第三話 彼という人間
「アスロック・ウル・アトール、ね」
宿屋の台帳に書き込まれた彼のフルネームを確認して、あたしは改めて納得する。
「あなた、本当にガルス帝国の出身者だったのね。あの『訓練中に相手を殺してしまっても正当化される』っていう腐った国の」
その歯に衣着せないあたしの物言いに、20歳そこそこの黒髪の青年――アスロックは表情を引きつらせた。
ちなみに彼、あの催し物に挑戦してきたときには『謎の美形戦士』などと称されていたが、実際はそこまでキリッとしたハンサムというわけではない。顔立ちが崩れているとまでは言わないけれど、なんかこう、ちょっと田舎者っぽい雰囲気を纏っているというか、垢抜けないというか。まあ、いい人っぽい感じはするけれど。
ともあれ、彼は呆れたような、でもちょっとムッとした風でもある表情になって、
「腐った言うか……? そこの出身者に向かって……」
「気にしない気にしない。別にあなたのことを腐ってるって言うつもりはないから」
「言われてたまるか」とかなんとか、ブツブツ言う彼。それを無視して窓の近くの席に向かうあたし。お腹が空いているのには違いないからなのか、はたまたここに入るときに言った『根掘り葉掘り訊かせてもらう』というのを気にしてなのか、アスロックもまた、あたしの後ろをついてきていた。……う~ん、もし後者だとすると、かなり律儀な奴だということになるけど、まあいいや、どっちでもあたしとしては問題ないし。
「そういえば」とアスロックが、テーブルにつくと同時に尋ねてきた。……むう、質問したいのはあたしのほうだというのに。思えば、出会ったときからずっと彼はこんな感じだ。
「なんでおれのフルネームを知ったときに、ガルス帝国の出身者だって改めて思ったんだ?」
そんなことも知らないのか、と正直、呆れる。この感情も今日何度目になるかわからないくらいに抱いていた。なんというか、彼、基本的な知識があまりにも不足しすぎている印象を受ける。ガルス帝国の生まれだというし、戦うことにばかり頭を使ってきたのだろうか。
しかし、呆れていても始まらない。仕方ないのであたしは答えてあげることにした。なんだかんだ言って、あたしも今日はずっとこんな感じだなぁ。
「ああ、それはね。『アトール』ってファミリーネームはガルス帝国特有のものなのよ。同時に、ガルスにとても多いファミリーネームでもあるの。より正確に言うのなら、ガルス・シティに、ね。あなたの知り合いにだっているでしょ? アトールってファミリーネームの人間」
彼は思い出そうとするように、しばし宙に視線をさまよわせていたが、思いついたように「そういや、いたな!」とポンと手を叩いた。そして、また疑問に思うことが出てきたらしく。
「そういや、ミーティア。お前のフルネームはなんていうんだ?」
その質問に。
あたしはつい、言葉に詰まった。端から見れば不自然極まりないことなのだと、自覚していながら。
「…………」
考え込むあまり、あとになってからよく考えてみれば、「そんなことよりも、いい加減本題に入らせてよ!」とでも言って、はぐらかしてしまえばよかったのだということに思い当たることすら出来なくて。
結局、あたしは……。
「おーい、ミーティア? 聞いてるか?」
あたしは……。
「――ミーティア・パイル・ユニオン……」
あたしは、そう返していた。
『ユニオン』というファミリーネームに引っかかったのだろう、アスロックが首をかしげる。
「ユニオン……? どっかで聞いた気がするんだが、有名な家柄なのか?」
そのアスロックの言葉に、あたしは思わずイスから転げ落ちそうになる。
「いやいやいやいや! あなただってこの街を通り過ぎて、ではあったんでしょうけど、行ったんでしょう!? ユニオン・シティ!」
「…………。ああ! なんか聞き覚えあると思ったら、ユニオン・シティの『ユニオン』だったのか!」
…………。ええと、神さま。可愛い女の子が成人男性を殴るのは、罪にはなりませんよねぇ……?
高く振り上げたあたしの腕は、しかし、ちょうどウエイトレスさんがやってきたことで下ろさざるを得なくなった。……くぅっ! こうなったらなるべく高いもの頼んで、コイツに奢らせてやる!
