それで食事のことだが、セレナさまは体調が悪いとのことで、昨日の夕食、今日の朝食ともに拒否されているそうなんだ」
その返答に納得したのか、黙り込むアスロック。しかし、あたしにはまだ質問の余地があった。お父さまのことに関する疑問を棚上げし、あたしは副将軍に問いをぶつけてみることにした。
「体調が悪いっていうのは、食事係にそういう伝言があったっていう話なのよね? その伝言を頼まれた人間は、やっぱり昨日、お姉ちゃんと会ってるんじゃないの?」
そう。どれだけ体調が悪くても、お姉ちゃんがそのことを伝えるには、結局、第三者に伝言を頼むしかない。ならその第三者は絶対に昨日、お姉ちゃんと会っているはずだ。
だが、その絶対ともいえる結論は、ブリジットの「その通りです」と言いながらも頭を振るという矛盾した返しに覆されることになる。
「そのことをセレナさまお付きのメイドに伝えに来たのは、十代前半の緑髪の少女だったそうです。ただ、この少女のほうも捜してはいるのですが、見つからず……」
「そう。まあ、その少女のほうはいいわ。でも、お姉ちゃんがいなくなったって騒ぎ始めた理由はなに? 行方不明とか、そういう判断を下すにしては早すぎるでしょう? そりゃ、例の少女のことは不気味ではあるけど、あのお姉ちゃんのことだから、王宮の地下室とかでなにかを見つけて、それに没頭するあまり時間が経つのを忘れてるとか、そういう可能性だって多分にあるでしょう?」
自分を落ち着かせるために口にした意見を、しかしブリジットは右手をヒラヒラと振って否定してみせた。
「いえ、セレナさまに限って、そんなことはないかと。もちろん、ミーティアさまだったら十二分にありますが」
「悪かったわね!」
「冗談はさて置くとして。先ほど、王宮の門のところに待機している兵士のところに、来客――というかなんというか――があったのです。セレナさまらしき人物が北――アイ・シティのほうに向かって街を出たのを見た、と。ちなみに、その兵士から聞いたところ、来客は二十代半ばの長い緑髪の女性だったとのことです」
「こっちも人づてに聞いた話か。そして緑髪の女性、ね。年齢が全然違うから別人だとは思うけど。それで、どうせデタラメだろうと思ったものの、本当にお姉ちゃんがいなくなっていたら事だから、誤報の可能性大としながらもお姉ちゃんを捜していた、と?」
「仰るとおりです」
ふむ、なるほど。大体の背景はつかめてきた。それなら確かにお姉ちゃんがいないことに慌てもするだろう。……もちろん、肝心な部分はまったくわかっていないのだけれど。
「……お姉ちゃん、一体なにを考えてアイ・シティなんかに向かったんだろう……」
お父さまに呼ばれたこと絡みだろうか? でも昨日の謁見が終了してから、お父さまはお姉ちゃんと会っていないようだし……。
「ミーティアさま、アイ・シティに向かったのがセレナさまだと決まったわけではありませんよ。仮にセレナさまであっても、アイ・シティに向かったと決まったわけでもありませんし」
「でも、とりあえずアイ・シティに行ってみるっていうのが一番無難で賢い選択だと思わない?」
言外に『あたしが行く』というニュアンスを込め、そう訊いてみる。
「一番無難で賢い選択は、とりあえず王宮で大人しくしている、だと思いますよ? セレナさまのことが心配なのはわかりますが、捜索は私たちの役目です」
当然だけれど、釘を刺された。あたしは一転、しおらしい態度を意識して、
「そうですか。わかりました、ブリジット。では、そうします……なんて、あたしが言うと思ってる?」
「……思ってません。こういうとき、止めても無駄なのは過去の経験から知っていますからね。ですから、私は止めはしませんよ」
「うむ、さすがはブリジット! さすがはあたしが素で話せる数少ない人物! ため息混じりなのが少しだけ引っかかりはするけど、あなたみたいな臣下を持ててあたしは嬉しい!」
「私は全然嬉しくないです。お願いですから『自重』という単語をミーティアさまの辞書に深く、ふかぁ~く刻んでください」
「なによ、ノリが悪いわね。――さて、アスロック。ちょっと頼まれてもらえるかしら?」
話のわかるいい臣下から、すっかり会話から置き去りにされていた感のある青年に視線を移す。
「あたし、これからお姉ちゃんを捜しにアイ・シティまで行くことになったんだけど、道中での護衛、お願いできない?」
それに驚きの声を上げたのはアスロックではなくブリジット。
「ミーティアさま! 言ったでしょう、捜索には私たちが行くと! ミーティアさまの身辺の警護だって、当然、私たち兵士が――」
「冗談じゃない! アイ・シティに着くまでの道中さえも猫被ってろっていうの!? 絶対に嫌よ、そんなの! あたしは『第二王女』っていう仮面をつけなくてもいい相手と一緒に行きたいの!」
「なりません! それなら私がミーティアさまと二人だけで行くことにします!」
「副将軍のあなたが単独行動って……。許されるわけないでしょう!」
「許されなさ具合ではミーティアさまの脱走といい勝負でしょう!?」
ぎゃあぎゃあと言い争うあたしとブリジット。それを見かねたのか、それとも単にマイペースなだけなのか、アスロックが唐突に割り込んできた。
「まあ、落ち着けって二人とも。や、もちろん、セレナさんが行方不明気味で落ち着いていられないってのはわかるけどさ。ともあれ、おれはいいぞ、護衛やっても」
しばし、二人揃って言葉を失い。やがてあたしは破願して彼に確認する。
