第十話 聖なる炎
――帰りも林を突っ切って帰りたい。
そう口にしたのはあたしだった。
ブリジットには「全然、反省の色が見えませんね」とか「どうして危険なほうをわざわざ選ぶのですか……」とか言われたし、ドローアにも「行きも林を通ってこられたんですか!?」と心配されてしまったが、肩透かし気味ではあっても旅の目的が達せられたいま、早く帰ってお姉ちゃんの無事を確認したかった。ほんの少しであっても、遠回りなんてごめんである。
「やっぱりお前、短気だな。行きも遠回りするのが嫌なだけだったんだな」
「うるさいわね!」
……そろそろ否定するのも苦しくなってきたけど。
「大体、いまはあたしの護衛役が三人もいるのよ! 三人も! 護衛がアスロック一人でも抜けられたんだから、今度は余裕ってもんでしょ!」
「いや、それは逆じゃないか? 狭い場所を通るからこそ、護衛の人数が多いのはよくない。狭い場所で乱戦になると、戦い慣れしててもキツイからな」
「うにゃぁぁぁぁぁっ!」
「おいおい、奇声を発するなよ……」
そんなやり取りをしているうちに、道が枝分かれしている場所に行き着いた。
「…………。んじゃ、ゴー!」
林があるほうに足を踏み出すと同時、がしっとブリジットに肩を掴まれる。
「『ゴー!』ではありません。アスロック殿の言っていたことを聞いていらっしゃらなかったのですか?」
「聞いてたわよ。でも大丈夫だって」
「根拠は?」
「根拠って……。んと、ねえ、アスロック。あなたがついてきてくれてるんだもの、全然大丈夫よね?」
実はこれ、あたしが行きにも使った論法だったりする。
「まあ、大丈夫だろうけどな」
そしてさすがはアスロック。根拠なんてなにもないままで、それでも行きと同じ言葉を返してくれた。ある意味、大物だ。
「ね? ブリジット、ドローア。彼、大丈夫だって」
「乱戦になれば戦い慣れていても危険、とも言っていたでしょう、彼は」
ちっ、やっぱりブリジットには通じないか。
心の中で舌打ちしていると、アスロックがブリジットにもの申した。
「いや、おれは戦い慣れしててもキツイって言ったんだが」
「え、いや、あの……」
さすがに言葉に詰まるブリジット。
すごいぞ、アスロック。ブリジットをその気もなしにやり込めるなんて。
しかし、同じことをあたしにやられていたらキレて怒鳴っていただろうけど、それを他の人にやってくれるとこんなにも頼もしく感じられるものなのか。
と、苦笑混じりにドローアが口を開く。
「アスロックさん、それは同じ意味なのでは?」
「うん? ああ、言われてみればそうだな。――ん?」
「どうしました? アスロックさん?」
「いや、あの林のほうから変な気配が……。皆は感じないか?」
訝しげな表情になり、しかし、すぐに首を横に振るドローアとブリジット。もちろん、あたしだってなにも感じない。……が、これはチャンスだ。
ブリジットの手が肩から離れるのを待ってから、
「なに? そんなに気になるの? アスロック」
「いや、別にそこまで気になるってほどじゃないが――」
「しょうがないわねぇ。じゃあ、早速確かめに行きましょ!」
言って、全速力でダッシュ!