「ご注文はなにになさいますか?」
「ランチセットAをお願い。支払いは彼が」
「おぉいっ!?」
「だってあたし、あんまりお金持ってないし。稼ごうと思ってあの催し物に出てみたら、あなたの火炎障壁のせいで賞金をもらい損ねたし」
「おれだって多くは持ってないんだぞ!」
「さっき宿代払ってたときにちらりと財布覗いてみたんだけど、けっこう入ってたじゃない」
「…………。くそっ、なんて目ざとい……」
「ふふ~ん♪」
よし、勝利!
「でも、だからって、なんでおれがお前に奢らなきゃいけないんだよ!」
「しつこいわね~。もう一度言うけど、あたしはあなたの火炎障壁のせいで――」
「ああもう! わかったよ!」
よし、これで今度こそ勝利!
「あの、お客さま。お代のほうは本当に大丈夫なのでしょうか……?」
「ノープロブレム、ノープロブレム」
「お前な……。――ええと、こいつの言ってる通りだ。おれが払う」
「はい。では――」
「ああ。おれは、――ランチセット……Cを」
「承りました。では少々お待ちください」
裏方へと去っていくウエイトレスさんを見送ってから、あたしは口を開いた。
「Cって、また安いものを頼んだわねぇ、アスロック。あたしのランチセットAの半分くらいの値段のやつじゃない」
「お前のせいだよ!」
「責任転嫁はみっともないわよ。や~い、甲斐性なし~」
「お前な……。――と、それよりも、お前のファミリーネームが『ユニオン』だっていうのは、一体どういうことなんだ?」
こいつ、まだそれを覚えてたのか……。こういうイベントが起こったあとだから、そういう些細な疑問は流れると踏んでいたんだけどなぁ……。
あたしは観念することにした。流すのは諦める。どうも彼、疑問に思ったことは可能な限りはっきりさせておきたいタイプのようだ。あたしと同じで。
「う~んと、ね。どのくらい前の話だったかは忘れたけど、この国は昔、ユニオン王国と呼ばれていたのよ。いまはすっかり寂れちゃってるユニオン・シティを首都として、ね。
で、当時はまだ小さな町だったスペリオル・シティの人間が何度となく攻め込んで、まあ、あとは言わなくてもなんとなくわかるでしょう? ユニオン王国の国王は他の王族や家臣、国民には危害を加えないという条件を提示されたことで、後のスペリオル一世に国の支配権を譲ったの」
もっとも、当時のスペリオル・シティは本当に小さな町で、ユニオン・シティに攻め込もうにも人数の面で圧倒的に負けており、まともに考えて勝算なんてなにひとつなかったという。そして、それはおそらく真実なのだろう。なにしろいまでも王宮では、ユニオン王国に勝てたのは後のスペリオル一世に魔族が力を貸していたからだ、という噂がまことしやかにささやかれているくらいだし。
「……なあ、思ったんだけどさ。その条件……っていうか、約束は守られないだろ。どう考えても」
確かに、普通に考えればそうだろう。しかし、
「だったら、なんであたしはいま、こうして生きているんだと思う?」
「…………。あ! まさかミーティアって、ユニオンの王族の末裔とかだったりするのか? もしかして」
あたしは無言でうなずく。……うん、嘘は言っていない。実際、あたしはユニオン王国の王族の血をひいてはいるし。……うん。嘘はついてない。
「は~。そうだったのか~。じゃあ、ひょっとして、あれか? 王国の再興とか狙ってたりするのか?」
「まさか。ユニオン王国が存在していたのは、百年以上も前のことなのよ。いまさら争いの火種になろうとは思わないわ」
「親御さんとか、言わないのか? お前は誇り高い王家の血をひいているんだ、だから国を再興させる使命があるんだ、とか」
「言わないわね、これっぽっちも。というか、言うわけないし」
「なんで?」
「それは――っと、そんなことより! いい加減あたしのほうの本題、入らせてよ!」
「へ? ああ、悪い悪い」
