レビュリストって何?
――マンションから学校へは徒歩で二十分かかる。
学生としては約二キロメートルの距離は何と言う事も無いが、住宅が密集しているおかげで人通りと車の交通が多いのが難点だ。
特にこの時間帯は、通勤するサラリーマンと通学する学生が忙しなく移動している。
まぁここは道幅が広いと言う事もあり、歩行者の人気が高いのだ。
そして利用者が多い分、顔見知りと遭遇する事も頻繁にある。
……たとえば今、目の前で歩いているツインテイルの女子学生がそれに該当する。
「おはよう、御舘」
そう言って俺が声をかけたのは、同じクラスの御舘 麻美だ。
彼女もコチラの声に反応して、クルリと後ろを振り返ってきた。
「あっ、おはよう馬波くん」
左右に束ねた茶髪を揺らしながら、コチラに微笑む御舘。
『小柄で清楚。胸は平たいけど、家庭的な女子だよね』
と評する俺の欲望だが、清楚で家庭的という部分だけは認めよう。
「馬波くん、今日は早く起きたの?」
「まぁな。家に居ても落ち着かなかいし、まったり学校で過ごそうかと思ったんだ」
「へぇ、そうなんだ」
「御舘こそ早いじゃないか。しかもなんか口元が緩んでいるぞ」
「う、うん。じつは今日とても嬉しいことがあったから、少し浮かれてるんだ」
そう口にする御舘は、とても誇らしそうに胸を反らしていた。
『……谷間がない』
と悲しそうに呟く欲望を蹴り飛ばしながら、話を聞いて欲しそうな雰囲気を醸し出す御舘に続きを促した。
「それで何があったんだ?」
「じつは私ね、最近レビューを始めたんだけど」
「……レビューね。どこのサイトに登録したんだ?」
「TCM。登録者が中部地方なら、ほとんどの商品が送料無料って聞いたから」
「初耳だな」
というのは、もちろん嘘だ。
元々が地元の運搬業だけあって、TCMは一部首都圏と中部地方にかなり強い販路を持っている。その恩恵で近隣地域の配達は低コスト化に成功し、それ故の送料無料だと言う事も知っていた。
……しかしクラスメイトの間では、俺はレビュリストではない事になっている。
ゆえに無知を装いつつも、俺は興味深そうに御舘に尋ねるしかないのだ。
「それで始めたばかりの初心者が、なにか喜ぶようなイベントなんて在ったのか?」
「えへへ、なんとレビュー・ランクが上昇しました」
「ほぉ」
「年間じゃなくて、初心者でも上位になりやすい週間ランキングなんだけどね。百万位から千位になったんだけど、これは異例のスピード出世だって教えて貰ったんだ」
よほど嬉しいのか、御舘は興奮した様子を隠さずに喜んでいる。
……しかし、百万から千へのランクアップか。普通、ファンを持たない初心者がそこまで支持数を上昇させるモノと言えば食品か、日用品が定番だ。
軽く予想を立てていると、ふわりと風に混じってフローラルな香りが鼻に届いた。
「……ところで御舘の制服、良い匂いだな」
「あっ、気付いた? この前、新しく柔軟剤を買ったんだ」
満更でもなさそうに微笑みながら、御舘はさらに語る。
「じつは私がレビューしたのも、コレなの。そういう物で、女子高生の感想は珍しかったみたい」
「なるほど」
たしかに主婦ではなく、女子高生が書いた柔軟剤のレビューは目立つだろう。
だが、なおかつ支持されるという事は、内容がよほど良かったに違いない。
「もしかしたら、レビューの才能があるのかもな」
「さぁ、どうだろう。好きな香りだったから、褒めただけなんだけど」
頬を染めて照れている御舘は、コチラの心を癒やしてくれる。おそらく、御舘の服から漂う香りの効果なのだろうが。
「しかし千位か。つまり、サンプリング・レビュープログラムが使えるんだな」
――と、言い終えて思わず口に手を当てる。
雪で転ぶように、つるりと口が滑ってしまった。
しかし幸いなことに、俺の動作に気付く事なく御舘は会話を繋げる。
「そうなの、昨日サンプル商品のカタログがメールで送られてきてね。どれを試そうかなって迷って眠れなかったのっ」
太陽のように瞳をキラキラと輝かせながら力説する御舘。
あぁ、やばい。
その姿を目にして不覚にも、親鳥が雛を見守るような心境に陥ってしまった。
同級生がレビュリストとして確かな成長を遂げた事に、我が事のように喜びを感じてしまうとは。
これも、御舘がもつ魅力のなせる技だと言う事か。
『素直に可愛いかったって言えないの?』
という欲望の声を無視しながら、どうしてそんな気持ちになったか論理的な説明をおこなうとしよう。
――そもそもサンプリング・レビュープログラムとは、ランキングで人気の出たユーザーが、企業から未発売のサンプル商品や、発売したばかりの新商品を受け取ることができるサービスのことである。
商品を提供する企業は、化粧品会社と食品会社が多い。
……まぁ最近では書籍や映像ソフトといった、娯楽を提供するところも増えたか。
しかしドコの企業も例外なく、これから売り込みたい商品をレビュリストへ配布する事には変わりない。
それによってイメージアップや消費者への利益還元も兼ねているが、やはり人目に触れさせるという目的が第一なのだろう。
つまり、広告なのだ。