「あ、おい! ミーティア!」
「お待ちください、ミーティアさま!」
「アスロックさん、私たちもブリジットさまに続きますよ!」
「お、おう。――でも、あの気配って魔族の……」
後ろのほうでアスロック、ブリジット、ドローアがなにか言っているが、あたしはどんどん走る速度を上げていく。これでもう皆もこっちの道から行くしかあるまい。
もちろん、すぐにブリジットには追いつかれてしまったが、彼女は嘆息するだけで、道を戻れとは言ってこなかった。なんだかんだであたしには甘いのである。
さてさて、林の中は薄暗い。
行きは焦っていたのもあって感じなかったけど、どこからなにが飛び出てくるかわからない上にこの薄暗さというのは、なかなかに怖いものがある。
おまけに、行きに比べてモンスターの襲撃が多いこと多いこと。
もちろん、ちゃんと注意を払いながら進んでいるし、人数も四人だし、そのうちの二人が戦闘を生業としていることもあって、モンスターは常に出会い頭にバッサリ、という風に倒せているのだけれど。
「――はっ!」
いまもまた、ブリジットがレイピアで二足歩行をする豚のモンスター、エビルオークを地に這わせたところだし。
「少しはあたしやドローアのほうに回してくれても大丈夫なのになぁ……」
ぼやくあたしに、レイピアを地面に向けたブリジットは、
「……あのですね、ミーティアさま。先ほどから出会い頭で倒せているから楽勝に見えているかもしれませんが、万一、それに失敗したら途端に乱戦になり、一気にこちらが不利になるのですよ? 私とアスロック殿が担っているのは、いわば唯一と言ってもいいほどの防衛ラインなのです」
「は~いはい」
それくらい、言われなくてもわかっている。
でも、そんなに守られなきゃいけないほど、あたしって弱く見える?
むくれたあたしの表情から察したのだろう、ドローアが声をかけてきた。
「まあまあ、ミーティアさま。立場や身分の違いといったものがあるのですから」
「それだって、わからなくもないけどさぁ……」
「わかると仰られるなら、大人しく守られていてください」
「はいはい、わかったわよ。――って、ドローア! 後ろっ!」
「――はい」
静かにうなずいて、どこからともなくエアナイフを取りだすドローア。
そして、長い髪をひるがえしながら身体を反転させ、右手を一閃!
エアナイフは吸い込まれるようにエビルオークの左胸に突き刺さり、絶命させる。
「相変わらず見事なものね~。よっ! さすがはエアナイフ投げの名手!」
大したことなどなにもしていないという風に、それでも少しだけはにかみながら彼女は顔だけをこちらに向けて。
「いえいえ、そんな。これは固定標的――相手が動き出す前に、あるいは動きを予測して投げているから当てられるんです。修行を積めばミーティアさまにだってできるようになりますよ。もちろん、対象が移動標的となれば、私だってこう簡単には当てられませんよ?」
「いやいや、それでも充分すごいって。ところで、ドローアのエアナイフって一体どこに隠し持ってるの? 数も十や二十じゃきかないわよね?」
「ええと、それは秘密です」
言って、人差し指を立てて口許に持っていくドローア。
これに関しては、何度訊いても教えてくれないのよねぇ……。
ちょっぴり嘆息していると、今度はアスロックが剣を構えながら、木々が特に深く視界を遮っている場所に向いた。
「おっ、次のがきたな。気配は三つ。エビルオークが二匹と、あとのは――」
そこまで口にした瞬間。
「――たっ、助けてくだされっ!」
「うおっ!?」
切羽詰まった声と同時に、そこから一人の老人が姿を現した。
足腰は達者なようだが、服越しにうかがえる腕はちょっと力を込めて握っただけで折れてしまいそうなほどにやせ細っており、顔にもたくさんの皺が刻まれている。
もちろん、そんな風に余裕を持って老人を観察していられたのはあたしだけで、三人――特にアスロックは、彼を追ってきたと思われる二匹のエビルオークを前にして、すぐに臨戦態勢に移行しようとしていた。
老人が飛び出してきたことで崩れていた構えをすぐに直すアスロック。
しかし――
「――くっ!?」
剣での防御はわずかに間に合わず、二匹のエビルオークの片方が振るった拳がアスロックの右腕に命中する。
「アスロックさま! ここは私にお任せになって回復を!」
「一旦退がれ!」
アスロックの前に飛び出すドローアとブリジット。
ドローアは呪文の詠唱を開始しながら、エビルオークの懐に飛び込み、どこからともなく取りだしたエアナイフをその腹へと突き刺した。
そして、その刹那!
「雷破衝撃っ!」
ドローアが呪力を解放。
突き刺したエアナイフを介し、エビルオークに雷の魔術を叩き込む!