「本当に!? ありがとう! 報酬は多めに払うよう、ブリジットに言っておくから!」
「ちょ、ミーティアさ――」
「というわけで、報酬の手配よろしくね、ブリジット。――さあ、じゃあ支度して行きましょうか、アスロック!」
「お~い、ちょっと待てって。おれ、別に報酬は要らないぞ。というか、人の弱みにつけ込んで金をもらうなんて、あまりしたくないし」
「や、そういうわけにはいかないでしょ。あくまで護衛を『雇う』んだから」
「そうか? おれにとっては一宿一飯――いや、三飯か? の恩返しって感じなんだが。それで報酬をもらっちゃ意味ないだろ。それにほら、子供の頃に習わなかったか? 困ってる人がいたら助けましょうって」
「…………」
そりゃ習った。当然習った。でも、それを実際にする人間って、きっと皆無に近いと思う。おまけに言わせてもらえばあたしは魔道士。自分のため、あるいは自分に連なる者のためにしか動くことのできない人種だ。言うなれば、それが『魔道』。自分のための道。自分のためだけの道。
それを前提とした上で、あたしとアスロックの置かれている立場を入れ替えてみるとしたら。断言しよう、報酬が出ないというのなら、あたしは絶対にこの護衛の任務、引き受けない。
だというのに、アスロックは報酬ゼロで引き受けると言っている。いや、報酬が出るのなら引き受けないという姿勢ですらあるのだ。
そんな彼の姿勢に、まっすぐな眼差しに、ブリジットがなにを感じたのかはわからない。けれど、彼女は息をひとつ突いて、
「わかった。ミーティアさまのことをよろしく頼む」
そう口にし、アスロックに深く頭を下げた。承知した、とうなずく彼。どうやらブリジットには認めてもらえたらしい。
あたしには理解できない彼の思考、理解できない状況に呆気にとられる。そんなあたしを当のアスロックが促してきた。
「ほら、じゃあ支度してこい。すぐ出発するんだろ? 俺も部屋に戻って荷物取ってくるから」
「あ、うん、わかった」
まあ、いまは考えても仕方ないか。理解不能な人間なんて、世の中には何人もいるんだろうし。そう結論づけて、あたしは図書室をあとに――しようとして。
「そうだ、ブリジット。アスロックを部屋まで送ってあげて。それと準備ができたら例の抜け道まで案内してあげて」
なにしろ彼、ものすごい方向音痴だから。下手をすると自分の部屋に戻るだけでも迷いそうだもんね。
ブリジットが了解の意を込めてうなずいたのを確認し、あたしは急ぎ足で自室へと向かう。
自室に入って扉を閉め。少し乱暴にドレスとヒールの高い靴を脱ぎ捨ててから、魔道士の着る一般的な黒いローブに袖を通し、これまた黒のズボンに両足を突っ込んで勢いよく腰まで上げた。続いて護身用であるエアナイフを両腰に一本ずつ差し、下ろしてあった長い髪を素早くポニーテールにまとめ。そして地に着かんばかりの長い黒マントを羽織って、銀色のショルダー・ガードを肩につけて固定。最後に動きやすい靴を足にひっかけて、よし準備完了!
お姉ちゃんが行方不明になっているというのに、不謹慎にも浮き立つ気持ちを抑えながら部屋を出る。そして裏庭に向かい、そこを誰にも見つからないよう、しかし可能な限り早く駆け抜け、やがて横に城壁が続く、とある一角に到着した。
そこには、旅支度を終えて先に来ていたアスロックの姿。
「待った?」
「割と、な」
「いま来たとこって言えばいいのに」
一言一言がなんとも短いやりとり。あるいはアスロックも、あたしがここから外に出ることが問題視される行為なのだとわかっているのかもしれない。……いや、それはないかな、彼の危機感ゼロな表情から察するに。
「じゃあ、行きましょうか。アイ・シティに。――このスペリオル・シティの外に!」
心の中で、天に向かって握った拳を突き上げて。あたしは城壁を構成している大きめのブロックをひとつ、アスロックにも見えるように外してみせるのだった――。
ミーティアとアスロックがスペリオル・シティから出ていくのを見届けて。
街の入り口に立っていた、年の頃二十四、五歳くらいの緑髪の女性が不意に呟きを漏らした。
「……どうやら、上手くいったみたいね」
それだけでは終わらず、指折り確認するように小さく言葉を紡ぎ続ける女性。それは呟きというにはあまりにも長く。
「まず火の解読書は、あの人間の手によって聖王国に無事、届けられた。宮廷魔道士としてガルスの王に火の書をスペリオル聖王国に渡すべきと進言した甲斐はあった、と。
まあ、王を始めとしたお偉いさん方は、火の書をスペリオル聖王国に渡すのがよほど面白くなかったのか、『刻の扉』の使用許可を最後まで出してはくれなかったけれど……あまり手荒な手段に訴えてガルスの人間に私の正体を気取られるわけにもいかないものね。
それに第二王女を始めとした邪魔者たちを街から遠ざけるのも、姿を変えて王宮に入ったり、兵士に第一王女の行動を捏造して伝たりと、それなりに骨を折ることで上手くいった。
あと私がやるのは、『例の噂』をこの街に広めることだけ、か。そこから先は『彼ら』の仕事。
さあ、私たちの『計画』も最終段階に入ったんだから、油断せずにしっかりやりなさいよ、デュラハンたち。――私と同じ『高位魔族』として、ね」
長い長い独白を終え、彼女は満足したように虚空に溶け消えていく。そう、まるで最初からそこには誰もいなかったかのように。
しかし、彼女は最後まで気づかなかった。街から出る直前、ミーティア・ラン・ディ・スペリオルが確かに彼女の姿を視界に認めていたことに――。