その対価としてユーザーは、貰った商品のレビューを書き込まなければならない。
しかし、そのレビューでまたランキングが上昇する可能性があるので、レビュリストにとって損はない経済的なシステムなのだ。
――そんな訳で、少しでも家計を助ける御舘は偉い、感動した。
おかげで御舘の笑顔にドキッとした、可愛かった。
うん、じつに論理的説明である。
そうやって胸のざわめきに決着をつけて、俺は改めて口を開いた。
「たしか週間でもランクが千位だと、一品のサンプル商品が選べるんだったか」
「……うん。そういう意味では、これって本当に小さな自慢話でしかないんだけどね」
その呟きだけ聞くと落ち込んでいるような印象を持つが、実際の御舘はむしろ奮起に燃えているようだった。
「けど大丈夫、次は年間の百番台を目指して頑張るからっ」
「あぁ。年間のランク上位者には一ヶ月につき、五個以上のサンプル商品を受け取る権利を貰えるんだったな」
「そうそう詳しいね。もしかして馬波くんも、レビュリストやってるの?」
「いや」
同級生に嘘を吐くのは心が痛むが、仕方ない。
迂闊にレビュリストだと名乗り、TCMの年間ランキング三位だとバレるのは避けたいのだ。
それに俺にとってレビューは仕事だ。
ビジネスに私情は挟まないのである。
……だが、ここまで口を出してしまった以上、それなりの理由は必要だろう。
「父親が通販会社について詳しくて、話を聞いている内に知識が増えたんだ」
「へぇ、そうなんだ」
「それに学校でも流行っているから、ネタとして知っておこうと思ってな」
学生の間で流行っているのは本当の事だ。
モバイル端末の普及によって、ネット通販の売り上げは飛躍していく一方である。
それに付随してレビュー自体が、人々に認知されていた。
つまり常識なのだ。
レビュリストを知っている人間は、星の数ほどに居る。
御舘も俺の言い分を信用してくれたようで、しきりに首を縦に振っていた。
「わかるわかる、私も初めはそんな感じだったし。けど、いざやってみるとレビューって楽しいんだよ。ネット通販自体もお買い得品が多いしね」
「……それは良かったな」
「えへへ、私の趣味になっちゃったみたい」
その純粋に楽しそうな雰囲気に圧倒される。
好きなモノを語る人間の表情とは、なんと魅力的であるのか。
『TCMのキャンペーンガールを依頼したいよね、個人的に』
という俺の欲望の戯言はさておき、見る人間をポジティブにさせるような暖かみがあるのは確かだろう。
……だが同時に疎外感も生まれる。
俺はレビューを仕事としてやっているのであって、御舘のように趣味と言える物にはなり得ないからだ。
「……俺もいつか、趣味でレビューを始めてみるかも知れない」
つい、そんな呟きを漏らしてしまう。
それを律儀に拾ってくれた御舘は、我が事のように破顔した。
「うわぁ、本当に? なら私、先輩として色々と指導してあげるね」
「そうか」
『その時は是非とも、レディース・スーツを着用の上で自宅まで来てください』
と脳内で土下座をする俺の欲望がウザ過ぎる。
そもそも御舘にスーツは似合わない。
『そのミステイクな感じが、また良い味を出すんだ』
と反論する俺の欲望。
まったく馬鹿だな、断然に学生服のままがベストだ。
『は?』
紛糾する脳内会議。
おかげで御舘への返答を、上手く口に出来ない。
しかも間の悪いことに、このタイミングで別の人間から声がかかってきた。
「おっはよー、麻美」
御舘に挨拶をしたのはセミロングの女子学生だ。
これまた俺たちと同じクラスメイトの、春日居である。
「うん。おはよう」
そう御舘が返事を返すと同時に、春日居がガバッと御舘に抱き付いた。
「メール読んだよ。レビュリスト始めて一ヶ月でランク千位とか、やるじゃん麻美」
「えへへ、なんか新発売の柔軟剤をレビューしたら好評だったから」
「あー、たしかに甘い匂いするわ。ていうか最近ずっと、この匂いつけてたよね?」
「そうだよ。みんなに好評だったから、感謝する気持ちでレビューしたんだもん」
「可愛い答え方だな、もぅ。いったいドコのメーカーに言わされたのよー」
春日居が確かめるように、御舘の首筋に鼻を近づける。
単純にエロい。ソレを
『よし、この流れで俺もハグできる』
と息巻く俺の欲望。
馬鹿め、そんな真似をしたら俺が警察の手錠にハグされるだけである。
「けどなんで、女子高生が柔軟剤のレビュー書いてウケたんだろうね?」
とは春日居の意見だが、確かに客観的に見れば疑問に思うのは道理だろう。
だがその意外性が、今回のランキングアップに繋がったのだ。
「最近ではコマーシャル・イノベーション現象といわれているな」
「え?」
――しまった。
まさか再び、ドジを踏んでしまうとは。
そんな後悔をしても、もう遅い。
きょとんとした二つの顔がこっちを向いている。
「なにそれ。つか、おはよう。挨拶おくれてゴメン」
「あぁ、おはよう春日居」
「うっす。それで何なの、そのコマーシャルなんとかって」
……あぁ、やはり説明をしなければ駄目な流れなのか。
さきほどの自分を恨みつつ、俺はゆっくりと口を開くことにした。