その一撃で勝負は決した。
モンスターは人間同様に肉体に依存する生き物。その体内に雷を受けて、ただで済むはずもない。
更につけ加えれば、ドローアは風のスートを持っており、<雷破衝撃>も風の精霊魔術。当然、威力は本来のそれを上回る。
この戦術はエアナイフを用いて戦う者の割と初歩的なものであると同時に、ドローアにとっては数少ない近接戦闘用の戦法でもあった。
応用はあまり利かないそうだが、並のモンスターならこれ一撃で倒せるだけの威力があるという。
現にその攻撃を食らったエビルオークは、一度だけ、びくん、と跳ねてから地面に突っ伏し、あっけなく動かなくなった。
そして、そこから少し離れたところでは、
「滅光!」
ブリジットが素早い突きを三連続で繰りだし、もう一匹のエビルオークを苦もなく屠っていた。
その姿を見て、アスロックが呟く。
「大した剣技だな……」
「うん? あれってそんなにすごいの?」
「ああ。素人目にはただ三回突いただけに見えるかもしれないけどな、あの滅光って技は、敵の額、喉、胸をほぼ一瞬のうちに正確に突いてるんだ。三度の突き、そのどれもが致命傷。あそこまで鮮やかに使いこなしてる人は久しぶりに見た」
「へえ~、そうなんだ~」
自分に近しい臣下のことを賞賛されて嬉しくないはずがない。あたしは隠しきれない笑みを浮かべながら彼に返した。
「でもあなたの剣技だって、負けず劣らずすごいんじゃない?」
「……いや。制限時間を設けた上で倒したモンスターの数を競うって形式でならともかく、ブリジットさんとまともに剣を合わせるなら、負けるのはおそらく、おれのほうだな。攻撃をかわされて、体勢が崩れたところをバッサリ。きっとそうなる」
「……そういうことにはちゃんと頭が回るんだ。なんだか意外」
「失礼な奴だな。でもまあ、意外なのかもしれないな……。そういうことはさ、直感的にでも理解できるようにならないと、健康な男子は生き残れないんだよ、あの国では」
「直感的にって……。まあ、そうなのかもしれないけど。――ところでいい加減、怪我を治したら? 回復術なり復活術なりで」
「ああ、そのことなんだけどな。おれ、回復系の術はひとつも使えないんだ」
……おいおい。
あたしは呆れて、目元を掌で覆いながら空を仰いでしまう。
「よく無事にここまで旅してこれたもんね~。致命傷を負ってたらそのままあの世行きじゃない」
「怪我さえしなければ回復呪文なんて要らない、学ぶだけ時間の無駄。昔、おれの親友がそう言ってたんだ。で、言われてみれば確かにその通りだな、と」
なんていうことを言う親友だ、まったく。
「駄目よ、そんなんじゃ。今回のことが終わったら、また一人旅に戻るんでしょ? ちゃんと回復呪文くらいは使えるようにならないと」
「そうですよ、アスロックさん」
横から声。
振り向くとドローアが隣にいた。
「復活術や神の祝福はともかく、回復術ならちょっと修行するだけで使えるようになりますから、ちゃんと使えるようになっておきましょう? 王宮に戻ったら私が教えて差し上げますから。――まずは、詠唱文の暗記からですね」
言ってアスロックの右腕に手をかざし、呪文を唱え始めるドローア。これは……<回復術>か。
どうやら怪我を治すついでに、アスロックに<回復術>の詠唱も聞かせておくつもりらしい。
「そうだな。教えてもらえると助かる」
もっとも、アスロックは詠唱をちっとも聞いていないようだけど……。
「――回復術」
呪文名を口に出すドローア。
刹那、淡い光が彼女の掌とアスロックの腕を包み込んだ。
傷が――癒えていく。
数秒経って、ドローアがかざしていた手をどける。アスロックも完治を確かめるように、ぶんぶんと右腕を振った。
そして、アスロックがわずかに目を細める。
「――さて。ところで、あんたは何者だ?」
細められた目が捉えていたのは、突然の闖入者である老人だった。
