その一 暇つぶしの殺人ゲーム プロローグ
とある廃校。とはいっても廃校というほどみすぼらしい姿はしていない。外見からしたらそこらの学校と何ら変わらない。せいぜい所々壁が崩れているぐらいである。たぶん廃校になったのは最近のことだろう。
そんなある日のことである。今やだれも寄りつかなくなった廃校の中から、不気味な叫び声が聞こえたという。
走る。逃げる。走る。逃げる。走る。逃げる。走る逃げる走る逃げる走る逃げる走る逃げる走る逃げる走る走る逃げる走る逃げる走る逃げる走る逃げる走る逃げる走る逃げる。
横長に作られた校舎の中をただひたすらに、ものすごい形相で、走る。
満身創痍の体を引きずるようにして必死に、まるで、捕食者から逃れようとする動物のように、逃げる。
「ハァッハァッハァッハァッ…」
「おやおやどうしたんですか?そんな必死になって。そんなことしても無駄だとわかっているでしょうに」
逃げ惑う少年の後ろから、まるで少年を追い立てるような、紳士的な礼儀正しい口調の男の声が聞こえてきた。だが、紳士的で礼儀正しいのはあくまで口調だけだ。その声音は地を這うように不気味で、妙に荒々しかった。
そんな声だけが少年の後ろから響いてくる。
不気味に、絡みつくように。
「あまり逃げないでくださいよ。見失ってしまうではありませんか」
「ハァ…う…うるせ……え。化け物」
息も絶え絶えになりながら、しかしそれでも必死にその声に対して言い返す。そうしてる間も決して足は止めない。走りながら、逃げながら。言い返す。そうしないと心が折れてしまいそうだから。
しかし、そんな少年の気も知らずに、声は後ろから響いてくる。
「化け物?化け物ですか?この僕を?」
「ん~、それは少々傷つきますね~」
「来るな……来るな…!」
「化け物め!化け物め‼」
「化け物なんて、化けた『物』なんてひどいですね~。もっとちゃんと人として扱ってくださいよ。」
「そうだ、化けた『者』。化け者と呼ぶのはどうでしょう。そちらのほうがまだ人間味がある呼び方ではありませんか。」
「ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…」
来るな!来るな!来るな!来るな!と少年は心の中で何度も叫ぶ。
「あれ?反応がありませんね。もしかしてつまらなかったですか?」
走る走る。逃げる逃げる。姿なき声から。
足がもつれ転びそうになるが、それを必死に踏ん張って逃げる。
見つかったら終わりだから。捕まったら終わりだから。
「おや、そちらは行き止まりではありませんか。大丈夫ですか、ずっと走ってばかりいるとぶつかってしまいますよ。」
「なっ…!」
少年は足を止める。確かに行き止まりだ。右手に教室がある以外に逃げ道は全くない。だがここで教室に入ったとしても袋の鼠だ。
「おやおや、足を止めてしまっていいんですか?そしたら、見つかってしまいますよ。そしたら、捕まってしまいますよ。そしたら、殺されてしまいますよ。この、私に。」
「くっ…くそっ!」
こんなところで、死ぬわけにはいかないんだ!
生きるんだ!生き残るんだ‼死んでいった仲間のためにも‼
少年は自分にそう言い聞かせ、震える体を叱咤する。折れそうな心を必死で支える。
ここで折れたら、ここで死んだら、何もかも無駄になってしまうから。
「さてどうしますか、この絶望的な状況。どうやって打開しますか?」
「……」
「おや?どうしました?急にだんまりですか?もしかして諦めてしまいましたか?」
「そんなわけ……ないだろ!」
少年はそう叫ぶとズボンのポケットから小さな、ちょうど手のひらに収まるくらいの大きさの「それ」を取り出し、投げた。「それ」は弧を描きながら声のするほうへ飛んでいく。「それ」は床に落ちると同時にプシューという音を立てながら琥珀色の気体を噴出させた。
それと同時に少年は、近くの教室に飛び込んで鍵を閉め、ハンカチで鼻と口を覆い、目を固く閉じる。
「ぐっ……これは…毒ガスですか……。困りましたね、少し吸ってしまいましたよ…」
「あっ……ぐ…あ…ああああぁあぁぁああああぁぁぁあああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁああぁあぁぁぁあぁぁあぁああああああああああああああああああぁあああぁぁぁああぁあああぁぁぁぁぁぁあああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
教室の外。先ほど少年がいた廊下から断末魔の叫びが聞こえてくる。
「へっ、ざまーみろ……化け物め…」
少年はそう吐き捨てると、その場にへたり込んだ。張りつめた緊張の糸が切れたのか、それからしばらくはほとんど放心状態だった。
しかしほんとに間一髪だった。あのとっさの判断が無ければ今頃は……