と、そこであたしとアスロックが頼んだ料理が運ばれてきた。しゃべりまくっていたためか、喉がすごく渇いていたあたしは、まず一番最初にセットについてきたオレンジジュースを一口、口に含む。口の中一杯に広がる柑橘系の爽やかな味を、しばし楽しんで。
「で、あなたの使った火の呪文のことなんだけどね」
「ああ、なんか常識的にあり得ないとかなんとか言ってたな。――っと、そうだ! おれの使った火炎障壁、火事とか起こしてるんじゃ――」
「だあぁぁぁっ! いきなり脱線させるなあ! あなた、狙ってやってる? ねえ、狙ってやってる!?」
「へ? いや、別に狙ってなんか――」
「余計にタチが悪いわよ! ――あー、ともかく、あれに関してはなんとかなってるでしょ。城にいる兵士とかが消火作業に向かったでしょうし」
「そっか。それならいいんだが」
「それはそれとして、本題ね! とにかく、あり得ないのよ。あなたの術の威力は。それこそ、一日一回は必ず火術を使っていて、なおかつ『火』のスートを持っていても――」
「『火』のスート? なんだそりゃ? それに、確かにおれ、しょっちゅう火の術は使ってるけど、それとおれの術になんの関係があるんだ?」
ええと……。こいつ、本当にものを知らないなぁ……。
「スートのことは、まあ、後回しにするとして。
魔術――というか、魔力っていうのはね、魔術を使えば使うほど強力になるのよ。更に同じ術や同じ属性の術に絞って使えば、より効率よく熟練することができるの。火炎弾の威力を上げたいなら、火炎弾や火術を意識して頻繁に使うようにする、という風にして、ね。
ほら、筋肉だって鍛えれば鍛えるほど力がつくし、蹴りの威力を上げたいなら、腕立て伏せとかするよりもスクワットにでもしたほうが効率いいでしょ? それと同じこと。まあ、一回一回は自覚できない程度しか威力、上がらないけどね。
これは……、う~ん、背や髪が伸びるのと同じ感覚かな。本当に自覚できない範囲でしかパワーアップしない、というか」
「ふうん。で、スートっていうのは?」
本当に理解してるのかなぁ、アスロック。なんか説明していて虚しくなってくる……。
「正確には『シンボル・スート』ね。これは、言ってしまえばその人の持つ『属性』、かな。地・水・火・風、それと光と闇の6種類があるのよ。で、地・水・火・風の場合は、それぞれ、地・水・火・風の精霊魔術の、光は白魔術と神界術の、闇は黒魔術と魔界術の威力を上げるの。
ちなみにあたしのスートは『光』。あ、2種類持ってる人間は絶対にいないからね、念のため言っておくけど」
「そうなのか。――あ、そういえば昔、おれのことを『この子は『火』ですね』って言った奴がいたっけか。『おれは『火』じゃない、アスロックだ!』って言い返した記憶がある」
こいつは子供のときからそんなだったのか……。
思わず額に手を当て、天井を仰いでしまう。
「でも、それでもあの威力はやっぱりおかしいのよね。火術を頻繁に使っていて、『火』のスートを持っていて……。う~ん、あともうひとつ要素があると思うんだけどなぁ。というか、ないと説明がつかないし……。残念なことに、というかなんというか、いまは光の月だし、もし火の月であってもそれほど……」
「いまが光の月だからって、魔術となんか関係あるのか? 外を歩いていたときにもそんなことを言ってた気がするが」
「…………。……ねえ、アスロック。常識に欠けているのって、かなりの高確率で罪になるわよね」
「なにを唐突に」
「『なにを唐突に』じゃないでしょ! あのね! あたしはいい加減、苛立ってるのよ! もっと常識に精通しろおぉぉぉぉっ!」
「常識に精通しろって、なんかすごい言葉だな……」
「…………。あー、もういいわ。なんか脱力してきた……」
いい塩梅(?)にテンションの下がったあたしは、ちょっぴりかったるい心持ちになりながら説明を続けた。
「あのね。スートと似たようなものだけれど、光の月には白魔術と神界術が、火の月には火の精霊魔術が威力を増すのよ。まあ、スートとは違って、微々たるものだけどね」
だからあたしは、『月の影響力』はほとんど無視していたのだし。