「アスロックさん?」
「ちょっと、一体どうしたの?」
「アスロック殿?」
困惑するあたしたち三人。いや、老人も含んで、四人。
「なんじゃ? 若いの。……ああ、巻き込んでしまったことはすまんと思っておるが――」
その言葉にアスロックが被せるように言う。
その口調はまるで――
「そうだな。何度も巻き込んでくれたみたいだな。――モンスターをけしかけて」
――研ぎ澄まされた、刃のよう。
「な、なんのことかの……?」
たじろぐ老人。
アスロックは彼に剣先を向けて、
「お前の持つその気配。おれが一人で旅してたときに戦った、とある魔族の気配と同じ類のものだ。そして――」
厳しい声音で、断じる。
「昨日、ここを抜けるときに感じた気配と、まったく同じものでもある」
「…………」
「聞こえてきた舌打ちも、お前のものだな? 違うとは言わせない。こういう面でのおれの直感は確かなんだ」
一体、なにが彼にそこまで自信を持たせているのだろう。
だって、目の前の老人は間違いなく人間で。
人間の姿、そのもので。
でも、アスロックが発しているのは、明確な敵意――いや、殺気で……。
しばしの沈黙が流れた。
そして、それを破ったのは、老人のほう。
「――どうして、気づいた?」
声が、変わっていた。
老人特有のしわがれたものから、張りのある青年のものへと。
それで三人、同時に気づく。
目の前の老人は見た目どおりの存在ではないのだ、と。
老人の問いかけに対するアスロックの返答は、簡潔なものだった。
「気配が魔族のものだったから、だ」
「人間とまったく同じ気配をまとっていたつもりだったんだがな……」
「それでも違うんだよ、決定的に。おれにはわかるんだ」
「厄介な人間だ。我らの策略の邪魔になる」
老人の周辺の空間が、わずかに揺らぐ。
そして次の瞬間、老人の姿は黒い人型の影に変わっていた。
「なっ……!?」
思わず驚愕の声を上げてしまうあたし。
「我――ベガラスが受けた命令は、スペリオル聖王国第二王女とそれを守る者の抹殺。――ゆくぞ」
魔族の右手に現れる、握り拳ほどの大きさの黒い球。それがアスロックに向かって放たれた。
「当たるか! そんな単調な攻撃!」
身をひねってかわし、アスロックがベガラスに肉薄する!
彼の背後で巻き起こる、黒い爆発。黒魔術と同じ効果なのか、樹に火が燃え移ったりはしてないようだけれど。
――いや、それよりも。
「アスロック、待ちなさい!」
あたしの持ってる知識によれば、魔族とは己の精神を魔力によって物質界に具現させている存在。
ゆえに――
「はっ!」
アスロックの振るったエアブレードが、ベガラスの身体をすり抜ける。
そう、効かないのだ、物理的な攻撃は。もちろん、アスロックが得意とする火術も。
魔族はわざとらしく両の赤い目を歪ませ、
「くくっ、痛いものだな、魔道銀に精神力を込めて放たれた一撃というものは……」
その赤い目が、輝きを放つ。
「そう、人間が言うところの、蚊に刺されたくらいには、な!」
ベガラスの周囲に、いくつもの黒球が生まれる。それは直線的な軌道を描いてあたしたちに迫ってくるため、落ち着いていれば避けられるレベルのものではあったが、一回でも当たれば致命傷となることは容易に想像がついた。最悪の場合、即死だってありえるだろう。
これでは呪文の詠唱になんて気を回していられない。防戦一方にならざるをえなかった。
精神生命体である魔族を倒せるとすれば、それは精神魔術や超魔術くらいしか存在しないというのに。
と、そのときだった。
バックステップして距離をとったアスロックの代わりに、魔族に近づく影がひとつ。
「調子に乗るなよ、魔族が。――食らえ! 斬影滅霊閃っ!」
ブリジットだった。
アンデッドモンスターのような、本来触れることのできない存在にも傷をつけることを可能とする神速の剣閃!