「まったく。そんな隙だらけだと殺されちゃいますよ。私に」
「っ‼」
賭けだった。武器の残りは、とっておきとはいえあの毒ガスひとつしか残っていなかった。これでとどめを刺さなければ自分が死んでしまうと、そうわかっていたはずだ。だから、ほんとに最後の最後まで温存していたのに、なのに、それなのに、声が、聞こえてきた。地を這うような不気味な声。先ほどの毒ガスで断末魔の悲鳴を上げて死んだはずの男の声。聞こえてくるはずのない声。死神の、声。それが、聞こえてきた。今度は後ろからではなく、前から。
だが、今は声だけではなかった。少年のちょうど一直線上。まさに真ん前。そこには一人の男が立っていた。
奇妙な仮面をつけ、少し長めの白髪を後ろで縛っている、不気味な男が立っていた。外観からはむしろ好印象を抱かれるような身なりだ。だが、それでも、この男を見たらだれもが真っ先にこういう感想を抱くだろう。『不気味だ』と。
それほどに気味悪く、人間の形をした別の何か、化け物などと錯覚しそうなほどの男だ。
少年の体に緊張が走る。急に体全体がガタガタと震えだす。
男の登場に少年は激しく狼狽していた。戦慄し驚愕していた。
それでも必死に言葉をつぐむ。ちぐはぐで、噛みまくっているが、そうでもしないともう心が折れるとかの問題ではなく、自分という存在を保てなくなりそうだから。壊れてどうにかなりそうだから。このまま自分で死んでしまいそうだから。そうすると仲間との約束を果たせなくなるから。だから…必死に声を出す。自分を、仲間との約束を見失わないために。
「な……なん……で…………?」
しかし、そんな少年の言葉に男は全く耳を傾けずに一人語りを始める。
「いや~、全く危ないものを持っていますね~。」
「……なん…………で…!」
「まさかVXガスの入った爆弾を使うなんて」
「どう…して……?」
「戦争で使われた化学兵器ですよ。吸ったら即死ですよ」
「なんで……‼」
「下手したら自分、どころかここら一体の生命がすべて朽ち果ててしまったかもしれないのに」
「どうして……‼」
「世界最強の毒薬といわれているんですよ」
「どうしてだよ……!」
「よくもまぁ、そんな躊躇なく使えましたね~」
「なんでなんだよ……‼」
「僕なんかより君のほうがずっと化け物ですよ」
いくら言っても、いくら問うても、一人語りをやめない男
「答えろよ‼‼‼‼」
少年が激昂した。
「どうして…‼なんでお前が生きている‼」
「さっき、確実に死んだはずだ‼」
「あの毒の中で悲鳴を上げて死んだはずだ‼‼」
「俺が殺したはずだ‼‼」
「なのに何で生きている‼‼」
「生きていられる‼‼」
「どうして‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
「どうしてといわれましても――――」
プツリと、少年の頭の中で何かが切れる音がした。
「チクショォォォオオオオオオオオ‼‼‼‼‼‼‼」
男の声を遮るように少年が叫ぶ。それと同時に少年は男めがけて走り出した。特攻を仕掛ける。そんなことをしても殺されるだけなのはわかっているのに。だが、動かなくても殺されていただろう。動いたとしても、逃げようとしても、どちらにせよ、殺されていただろう。だとしたら、まだ逃げるよりも男に一矢報いたほうがいいに決まっている。
少年ほとんどやけっぱちになりながら、仲間の約束や、自分の命、色々なものを全部かなぐり捨てて男に突っ込む。
男に一矢報いるために。男を道ずれにするために。
「仲間の仇だァァァ‼‼」
手のひらを手刀に変える。鋭く、研ぎ澄ませる。確実に、一撃で殺すために。
「死ねェェェエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエ‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼‼」
男は仮面の下から笑みを浮かべて少年に相対す。まるで、こうなることを望んでいたかのように、愉快そうに、楽しそうに、そして、とても凄惨に、笑う。
直後、男と少年が、交錯する。
ボトッ、という鈍く、何かが床に落ちる音がした。
次に、ブシュー、という何かが噴き出す音がした。
その直後にドンッ、という今度もまた鈍く、何かが床に倒れる音がした。
しっかりと足をついて立っているのは、かすり傷ひとつない、それどころか汚れひとつない、仮面をつけた男だった。
少年は、胴と頭を切断され男の足元に転がっている。
男はそれを冷めた目つきで見つめている。
そのまま誰に言うでもなくつぶやいた。
「今回も、なかなかに楽しい週末でした」
初投稿です。まずは、私のつたない文章を最後までお読みいただきありがとうございます。
ここをこうしたらいい等々の指摘がございましたら、教えてくれるとありがたいです。