さて、すっかり手詰まりになってしまった。最後の要因が一向に解き明かせない。これは、世が世ならアスロック、解剖とかされていてもおかしくないんじゃ……。
と、待てよ。まだ試していないことがひとつだけあった。あー、でも彼に呪文を詠唱させるのは危険な気もするし……。……まあいいや。やらせちゃえ、やらせちゃえ。
「ねえ、アスロック。ちょっと火炎弾の詠唱、してみてくれない?」
「え? ここで、か? 危なくないか?」
「いいからいいから。ほら、早く」
「あ、ああ。じゃあ……」
彼はいままでせわしく動かしていたフォークを置き、言われるままに呪文の詠唱を始めた。……自分で促しておいてあれだけど、人の言うことにホイホイ従っていて、大丈夫なのかな、彼……。
「精霊界に住まいし火の精たちよ
汝らの力を借り受け――」
「はい、そこまで!」
ペシッとアスロックの頭をはたき、詠唱をやめさせるあたし。予想通りというかなんというか、彼は不満げな表情をしてあたしを見てくる。
「怒らない怒らない。おかげでやっと合点が言ったわ。あ~、スッキリした~」
「いやあの、おれにはなにがなんだかさっぱりなんだが……」
「ああ、うん。つまりね。アスロックの詠唱って、威力が高くなるようにアレンジされてるのよね」
「アレンジ?」
「そう、アレンジ。あなたは『魔法の言語』のことを知らずに詠唱文を丸暗記していたようだから、気づかないのも無理はないけど。
これは火炎弾に限らず、火術のほぼすべての詠唱文に言えることなんだけどね。まず、第1節の『精霊界に住まいし火の精たちよ』は普通なら『精霊界に住まいし火の精よ』だし、第2節の『汝らの力を借り受け』もやっぱり『汝の力を借り受け』なのよ」
「……それが? ほんのちょっと変わっただけじゃないか」
「そうね。でもその『ほんのちょっと』が大きな意味を持っているのよ。
いい? 多くの魔術の使い手は、魔術を一度使う際に力を借りることの出来る精霊は一体のみだと思ってるの。実際はそうじゃないんだけどね。で、アレンジしてあるあなたの詠唱文は、一回に複数体の精霊の力を借りてるのよ。力を借りる精霊の個体数が多くなれば、その分だけ威力も増す。
この理屈はあなたにだってわかるでしょ?」
「まあ、そう説明されりゃあな。……『あなたにだって』ってところが引っかかるけど……」
「もっとも、借りる力が多ければ、当然、それに比例して魔法力の消費量も増すわけだけどね」
術者の魔力によって、借りられる力の量も変わってくるし。
「――しっかし、色々と難しいことを知ってるんだなぁ……」
そう言うアスロックの声には、尊敬よりも驚きの響きが強くあった。まあ、どちらであっても気分がいいには変わりない。
「まあね。あたし、魔道士だから」
「魔道士っていうと、強力な攻撃呪文をいくつも使えるっていう、あの魔道士か?」
「違うわよ! あ、いえ、違うわけじゃないけど、でも、それだけじゃないわよ! 魔道士っていうのは、『本質の探究者』であって――」
「『本質の探究者』?」
「そう。この世界はいつ、どうやって誕生したのか、を初めとした、いわゆる『世界の本質』とでも言うべきものに近づくための……って、アスロック、なにも頭抱えてテーブルに突っ伏さなくても……」
「いや、とてつもなく難しい話になりそうだったんで、つい……」
「まあ、難しい話にはなるでしょうね。というか、誰もがまだ『世界の本質』に近づこうとしている段階で、誰一人それを理解できた人間はいないっていうし……。まあ、あたしが言いたいのは、ね。魔道士は別に魔術を使うだけしか能がないというわけじゃない、ということであって……」
「いや、魔術使う以外になにをするんだよ。というか、魔術の使えない魔道士って、なんかこう、役立たず感バリバリじゃないか?」
「失礼なっ! 言っとくけど、昔の人間は誰一人として魔術なんて使えなかったのよ! 大昔の魔道士たちが言葉の羅列や『魔法の言語』に秘められた意味を発見して、『魔術』として普及させるまでは、ね!