それを受け、ベガラスが苦鳴の声をあげる。
「がっ……はぁ……ぁ……、やるな、女! だが――」
「精神崩壊!」
ドローアが最高の威力を持つ神界術を放った!
魔族は足元から蒼白い柱に包み込まれ。
「――があああぁぁぁぁぁぁっ!?」
のけぞるベガラス。
どうやら、これは相当効いたようだ。
しかし、まだ油断は禁物。
ドローア同様、ベガラスがブリジットの攻撃を受けている間に唱えていた術を、あたしもまた放つ!
「意操衝霊弾!」
あたしが使える黒魔術の中でも、かなり強力なほうに入るものだ。軌道をこちらでコントロールできるから、外す心配もない。
蒼白い柱は消滅し、魔族の無防備な姿が晒される。
その瞬間を待っていたあたしの意思に従い、掌から放たれた黒い帯はベガラスを目指し――
「くぅっ!」
魔族が黒球を生みだし、黒い帯に向けて投げる!
黒球は帯にぶつかると爆発を起こし、共に消滅していった。
<精神崩壊>を食らった直後だというのに、こいつ、まったくといっていいほど動きが鈍っていない。さては『聖本』に載っていた四体の『高位魔族』ほどではないにせよ、相当な力を持った魔族とみた。
なんだってこんなのに襲われるハメに陥っているんだろうか、あたしは。
「が、ぁ……、わ、我とて中級魔族。この程度で滅びることなど、まずないわ……」
かなり苦しそうではあるけどね。
いや、それよりも、こいつはいまなんて言った?
『中級魔族』!? こんなに強くてタフなのに、『中級』魔族!?
「嘘、でしょ……」
思わず口からそう漏らしてしまうあたし。
それに、木々を揺らす音と共に、答える声があった。
「本当ですとも。もっとも、中級魔族とはいっても奴はタフなだけ。耐えられなくなるほどの攻撃を加えれば、それで滅ぼせます」
目を向けると、そこには目に痛いほどの赤い鎧があった。
着込んでいるのは、四十代前半の銀髪の男性。
その者の名は、聖将軍――
「シャズール! なんでここに!?」
「その質問に答えるのでしたら、セレナさまが見つかりましたので、遅ればせながら報告に向かおうとしていた、というのが一点」
「一点?」
「はい。もう一点は、長年追っていた魔族が私の前に姿を現し、それを追ってきた、というもの」
「あのベガラスって魔族を? まさか、あなた一人で倒すつもりでいるの? あなただって人間なんだから、それは――」
「可能です。そもそもミーティアさまたちも、相当、善戦していたようではないですか」
「そりゃ、一対多数で戦ってたからね。でも――」
「では、そろそろ参るとします。ミーティアさまは退がっていてくださいますよう」
そう残して、シャズールが駆けた。腰のエアブレードを抜き放ちながら。
「――ベガラスよ、覚悟」
「ひっ!? な、なぜ……!」
なぜここに、とでも言いたかったのだろうか。でも、それすらも声に出せないようだ。
完全に怯えた様子のベガラス。……こりゃ、勝敗はみえたかな。シャズールに助けてもらったっていうのが、少しばかり癪ではあるけれど。
「おっと、助太刀するぜ」
アスロックがシャズールに声をかけた。……というか、一体いままでなにをしてたんだ、あんたは。今回、ものすごく役立たずだったぞ。
「――無用」
一言で斬って捨てるシャズール。しかし、アスロックはなおも食い下がる。
「まあ、そう言うなって。おれのほうもようやく準備が終わったんだ。この準備ってのにはけっこう精神力を使うし、役立たずだって思われるのも嫌だしで、正直、このまま終了ってのはおれとしても面白くない」
「知らんな、貴殿の都合など」
「まあまあ。ちょっと珍しいもの、見せてやるからさ」
アスロックが呪文の詠唱を開始する。
詠唱内容から察するに、あれは……って、<火炎の矢>!?
「ふむ?」
眉をひそめるシャズール。
ちょっと! そんな軽いリアクションでいいの!?
「ばかっ! なにやろうとしてんのよ、アスロック! なに? 気でも狂っちゃったの!?」
昨日、リザードマンが炎のブレスを吐きだそうとした瞬間に感じた絶望感のことを持ちださずとも、彼がどんな危険なことをやろうとしているのかは理解できるだろう。
あのときはアスロックも危機感を覚えていたはずなのに……!
詠唱を終え、アスロックが呪力を解放する! してしまう!
「火炎の矢っ!」
現れる、十数本の光り輝く炎の矢。
その本数はやはり、普通の<火炎の矢>よりもずっと多い。
そしてそれが、ベガラスのほうに撃ちだされた。
かわされてしまえば炎は木々に燃え移り、命中したとしてもダメージなんて与えられないというのに。
「――がっ!?」
「む、これは……!」
反射的に目を閉じてしまったあたしの耳に、魔族の苦鳴と、シャズールの感嘆と警戒が入り混じったような声が届いてきた。
「そんなことが……?」
続いて聞こえてきたのは、ブリジットの呟き。
「――これは……本当に?」
さらに、ドローアの、どこか嬉しそうな声。
ややあって、あたしは恐る恐る目を開ける。
そうして飛び込んできた光景は。
「樹が、燃えてない……? それどころか、魔族に……」
あたしの漏らした呟きが、風の中に溶け消えていく。
それに返してくるのはアスロック。
「おうっ! おれ、思いっきり精神を集中してから火の精霊魔術を使うと、ものを燃やさない炎を出せるんだ! どうだ? すごいだろ? まあ、なんでできるのかは、俺自身にもわからないんだけどな」
はっはっは、と愉快そうに笑うアスロックに、あたしは素早く走り寄り――
「――ていっ!」
「ぶっ!?」
思いっきり、蹴りをかましてやった。
ま、まったく! 驚かしてくれちゃって!
「おー、痛ててて……。でもまあ、これでわかっただろ? 精神を最高に集中させれば、おれの火術は樹が密集している場所でも使えるんだ。そしてなんと! この炎は魔族にも効果がある! 以前、これのおかげで魔族に勝ったことがあるからな!」
「た、確かにすごいとは思うけどね……!」
「だろ! ――と、いうわけだシャズールさんよ。相手は魔族なんだし、ここは人間同士、共闘といこうじゃないか。絶対に足手まといにはならないからさ」
「ふむ……。まあ、いいだろう。だが貴殿、その魔術は――」
シャズールがそこまで口にしたときだった。
「……っ!? わ、わかりました! 撤退します!」
撤退? 一体なにを、そして誰に向かって言って――
「待てっ!」
声を荒げるシャズール。しかし、それを無視するかのように魔族の姿は虚空へと溶け消えていった。
「おのれ、またしても空間を渡って逃げたか!」
悔しげに吐き捨てて、エアブレードを鞘に収める聖将軍。
彼を除いたあたしたちは、奇襲に備えてしばらく武器を構えていたが、
「……本当に、逃げちゃったみたいね。ねえ、シャズール。もしかして、いままでも追い詰めるたびにこうやって逃げられてたの?」
「はい。仰るとおりです。人の身ではこれ以上追うことは叶いませんからな。――それより、貴殿、アスロックと言ったか」
「うん? ああ。残念だったな、逃がしちまって。ずっと追ってたんだろ?」
「そのことはもういい。それよりも貴殿の使った術のことだ」
おお。アスロックの 『話を脱線させる話術』から上手く逃れたな、シャズール。
「術? ものを燃やさず、魔族にもダメージを与えられる、あれのことか?」
「そう、それだ」
そこでドローアが口を挟んだ。
「あれは聖霊魔術、ですよね? アスロックさん」
「聖霊魔術……?」
「はい。――『愛』をもって理解するとき、『精霊』は『聖霊』となり、『心理』は『真理』となる。この一節にある『聖霊』のことです。精霊王の力を借りた精霊魔術のことですよ」
「やはり、そうか」
ドローアの言葉にうなずくシャズール。
「魔族には、脅威となる力のひとつだな。『真理体得者』のみが使えるという、聖霊魔術……」
し、真理体得っ……!?