そりゃ、いまでこそ魔道士以外の人間も片手間に使えるけど――」
「なんか、いきなりテンション高くなったな……。……しかし、そうか。じゃあ魔術が使えない魔道士が役立たずっていうのは、失礼な考え方だったんだな。悪い」
ぺこりとアスロックに頭を下げられ、あたしはようやく少し冷静になった。
いや、まあ、実際は彼の言うことも一理あるわけだし……。
「あー、そういうわけでもないわよ。魔術が普及した現在では、やっぱり魔術を使えない魔道士なんて役立たず以外のなにものでもないから。――それに、大昔の魔道士たちの偉業を、まるで自分がやったかのようにあたしが誇らしく語っていいものでもないわよね。ごめんなさい」
なかなかしないことではあるけれど、あたしもまた、自分の非を素直に認め、アスロックに頭を下げた。本当に滅多にしないことだから、親友のドローアあたりに見られたら本気で驚かれそうだ。
しばし、あたしのフォークを動かす音だけが響く。アスロックはというと、すでに食べ終えていた。あたしのほうがかなり口数が多かったから、当然といえば当然の結果といえる。あたしよりもアスロックのほうが一口一口も大きいだろうし。
…………。
沈黙の中、やっぱり、頭を下げるなんて慣れないことはするものじゃないなぁ、と半ば本気で思う。なんか、気まずい。
あたしはそれを打開しようと「そういえば」と疑問を投げかけてみた。まあ、それほど気になることというわけでもなかったりするのだけれど。
「アスロックはなんでスペリオル聖王国に来たの?」
「ん? ああ、それはな――」
アスロックは傍らに置いてあった荷物袋に手を突っ込んでがさごそやり始め、
「これを、ここの王さまに届けに来たんだ」
言って、一冊の本をテーブルに置く。
「なんでも、『聖本』とかいうものの解読に必要らしい」
説明してくれた彼には悪いが、あたしの目はその本に――赤茶けた装丁の、燃え盛る炎が描かれた表紙に釘付けになってしまっていて、ろくに説明なんて聞いていなかった。だって、それは――
「――火の解読書……」
絞りだすような声になってしまう。だって、それは、あたしがずっと求めていた6つの解読書のうちのひとつだったから。
「――これを、ここの国王に?」
「ああ。本当はもうひとつの解読書と一緒にガルス・シティに保管しておくつもりだったらしいんだけど、その闇の解読書がなくなっちまったらしくてな」
「え!? なくなったって、紛失したってことよね!? なんで!?」
「なんでって言われても、盗まれた、としか」
「盗まれた!? 一体誰に!?」
「いや、おれに訊かれてもな……」
「う、まあ、そりゃそうでしょうけど……」
じゃあ、闇の解読書の行方は、現在は不明!? 光と土の解読書はこの国の王宮に、水と風の解読書はフロート公国の王宮にあることがわかっているっていうのに……!
いや、まあ、とりあえずは火の解読書が目の前にあることを喜ぶべきか……。
「なあ、ところでその『聖本』ってのはなんなんだ?」
「うん? この世界のすべて――文字通りすべてのことが書かれている書物のことよ。元々はユニオン王国が所有していたから、いまどこにあるのかというのは、――言わなくてもわかるわよね?」
「ああ。『聖本』がこの国にあるんじゃなかったら、この解読書をおれがここまで持ってきた意味もないんだろうしな」
おや、アスロックにしては理解が早い。
あたしはランチセットAをすっかりたいらげ、席を立った。
「ごちそうさま、アスロック。じゃあ、あたしはそろそろ行くわね。――明日はお城に?」
「そうだな。あ、ちゃんと今日のうちに謁見の申し込みをしておかないと」
「忘れないようにしなさいよ。――じゃあね」
「あ、でもお前はどうするんだ? 家出の最中なんだろ?」
あ、そうか。彼の中ではあたしは家出少女ということになっているのか。まあ、実際その通りだったりするのだけれど。でもこれは家出じゃなくてプチ家出……。
まあ、それはどっちでもいいとして。
「帰るわよ。今回のところは大人しく、ね」
それからあたしは怪訝な表情をするアスロックに手を振って、宿屋兼食堂を出たのだった――。