「ちょ、ちょっと待って! 『真理体得者』って『本質の柱』に到達した者のことでしょ!?」
勢い込んで問うあたしに、ドローアが静かにかぶりを振った。
「いえ、そういうわけではありませんよ。それが一番、一般的な意味での『真理体得者』ではありますが、それ以外にも道はあるといいます。要は『真理』を理解できさえすればいいのですから。そう、それが知識から得られたものであれ、感覚的に得られたものであれ」
「つまり、アスロックは『真理』を感覚的に理解しているってこと?」
胸の前で腕を組むあたしに、今度はシャズールが補足を入れてくれる。
「ええ、おそらくは。もっとも、『本質の柱』に到達していなくとも、聖霊魔術は使えるそうですが。そう、要は階層世界に精霊王がいまも存在している『実感』を得られれば」
「そんなこと、あたしは全然知らなかったけどね……」
そういう『実感』を得ればいいということはおろか、聖霊魔術の存在さえ。
しかし、そうか。アスロックはそんなすごい術を使えたのか。そもそも、彼の使う火術があり得ないくらい強力だというのも、そのあたりに理由があるのではなかろうか。
……ん? 待てよ?
「精霊王って、第一次聖魔大戦のときに魔王によって『魔王の翼』にされてなかったっけ? どうしてその力をいま借りることができるの?」
存在しない者の力は、存在しないがゆえに借りられない。
当たり前のことだと思うのだけれど。
そんな疑問を抱いていると、ドローアが嘆息混じりに答えてくれた。
「ミーティアさま、たまにはご自分の興味が惹かれない箇所も読んでみることをお勧めしますよ。『聖本』にはこうありました。『階層世界に存在する『時間』とは、過去、現在、未来、すべての時間を内包して流れているものを指すのだ』と。つまり階層世界には、過去の姿である『精霊王』と、現在の姿である『魔王の翼』、そして未来の姿である『何者か』が同時に存在しているのです」
「なるほど。アスロックはその『過去』の精霊王に干渉――もとい、力を借りて、聖霊魔術を使っていると?」
「ええ。――ですよね? アスロックさん」
「うん? 悪い。おれ、さっきから全然話についていけてない」
だと思った……。
ドローアはちょっと寂しそうな困り顔になって、
「え? 全然、これっぽっちもわからないんですか? せっかく……」
「せっかく? ああ、せっかく話を振ってやったのにって意味なら、悪い。わからないものは本当にわからないんだ」
「ああ、いえいえ! そんなことはまったく思っていませんから!」
「じゃあ、『せっかく』なんなんだ?」
「そ、それは秘密です!」
出た、ドローアの秘密主義。
二人の会話を遮るように、こほんとシャズールが咳払いをする。
「どうやらアスロック殿は、無意識下で感覚的に『本質の柱』に到達した『真理体得者』のようですな」
ドローアも「そのようですね」と同調した。
「そんな方が現れるなんて、正直、予想もしていませんでしたが」
「なんで、あたしじゃなくてアスロックなのかなぁ……」
思わずぼやくあたし。
どう考えても、アスロックよりはあたしのほうが『真理』に近いところにいると思うのだけど。
「別にいいじゃないか。話の中心になってるっぽいのに、内容を微塵も理解できてないおれのほうがよっぽど惨めだぞ、きっと」
アスロックがよくわからないフォローを入れてきた。
「いや、別にあたしは自分のことを惨めだなんて思ってないけどね。それに――」
さっきから悔しげだったり寂しげだったりと複雑な表情を浮かべている女将軍をちらりと見る。
「一番惨めなのは、シャズール登場のせいで空気のように扱われて、いまも全然会話に加われずにいるブリジットだと思う」
「……確かに。割と活躍してたのに、美味しいところを一気に持っていかれた感じだもんな」
シャズールと、それ以上に、聖霊魔術なんてものを使った、他でもないあなたに、ね。
「まあ、それはどうでもいいとして」
「酷いな、お前。おれ、ちょっとブリジットさん慰めてこようかな、同じく話の内容がわからない者として」
「い・い・と・し・て」
「……なんだよ?」
「王宮に戻ったら色々と訊きたいから、覚悟しておくようにね。場合によっては、軟禁状態にするから。勝手に旅立てないようにさせてもらうから」
「おぉいっ!?」
「あははっ! まあ、軟禁は冗談だけどね。でも、『本質の柱』とかのことで訊きたいことが山ほどあるのは本当。あなたにわかる限りのことは教えてよね」
「いいけどよ、おれにわかることなんて、きっとなにもないぞ……」
「それならそれで、まだ諦めもつくからいいわよ。とにかく、なにも言わずに旅に出るようなことだけはしないでね」
「しないって。なんの断りもなく去るような男に見えるのか? おれは……。それに、おれにも王宮にしばらく滞在したい理由があったりするしな」
王宮に滞在したい理由……?
「なに、それ?」
「理由はいくつかあるんだが、まずはブリジットさんに剣を習いたい」
「ガルス帝国出身の戦士である、あなたが? なんで今更?」
「言っただろ。ブリジットさんとまともに剣を合わせるなら、負けるのはおそらく、おれのほうだって。それに、回復術も教えてもらいたいしな」
「ああ、そっちもなんだ。欲張りねぇ。まあ、呪文のほうはドローアに教えてもらいなさい。彼女、魔道教習センターの教免も持ってるから、魔術を教えるの上手だし」
「そうなのか。なら、あの魔族との再戦にも間に合いそうだな」
「あ、そういえばそのこともあったわね。あなたの聖霊魔術のインパクトが強すぎて、すっかり忘れちゃってたわ。……もしかして、王宮に滞在したい一番の理由って、それだったり?」
「ああ。昨日、お前の護衛を依頼されたのに、そのお前があの魔族に狙われ続けてるなんて状態のままじゃ、安心して旅を続けていられないだろ? シャズールさんだってずっとお前の近くにいてくれるわけじゃないんだし」
本当、どうしてサラッとそういうことを言えるのかなぁ、こいつは。
一定の護衛期間を過ぎてしまえば、はいさようならってのが普通の対応だと思うんだけど。
おまけに、ブリジットに剣を習いたいっていうのも、あの魔族との再戦のためって考えたほうがしっくりくるし。
まあ、それはともかく。
「……もう襲ってこないっていうのが一番なんだけど、それは楽観的に過ぎるかな、やっぱり。あたしも奴との再戦に向けて、自分の強さに磨きをかけておくとしますか。――さて、それじゃあ!」
あたしは大きく伸びをして、あと少しだけ一緒に旅をする四人の仲間の顔を見回した。
そして、笑顔で告げる。
「そんなわけで、急いで帰りましょうか! スペリオル・シティの王宮に!」
ベガラスとの再戦はきっと、それほど遠い日のことではないだろうから――。
スペリオル・シティにある王城。
その玉座に、一人の男が座っていた。
言うまでもなく、スペリオル聖王国の現王、デュラハンである。
「……まったく、最近は勝手な動きが目立っていかんな」
彼は自分以外誰もいない空間で、ひとり、ごちる。
「なにも、あんなところまで出向かずともよいだろうに」
自分以外誰もいないはずの空間で、ひとり、ごちる。
「大人しくしておればよいのだ。ときは、あと少しで満ちるのだから。――我が悲願が、ようやく叶うのだから」
呟きは、止まらない。
「そう、あと少しだ。『計画』は、既に最終段階に入った」
床に落ちた彼の影が、不意にぐにゃりと歪む。
「そして、今日ですべての用意が整った」
歪んだ影の形は、とても。
「あとは、ときが満ちる日に、決行に移すだけ」
とても、とても凶々(まがまが)しくて。
「阻むものは、誰であっても斬り倒す。――そう。誰であっても、だ」
それは、魔族の持つそれと、よく似ていた――。




